表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王を倒した後に始まる物語  作者: にめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

97/99

memory 95 外縁の気配

memory 95 外縁の気配


 ダンジョンの空気は、少しずつ変わっていた。


 石の匂いに混じって、湿った土と、かすかな焦げのような香りが漂っている。火を使った痕跡。魔法ではない、生活の名残だ。


 アズルは歩きながら、その違和感を言葉にしなかった。

 言葉にすれば、それは確信になる。

 確信になれば、正解になる。


 正解は、ここでは危険だ。


 隣を歩くヴェールも、同じことを感じ取っているらしく、足取りを少しだけ緩めていた。精霊を呼ばない。代わりに、空気の流れや壁の染みを、丁寧に目で追っている。


「……人の匂いがします」


 それでも、ヴェールはぽつりと口にした。

 断定ではない。共有だ。


「近いか?」


「近い、というより……薄いです。ここに“いた”感じ」


 過去形。


 今はいない。


 アズルは剣に視線を落とし、すぐに逸らした。

 抜く理由はない。


 通路は、もはや通路と呼べる形をしていなかった。幅は一定せず、床は削れ、ところどころで天井が高くなったり低くなったりする。整っていない。


 整っていないから、息ができる。


 だが同時に、整っていないから、危険も増える。


 足元に転がる割れた器。

 古い布切れ。

 意味を持たない落書きのような傷。


 どれも管理されていない。

 どれも消されていない。


 ヴェールがしゃがみ込み、布切れを拾い上げそうになって、やめた。


「……触ると、持ち主を想像してしまいます」


「想像するのが、危険か?」


 アズルが聞く。


「危険、というより……決めてしまいそうで」


 決めてしまう。


 それは、このダンジョンがもっとも好む行為だ。


「じゃあ、見てるだけでいい」


 アズルはそう言った。

 拾わない。

 持たない。


 選ばない。


 ヴェールは静かに頷いた。


 しばらく進むと、空間がわずかに開けた。


 天井が高くなり、岩壁の向こうに、うっすらと光が差し込んでいる。自然光ではない。松明の残光だ。


「……誰かが、ここを使っていましたね」


 ヴェールの声は低い。


 アズルは周囲を見渡す。

 敵意はない。

 だが、安心もない。


 生活の痕跡は、人の存在を感じさせる。

 人は、必ずしも安全ではない。


 アズルは歩幅を詰め、ヴェールの位置を半歩後ろにずらした。


「前に出るな」


 命令ではない。

 提案だ。


「はい」


 返事は揃わない。

 ヴェールは少し遅れて頷いた。


 揃わない。


 それが、今の二人のやり方だった。


 ――一方。


 ルージュとノワールの側では、空気がさらに冷えていた。


 火の匂いはない。

 生活の痕跡も、ほとんどない。


 あるのは、“消した跡”だけだ。


 壁に残る浅い削り痕。

 踏み均された土。

 わざと曲げられた通路。


「……徹底してるね」


