魔法都市編エピソード3 追憶
パルとの通信が終わったあと、スピカが尋ねる。
「マダムシャーリーさん、ノアは、もう大丈夫ですか?」
マダムシャーリーはええ、と頷く。
「解毒して、気付け薬を注射したから動けるけど魂が毒されたから、まだ無理は禁物ね。でももうここにいる必要はないわ」
するとノアはハシェルにダブルピースを見せる。
「いぇい!もう退院だってーー」
「入院もしてないですよ」
ハシェルが笑いながらノアに言うとシスターベガが微笑む。
「良かったですね。」
ノアはにこにことしてベッドから降りる。
「うん!良かった!」
一段落して、マダムシャーリーがシスターベガに声を掛ける。
「あなた、今日見張り番じゃなかった?」
するとシスターベガはあっとしたように口を抑える。
「忘れてました…」
シスターベガは残念そうにハシェル、ノア、スピカを見る。
「またお話しましょうね。」
そしてゆっくりとした動作で医療室から出ていった。
それからスピカはヴェニアのことについて聞いてきた。彼の生い立ち、彼の考え方、何が好きで何が嫌いか、彼の背負っている性が何なのかを。話していると暫くして、スピカとマダムシャーリーの間に星の魔法陣が表れ、青く光り輝く月桂樹が現れる。下から上へ月桂樹は互いの枝を巻き付けて、部屋の中は青い光に包まれた。皆が目を閉じて、光が収まり、皆が目を開けた時、そこにはパルもとい暁卿が立っていた。
「暁卿…!!どうやって?!」
マダムシャーリーは驚いて目を丸くする。
「カプリコーンと軍のお偉いさんに掛け合って一時的に儂の転移魔術を使えるようにしてもらったんじゃ。」
スピカはパルに向かってビシッと敬礼をし、挨拶をする。
「暁卿様!またお会いできまして光栄でございます!」
するとパルはのほほんとした顔を作ってみせる。
「よいよい。堅苦しいのはなしじゃ。」
マダムシャーリーはひとりでブツブツ言っている。
「3000年時が経っているのに老人のような見た目ではない…むしろ子供のような…気になるわ…なぜなのかしら…解剖したい…研究したい…でも失礼に当たるかしら…」
パルはその視線に気がついたのか苦笑してマダムシャーリーを見る。まるで親のような顔でパルはその頭を撫でる。
「ノアを救ってくれてありがとう。世話をかけたじゃろう」
「えっ」
マダムシャーリーは口も目も開いていてかなり吃驚している。
パルは耳元のフリンジを揺らしながらマダムシャーリーを撫でたあと、スピカを撫で、今度はハシェルとノアを抱きしめた。パルの匂いに2人とも安心し力が抜けていく。
「心配させおって…本当に……」
パルの声が震えている。本当に心配したのだろう。
「パルーー」
ノアが声を上げて泣いていた。パルはよしよし、とノアの頭を撫でながら抱きしめる力を強くした。
ハシェルは何度目か分からないがほっと息をついてパルを抱きしめ返した。そしてパルに尋ねる。
「カプリコーン様から、3000年分の情報は頂けたのですか?」
するとパルは抱きしめるのを辞め、ゆっくり2人の顔を見てからハシェルに言葉を返した。
「うむ。おおよそのことは、カプリコーンから教えて貰っての。もうわしも現代っ子じゃよ。」
パルは2人を安心させるためか、そんなことを口にした。
そしてスピカを見ると新しい知識を口にした。
「カプリコーン曰く魔獣にはたくさんの種類があり、妖精や人狼、吸血鬼などがおると言っておったぞ。主に害の無いものが妖精といわれておるらしい。つまり?スピカや。
お前さんは魔獣とのハーフと言うよりも妖精とのハーフと言った方が正しいのではないかの?」
するとスピカは驚く。
「え。ええ、そうです…、。たしかに私の母はエルフ、魔獣の中でも妖精に位置しています…軍の中でも魔獣の中の種類を知っている人は少ないのに…」
ノアは妖精という言葉に目をきらきらと輝かせる。
「妖精!?エルフ!?おとぎ話みたい!!」
そしてパルに抱きつき懇願する。
「お願いパルーー妖精みたいーー!」
ノアはスピカにも懇願する。
「スピカー!!お母さんに会わせてーー!」
ハシェルはあははと笑いながらノアに声をかける。
「そのうち依頼で来るんじゃないですか?でも意外ですね、パルが妖精や吸血鬼を知らなかったなんて。」
パルがうむ、と頷く。
「わしは知識が古いからの。知らないものだらけなのじゃ。
それにハシェルは筆記満点じゃったろ?わしでも取れん。」
