【2-3】異邦人の少年
冷たい風が、教室の窓から忍び込んでいた。
冬の午後、六時間目の数学。
窓の外では白い雲が流れ、どこか遠くの世界のように感じられた。
彼は教科書を開いていたが、目はそこにない。
──天野 悠(あまの ゆう)17歳。
成績は常に学年上位。問題を起こしたこともなければ、誰かに暴力を振るったこともない。
クラスで浮いていたわけでもなく、かといって深く馴染んでもいなかった。
彼は、**“模範的すぎる生徒”**だった。
だから誰からも悪く思われなかった。
──だが、誰からも、本気で必要とされなかった。
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放課後、彼は急いで家に帰る。
坂を登り、小さな団地の3階。扉を開けると、いつもの匂いがした。
「おかえり、悠くん」
弱々しい声。
ソファに座る女性が、穏やかに笑っていた。
白髪まじりの長い髪。細い手首。人工呼吸器の音。
それが、彼の“世界のすべて”だった。
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「今日は……学校、どうだった?」
「うん、まあ普通。風邪、ひどくなってない?」
「大丈夫よ。悠くんが元気なら、それで十分」
そう言って、彼女は微笑んだ。
天野悠が信じられる“唯一の存在”。
母──天野 綾。
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中学の頃、万引きの冤罪をかけられたことがあった。
教師たちは証拠もないのに彼を疑い、無言で睨み、クラスの誰も庇わなかった。
家に帰って、彼は泣いた。
でも、母だけは抱きしめて言ってくれた。
「いいの。あなたが何をしてないか、私はちゃんと知ってるから」
「……でも、どうして誰も信じてくれないの……僕、悪いことしてないのに……」
「悠くん、人ってね、“強くて正しい人”が一番怖いの。だから妬まれるし、疑われるの。でもね、そこで人を責めたり、憎んだりしたら、あなたまで“同じ側”に堕ちるのよ」
「……じゃあ、どうすればいいの……」
母は、彼の頭に手を置いてこう言った。
「強くなりなさい。そして、正しく在り続けなさい」
その言葉が、彼の“信仰”になった。
──召喚直後の視界
光が消えた。
床の感触。冷たい石。
ざわめき。術者の叫び。魔力の振動。
だが、彼が最初に感じたのは──
「……すげぇ、イケメン…」
そう呟いた誰かの声だった。
天野悠の容貌は、ひと目で人の目を奪う。
均整の取れた細身の長身。深い黒髪に、繊細な彫刻のような顔立ちは、知性と威圧を同時に漂わせていた。
ただし、本人にはその自覚がまったくない。
「……僕は……死んだのか? いや、違う……ここは……」
恐怖はなかった。
ただ、母の言葉が脳裏に浮かんでいた。
(……母さん……僕は……)
彼は、立ち上がった。
乱れた制服の裾を整え、冷たい床を踏みしめる。
その姿は、あまりに整いすぎていた。
まるで、神の造形か、剣の精霊のような──
「──ようこそ。あなたが……勇者様ですね」
優しい声がした。
天野が視線を上げると、そこには銀の髪と紫の瞳を持つ少女がいた。
彼女の微笑みは、まるで“天使”のようだった。
「私はエリセリア・フェルグランド。王国星晶院の副長です」
そして、彼は気づいた。
──あの笑顔は、人を信じさせるために“訓練されたもの”だ。
(……この世界……普通じゃないな)
だが彼は、微笑んだ。
口元だけで、わずかに、だが確かに。
「天野 悠。……よろしくお願いします、エリセリアさん」
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