 ルージュが小さく呟く。


「知られないための構造だ」


 ノワールは短く言う。


 彼女の足取りは迷いがない。

 だが、その迷いのなさが、逆に緊張を生んでいた。


「懐かしい?」


 ルージュが聞く。


「……分からない」


 ノワールは即答しなかった。


「分からない、けど……落ち着く」


 その言葉に、ルージュは少しだけ眉をひそめる。


「落ち着く場所って、だいたい危ないんだよね」


「そうだな」


 否定しない。


 それが、ノワールの本音だった。


 通路の角を曲がった瞬間、ルージュは足を止めた。


「……音」


 ノワールも止まる。


 遠くで、石を踏む音がした。

 足音だ。


 魔物ではない。

 人の足音。


 殺気は薄いが、警戒心はある。


「どうする?」


 ルージュが小声で聞く。


「避ける」


 ノワールは即答する。


 正しい判断だ。


 だが、その正しさが、相手にも読まれている可能性がある。


 ルージュはそのことに気づき、唇を噛む。


「……読まれるかも」


「分かっている」


 ノワールは歩調を落とし、通路の影へと身を寄せた。


 完璧すぎる動き。


 それが、ここでは危険になる。


 足音が近づく。


 影の中から、誰かが覗く気配がした。


 ノワールは一瞬だけ、視線を走らせる。


 ――忍びだ。


 その確信が、胸の奥で静かに形になる。


 戦いは、まだ始まらない。


 だが、始まる予感だけが、はっきりとそこにあった。


 ――再び、アズルとヴェール。


 光の差す空間の奥で、二人は小さな焚き跡を見つけた。


 灰は冷えている。

 新しくはない。


「ここで……誰かが休んでいたみたいですね」


「野営か」


「はい。たぶん……長くは、いなかった」


 ヴェールは焚き跡を見つめ、胸に手を当てる。


「守られていない場所で、生きるのは……大変です」


 アズルはすぐに答えなかった。


 大変だ。

 だが、だからこそ、生きている。


「大変でも、選べる」


 ようやく、そう言う。


 ヴェールは顔を上げ、アズルを見る。


「選べるから、間違えることもあります」


「間違えられないより、いい」


 アズルの声は静かだ。


 ヴェールはその言葉を、ゆっくりと飲み込んだ。


 少し照れたように、微笑む。


「……あなたといると、間違えてもいい気がします」


 屋根はない。


 それでも、その言葉は甘い。


 アズルは咳払いをして、視線を逸らす。


「……進むぞ」


「はい」


 返事は、また少し遅れる。


 揃わない。


 だが、離れてはいない。


 同じダンジョンの中で、二つの“外”が、確実に近づいていた。


 人の生活圏の縁。


 そして――忍びの里の外縁。


 合流は、まだ先だ。


 だが、それでいい。


 正解に辿り着かないために、彼らは今日も、別々の道を歩いていた。


 進むにつれて、空間の質はさらに変わっていった。


 アズルとヴェールの足元に広がる地面は、岩と土が混じり合い、ところどころで踏み固められている。明確な道ではないが、避けられてきた場所と、踏まれてきた場所の差がある。


