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魔王転生、今世は世界を血に染める  作者: 涙目
第一章 足固め

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終話 忘れられぬ憎悪を抱いて

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

 穏やかな午後だった。


 開け放たれた窓から、柔らかな風が流れ込んでくる。


 庭園には色とりどりの花が咲き、木々の葉が風に揺れていた。


 小鳥のさえずりが聞こえる。


 私は窓際の椅子に腰掛け、ゆっくりと紅茶を口へ運んだ。


「……あら、美味しい」


 ほどよい温かさと、華やかな香り。


 舌の上に広がる上品な甘みを楽しみながら、私は満足そうに微笑んだ。


 以前は残飯すら満足に与えられなかったというのに、今ではこうして優雅に紅茶を楽しめる。


 人間の暮らしというものは、随分と変わるものね。


「お口に合いましたでしょうか」


 傍らに控えていた執事が尋ねた。


「ええ、とても。淹れ方が上手なのね」


「お褒めにあずかり、光栄でございます」


 執事は深々と頭を下げた。


 私はもう一口、紅茶を飲んだ。


 ……静かね。


 少し前まで、この屋敷には怒鳴り声や嘲笑が絶えなかった。


 使用人たちは私を見下し、父親は好き勝手に財産を扱い、後妻とその連れ子は我が物顔で振る舞っていた。


 だが、今は違う。


 父親は貴族家乗っ取りと虐待の容疑で拘束され、後妻と連れ子も屋敷から追い出された。


 不正に持ち出された財産については、現在も貴族管理局が調査を進めている。


 使用人たちの態度も、すっかり改まった。


 食事はきちんと用意され、部屋は清潔に保たれ、廊下ですれ違えば誰もが丁寧に頭を下げる。


 もちろん、彼らが心から反省したのかどうかはわからない。


 だが、少なくとも以前のように私を虐げようとする者はいなくなった。


 それで十分だ。


 ……今のところは、ね。


「ふふふ」


 思わず笑みが零れた。


 執事が僅かに顔を上げる。


「何かございましたか?」


「いいえ。平和だと思って」


「……平和、でございますか」


「ええ。とても静かで、居心地がいいわ」


 私は庭園へ目を向けた。


 前世では、こんな時間を過ごすことなどほとんどなかった。


 魔王として国を治め、魔族たちの争いを収め、人間との戦争を終わらせるために奔走していた。


 朝から晩まで書類に追われ、各地から届く報告に目を通し、時には自ら戦場へ赴いた。


 誰もが安心して暮らせる世界を作りたかった。


 ただ、それだけだったのに。


 ……本当に、馬鹿だったわね。


 私は静かにカップを置いた。


「さて」


 執事へ視線を向ける。


「屋敷の問題も、ある程度は片付いたわね」


「はい。まだ財産の調査や各種手続きは残っておりますが、日常の運営につきましては支障ございません」


「そう。ご苦労様」


「恐れ入ります」


 私は椅子の背もたれに身体を預けた。


 これで、ひとまず生活の基盤は整った。


 衣食住に困ることはない。


 必要な資金もある。


 屋敷の人間たちも、私の指示に従うようになった。


 ならば、次にするべきことは決まっている。


 ……世界を知ることだ。


 私は窓の外へ目を向けた。


 この身体に残された記憶は、あまりにも乏しい。


 屋敷の外へ出ることすらほとんど許されず、まともな教育も受けさせてもらえなかったのだから、当然だろう。


 国の名前や貴族の仕組みについては、書類を調べるうちに多少理解できた。


 だが、それだけでは足りない。


 今の世界が、どうなっているのか。


 人間と魔族は、どのような関係にあるのか。


 あの和平交渉の後、何が起きたのか。


 そして。


 ……あの者たちは、今も生きているのか。


 知りたいことは、山ほどあった。


「ねえ、執事」


「はい、お嬢様」


「少し相談があるのだけれど」


「何なりとお申し付けください」


「私、この世界について勉強したいの」


 執事が僅かに目を見開いた。


「……勉強、でございますか?」


「ええ。歴史や地理、政治、それから魔法についても知りたいわ」


「なるほど……」


 執事は顎に手を当て、少し考え込んだ。


「お嬢様は現在、八歳でいらっしゃいますね」


「そうね」


「十歳になれば学園に入学できますが、今は家庭教師はいかがでしょうか」


「あら」


 私は思わず身を乗り出した。


「いいわね、それ」


 家庭教師。


 なるほど、その手があったわね。


 前世では、必要な知識のほとんどを自分で学んできた。


 魔族の国には教育機関もあったけれど、魔王である私が通うような場所ではなかった。


 それに、当時はあまりにも忙しかった。


 だが、今は違う。


 私は八歳の貴族令嬢だ。


 家庭教師を雇って勉強したところで、誰も不思議には思わないだろう。


 むしろ、今までまともな教育を受けていなかったことを考えれば、自然な流れだ。


「では、早速手配いたしましょう」