マダムシャーリーはそれを聞きながら注射機を用意する。
「それはそうと暁卿様にお願いがありまして。
ちょっと腕を出していただけませんか?」
「なんじゃ?」
そう言いながらパルは腕を出す。
するとマダムシャーリーは手際良く、パルの腕から血液を採取した。痛い、と思う間もないほど素早かった。
「なんじゃ…お主……血なぞ取って」
マダムシャーリーはにこにことしながらその注射器を引き出しへしまう。パルは若干ドン引きしていた。
スピカは先輩の所業に頭を抱えパルに必死に謝罪する。
「申し訳ありません暁卿様!」
パルは不審げに腕をさすりながらマダムシャーリーを見る。
「お主、名はなんという?」
マダムシャーリーは椅子から降りパルを見下ろした。
「マダムシャーリー、と申します。」
パルはふぅん、とマダムシャーリーを隅から隅まで見たあと何かを確信したかのように頷き、ぱっと表情を変えてノア、ハシェル、スピカに向き直った。
「うむ、では帰ろうかの!」
その時。ヒラヒラとどこからか手紙が落ちてきた。
宛名は…。ハシェル、ノアにだ。
スピカがそれを見て驚く。
「えっ、満月なのに依頼が来るなんて」
パル、ハシェル、ノアも驚きを隠せない。
「僕たち、一回しかちゃんと勝ってない…てかパルがいなかったら一回も勝ってないよ…?」
「何かの間違いでしょうか?」
「もしかしたら魔女関連の依頼では無いのかもしれん」
ハシェルは手紙を開封した。中にはこう書かれてあった。
「妖精達が多く暮らすとある屋敷の広大な庭園にて、魔女の姿が度々目撃されている。屋敷の主人は屋敷を継いだばかりで魔女との関与を否定しており、今回調査の依頼が来た。魔獣と魔女の歴史は古い。何かを共同で企てている可能性がある。その目にて真偽を確かめよ。」
ノアは願った瞬間からお願いが叶ったと思い笑顔になる。
スピカはうーんと悩みながら言う。
「私がついて行く訳にも行かないし…うーん…心配だけど……
暁卿様に2人をお願いするしかない……」
パルはスピカにほほ笑みかける。
「大丈夫じゃ。わしも着いていく。早々この前のような支配の魔女が出てくる、ということも稀じゃろうて」
するとスピカも納得したような顔をした。
「ハシェルくんもノアちゃんも、暁卿様の言うこと、ちゃんと聞くんだよ。あー!心配だよー!」
そしてぐりぐりとハシェルとノアを抱き寄せる。
「えへへ。スピカ大丈夫だよ。それに僕、妖精見てみたいんだ。そのうちスピカのお母さんにも会わせてね。」
スピカは勿論!と言いながら抱きしめるのを辞めない。
そこに、パルが申し訳なさそうに、近寄ってくる。
「ワシらもそろそろ行かねばの。」
「そうだね!」
「ですね。」
3人はパルを中心にして、転移魔術を使おうとした。
が、五芒星の魔法陣すら出なかったのだ。パルはしまったという顔をした。ノアはあれ?という顔をする。
「もう結界を閉じよって。スピカ、箒はあるかの?」
スピカははい、と返事し、3人を医療室の外へ案内する。
マダムシャーリーが最後に手を振った。
「3人とも。元気でね。またいらっしゃい。」
3人はマダムシャーリーに手を振り、医療室から出ていった。
吹き抜けの通路を通り、大きな門を通り過ぎるとシスターベガがいた。見張り、と言っていたがこの門を見張っているのだろう。彼女もスピカを見ると笑顔で近づいてきた。
「まあまあ一人増えてるのね。可愛らしい…」
「ベガさん、ほうきを3本借りたくて。」
「あぁ、そういう事でしたら…」
というとシスターベガは箒が沢山置いてある中から△に―が書いてある箒を3本手に取り、こちらへ手渡してきた。
「パル!これ何?」
「これは見てのとおり箒じゃよ。但し、空を飛ぶ、じゃが」
「これは風の記号ですね。僕はいつも▽に―を使ってるんですが、それは土を意味するんです。ただの△は炎、ただの▽は水を意味してます、錬金術の基本です」
「へー!面白いね!」
ノアは箒を受け取ると跨った。すると箒はふわりと浮いてはシェルの肩くらいの高さで止まる。乗り心地が悪いのかモゾモゾとしている。そしてノアは顔を真っ赤に染めて言う。
「あのさ…めっちゃ当たってて痛いんだけど…」
「横向きに座ってみて」
スピカがそう助言すると、ノアは頷きゆっくり横向きに座り直す。すると今度は乗り心地が良かったのか笑顔になる。
「いい感じ!これならいいかも!」
