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魔王を倒した後に始まる物語  作者: にめ


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memory 66 墓前の約束

## memory 66 墓前の約束


 朝は、静かだった。


 結界村の朝は、音が少ない。

 森の奥で鳥が鳴いても、その声が村全体に広がらない。風が吹いても、どこかで受け止められてしまう。


 その静けさが、不思議と心地よかった。


 昨夜、どれだけ神経を削っていたのかを、身体が思い出している。

 肩の傷は焼けるように痛むはずなのに、今は鈍い熱だけで済んでいる。血の匂いも、もうしない。


 ルージュは目を開けたまま、しばらく天井を見上げていた。


 白い天井。飾り気のない梁。

 精霊の村の木の匂いとは違う、乾いた木材の匂い。


 ――帰ってきた。


 そう思うと同時に、胸の奥が少しだけ締まった。


 帰ってきたのに、戻ってきた気がしない。


 理由は分からない。

 分からないから、今は考えない。


 ルージュはゆっくり起き上がった。

 身体が重い。

 でも、昨日の重さとは違う。


 重いのは疲労で、恐怖じゃない。


 ベッドの脇に、村人が用意してくれていた衣服が畳まれている。

 赤い布は控えめで、動きやすい形。


 鏡を見る。


 頬に小さな切り傷が残っていた。

 いつもなら「これぐらいなら可愛い傷でしょ」と笑って済ませる。

 今日は笑えなかった。


 ペンダントに指を添える。


 昨夜、境界を越えたときの熱はない。

 静かだ。


 ――役目は終わった。


 そういう静けさ。


 廊下に出ると、外から微かな鐘の音が聞こえた。

 村のどこかで鳴らされている。


 時間を知らせる音。


 ルージュはそれを聞いて、足を止めた。


 昔、まだ小さい頃、同じ音を聞いた記憶がある。

 朝になると、村の誰かが鐘を鳴らす。

 起きる時間。

 食事の時間。

 学ぶ時間。


 決まっている。


 それが当たり前だった。


 ルージュは唇を噛み、歩き出した。


 誰にも声をかけなかった。


 アズルたちはまだ休んでいる。

 ヴェールも、昨日無理をしていた。

 ノワールも、外では眠りが浅い。


 だから、今だけ。


 ひとりで行きたかった。


 村の中心から少し外れた小道。

 昨日は必死で走り込んだ道を、今日はゆっくり歩く。


 空は薄い青。

 朝の光が柔らかい。


 村の人が何人か、畑に向かう姿を見かけた。


「ルージュ?」


 声をかけられて、ルージュは小さく手を上げた。


「おはよう」


「体、大丈夫なの?」


「大丈夫。……ちょっと、歩きたくて」


 嘘ではない。

 けれど本当でもない。


 村人はそれ以上聞かなかった。


「無理しないでね」


 それだけ言って、手を振ってくれる。


 心配されることに、慣れていない。


 ルージュは軽く笑い返して、歩みを続けた。


 小道の先に、石の並びが見えた。


 墓地だ。


 ここは村外れで、風が少し強い。

 だけど寒くない。


 墓は整然と並び、花が絶えていない。

 誰かが定期的に手入れしている。


 死者を、忘れない村。


 ルージュは、まっすぐ奥へ進んだ。


 目印は、赤い小さなリボン。

 子どもの頃、自分が結んだものだ。


 その墓の前に立つと、膝が自然に折れた。


 手にしてきた花を供える。


 風が吹き、花びらが揺れる。


 しばらく、言葉が出なかった。


 昨日まで、口は軽く回っていた。

 冗談も言えた。

 笑って誤魔化せた。


 でも今ここでは、そういう言葉が出てこない。


 ルージュは額を、石に近づけた。


「……お父さん」


 声が震える。


「……お母さん」


 呼ぶだけで、喉が熱くなる。


 仇。


 その言葉を、口に出すのが嫌だった。


 嫌なのに、言わなければならない。


 ルージュは深く息を吸い、吐いた。


「仇は取ったよ」


 言えた。


 言えた途端に、胸の奥がぐらりと揺れた。


「ちゃんと……倒した」


 その瞬間、涙が落ちた。


 石の上に、ぽつりと落ちる。


 ルージュは袖で拭こうとしたが、止まらなかった。


「……けどね」


 声が詰まる。


「私……」


 言葉の続きを探しても、見つからない。


 仇を取った。

 それで終わりのはずだった。


 それなのに終わらない。


 胸の穴は埋まらない。

 むしろ、仇を取ったことで、穴が形になった。


 涙が頬を伝う。


 強い女でいたかった。

 小悪魔でいたかった。

 誰よりも元気で、誰よりも強がっていたかった。


 でも、ここでは。


 ただの娘だ。


 ルージュは声を漏らした。


「……会いたい」


 子どもの言葉みたいで、自分でも情けなくなる。


 それでも、止められなかった。


「会いたいよ……」


 墓石は答えない。


 返事が来ないのは、分かっている。


 それでも、言いたかった。


 ルージュが泣いていると、足音がした。


 土を踏む音。

 急いでいる。


 ルージュは慌てて涙を拭いた。


