第十話 手がかりは意外なところに
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
数日後。
昼を少し過ぎた頃、セレスを乗せた馬車が王都の大通りを進んでいた。
今日のセレスは、普段の学園の制服ではなく、淡い水色のドレスに身を包んでいる。
金色の髪は丁寧に整えられ、控えめな髪飾りが午後の日差しを受けて輝いていた。
「ふふ、久しぶりのお茶会ね」
セレスは楽しそうに窓の外を眺める。
向かいに座るフィリスが、穏やかに微笑んだ。
「左様でございますね。もっとも、お嬢様が純粋にお茶を楽しまれるだけで終わるとは、私には思えませんが」
「あら、失礼ね。私はお茶もお菓子も大好きよ?」
「存じております。問題は、それ以外にもお楽しみがあることでございます」
「ふふ、否定はしないわ」
セレスは小さく笑った。
今日訪れるのは、バレシア公爵家。
王国に残された三分の一の流通網を掌握する有力貴族であり、セレスにとっても無視できない存在だった。
その令嬢から直接招待されたのだから、断る理由などない。
「何かございましたら、すぐにお呼びください」
「ええ。でも、ただのお茶会でしょう?」
「お嬢様がそう仰るときほど、私は心配になるのでございます」
「まあ、ひどい」
セレスは口元に手を当てて笑った。
やがて馬車は大きな門をくぐり、見事な庭園に囲まれた屋敷の前で止まった。
◇
バレシア公爵邸。
ハワード伯爵家の屋敷とは比較にならないほど広大な敷地には、手入れの行き届いた庭園が広がっていた。
左右対称に整えられた植木。
美しい彫刻が施された噴水。
色とりどりの花々。
その奥には、白い石造りの壮麗な屋敷がそびえている。
(なるほど、さすがは公爵家ね)
セレスは屋敷を眺めながら、ゆっくりと馬車を降りた。
玄関前では、公爵令嬢と数人の女生徒が待っていた。
いずれも華やかなドレスに身を包み、優雅な微笑みを浮かべている。
セレスはドレスの裾を軽く持ち上げ、丁寧に一礼した。
「本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます」
「お待ちしておりましたわ、ハワード様。どうぞこちらに」
公爵令嬢はにこやかに応じた。
「ありがとうございます」
セレスは微笑みを返し、案内に従って歩き始める。
公爵令嬢の左右には、学園でも見かけた取り巻きの女生徒たちが付き従っていた。
彼女たちもセレスへ笑顔を向け、当たり障りのない挨拶を交わす。
そのまま一行は屋敷の脇を通り、中庭へと向かった。
そこには白い円卓が用意され、人数分の椅子が並べられていた。
卓上には美しい茶器が置かれ、焼き菓子や小さなケーキが綺麗に盛り付けられている。
「まあ、素敵ですわね」
セレスは感嘆の声を漏らした。
「お気に召していただけたかしら?」
「ええ。とても美しいお庭ですわ」
「ありがとうございます。母が庭園の手入れには特に気を配っておりますの」
「まあ、お母様が。素晴らしいご趣味をお持ちなのですね」
公爵令嬢は満足そうに微笑んだ。
そして、セレスへ席を勧める。
「どうぞ、お掛けになって」
「失礼いたします」
セレスが腰を下ろすと、侍女たちが手際よく紅茶を注ぎ始めた。
柔らかな香りが、午後の風に乗って広がっていく。
◇
「改めまして、本日はお招きくださって、ありがとうございます。お誘いいただいてから、楽しみで夜も眠れませんでした」
「あら、そんなに楽しみにしてくださったのね。嬉しいわ」
公爵令嬢は口元を押さえ、上品に笑った。
セレスもにこにこと微笑み返す。
傍から見れば、年上の公爵令嬢が年下の伯爵令嬢を温かく迎え、和やかな交流を楽しんでいるようにしか見えなかっただろう。
しかし、セレスは別のことを考えていた。
(警戒……は当然ね。でも、これは……怒り……かしら)
公爵令嬢の笑顔。
その視線。
時折、僅かに変化する声の調子。
どれも表面上は丁寧だった。
けれど、どうにも歓迎されているようには感じられない。
むしろ、何かを確かめようとしているような。
あるいは、こちらの反応を待っているような。
(ふふ、面白いわね)
セレスは何食わぬ顔で紅茶を口へ運んだ。
香りも味も申し分ない。
「とても美味しい紅茶ですわね」
「お気に召していただけて何よりですわ」
「こちらは、どちらの茶葉をお使いなのでしょう?」
「南方から取り寄せたものですの。少々珍しい品でしてよ」
「まあ、そうなのですね。香りがとても豊かですわ」
そんな会話を交わしながら、セレスは周囲の様子を観察していた。
取り巻きの女生徒たちは、公爵令嬢の発言に合わせて微笑み、時折、セレスへ質問を投げかけてくる。
学園での生活。
好きな科目。
普段の過ごし方。
どれも、ごく普通のお茶会で交わされる話題だった。
「ハワード様は、学園生活にはもう慣れまして?」
「ええ。皆様に親切にしていただいておりますので、とても楽しく過ごしております」
「まあ、それはよろしゅうございました」
「お友達もできましたの?」
「はい。素敵な方々とお知り合いになれました」
「あら、羨ましいですわ」
セレスは柔らかく微笑み、相手の話に耳を傾ける。
時には相槌を打ち、時には質問を返す。
決して会話を独占せず、かといって黙り込むこともない。
年上の令嬢たちに囲まれながらも、その振る舞いには不自然なところがなかった。
しばらくして、話題は学園での授業へと移った。
「そういえば、ハワード様は算術がお得意なのだとか」
「得意というほどではございませんわ。必要に迫られて学んだだけですもの」
「まあ、ご謙遜を。先生が出された難しい問題も、簡単に解いてしまわれたのでしょう?」
「ふふ、少し時間はかかりましたけれど」
公爵令嬢が静かに紅茶を口へ運ぶ。
その隣で、取り巻きの一人が微笑んだ。
「私、ハワード様のことを誤解しておりましたわ」
(来たかな?)
