表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王を倒した後に始まる物語  作者: にめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

98/98

memory 96 守らない選択

memory 96 守らない選択


 外気の匂いが濃くなるほど、足元は不安定になった。


 岩は薄く、土は乾ききっていて、踏むたびに細かな砂が滑る。天井はところどころ裂け、空の色に似た淡い光が差している。外に出たわけではない。けれど、ここが「外に近い」ことだけは、否応なく分かる。


 分かる。


 その言葉を胸の中で転がし、アズルは意識的に吐息を遅らせた。

 分かりすぎるのは危険だ。分かった瞬間に、そこは「場所」になり、通過点になり、正解が生まれる。


 隣を歩くヴェールも、同じように呼吸の間をずらしていた。息を吸うのを少し遅らせ、吐くのを少し長くする。揃えない。揃えると、心が楽になる。


 楽になると――ここはそれを拾い上げ、綺麗に整え、終わりへ運ぶ。


「……風、乾いてますね」


 ヴェールが小さく言った。


「乾いてるほど、崩れやすい」


 アズルは目だけで天井の裂け目を追う。


「崩れる前に、通り抜けましょう」


「急ぐな」


 言い方は強いが、拒絶ではない。


「……はい。急がないで、抜けます」


 ヴェールは一拍遅れて頷いた。


 揃わない。


 そのまま進んだ先で、匂いが変わる。


 汗。

 油。

 乾いた布。


 そして、火の残り香。


 アズルは歩みを止めないまま、足裏で地面の硬さを確かめた。踏み固められている。道ではないのに、踏まれている。誰かがここを何度も通った。


 ヴェールも気づいたのだろう。視線がわずかに落ち、地面の擦れを拾っている。


「……人が、います」


 断定ではなく、共有。


 アズルは返事をしない。

 返事をすると揃う。


 代わりに、左手だけで合図をした。

 止まらない。だが、歩幅を細く。


 二人は岩壁の影へ身を寄せる。


 少し先に、空間が開けている。


 そこは洞窟のように天井が高く、壁際に崩れた木箱が積まれていた。木箱は古く、板が割れている。だがその周囲だけ、地面が妙に平らだ。


 人が、いる。


 焚き跡。

 水袋。

 布の切れ端。


 そして――三人。


 男が二人。女が一人。


 装備は揃っていない。革の鎧のようなもの、肩当て、錆びた剣。槍の先だけ新しい。大きな袋を背負っている。


 冒険者か。

 盗賊か。


 どちらでもいい。


 問題は、こちらを見つけたときに、何を選ぶか。


 アズルは剣に手を置かない。

 置けば、抜く理由ができる。


 ヴェールは精霊を呼ばない。

 呼べば、道ができる。


 彼らは、道を作らない。


 それでも、相手がこちらに気づいた。


 女がこちらを見た。


 視線が合う。


 次の瞬間、女は口角を上げた。


「おい。客だ」


 声は大きくない。

 叫びでもない。


 それが逆に、怖い。


 男の一人が立ち上がり、剣を抜いた。


「二人だけか?」


 もう一人が周囲を見回す。


「荷物は少ないな。迷い込んだか」


 言い方は軽い。

 殺意は薄い。


 だが、薄いからこそ、気づけば命を取られる。


 アズルは一歩前に出そうとして、出ない。

 ヴェールの位置を半歩、影へ下げる。


 守る。


 守るつもりで動いた瞬間に、動きが遅くなる。


 それを自覚しながら、彼は口を開いた。


「通りたいだけだ」


 それ以上の説明はしない。


 説明は、正解の材料になる。


 女が笑った。


「通るのはいいけどさ。ここ、うちらの休憩場所なんだよね」


「金か?」


 アズルは平坦に聞く。


 男の一人が肩をすくめた。


「金でもいい。水でもいい。……武器でもいい」


 視線がアズルの腰の剣に落ちる。


 アズルは剣に触れない。


 触れないまま、呼吸をずらす。


 ヴェールが一歩、アズルの後ろへ動いた。


 守るため。


 その動きが、相手に「守るべきものがある」と教える。


 女が目を細めた。


「後ろの子、怪我してる?」


 ヴェールの袖口の擦り傷を見たのだろう。


「たいしたことない」


 アズルが答える。


 女は笑う。


「なら、治せるよね。……治療って、売れるんだよ」


 ヴェールが小さく息を吸う。


 回復。


 使えば楽になる。


 楽になると、ここはそれを正解として拾う。


 ヴェールは息を吐き直し、何も言わない。


 アズルは言葉を選ぶ。


「売らない」


 短い。


 短いほど、相手に余白を渡す。


 余白は危険だ。


