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魔王転生、今世は世界を血に染める  作者: 涙目
第一章 足固め

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第五話 子供の名前を一度も呼ばない、それは狂気

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

 執事の執務室には、数多くの書類が積み上げられていた。


 屋敷の管理記録。


 領地の収支報告。


 使用人の雇用契約。


 そして、ハワード家の財産と相続に関する書類。


 その全てを、八歳の少女が一枚ずつ確認していた。


「……ふうん」


 少女は書類に目を通しながら、小さく頷いた。


 向かい側には、老執事が立っている。


 先ほどまでの威圧的な魔力は消えていたが、執事の表情は依然として硬かった。


 目の前の少女が何を考えているのか、まるでわからない。


 ただ一つ確かなのは、逆らってはならないということだけだった。


「……お嬢様、そちらは先代のご当主様が管理されていた頃の記録でございます」


「あら、そうなの?」


「はい。奥様がお亡くなりになられる以前のものでございます」


「……なるほどね」


 少女は二つの書類を並べた。


 一つは、亡くなった母親が存命だった頃のもの。


 もう一つは、その数年後に作成されたものだった。


 記載されている内容は、似ているようで随分と違っていた。


「……ふふふ」


 少女の口元が緩む。


「お父様も中々やんちゃね」


「……っ」


 執事の肩が僅かに跳ねた。


 少女は気にすることなく、書類を指でなぞった。


「こちらには、ハワード家の財産管理権は当主に帰属すると書いてあるわね」


「……はい」


「でも、こちらでは、お父様が恒久的に管理するようになっているわ」


「…………」


「しかも、私が成人した後も、管理権を継続できるように変更されている」


 少女は楽しそうに笑った。


「おかしいわね。代理というのは、本人が権限を行使できるようになるまでのものではないの?」


「……おっしゃるとおりでございます」


「それなのに、どうして本人が成人した後も代理人が居座れるのかしら?」


 執事は答えなかった。


 少女は書類を持ち上げ、窓から差し込む光に透かした。


 紙の一部に、僅かな違和感があった。


 文字の濃さが違う。


 筆跡も微妙に異なっている。


 さらに、訂正された箇所には、正規の変更手続きを示す記録が見当たらなかった。


「……あらあら」


 少女は笑みを深めた。


「随分と雑な仕事をするのね」


「……申し訳ございません」


「貴方が謝ることではないでしょう?」


 少女は書類を机へ戻した。


「むしろ、よく残しておいてくれたわ」


「……恐れ入ります」


 執事は深く頭を下げた。


 少女は再び書類へ目を落とした。


 どうやら、この家の財産は少しずつ父親の名義へ移されているらしい。


 屋敷の備品。


 領地から得られる収益。


 商会への出資金。


 そして、一部の土地。


 いずれも、一度に全てを移したわけではなかった。


 数年をかけ、少しずつ名義や管理権を変更している。


 表面上は、家の運営を円滑にするための措置として処理されていた。


 だが、元の書類と照らし合わせれば、その意図は明らかだった。


「……なるほど」


 少女は顎に手を当てた。


「少しずつ自分のものにして、最後には全部いただくつもりだったのね」


 執事は沈黙したままだった。


「ふふふ、随分と気の長い話だこと」


 少女は一枚の書類を取り上げた。