セレスは内心で小さく笑った。
けれど、表情には出さない。
ただ、不思議そうに小首を傾げる。
「誤解……でしょうか?」
「ええ、幼くして伯爵家の当主となった方ですもの。よっぽどユーモアのある方なのかと」
女生徒はにこやかに言った。
その言葉を聞き、周囲の令嬢たちが小さく笑う。
セレスも微笑みを崩さなかった。
「ふふふ、私は私自身を普通だと思っておりますわ」
「あら、普通のご令嬢は商売などしないのではなくて?」
女生徒は扇を広げ、口元を隠した。
その目は、少しも笑っていなかった。
セレスは紅茶のカップを静かに受け皿へ戻した。
「まあ、そうでしょうか?」
「ええ。貴族の令嬢たるもの、家の名誉を守り、礼節を学び、相応しい振る舞いを身につけるものではなくて?」
「おっしゃるとおりですわね」
セレスは素直に頷いた。
女生徒は一瞬、拍子抜けしたような表情を浮かべる。
しかし、すぐに微笑みを取り戻した。
「でしたら、どうして商売などを?」
「そうですわね……」
セレスは少し考えるように視線を落とした。
そして、柔らかく微笑む。
「私、伯爵家の当主ですもの」
「……それが、何か?」
「家を維持するためには、お金が必要でしょう?」
「それは、もちろん……」
「ですから、必要なことをしているだけですわ」
あまりにも当然のことのように答えるセレスに、女生徒は僅かに眉を動かした。
「ですが、商売など使用人に任せればよろしいのでは?」
「もちろん、実際の仕事は任せておりますわ」
「でしたら……」
「ただ、任せる以上、何をしているのか把握しておかなければなりませんでしょう?」
セレスは小首を傾げた。
「自分の家のことですもの。何も知らないまま、すべてを他人に委ねるわけにはまいりませんわ」
女生徒は言葉に詰まった。
その様子を見て、公爵令嬢が静かにカップを置いた。
「……なるほど。随分と責任感がお強いのね、ハワード様」
「恐れ入ります」
「さすがですわね、エドガー先生がおっしゃるだけのことはあるわ」
セレスの手が、僅かに止まった。
「エドガー先生……ですか? もしかして、バレシア公爵令嬢も」
「ええ、先生の教えを受けておりますの」
「まあ!」
セレスは嬉しそうに微笑んだ。
「それは奇遇ですわね。私も以前、エドガー先生にご指導いただいておりましたの」
「……存じておりますわ」
公爵令嬢はにこりと笑った。
しかし、その声には僅かな硬さがあった。
(……あら?)