「お願いできるかしら?」


「もちろんでございます。ご希望の科目などはございますか?」


「そうね……」


 私は少し考えた。


「まずは歴史と地理。それから、現在の国際情勢について詳しい方がいいわ」


「国際情勢、でございますか?」


「ええ。人間の国だけではなく、魔族についても知りたいの」


 執事は僅かに眉を動かした。


「……魔族、でございますか」


「何か問題があるの?」


「いえ。ただ、お嬢様ほどのお年頃で、魔族の情勢にまで関心をお持ちになる方は珍しいものでございますから」


「ふふふ。そうなのね」


 私は微笑んだ。


「でも、知らないことを知るのは楽しいでしょう?」


「……おっしゃるとおりでございます」


「それに、魔法についても学びたいわ。今の人間たちが、どんな魔法を使っているのか興味があるの」


「承知いたしました。歴史、地理、国際情勢、魔法学を中心に、適任者を探してまいります」


「ありがとう。楽しみにしているわ」


 執事は深く頭を下げた。


 その姿を見ながら、私は再び紅茶へ手を伸ばした。


 ……ふふふ。


 これで、ようやく次の準備を始められる。


 私はまだ、この世界について何も知らない。


 前世で私を裏切った者たちが、どこで何をしているのかもわからない。


 あれから、どれほどの時間が経ったのかさえ、はっきりしていない。


 だからこそ、まずは知識が必要なのだ。


 何も知らずに動き回るほど、私は愚かではない。


 魔王として国を治めていた頃も、情報の重要性は嫌というほど理解していた。


 相手を知らずに戦えば、思わぬところで足をすくわれる。


 ……もっとも。


 相手を信じすぎても、同じことになるのだけれど。


 私は小さく笑った。


◇


 執事が退室した後、私は一人で紅茶を楽しんでいた。


 窓から差し込む日差しが、テーブルの上に柔らかな影を落としている。


 遠くでは、庭師たちが花壇の手入れをしていた。


 実に穏やかな光景だ。


 ……平和、ね。


 私はカップの中で揺れる紅茶を見つめた。


 その水面に、ふと別の光景が重なった。


 豪華な広間。


 長い会議卓。


 人間の王と、その側近たち。


 魔族の各部族を代表する者たち。


 そして、私の隣に立っていた、信頼する側近。


 あの日。


 私は、ようやく平和が訪れるのだと信じていた。


 長く続いた戦争が終わり、人間と魔族が互いを憎まずに暮らせる時代が始まる。


 そう思っていた。


 ……なのに。


『本当に、愚かな女だ』


 人間の王が笑っていた。


『平和などと、くだらぬ夢を見おって』


 魔族の長たちも笑っていた。


 信頼していた側近までもが、私を見下ろしていた。


 魔力を封じられ、何本もの刃を突き立てられた私は、床に倒れ伏していた。


 身体から流れ出した血が、冷たい床を赤く染めていく。


 痛かった。


 苦しかった。


 それでも、私は願っていた。


 どうか争わないでほしい。


 どうか、これ以上誰も傷つけないでほしい。


 ……最後の最後まで。


 そんな私を見て、あの者たちは笑っていた。


 私の願いを嘲笑い、私の命を奪った。


 私は静かに目を閉じた。


 あのときの痛みを、今でも覚えている。


 身体を貫いた刃の冷たさも。


 床に広がる血の温かさも。


 そして。


 あの者たちの笑い声も。


 ……忘れるものですか。


 私はゆっくりと目を開けた。


 目の前には、穏やかな庭園が広がっている。


 小鳥が鳴き、花が揺れ、柔らかな風が頬を撫でた。


 なんて平和な世界なのだろう。


 私は微笑んだ。


 かつての私は、世界中の誰もがこんな時間を過ごせるようにと願っていた。


 人間も魔族も関係なく、誰もが笑って暮らせる世界を作りたかった。


 そのためなら、どれほど苦労しても構わなかった。


 けれど。


 もう、そんな願いを抱くつもりはない。


 私は一度、死んだのだから。


 あの者たちの手によって。


「……ふふふ」


 笑みが零れた。


 今度は、間違えない。


 誰かの善意を当てにすることも、相手の言葉を無条件に信じることもしない。


 必要なものを集め、十分に準備を整え、それから行動する。


 急ぐ必要などない。


 あの者たちが生きているのなら、必ず見つけ出す。


 もし既に死んでいるのなら、それも調べればわかることだ。


 私は紅茶を飲み干し、静かにカップを置いた。


 そして、窓の向こうに広がる青空を見上げる。


 あの日、私を裏切った者たちの顔が、一人ずつ脳裏に浮かんだ。


 人間の王。


 宰相。


 魔族の長たち。


 そして、最も信頼していた側近。


 私は満面の笑みを浮かべた。


「必ず復讐してあげますから、待っててくださいね、皆様」


 柔らかな風が吹き抜けた。


 庭園の花々が、静かに揺れている。


 八歳の少女は、誰よりも幸せそうに微笑んでいた。


 その胸に、かつて世界の平和を願った魔王の、決して消えることのない憎しみを抱きながら。

お読み頂き、ありがとうございます。

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