ハシェルもそれを見て箒に横向きに座る。パルはと言うと箒の上に立っていた。スピカは名残惜しそうにハシェルとノアの乗っている箒の柄を撫でる。
「気を付けてね。」
ハシェルとノアはうん、と頷く。
シスターベガはパルに向かって言う。
「暁卿様、箒には追跡機能が着いておりますので乗り捨てで大丈夫です、ご安全に」
パルは頷きノアとハシェルの先頭に位置する。
「では行こうかの」
すいすいと青い夜空と月の中で3人は進む。そして総務省から少し離れたところで、むにゅんと空間が歪み出す。
「ここが結界の境じゃ」
空間は歪み、しばらくして灰色の世界が3人を待っていた。
魔法都市の円環が見えた。それはつまり3人が軍人魔術師総務省から出たことを意味する。
「円環に着いたら、転移魔術を使うぞ」
「わかった!」
「了解しました!」
ふたりが勢いよく返事をし、パルは密かに2人の成長を感じた。灰色の世界を3人は箒で飛んでいた。
しばらく飛んで円環に到着すると三人は箒を地面に置いた。
「よし、ゆくぞ」
パルの掛け声と共にノアとハシェルはそれぞれパルの両脇に立つ。そしてパルが手を上げると地面に五芒星の魔法陣が現れ、下から上に3人の周りに月桂樹が巻きついていく。
青く光り輝き、次の瞬間にはパルの展望台に着いていた。星空が輝き、静かな波打ち際には白い月が丸く浮かび上がっている。3人はゆっくりと展望台へ向かいながら喋り続ける。
「なんか落ち着くよねー」
「そうですね。パル、依頼が終わったあとに西の国へ行くんですか?それとも西の国に行ってから、この依頼をやるんですか?」
パルはうーむと悩みながらではあったが答えた。
「依頼を先延ばしにするのも依頼主に悪いじゃろう」
「じゃあこの依頼こなしてからだね!」
「うむ。」
そして3人は展望台に着くと絨毯の上に裸足で寝っ転がった。
ハシェルはある言葉を思い出していた。
「魔女はみな辛い過去を持っている、か……」
誰にも聞こえないほどの声でハシェルは小さく呟いた。
「じゃあ、皆を殺したあの魔女も、辛い過去を持っていたのかな…」
それは、昔のこと。
ハシェルは幼い頃から周囲にその髪の色を疎まれていた。
魔獣の種の子。妖精の取り換え子。忌み子。
「居なくなれ」
「目の前から消えろ」
そう言われて育ってきた。いつも言葉はナイフのように鋭く、目は硝子のように冷たかった。それなのになぜハシェルが人としての間違いを犯さずに育ってこれたのか。
それは、支えてくれた人が居たからだ。
そう、支えてくれたのは両親。そして幼なじみの年上の女の子、アイだけだった。
アイはいつもハシェルのことを気にかけてくれた。
そして錬金術と魔術が大好きで、分厚い本を持ってきてはハシェルに言い聞かせた。この世には辛くても素敵なものが沢山あるんだよ、と。流れ星に願えば、素敵なお願い事はきっと叶い、錬金術では夢を実現させることができ、星に思いを託せば、未来へも自分の思いを繋ぐことができると。
ハシェルは目を輝かせてアイと一緒に本を読み耽った。年頃の子供たちが虫を追いかけたり、花を摘んだりするように。
そして2人は時々不格好な錬金術を発現させてはお腹と口角が痛くなるまで大笑いしたものだった。
「ハシェル、アイちゃんのところに行くの?」
「気をつけて行ってくるんだぞー」
茶褐色の髪の両親は、自分たちの元に生まれた赤毛のハシェルを慈しみ育ててくれた。立てるようになってから毎年ハシェルの身長を木に刻みつけ、少し背が伸びたね、と言っては撫でてくれた。
「……ねぇ、ハシェル」
「なに?アイ」
「大人になるの楽しみだね」
草むらに寝っ転がって、ふたりは錬金術を発動させながら話していた。錬金術の魔法陣からは不格好なはにわのような物体が生まれる。ハシェルはそれを見てまた失敗だと、しょんぼりしながらアイに言う。
「……僕は怖いよ。大人になったらもっと色んな人にバカにされるかもしれないでしょ。アイは大人になりたいの?」
アイははにわのような物体をつつきながらニコニコと話す。
「大人になったら、星と契約するの。それで、魔法を使ってハシェルと一緒に悪い魔女を倒すんだ。」
ハシェルは魔女という言葉に怯える。
「アイは魔女と戦うの?なんで僕もなの?」
「だってそしたら皆に、ハシェルは凄いやつだって、認められるでしょ?」
「僕、魔女と戦ってまで、認められたくないよ」
するとアイは自分を貶されたかのようにぷんぷんと怒り出す。
「ハシェルはそんなだから虐められるんだよ!