 ここは誰にも見られたくない。


 そう思ったのに。


 声が聞こえた。


「ルージュ」


 振り返ると、アズルが立っていた。


 剣は持っていない。

 服も整っていない。

 寝起きのまま走ってきたような顔。


 それが、妙に優しかった。


「ルージュ探したよ」


 アズルは息を整えながら言う。


「村の人に聞いたら、ここじゃないかって」


 ルージュは笑おうとして、うまく笑えなかった。


「……見つかっちゃった」


 アズルは近づき、墓の前に視線を落とした。


 何も聞かない。

 誰の墓かも言わない。


 ただ、静かに言う。


「そんな体であまり無理に動くな」


 一拍置いて。


「心配した」


 その言葉が、胸に落ちた。


 心配。


 それは、ルージュが一番欲しかったものだ。


 でも、欲しいと言えなかったもの。


「……ありがとう」


 ルージュは小さく言った。


 アズルは頷くだけだった。


 その沈黙が、優しい。


 ルージュはもう一度、墓石を見た。


 お父さん。

 お母さん。


 仇は取った。


 けど、私は。


 ルージュは涙をもう一度拭い、勢いで言った。


「ねえ、アズル」


 アズルが視線を向ける。


 いつもの小悪魔の笑みを作ろうとした。


 でも、できなかった。


 今の自分は、ただの娘で、ただの女で。


 だから、素直に言った。


「私と結婚して、この村に住んでくれないかな?」


 言った瞬間、心臓が跳ねた。


 勢いで言ったのに、冗談にできない。


 ルージュは小さく続ける。


「……だめ?」


 アズルが固まった。


 目が、揺れる。


 アズルはいつも、迷わない。

 剣を抜くか抜かないか。

 拒否しないか。


 でも今は。


 迷っている。


 その迷いが、嬉しかった。


 ルージュの胸が熱くなる。


 アズルは、しばらく言葉を探していた。


 その沈黙が長いほど、ルージュは自分の言葉の重さを理解していく。


 村に住む。

 結婚する。


 それは逃げでもある。

 守られる選択でもある。


 でも同時に、ここに残したいものがある。


 墓。

 花。

 村の人の声。


 アズルはようやく、口を開いた。


「……わかった」


 ルージュの顔がぱっと明るくなる。


 しかし。


 アズルは続けた。


「……と、言いたい」


 ルージュの心臓が沈む。


「けど、今はまだできない」


 逃げない言い方だった。


 断るのではなく、今はできないと。


 ルージュは目を閉じ、息を吐いた。


 責めたくなかった。


 責めたら、それは自分の弱さになる。


 ルージュは笑った。


 少しだけ。


「そうよね」


 声が掠れる。


「ブランの元へ行かないとね」


 その名前を出した瞬間、胸がちくりとした。


 ルージュは続ける。


「ごめん。忘れて」


 言葉は軽い。

 でも軽くない。


 ルージュはアズルに抱きついた。


 胸がぶつかる。

 腕が回る。


 アズルが一瞬だけ硬直した。


 そして、ルージュはキスをした。


 短く。

 でも確かに。


 唇が離れると、ルージュは泣いていなかった。


 泣いたのは墓の前だけ。


 今は、笑える。


「……約束ね」


 ルージュは小さく言った。


 アズルは返事をしなかった。


 代わりに、ルージュの背中にそっと手を置いた。


 それだけで十分だった。


 二人は墓地を出た。


 村へ戻る道。


 風が少し強い。


 ルージュは髪を押さえながら歩く。


「村の人、心配してた」


 アズルが言う。


「そりゃそうよ。ぼろぼろで帰ってきたんだもん」


 ルージュはいつもの調子に戻そうとする。


 でも、声の裏側が少し違う。


 アズルも、いつもより表情が柔らかい。


 村の中心部に近づくと、すぐに人影が見えた。


「ルージュ!」


 ヴェールが走ってくる。

 髪が揺れ、息が切れている。


「どこ行ってたの……!」


 ノワールもその後ろにいる。

 走らないが、目が鋭い。


「戻らない可能性を想定した」


 淡々とした声。

 だが心配していたのが分かる。


 ルージュは肩をすくめた。


「ごめんごめん。ちょっとね」


 それ以上は言わない。


 ヴェールがアズルを見て、そしてルージュを見た。


 何かあった。


 察する。


 でも聞かない。


 背中を押さない。


 ヴェールはただ、ほっとした顔で息を吐いた。


「……無事でよかった」


 ノワールも小さく頷く。


「次からは、一言残せ」


「はーい」


 ルージュは返事をして、わざと明るく笑った。


 笑っていれば、いつもの自分でいられる。


 けれど、胸の奥には。


 墓の前で言えなかった言葉がまだ残っている。


 ――私、これからどうしたらいい?


 答えはない。


 でも、手の温度は残っている。


 アズルの手。


 背中に置かれた、あの一瞬。


 それだけで、今は歩ける。


 ルージュはペンダントを握った。


 熱はない。


 でも、胸の中は少しだけ温かかった。


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