 そこには、ハワード家の相続に関する記載があった。


 本来、家の財産は正統な血筋を持つ者へ継承される。


 しかし、現在の書類には、妙な一文が追加されていた。


 当主の判断により、継承者を変更できる。


 しかも、その判断を行う者として、父親の名前が記されている。


「……ふふっ」


 少女は思わず笑ってしまった。


「これはまた、随分と都合がいいわね」


「……お嬢様」


「何かしら?」


「……その書類につきましては、正式な手続きを経ているか、私にも確認が取れておりません」


「あら、そうなの?」


「はい。旦那様が直接お持ちになられたものでございますので……」


「なるほどね」


 少女は頷いた。


 つまり、執事も詳細を知らされていなかったということだ。


 もっとも、それが事実なのか、単なる言い逃れなのかはわからない。


 だが、今はどちらでもよかった。


 重要なのは、書類が残っているという事実だ。


「……ねえ」


「はい」


「こういう変更って、普通はどこかに記録が残るものよね?」


「……はい。家の継承に関わる事項であれば、王国の貴族管理局へ届け出る必要がございます」


「そう」


 少女は満足そうに微笑んだ。


「なら、そちらの記録と照らし合わせればいいのね」


「……そのようになります」


「ふふふ、楽しみだわ」


 執事は思わず少女を見つめた。


 普通なら、父親に財産を奪われようとしていると知れば、怒るか、悲しむか、恐れるかするものだろう。


 だが、少女は笑っていた。


 まるで、面白い玩具を見つけた子供のように。


 いや。


 その表現は、あまりにも不適切だった。


 目の前の少女は、玩具を見つけたのではない。


 獲物を見つけたのだ。


◇


 書類の確認は、昼を過ぎても続いた。


 少女は疲れた様子も見せず、次々と帳簿を読み進めていた。


 執事は必要に応じて説明を加え、関連する書類を取り出していく。


「……こちらが、現在の使用人の一覧でございます」


「ありがとう」


 少女は受け取った書類を眺めた。


 料理人。


 侍女。


 庭師。


 馬丁。


 門番。


 屋敷には、思っていた以上に多くの使用人が雇われていた。


「……随分と人数が多いのね」


「奥様が増員をお望みになられましたので」


「お父様の奥様が?」


「……はい」


「ふふっ。随分と贅沢がお好きなのね」


 少女は使用人の給金を確認した。


 その中には、明らかに仕事内容に見合わない高額な報酬を受け取っている者もいた。


「……こちらの侍女は、どうしてこんなに給金が高いの?」


「奥様が直接お連れになられた者でございます」


「あら、そう」


 少女は頷いた。


 どうやら、後妻は自分の息のかかった人間を屋敷へ招き入れ、重要な役職に就けているらしい。


 それ自体は、珍しいことではない。


 だが、元々この家に仕えていた使用人たちが冷遇されているとなれば、話は別だ。


「……貴方も大変ね」


「……恐れ入ります」


「ふふふ、別に慰めているわけではないのよ?」


「……はい」


「ただ、よくここまで屋敷を維持できたものだと思って」


 執事は一瞬、目を見開いた。


 そして、静かに頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 少女はそれ以上何も言わなかった。


 再び書類へ目を落とす。


 使用人の一覧を確認していると、ふと一つの名前が目に留まった。


「…………あら」


 少女は指を止めた。


 そこには、屋敷の家族構成に関する記録が添えられていた。


 父親。


 亡くなった母親。


 後妻。


 その連れ子。


 そして。


 “セレス・ハワード”