もっと堂々と、偉そうにしておけばいいのに。」
ハシェルは困惑しながらアイの機嫌を取ろうとする。
「わかった!わかったって!
あ、ほら、目次のこのおまじない試してみようよ!」
アイは途端に機嫌をころりと良くし、鼻歌を歌いながらそのおまじないの頁を見ようと捲り出す。
アイは柔らかな栗色の髪をしていて、そばかすがあり、目は萌黄色で、とても笑顔が似合って村の中では1番の美人で皆の憧れの存在だった。そんなアイは反面、男の子に負けないくらい強気で、けど優しくて思いやりが強くて。だからこそ、ハシェルの味方になってくれたのは幸いだった。
「ハシェル」
「ん?」
「私ね、ハシェルのことが好き」
途端にハシェルの心臓の音は高なって動悸がした。
アイは魔導書を捲りながら。萌黄色の目がハシェルをちらりと見る。ハシェルの顔は夕焼けのように真っ赤だった。アイの白い顔もほんのりと赤く染っていた。
幼心の淡い恋心だった。2人ともお互いにお互いのそれを察していたが、気付かないふりをしていた。
次に紡がれる言葉が怖くて、ハシェルは下を向いた。
「ハシェルが大人になったら、お嫁さんにして。」
「…。」
ハシェルは照れて、その言葉にうん、と返事をすることができなかった。それを後にずっと後悔するとも知らずに。
2人はその日、山の中で夕暮れ時まで錬金術で遊んで、同じ方向の家に向かって無言で歩き出した。
「ハシェル」
「……」
「さっきの言葉、やっぱりなしね!」
そしてとびきりの笑顔でハシェルの手を引いた。
「明日はどんな錬金術使おっかなー」
そんな、なんでもない様なフリをして。
そして微妙な間の後、アイはあっと天を指さす。
「みてハシェル!今日赤い満月だよ!ハシェルの髪と同じ色!綺麗ー!」
「ほんとだ…」
ハシェルはその赤い月を素直に怖い、と思った。
その月は大きくて、丸くて、血に染まっていて、2人を食べようとして見下ろしているかのようだった。
「早く帰ろ」
ハシェルはアイを急かす。アイの方が背が大きくて、ハシェルはアイより一回り小さかった。
村に着くと、何時もと違った。いつもは賑やかしい村のはずが。その日は違って静寂が耳に五月蝿い程流れ込んできた。そして目に、痛いほどの静かな赤色が飛び込んできた。
外に出ている村人全員が黒い魔力に飲み込まれかけていた。
足元の黒い魔力に気づき、ハシェルはひっと腰を抜かした。
アイはハシェルを無言で引きずって家の方へ向かった。
「アイ……やめてよ……なにするの」
ハシェルは恐ろしさに首を振ってアイを制止しようとした。
だが、アイは止まらず、ハシェルの家の中にハシェルを引きずっていって、ハシェルがやっと入れるくらいの小さな戸棚の中にハシェルを隠した。アイは暖炉に置いてあった火かき棒を手に持ち、外へと駆け出していった。
「アイ……待って…ひとりにしないで……怖いよぉ…」
小さなハシェルは鼻を啜りながら泣いていた。
腰が抜けたからだをやっと窓際まで引きずり、アイと誰かの姿を確かに捉えた。
その人はひとり、黒い魔力の中で黒い軍服のような服を着ていて、黒い軍帽を被って立っていた。青年らしき姿で銀髪のウルフで、襟足は黒と紫。目の色までは分からない。アイはその人物の前にたっていた。家を出て数歩歩けばその人物の手に触れられる。そんな距離だった。
アイは何かを抗議している様子だった。
その青年は黙ってそれを聞いていた。
しばらくしてアイが黙ると、その人物は何かを一言呟いた。
アイは絶望したように倒れ込み、泣いていた。
そして次の瞬間。
青年の胴体が縦に裂けて、黒い魔力がアイを飲み込んだ。