 選ばれてきた痕跡。


 それは管理ではなく、積み重ねだった。


 ヴェールはその違いに気づき、歩幅をわずかに変える。アズルもそれに合わせるが、同時にはならない。半拍、遅らせる。


 揃えない。


 それが、二人の呼吸になりつつあった。


「……ここ、静かすぎますね」


 ヴェールが言う。


「人がいた場所は、もっと雑音が残る」


「はい。……だから、少し怖いです」


 怖い、という言葉を、ヴェールは隠さなかった。


 アズルはその正直さに、足を止めそうになり、止めない。


「怖いまま、進め」


 突き放す言い方だが、拒絶ではない。


 ヴェールは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく頷いた。


「……はい。怖いまま、進みます」


 その返事は揃わない。

 だが、確かに隣にある。


 先へ進むと、岩壁の一部が崩れ、外気が入り込んでいる場所に出た。風は弱いが、確実に流れている。


「外に近い」


 アズルが呟く。


「ええ。ダンジョンの中なのに……外の匂いがします」


 草と土と、人の汗。


 混ざり合って、輪郭のはっきりしない匂い。


 ヴェールは思わず息を深く吸いそうになり、やめた。


 吸えば、安心する。

 安心は、ここでは危険だ。


「……精霊に聞けば、ここが何か分かると思います」


 ヴェールはそう言ってから、自分で首を振った。


「でも、聞きません」


「どうして」


「分かった瞬間に、ここが“場所”になるから」


 場所になる。


 それは、通過点になるということだ。


 通過点は、正解を持つ。


 アズルはその言葉に、静かに同意した。


「……今は、場所にしない」


 二人はそのまま、風の抜ける岩の裂け目を横切った。


 ――一方、ルージュとノワール。


 彼女たちの周囲は、音が吸われるように静かだった。


 足音を立てていないわけではない。

 立てているはずなのに、返ってこない。


「嫌な静けさだね」


 ルージュが低く言う。


「こちらの音を、空間が持っていく」


 ノワールの言葉は淡々としているが、その目は鋭い。


「……観測されてる?」


「可能性はある」


 可能性。


 断定しない。


 それでも、二人の歩調は自然と遅くなった。


 通路の壁に、微かな凹凸がある。意図的に残された足がかり。


「登るため?」


 ルージュが囁く。


「隠れるためだ」


 ノワールは即答する。


「高いところに行くと、視線が減る」


「でも、見られる側にもなる」


「……そうだ」


 ノワールは一瞬だけ、唇を噛んだ。


 正確な判断は、相手にも正確さを与える。


 それが、ここでの危険だった。


 遠くで、再び足音。


 今度は複数。


 ルージュは無意識に、幻術の構成を思い描きそうになり、途中で止める。


「……使わない」


 自分に言い聞かせるように呟く。


「使うと、完成する」


 ノワールが言葉を継ぐ。


「完成すると、読まれる」


 二人は視線を交わす。


 揃いそうになって、ずらす。


 ルージュが一歩、余計に踏み出し、ノワールが半歩遅れる。


 わざとだ。


 不格好でも、終わらないための選択。


 通路の先に、薄暗い空洞が見えた。


 そこには、かつて設置されていたであろう見張り台の残骸がある。


「……やっぱり」


 ルージュが呟く。


「里の外だ」


 ノワールの声は低い。


 断定に近いが、断定しない。


 外縁。


 中でも外でもない場所。


 そこは、侵入者を排除する場所ではなく、侵入を“気づかせない”ための場所だ。


 ルージュは息を吐いた。


「ここで戦ったら……多分、勝てないね」


「勝てなくていい」


 ノワールはそう言って、歩き出した。


「負けないことの方が、重要だ」


 ルージュはその背中を見て、冗談を言いそうになり、飲み込んだ。


 今は、冗談を言うと揃う。


 揃うと、楽になる。


 楽になると、ここは彼女たちを“通してしまう”。


 それは、終わりへの近道だ。


 ――再び、アズルとヴェール。


 二人は小さな段差を越え、さらに外気の強い場所へ出ていた。


 頭上には、かすかに空の色が見える。直接外に出ているわけではない。だが、天井が薄くなっている。


「……ここ、崩れそうですね」


 ヴェールが言う。


「崩れるな」


 アズルの返事は短い。


 止まるのは危険だ。


 だが、走るのも危険だ。


 二人は歩く。


 揃えない歩調で。


 途中、ヴェールが足を滑らせる。


 アズルは反射で腕を伸ばし、彼女を支える。


 屋根はない。


 それでも、距離は近い。


「……すみません」


「謝るな」


 短い。


 ヴェールは小さく息を整え、顔を上げる。


「あなたがいるから、進めます」


 アズルは返事をしない。


 返事をすると、言葉が揃う。


 揃うと、関係が固定される。


 固定は、管理に近い。


 彼は代わりに、手を離さず、少しだけ位置を変えた。


 支えるが、抱えない。


 守るが、決めない。


 その曖昧さが、二人を前に進ませる。


 ――ルージュとノワールは、見張り台の残骸を越え、さらに奥へと入った。


 そこで、空間がわずかに歪む。


 歪みではない。


 視線の密度が変わる。


 ノワールは足を止める。


「……近い」


「敵?」


「……里だ」


 ルージュは息を呑む。


「もう?」


「外縁だ。中じゃない」


 それでも、戦いは避けられない。


 予感が、はっきりとした輪郭を持ち始めていた。


 ――二つのペアは、それぞれ違う“外”に触れている。


 人が生きる場所の縁。


 忍びが消える場所の縁。


 同じダンジョンの中で、同時に。


 合流は、まだ遠い。


 だが、離れているからこそ、彼らはそれぞれの戦いに向かう準備を整え始めていた。


 正解にならないまま。


 終わらないために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