第十二話 嘘から出た実
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
バレシア公爵家のお茶会から、数日が経過した。
セレスは学園での講義を終えると、迎えに来ていた馬車へと乗り込んだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、執事」
いつものように向かいの席へ腰を下ろし、セレスは窓の外へ視線を向ける。
「今日は少し寄り道をするわ」
「例の件でございますか?」
「ええ。そろそろ確認しておきたいことがあるの」
「かしこまりました」
フィリスは御者へ行き先を告げた。
馬車がゆっくりと走り出す。
セレスは頬に手を当て、先日のお茶会を思い出していた。
バレシア公爵令嬢、クラリス。
彼女がエドガーへ抱いている感情は、ほぼ間違いないだろう。
問題は、エドガー本人がどう考えているかだった。
(まあ、あの方に聞けばわかるでしょう)
以前接触した魔族の潜入者。
エドガーへ洗脳を施していた人物であり、現在も何らかのつながりを維持しているはずだった。
必要であれば、その力を利用することも考えていた。
もっとも、できることなら余計な手間はかけたくない。
「ふふ、上手くいくといいわね」
「何がでございましょう?」
「恋のお話よ」
「……お嬢様が?」
「あら、何かおかしいかしら?」
「いえ。お嬢様が恋愛相談をなさる日が来るとは、少々意外でございましたので」
「失礼ね。私だって恋する乙女の気持ちくらいわかるわよ?」
「左様でございますか」
「……何か言いたそうね」
「滅相もございません」
セレスは小さく笑った。
◇
やがて馬車は、王都の一角にある建物の前で止まった。
以前、魔族の潜入者と接触した場所だった。
フィリスに馬車で待つよう告げ、セレスは建物の中へ入る。
案内された部屋の前で足を止め、軽く扉を叩いた。
「失礼いたします」
「どうぞ」
中から聞こえた声に従い、扉を開ける。
すると、そこには見覚えのある人物が二人いた。
一人は、魔族の潜入者。
そして、もう一人は。
「あら、エドガー先生」
「おや、セレス様!」
エドガーが驚いたように立ち上がった。
「お久しぶりでございます。お元気そうで何よりです」
「ふふ、先生もお変わりないようで安心いたしました」
セレスは微笑みながら一礼する。
潜入者も恭しく頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、セレス様」
「ごきげんよう。突然お邪魔してしまってごめんなさいね」
「とんでもございません。どうぞ、お掛けください」
勧められた椅子へ腰を下ろす。
エドガーも再び席に着き、三人で簡単な近況を交わした。
学園での生活。
商会の経営。
そして、最近の王都の様子。
ごく普通の世間話が続く。
セレスは二人の様子を眺めながら、内心で考えていた。
(……さて、どうしましょうか)
エドガーは相変わらず穏やかで、以前と変わった様子はない。
少なくとも、表面上は。
潜入者の洗脳がどの程度作用しているのか、ここではまだわからなかった。
しかし、今はそれよりも先に確かめたいことがある。
「そういえば、エドガー先生」
「はい、何でしょうか?」
「先日、バレシア公爵令嬢のお茶会へお招きいただきましたの」
「本当ですか!?」
エドガーが勢いよく身を乗り出した。
あまりにも素早い反応に、セレスは目を瞬かせる。
(おや、これはもしかして)
「ええ。とても素敵なお茶会でしたわ」
「そ、そうでしたか。それは何よりです」
エドガーは慌てて姿勢を正した。
しかし、その表情には明らかな関心が浮かんでいる。
セレスはにこやかに続けた。
「クラリス様も、とてもお優しい方でした」
「……そう、ですか」
「ええ。先生のお話もたくさん伺いましたわ」
「私の……?」
「ふふ、先生のことを大変尊敬していらっしゃるようでした」
エドガーの頬が、僅かに赤くなった。
「そ、そうですか。バレシア公爵令嬢が私のことを……」
(おやおや)
セレスは内心で笑った。
どうやら、思っていたよりも話は簡単かもしれない。
クラリスだけではない。
エドガーのほうも、彼女を特別に意識しているらしい。
それならば、無理に誰かの感情を操作する必要もない。
少し背中を押してやれば、それで十分だろう。
「実は、クラリス様が先生をお買い物にお誘いしようと考えていらっしゃるようなのです」
「……えっ?」
エドガーが固まった。
「買い物、ですか?」
「ええ。街へご一緒できればと」
「……彼女が、私を?」
「ふふ、そうですわ」
エドガーはしばらく黙り込んだ。
そして、困ったように視線を落とす。
「……それは、ありがたいお話ですが」
「あら、何か問題でも?」
「いえ、その……」
エドガーは言い淀んだ。
セレスは静かに続きを待つ。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「……私と彼女では、身分が……」
その言葉を聞き、セレスは納得したように頷いた。
(なるほど、そこなのね)
貴族社会において、身分の違いは決して軽い問題ではない。
ましてや相手は公爵家の令嬢。
家庭教師という立場のエドガーにとって、簡単に踏み越えられるものではないのだろう。
(誰しも、大なり小なり、そういう葛藤はあるものなのね)
セレスは、どこか他人事のように考えていた。
自分自身は、身分の違いを理由に何かを諦めたことがあっただろうか。
少なくとも、今の自分には思い当たらなかった。
欲しいものがあれば手に入れる。
邪魔をする者がいれば排除する。
そんな生き方をしてきたのだから、当然かもしれない。
しかし、目の前のエドガーは違う。
相手を大切に思うからこそ、身分という壁を気にしているのだろう。