ハシェルは恐怖のあまり、声を出すこともできずゆっくり座り込んだ。体全身が震えていた。人間じゃない。なんだあれは。と、目の前の光景に震えが止まらなかった。
アイを助けに行くこともできず、ハシェルはただひたすら声を殺して泣いていた。
あれは魔女だったのだと、来てくれた軍人から教えてもらったのは村が襲われてから3日後のことだった。
村人はハシェル1人を除いて全滅で、赤子から老人に至るまで遺体すら残らなかった。村には魔女の残り香のように烏の大群が飛び交い、そしていつの間にか居なくなった。
ハシェルは1人後悔していた。あのとき、返事をして村に遅く戻っていれば、あのときアイを助けに行けば、もしくはふたりで隠れていれば、アイは助かったのではないか。
ハシェルは泣きながら自問自答を繰り返した。
あの言葉に返事をしていれば、と思わない日はなかった。
そんなハシェルを隣村の心優しい老夫婦が引き取ってくれた。ハシェルは10歳の誕生日まで2年間ずっと泣いていた。
だがある日を境に泣かなくなった。
その代わりに人が変わったように錬金術と魔術を猛勉強し始めた。ただひとつ、村を襲った魔女を倒すため。
その思いだけで、魔術師試験を乗り越えたのだ。
過去を思い出してハシェルはひとり涙を流していた。
決して流さないと誓った涙を誰にも知られないように拭う。
「ハシェル?」
ノアがハシェルの異変に気づいたのかハシェルを呼ぶ。
ハシェルはなんでもないフリをして、ノアに返事をする。
「どうしました?」
「大丈夫?」
「あぁ、これは欠伸したんです。ふわぁー」
ハシェルは何事も無かったのように欠伸をして見せる。
パルは寛ぎながら錬金術で火を起こし、鍋にいろんな材料を入れている。パルが呪文を唱えると火は大きくなり、グツグツと大釜が煮えたぎる。その音を聞きながら。ノアはのんびりとした様子でハシェルに語りかける。
「ハシェルも。辛いことがあったら吐き出していいんだからね。僕とパルが受け止めるから。」
「えっ」
ハシェルは驚く。火に照らされた、起き上がったノアの顔が年相応に見えたからだ。ノアは俯きながら微笑む。
「僕、ヴェニアの時に思ったんだけどさ。僕が魔女にならなかったのはたまたまだと思うんだ。」
ハシェルは寝っ転がったままヴェニアを思い出す。
自分も、もし、あのとき、月に願っていたら。そう思いかけて、みなまでは思うまい、と頭の疑念を振り払った。
「誰だって願わずにはいられないはずなんだよ。」
ノアはそういうと口を閉じた。
あの時とは違う、穏やかな静寂が心地良かった。
「今日のは自信作じゃ」
その声で、ハシェルはゆっくり起き上がる。パルは3人分緑色の蛍光色の物体を次ぎ分ける。パルから皿を受け取り食べるとビーフシチューの味がした。
「おいしい……」
ハシェルは感情的になっているのか思わず泣きそうになってしまった。パルはそれに気づいたのか頭を撫でてくる。
「魔女のことじゃろう?」
ハシェルは無言で頷いた。パルは穏やかな表情だ。
「魔女のことはカプリコーンにも聞いた。」
そして頭を撫でながら続ける。
「魔女の発生は「月に願うこと」までは分かっておるが、まだ詳しい発生条件はわかっておらん。出会ったとて戦闘になるのがおちじゃからな。」
「じゃが、お前たちは魔女と話をし、食事までし、庇うに至り、あろうことか魔女を生身で捉えるに至った」
パルは撫でるのをやめ、暖かい笑顔で二人を見た。
「そなたたちは特別な子なんじゃ。」
そしてその日の夜は、パルが2人に子守唄を歌ってくれた。
優しい声音で、本当に子供にうたうかのように。
そういえば、パルって子供とか孫とかいたりするのかな…とハシェルは思いながら寝た。ハシェルがパルに孫がいることを知るのは、まだ先の話。