セレスは内心で首を傾げる。
エドガー。
かつて自分の家庭教師を務めていた人物。
勉学だけでなく、貴族としての振る舞いや、領地経営についても教えてくれた優秀な教師だった。
その名前が、まさかこの場で出てくるとは思っていなかった。
「エドガー先生は、とても素晴らしい方ですわね」
「ええ。本当に」
公爵令嬢の返答は早かった。
「知識も豊富で、どんな質問にも丁寧に答えてくださいますもの」
「ふふ、そうですわね」
「それに、いつも生徒のことを考えてくださって……」
そこまで言って、公爵令嬢は一度言葉を切った。
そして、セレスを見つめる。
「……先生は、貴女のことを随分と高く評価していらっしゃいましたわ」
「まあ、そうなのですか?」
「ええ。何かにつけて、ハワード様のお名前を出されるのですもの」
公爵令嬢は微笑んだ。
けれど、その指先が、膝の上で僅かに動いた。
「算術の講義でも、商業の話でも、領地経営のお話でも……本当に、よくお名前を伺いましたわ」
「それは……光栄ですわね」
セレスは穏やかに答えた。
しかし、頭の中では別のことを考えていた。
(……なるほど)
公爵令嬢の視線。
エドガーの名前を口にしたときの声。
自分の名前が何度も出てきたことへの、僅かな苛立ち。
そして、先ほどから感じていた敵意。
(もしかして……)
セレスは公爵令嬢の顔を見つめた。
年上の少女は、いつもどおり上品に微笑んでいる。
けれど、エドガーの話になると、その表情が僅かに変わる。
嬉しそうで。
誇らしそうで。
それでいて、どこか面白くなさそうだった。
(……嫉妬、かしら?)
セレスは内心で微笑んだ。
確証はない。
けれど、もしそうならば。
この公爵令嬢が自分を敵視する理由も、少しは理解できる。
自分が慕っている相手が、何かにつけて別の少女の名前を口にする。
それが面白くないという気持ちは、決して不思議なものではない。
ましてや、その相手が自分より年下の少女ならば。
(ふふ、そういうことなら……)
セレスはゆっくりと紅茶を口へ運んだ。
公爵令嬢がエドガーへどのような感情を抱いているのか、まだ断定はできない。
しかし、少なくとも彼女にとって、エドガーが特別な存在であることは間違いなさそうだった。
そして、それは。
この少女と距離を縮めるための、重要な糸口になるかもしれない。
「エドガー先生には、私も大変お世話になりましたわ」
セレスは柔らかく微笑んだ。
「ですが、先生がそれほど私のお話をされていたなんて、少し恥ずかしいですわね」
「……そうですの?」
「ええ。先生には、まだまだ未熟なところをたくさん見られておりますもの」
公爵令嬢の眉が、僅かに動いた。
「未熟、ですか?」
「もちろんですわ。私など、まだ学ぶべきことばかりですもの」
「……そう」
公爵令嬢は静かに頷いた。
セレスは、その反応を見逃さなかった。
自分を褒められることに不満があるのなら、無理に謙遜を重ねても逆効果かもしれない。
かといって、エドガーを悪く言えば、彼女の機嫌を損ねるだろう。
大切なのは、相手が何を求めているのかを知ること。
そして、そこへ自然に近づいていくことだった。
「それにしても、エドガー先生に教わっていらっしゃるなんて、羨ましいですわ」
「……羨ましい?」
「ええ。先生は本当に教え方がお上手ですもの。私も、またご指導いただきたいくらいですわ」
公爵令嬢の表情が、僅かに曇った。
セレスはその変化を静かに観察する。
(……あら、これは少し違ったかしら)
どうやら、今の言葉はあまり好ましくなかったらしい。
セレスはすぐに話題を変えた。
「ですが、先生から学ばれた方とこうしてお話しできるのは、とても嬉しいことですわ」
「……そうですのね」
「ええ。先生のご指導を受けていらっしゃるのなら、きっと私などより、ずっと多くのことをご存じなのでしょうね」
公爵令嬢は一瞬、驚いたように目を瞬かせた。
そして、少しだけ表情を和らげた。
「……それほどでもありませんわ」
「ふふ、ご謙遜を」
二人は再び微笑み合った。
けれど、セレスの内心では、すでに一つの方針が定まりつつあった。
(なるほど。これは、思っていたより面白いことになりそうね)
バレシア公爵家。
王国に残された三分の一の流通網。
その家の令嬢が、自分を敵視している理由。
もし、その原因がエドガーへの淡い恋心にあるのなら。
正面から争う必要など、どこにもない。
むしろ、その気持ちを理解し、寄り添うことができれば。
敵意を和らげることも、不可能ではないだろう。
セレスは紅茶のカップを静かに置いた。
「ふふ、とても楽しいお茶会ですわね」
「……そう言っていただけると、嬉しいですわ」
公爵令嬢は微笑んだ。
まだ、その瞳には警戒の色が残っている。
けれど、先ほどまでの刺々しさは、ほんの僅かに薄れていた。
セレスはその変化を感じ取りながら、優雅に微笑み返す。
焦る必要はない。
相手の気持ちを知り、少しずつ距離を縮めればいい。
何より。
(ふふ、恋する乙女、ね)
セレスは心の中で小さく笑った。
(さて、どうしましょうか)
美しい庭園に、穏やかな午後の日差しが降り注いでいた。
お茶会は、まだ続いていた。
お読み頂き、ありがとうございます。