セレスは静かに微笑んだ。
「先生、お忘れですか?」
「……?」
エドガーが顔を上げる。
セレスは姿勢を正し、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「『国家には、法律、軍事、経済、行政など、さまざまな仕組みが存在します。しかし、それらを正しく機能させるためには、明確な方針が必要です。
そして、その方針を示す人物には、優れた判断力が求められます。
ただし、どれほど優れた指導者であっても、すべての分野に精通しているわけではありません。
そのため、専門知識を持つ者たちが協力し、指導者を支える必要があります』」
エドガーは目を見開いた。
それは、かつて彼自身がセレスへ教えた言葉だった。
国家の仕組みについて学んでいた頃。
指導者に求められる資質について、彼が語った考え方だった。
「……覚えていてくださったのですね」
「もちろんですわ」
セレスは柔らかく微笑んだ。
「先生の教えですもの」
「…………」
エドガーは何も言わなかった。
セレスはそのまま続ける。
「先生は、バレシア公爵令嬢という指導者を支える専門家になればよろしいのではないですか?」
「っ!」
エドガーが息を呑んだ。
「クラリス様は公爵家のご令嬢です。これから多くのことを学び、いずれ大きな責任を担うことになるでしょう」
「……はい」
「そのとき、傍らで支えてくださる方がいれば、どれほど心強いことでしょうか」
セレスは穏やかに語りかける。
「先生には知識がございます。経験もございます。そして、何より、クラリス様のことをよくご存じでしょう?」
「それは……」
「でしたら、何を躊躇う必要があるのでしょうか」
エドガーは俯いた。
その手は、膝の上で強く握られている。
「ですが、私は……」
「身分など、功績を出し続ければ、自ずとついてくるものですわ」
セレスは、当然のことのように言った。
しかし、その言葉を口にした瞬間。
ふと、前世の自分を思い出していた。
魔王だった頃。
セレスは、多くの者たちと共に平和を築こうとしていた。
身分も、種族も、立場も違う者たち。
それでも、それぞれが持つ知識や能力を活かし、協力すれば、きっと未来を変えられると信じていた。
実際に、少しずつ成果も現れていた。
争いを減らし、交易を広げ、互いの理解を深めていく。
決して簡単な道ではなかった。
けれど、確かに前へ進んでいた。
そして。
最後には、すべてを裏切られた。
「…………」
セレスは僅かに目を伏せた。
胸の奥を、冷たい感情が通り過ぎる。
しかし、それを表情に出すことはなかった。
すぐに、いつもの微笑みを取り戻す。
「先生が本当に望むのであれば、そのための努力をなさればよろしいのです」
エドガーは、じっとセレスを見つめていた。
やがて、潜入者が静かに口を開いた。
「お嬢様がおっしゃると、重みが違いますね」
セレスはくすりと笑った。
「ふふふ、私などまだまだです」
そう答えながら、心の中では別のことを考えていた。
(……本当に、まだまだよ)
自分は、何も成し遂げられていない。
前世では平和を築こうとして、失敗した。
今世では復讐を誓った。
けれど、その復讐すら、まだ果たせていない。
商会を大きくした。
貴族たちとのつながりを築いた。
学園にも入学した。
それでも、すべては準備に過ぎない。
自分が本当に望む結末には、まだ遠い。
セレスは静かに紅茶を口へ運んだ。
◇
しばらくの沈黙が流れた。
エドガーは何かを考え込むように、じっと机を見つめていた。
セレスも潜入者も、急かすことはしなかった。
やがて。
「……わかりました」
エドガーが顔を上げた。
その表情には、先ほどまでの迷いとは違うものが宿っていた。
「まずは、私からバレシア公爵令嬢をお誘いしてみます」
セレスは嬉しそうに微笑んだ。
「まあ、それは素敵ですわね」
「……正直、断られるのではないかと不安ですが」
「ふふ、きっと大丈夫ですわ」
「そうでしょうか……」
「ええ。少なくとも、お誘いして後悔することはないと思います」
エドガーは小さく笑った。
「ありがとうございます、セレス様」
「いいえ。私は先生の教えをお返ししただけですもの」
「……そう言っていただけると、教師冥利に尽きます」
エドガーは深く頭を下げた。
その姿を見ながら、セレスは内心で微笑む。
(ふふ、これで一歩前進ね)
クラリスはエドガーを慕っている。
そして、エドガーもまた、クラリスを特別に思っている。
ならば、二人の関係を後押しするだけでいい。
無理に感情を作り出す必要はない。
互いに望んでいることを、少しだけ手助けする。
それだけで、バレシア公爵家との距離は縮まるだろう。
もっとも、恋愛が必ずしも思いどおりに進むとは限らない。
だからこそ、焦らず見守ることにした。
「それでは先生、よいご報告を楽しみにしておりますわ」
「はい。勇気を出してみます」
エドガーは、少し照れくさそうに笑った。
セレスも微笑み返す。
その様子を眺めていた潜入者が、静かに目を細めた。
かつて魔王だった少女。
今は人間の伯爵令嬢として生きる彼女が、目の前の男へ語った言葉。
それは、かつて彼女自身が信じていた理想の一端でもあった。
しかし、潜入者は何も言わなかった。
セレスもまた、そのことに触れるつもりはなかった。
ただ、穏やかに微笑んでいた。
こうして、エドガーは一つの決意を固めた。
そしてセレスは、バレシア公爵家へ近づくための、新たな一手を打つことに成功した。
もっとも。
この一件が、単なる政略の布石だけで終わるのか。
それとも、誰かの人生を大きく変えることになるのか。
その答えは、まだ誰にもわからなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




