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魔王転生、今世は世界を血に染める  作者: 涙目
第四章 人脈作り

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第十三話 小さな刺

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

 エドガーが部屋を出ていった後、セレスは再び椅子へと腰を下ろした。


 先ほどまで三人で囲んでいたテーブルには、まだ紅茶の香りが残っている。


 魔族の潜入者は、エドガーが使っていた茶器を片付けると、セレスのカップへ新しい紅茶を注いだ。


「時間を使わせて悪かったわね」


「めっそうもございません」


「そう」


 セレスは短く答え、カップを手に取った。


 温かな紅茶が喉を通る。


 窓の外では、午後の日差しが建物の壁を照らしていた。


 先ほどまでエドガーが座っていた椅子は、今は空いている。


 恋する相手を買い物に誘う。


 ただそれだけのことに、あれほど悩んでいた男の姿を思い出し、セレスは小さく微笑んだ。


(ふふ、上手くいくといいわね)


 クラリスとの関係を築くために利用した話ではあったが、二人が結ばれること自体に不満はない。


 むしろ、そのほうが都合がよい。


 互いに好意を抱いているのなら、わざわざ引き離す必要などないのだから。


 セレスはカップを傾けた。


 向かいに座る潜入者は、何も言わない。


 静かな時間が流れていく。


 やがて、セレスは何かを思い出したように口を開いた。


「……そういえば」


「はい」


「もし、エドガーに令嬢への恋心がなかったら、あなたに植え付けてもらおうかと思っていたのだけれど」


 セレスは紅茶を一口飲んだ。


 そして、ごく普通の世間話でもするかのように続ける。


「そういったことはできるのかしら」


 潜入者は少しも驚かなかった。


「ええ、問題ございません。よっぽど対象への関心が真逆でなければ、たいていの場合は上手くいきます」


「あら、そうなのね」


 セレスはカップを受け皿へ戻した。


「……真逆?」


「はい」


 潜入者は穏やかに頷いた。


「例えば、憎んでいる相手を好きになったり、逆に愛する相手を憎ませるといったところでしょうか」


「ふうん」


「このような場合は、そもそも効かないか、効いたとしても、相手の声や姿だけで解けてしまいます」


「……万能というわけではないのね」


「はい」


 潜入者は当然のことのように答えた。


「洗脳とはいえ、対象の感情を完全に作り替えられるわけではございません。元々存在する感情を強めたり、僅かな関心を別の方向へ向けたりするほうが、遥かに容易でございます」


「なるほどね」


 セレスは頬に手を当てた。


 エドガーがクラリスに好意を抱いていたのなら、そこへ少し働きかけるだけで十分だったということだ。


 もっとも、今回はその必要すらなかった。


 本人が自ら行動する決意を固めたのだから。


「それなら、余計なことをしなくて済んでよかったわ」


「左様でございますね」


 潜入者は微笑んだ。


 セレスはその顔を眺める。


 人間社会へ潜り込み、他人の精神へ干渉し、必要に応じて行動を操る。


 目の前の男は、それを何でもないことのように行っている。


 便利な能力だった。


 そして、危険な能力でもある。


「……ところで」


「何でございましょう」


「そこまで明かしてよかったの?」


 セレスは微笑んだ。


「私へ使うこともできるでしょう?」


 潜入者は一瞬、目を瞬かせた。


 そして、楽しそうに笑った。


「ふふふ、ご冗談を」


「あら、冗談に聞こえた?」


「貴女様ほどの魔力の持ち主であれば、そもそも洗脳など効くはずがございません」


「……そうなの?」


「ええ。それこそ……」


 潜入者は微笑みを浮かべたまま、何気なく言葉を続けた。


「魔力を封じられない限りは」


「…………」


 セレスの指が止まった。


 カップへ伸ばしかけていた手を、そのまま膝の上へ戻す。


 潜入者は気づいていない。


 ただ、当然の知識を説明しただけなのだろう。


 しかし。


(……魔力を、封じられない限りは)


 その言葉が、妙に耳へ残った。


 何かが引っかかる。


 何が気になったのか、自分でもわからない。


 けれど、聞き流してはいけないような気がした。


「魔力が多ければ、洗脳は効かないのね」


「はい。術者との魔力差が大きすぎる場合、精神への干渉そのものが困難になります」


「……そう」


 セレスは静かに目を伏せた。


 魔力。


 封印。


 洗脳。


 それぞれの言葉が、頭の中で繰り返される。


 前世の自分は、魔王だった。


 誰よりも強大な魔力を持ち、人族にも魔族にも恐れられていた。


 その力があったからこそ、争いを止めることができた。


 その力があったからこそ、誰もが自分の言葉に耳を傾けた。


 そして。


 最後の議会で、魔力を封じられた。


 紅茶を飲んだ後だった。


 体の奥から力が抜けていく感覚。


 魔法を使おうとしても、何一つ応えてくれなかった絶望。


 背後から突き立てられた刃。


 嘲笑。


 裏切り。


 あの光景が、ほんの一瞬だけ脳裏をよぎった。


(…………)


 セレスはゆっくりと息を吐いた。


 何かがつながりそうだった。


 けれど、まだ何もわからない。


 そもそも、何を疑っているのかさえ、はっきりしなかった。


 ただ。


(魔力が多い者には、魔力を封じられない限り、洗脳は効かない)


 その言葉だけが、頭から離れなかった。


 まるで、何かにすがるように。


 何度も。


 何度も。


 心の中で繰り返す。


(魔力を封じられない限りは……)


 セレスは目を閉じた。


 忘れないように。


 この言葉を、決して失わないように。


 心の奥深くへ刻み込む。


 今はまだ、意味がわからなくてもいい。


 いつか。


 何かを思い出す日が来るかもしれない。


 あるいは、何もないのかもしれない。


 それでも。


 この言葉だけは、覚えておこうと思った。


「……いかがなさいました?」


 潜入者の声が聞こえた。


 セレスはゆっくりと目を開ける。


 向かいには、先ほどと変わらない穏やかな表情があった。


「いえ、何でもないわ」


「左様でございますか」


「ええ」


 セレスは微笑んだ。


 いつもどおりの、柔らかな笑顔だった。


 潜入者も、それ以上は尋ねなかった。


 しばらくして、セレスはカップを置き、椅子から立ち上がった。


「そろそろ失礼するわね」


「かしこまりました」


 潜入者も立ち上がり、恭しく頭を下げる。


 セレスはドレスの裾を整え、扉へと向かった。


 その足取りは、普段と何も変わらない。


 ただ、頭の片隅では、先ほどの言葉がまだ繰り返されていた。


(魔力を封じられない限りは……)


 扉の前で足を止める。


 セレスは振り返り、にこりと微笑んだ。


「有意義な時間だったわ、ありがとう」


「こちらこそ、お役に立てたのであれば光栄でございます」


 潜入者は深く一礼した。


「またのご来訪、お待ち申し上げております……我が君」


 セレスは何も答えなかった。


 ただ、僅かに微笑んだまま扉を開ける。


 廊下へ出ると、背後で扉がゆっくりと閉ざされた。


 静かな音が響く。


 そして、再び沈黙が訪れた。


 セレスはそのまま歩き始める。


 胸の奥に残された、小さな違和感。


 まだ形にならない、何か。


 それが何を意味するのか。


 今のセレスには、わからなかった。


 ただ一つ。


 魔力を封じられない限り、洗脳は効かない。


 その言葉だけが、いつまでも心の中で繰り返されていた。


お読み頂き、ありがとうございます。

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