 男が一歩踏み出す。


「じゃあ――」


 女がそれを遮った。


「まあ待て。二人だけでここまで来たなら、腕はある。殺すのは面倒だ」


 殺すつもりは、ない。


 だが「殺さない」ことが、必ずしも安全ではない。


 アズルはさらに一歩、影から出た。


 ヴェールを視界の端に入れたまま。


 守る。


 守る。


 守るほど、動けなくなる。


 女が顎で示す。


「水袋。半分置いてけ。そしたら通してやる」


 アズルは水袋に手を伸ばしかけて、止める。


 止める。


 止めるのは危険だ。


 だが、すぐ渡すと、それが正解になる。


 正解は、終わりへの近道。


 彼は水袋から手を離し、代わりに言った。


「通す気があるなら、道を空けろ」


 強い。


 強い言葉は、相手の正解も強くする。


 男が笑った。


「おいおい。交渉下手か」


 女は肩をすくめる。


「いいよ。じゃあ、力で決めよう」


 その瞬間、相手の動きが変わる。


 戦いは始まった。


 アズルは剣を抜かない。


 抜けば勝てる。


 勝てば終わる。


 終わりは危険だ。


 彼は腰を落とし、空手で迎える。


 男の剣が振り下ろされる。


 アズルは半歩、横へ。


 避ける。


 避けると相手は「避ける相手」として調整してくる。


 調整は管理だ。


 それでも今は、避ける。


 剣が空を切り、石に当たって火花が散った。


 もう一人の男が槍で間合いを詰める。


 ヴェールに向かう。


 アズルの心臓が跳ねる。


 守る。


 守るという単語が、身体を先に動かす。


 アズルは踏み込んだ。


 槍の柄を掌で払う。


 槍が逸れ、槍使いの体勢が崩れる。


 アズルは追撃しない。


 追撃すれば勝てる。


 勝てば終わる。


 終わりを作りたくない。


 その一瞬の逡巡が、隙になる。


 剣の男が背後へ回り込み、アズルの肩に切っ先を当てる。


 浅い。


 だが痛い。


 痛みが「自分のもの」だと感じられる。


 安心しそうになって、アズルは歯を噛む。


 安心は危険。


 ヴェールが一歩前に出かけて、止まる。


 回復するか。


 支えるか。


 彼女は迷う。


 迷いは、正解を作らない。


 だが迷いすぎると、間に合わない。


 槍使いが再びヴェールへ踏み込む。


 女が後ろから石を投げる。


 狙いはヴェール。


 アズルは体を捻り、石を腕で弾いた。


 痛い。


 痛みが増える。


 守る。


 守る。


 守るほど、動きが閉じていく。


 女が笑った。


「いいね。守りが固い。……でも、攻めないなら、いつか崩れる」


 その通りだ。


 攻めない。


 攻めないのは、優しさではない。


 終わらせたくないからだ。


 終わらせたくないという自分の都合が、ヴェールを危険に晒す。


 アズルは唇を噛み、呼吸をずらす。


 揃いそうになる心拍を、わざと乱す。


 正解に近づかないために。


 だが――このままでは。


 槍がヴェールの肩をかすめた。


 布が裂ける。


 ヴェールの目が大きく見開かれる。


 痛み。


 彼女の痛み。


 アズルの胸に熱いものが走る。


 守る。


 守るために、剣を抜きたくなる。


 抜けば勝てる。


 勝てば終わる。


 終わりが――ヴェールのためになるのか。


 その問いに答えが出ない。


 答えが出ないから、正解にならない。


 正解にならないまま、今を切り抜ける。


 難しい。


 ヴェールが一歩、前へ出た。


「……アズル」


 名前だけ。


 それは背中を押す言葉ではない。


 ただ、共有。


 ヴェールの手が、胸元で止まった。


 回復の力を使いかけたのだ。


 彼女は、やめた。


 そして、別の選択をする。


 足を踏み出す。


 アズルの背後ではなく、少し横。


 守られる位置ではない。


 アズルの視界が揺れる。


「前に出るな」


 昨日の言葉が、喉まで上がる。


 言えば正解になる。


 言えば彼女を止める。


 止めるのは管理だ。


 ヴェールは自分で選んだ。


 アズルは言葉を飲み込み、代わりに体の向きを変える。


 守るが、囲わない。


 抱えない。


 ヴェールは槍使いの前で、両手を広げた。


 魔法の光はない。


 ただ、息を吸って、吐く。


 空気が一瞬、薄く揺らぐ。


 術式ではない。


 精霊を呼んだわけでもない。


 それでも槍使いは、一瞬だけ足を止めた。


 理由が分からないからだ。


 分からないと、正解を選べない。


 その一瞬の隙。


 アズルは踏み込んだ。


 剣は抜かない。


 拳で、槍の柄を叩き折る。