「……セレス?」


 少女は小さく呟いた。


 どうやら、それが今世の自分の名前らしい。


 改めて考えてみれば、目覚めてから一度も名前を呼ばれていなかった。


 侍女は「お嬢様」と呼んでいた。


 料理人たちは「あのガキ」と呼んでいた。


 廊下ですれ違った使用人たちは、そもそも名前を口にしなかった。


 執事もまた、「お嬢様」と呼ぶばかりだった。


 少女は目を閉じた。


 この身体に残された記憶を辿る。


 幼い頃。


 母親が亡くなった後。


 後妻が屋敷へやってきた頃。


 そして、使用人たちから虐げられるようになってから。


 どれだけ記憶を辿っても、自分の名前を呼ばれた場面が見つからなかった。


「……ふうん」


 少女は書類に記された名前を見つめた。


「セレス……ね。覚えたわ」


 その言葉に、執事が僅かに顔を上げた。


「……お嬢様?」


「何でもないわ」


 少女は微笑んだ。


 セレス・ハワード。


 それが、今の自分の名前。


 前世の魔王としての名とは、まるで違う響きだった。


 だが、不思議と悪くないと思えた。


「……それにしても」


 少女は小さく首を傾げた。


 どれほど嫌われていたのだろう。


 名前を呼ぶことすら、してもらえなかったとは。


 よほど気に入らなかったのか。


 それとも、家を乗っ取るうえで邪魔な存在だったからなのか。


 いずれにせよ。


 子供の名前を一度も呼ばないなど、正気の沙汰ではない。


 少女は、ふっと笑った。


「ふふふ、いいわね。良心が痛まなくて済むわ」


「……っ」


 執事の背筋に冷たいものが走った。


 少女は何事もなかったように書類を閉じた。


「さて、続きをお願いできるかしら?」


「……かしこまりました」


◇


 それから、二人は屋敷の管理体制について、さらに詳しく確認していった。


 まず、財産の名義。


 次に、相続に関する書類。


 そして、現在の屋敷で誰がどの権限を持っているのか。


 セレスは一つずつ確認し、不審な箇所があれば執事へ質問した。


「……こちらの土地は、お母様の名義だったのよね?」


「はい」


「今はお父様の名義になっているわ」


「……そのようでございます」


「変更の届け出は?」


「……確認いたします」


「お願いね」


 執事は別の書類を取り出した。


 セレスはそれを受け取り、内容を確認する。


 やがて、満足そうに頷いた。


「……ふふっ。これも使えそうね」


 執事は何も言わなかった。


 既に理解していた。


 少女は、単に家の財産を確認しているのではない。


 父親が行ってきた不正の証拠を、一つずつ集めているのだ。


 しかも、感情に任せて責め立てるつもりもないらしい。


 必要な書類を揃え、正規の記録と照合し、逃げ道を塞いでいく。


 その手際は、到底八歳の少女のものとは思えなかった。


「……お嬢様」


「何かしら?」


「……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


「ええ、どうぞ」


 執事は少し躊躇った後、口を開いた。


「……旦那様や奥様に、直接お話しされるおつもりはないのでしょうか」


 セレスは一瞬、目を丸くした。


 そして、楽しそうに笑った。


「ふふふ、どうして?」


「……それは」


「話し合えば、わかってもらえるとでも?」


 執事は言葉に詰まった。


 セレスは書類を机へ置いた。


「ねえ、貴方」


「……はい」


「私は、この家でどんな扱いを受けていたのかしら?」


「…………」


「食事は残飯。部屋は物置同然。使用人たちからは嘲笑われ、誰も助けようとしなかった」


 執事の顔が青ざめた。


「……それは……」


「別に責めているわけではないのよ?」


 セレスは穏やかに微笑んだ。


「ただ、そんな相手と今更何を話し合うのかしら、と思っただけ」


「…………」


「ふふふ、安心なさい。貴方に責任を押しつけるつもりはないわ」


 執事は深く頭を下げた。


「……恐れ入ります」


「それにね」


 セレスは再び書類へ目を落とした。


「私は、あの人たちが何を言うのか楽しみにしているの」


「……何を、でございますか?」


「全部失ったと知ったとき、どんな言い訳をするのかしらね」


 セレスは楽しそうに笑った。


 執事は何も答えられなかった。


◇


 夕方。


 執務室の机には、整理された書類が幾つもの山を作っていた。


 相続に関するもの。


 財産の移動に関するもの。


 権限の変更に関するもの。


 そして、不審な記載や手続きが確認されたもの。


 それぞれが分類され、確認すべき事項も書き添えられていた。


「……こんなところかしら」


 セレスは最後の書類を置いた。


 執事は整理された書類を眺め、静かに息を吐いた。


「……お見事でございます」


「あら、ありがとう」


「……ですが、これほどの書類を一日で確認されるとは……」


「ふふふ、慣れているのよ」


 セレスは何気なく答えた。


 前世では、魔族全体を統治していたのだ。


 財政や人事、領地の管理など、日常的に確認していた。


 もっとも、当時は争いを減らすための仕事ばかりだったが。


 今は違う。


 目的は、ただ一つ。


 奪われたものを取り戻すこと。


「それじゃあ、次は貴族管理局の記録ね」


「……はい。確認の手配を進めます」


「お願いするわ」


 セレスは椅子から立ち上がった。


 そして、書類の山を見渡す。


 これだけの証拠が揃えば、父親が何を企んでいたのか、かなり明確になってくる。


 もっとも、まだ確定ではない。


 正式な記録との照合が必要だ。


 だが、それも時間の問題だろう。


「……ふふふ」


 セレスは小さく笑った。


 父親は、娘が何も知らないと思っている。


 後妻も、連れ子も、使用人たちも。


 自分たちが屋敷を支配していると信じて疑わない。


 その間に、足元から少しずつ崩れていく。


 そして、気づいたときには。


「……楽しみね」


 セレスは窓の外へ目を向けた。


 夕日が屋敷の庭を赤く染めている。


 その光景を眺めながら、少女は満足そうに微笑んだ。


 執事と二人。


 セレス・ハワードの屋敷奪還計画は、着々と進んでいた。


お読み頂き、ありがとうございます。

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