 木が割れる。


 槍使いの顔が歪む。


 剣の男が背後から斬りかかる。


 アズルは避けない。


 避ければ読まれる。


 読まれれば整えられる。


 彼は腕で受け、刃をずらす。


 血が滲む。


 痛い。


 だが、その痛みは自分のものだ。


 女が舌打ちする。


「面倒くさいな……」


 彼女は手を上げ、合図のように指を鳴らした。


 新手がいるのか。


 アズルの視線が周囲を走る。


 ――いない。


 いるのは、三人だけ。


 指鳴らしは、脅しだ。


 脅し。


 それもまた、正解を誘う。


 アズルはその誘いに乗らない。


 乗らない代わりに、剣へ手を伸ばす。


 抜かない。


 抜かないが、鞘から半分だけ引く。


 鋼が擦れる音が、小さく響く。


 威圧。


 切るためではない。


 決着をつけるためでもない。


 ただ、距離を作るため。


 女の目が細くなる。


「……抜かないのか」


 アズルは答えない。


 答えると揃う。


 揃うと、ここが整う。


 彼は剣を半分抜いたまま、地面へ向けた。


 刃先は相手ではない。


 地面。


 剣が石に触れ、かすかな音がする。


 その音は「切る音」ではなく、「置く音」だった。


 女が、ふっと笑う。


「なるほど。……殺しに来たんじゃないのね」


 槍使いが歯噛みする。


「じゃあ、なんで戦う」


 アズルは言葉を探し、探しすぎない。


「通る」


 それだけ。


 剣の男が肩を竦めた。


「通したら、うちらは損する」


 損。


 生活。


 ここにいるのは、たぶん、生きるためだ。


 アズルはその事実を理解してしまいそうになり、呼吸をずらす。


 理解しすぎると、救いたくなる。


 救いたくなると、正解になる。


 正解は危険。


 彼は救わない。


 だが殺さない。


 ヴェールが一歩、前へ出た。


 また前だ。


 アズルは止めない。


 ヴェールの声は小さい。


「水を……少しだけ、分けます」


 女が眉を上げる。


「さっきは売らないって言ったのに?」


「売りません」


 ヴェールはきっぱり言う。


「でも、分けます。……それ以上は、できません」


 できません。


 断る言葉。


 背中を押さない。


 彼女自身が選ぶ。


 女は一瞬、驚いた顔をして、それから笑った。


「……いいね。そういうの、嫌いじゃない」


 槍使いが不満そうに唸る。


「なんでそんな優しくする」


 ヴェールは一拍置いて答える。


「優しいからじゃありません。……これが、私の限界だからです」


 限界。


 その言葉は、強い。


 アズルの胸に何かが落ちる。


 守るために無理をしない。


 守るために正解を出さない。


 それは、守らないことと同じではない。


 ヴェールは水袋の口を開け、ほんの少しだけ水を石の皿のような窪みに注いだ。


 それ以上はしない。


 女はそれを見て、顎を上げる。


「通れ」


 男たちが不満げに顔を見合わせる。


「姉さん……」


「いい。面倒だ。こいつら、殺しても得が少ない」


 女は冷たく言い捨てた。


 得。


 生活。


 それはきっと、嘘じゃない。


 アズルは剣を鞘へ戻した。


 完全に戻す。


 抜かない。


 ヴェールはアズルの隣に戻る。


 戻るが、後ろには下がらない。


 対等な位置。


 それが、彼女の選択だ。


 通り抜けながら、アズルは小さく息を吐いた。


 戦いは終わった。


 勝ってはいない。


 負けてもいない。


 ただ、終わらせた。


 終わらせ方を、正解にしないまま。


 少し離れた場所で、ヴェールが肩の裂けた布を押さえた。


「痛みますか」


 アズルが聞く。


「痛いです。でも……今の痛みも、自分のものです」


 ヴェールはそう言って、笑いそうになり、笑わない。


 笑うと揃う。


 揃うと楽になる。


 楽になると、ここは彼らを通してしまう。


 アズルは自分の腕の傷に触れ、血を指で拭う。


「……守るって、止まることだったのかもしれないな」


 ヴェールは少し考えてから、言った。


「支えるって……立ち止まらせることだったのかもしれません」


 どちらも、否定しない。


 否定しないから、次が選べる。


 アズルは歩き出す。


 ヴェールも隣に並ぶ。


 揃えない歩幅で。


 合流は、まだ先だ。


 けれど、離れても壊れないことを知った二人は、今、二人で戦った。


 勝つためではなく。


 終わらせるためでもなく。


 終わらせないために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