第七話 時として記憶は心を蝕む
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
魔法実技の講義が終わり、生徒たちはそれぞれ教室へと戻っていた。
初めての魔力操作に苦戦した者も多く、廊下には疲れた様子の生徒たちが目立つ。
そんな中、セレスは友人たちと楽しそうに会話を交わしていた。
「それにしても、今日は大変だったわね」
ステラが呆れたように言う。
「そうかしら? 私は楽しかったけれど」
「貴女はそうでしょうね……」
ステラは隣を歩くサラへ視線を向けた。
「で、サラは?」
「……もう、聞かないで……」
サラは顔を真っ赤にしたまま俯いている。
「あら、まだ具合が悪いの?」
「だ、大丈夫です!」
「そう? ならよかったわ」
セレスが微笑むと、サラは再び顔を赤らめた。
その様子を見て、ステラは深いため息をつく。
「……本当に、どうしようもないわね」
「何がかしら?」
「何でもないわ」
そんなやり取りをしながら教室へ戻ると、放課後を告げる鐘が鳴った。
生徒たちは帰り支度を始め、次々と教室を出ていく。
「セレス様、また明日!」
「ええ、また明日ね」
ミナが笑顔で手を振る。
「サラ、行くわよ」
「は、はい!」
ステラに促され、サラも鞄を手に取った。
セレスも帰り支度を整え、教室を出ようとした。
そのときだった。
「あの、セレス・ハワード様」
背後から声をかけられた。
振り返ると、見覚えのない女生徒が立っていた。
「はい、何でしょうか?」
「先生がお呼びです。教員棟の第三応接室までお越しくださいとのことです」
「あら、先生が?」
「はい」
女生徒はそれだけ答えると、軽く頭を下げた。
「それでは、失礼いたします」
そして、足早に去っていった。
セレスはその背中を見送りながら、小さく首を傾げる。
(先生、ねえ……)
誰が呼んでいるのか。
何の用事なのか。
その説明はなかった。
もっとも、わざわざ呼び出すというのだから、何か用件があるのだろう。
セレスは鞄を持ち直し、教員棟へと向かった。
◇
教員棟の第三応接室。
扉の前に立ったセレスは、軽くノックをした。
「失礼いたします。セレス・ハワードです」
返事はなかった。
「あら?」
もう一度ノックする。
やはり、返事はない。
セレスは少し考えた後、扉に手をかけた。
鍵はかかっていなかった。
「失礼いたします」
扉を開け、中へ入る。
室内には長椅子と机が置かれ、壁際には書棚が並んでいた。
窓からは、傾き始めた太陽の光が差し込んでいる。
しかし、肝心の教師の姿は見当たらない。
「……あら、どなたもいらっしゃらないのね」
セレスが室内を見回した、そのときだった。
バタン!
背後で扉が閉まった。
続いて、金属の擦れる音が響く。
ガチャリ。
鍵がかけられた。
セレスはゆっくりと振り返る。
「……まあ」
扉へ歩み寄り、取っ手に手をかけた。
動かない。
何度か試してみたが、外側から施錠されているらしい。
「どなたかいらっしゃいませんか?」
声をかける。
返事はない。
「すみません。扉が開かないのですが」
少し声を大きくしてみる。
しかし、廊下からは物音一つ聞こえてこなかった。
セレスは扉から手を離した。
(なるほど、そういうことね)
呼び出した教師の名前も告げられず、誰もいない部屋へ案内され、閉じ込められる。
偶然とは考えにくい。
誰かが意図的に仕組んだのだろう。
もっとも、この程度の鍵なら壊すことは容易だった。
魔法を使えば、扉ごと吹き飛ばすことすらできる。
だが、そんなことをすれば余計な騒ぎになる。
誰が、何のために自分を閉じ込めたのかもわからない。
(まあ、少し様子を見ましょうか)
セレスは扉から離れ、窓際に置かれた椅子へ腰を下ろした。
窓の外には、学園の庭園が広がっている。
整えられた花壇。
石畳の小道。
風に揺れる木々。
そして、その向こうに傾き始めた太陽。
セレスは静かに、その景色を眺めた。
◇
どれほど時間が経っただろうか。
窓から差し込む陽光は、少しずつ赤みを増していた。
セレスは椅子に座ったまま、ぼんやりと外を眺めている。
誰も来ない。
何も起こらない。
ただ、時間だけが過ぎていく。
(……そういえば)
ふと、そんなことを思った。
(こうして、一人で何もせずに過ごすのは、随分と久しぶりね)
転生してからというもの、忙しい日々が続いていた。
幼い頃は、あの屋敷で生き延びることだけを考えていた。
八歳で屋敷を取り戻してからは、商会の設立と経営、貴族たちとの交渉、情報収集。
そして、学園への入学。
毎日、何かしらやることがあった。
何も考えず、ただ景色を眺める時間など、ほとんどなかった。
セレスは椅子の背もたれに身体を預ける。
窓の外では、夕日に照らされた木々が柔らかく揺れていた。
その光景を見つめているうちに、ふと、懐かしい景色が脳裏に浮かんだ。
それは、遥か昔の記憶だった。
◇
暖かな日差し。
どこまでも広がる青空。
そして、賑やかな笑い声。
かつて、魔王として生きていた頃。
セレスの周りには、たくさんの仲間がいた。
共に戦い、共に苦労し、共に未来を語り合った者たち。
そして、誰よりも信頼していた親友。
あの頃は、本当に幸せだった。
人間と魔族。
互いに憎み合い、争い続けてきた二つの種族。
それでも、いつかは手を取り合えると信じていた。
争いのない世界を作ろう。
誰もが笑って暮らせる未来を築こう。
そんな夢を、仲間たちと語り合った。
馬鹿げた理想だと笑われることもあった。
それでも、諦めなかった。
親友は、そんなセレスの隣で笑っていた。
仲間たちも、同じ未来を信じてくれていると思っていた。
あの日々は、確かに幸せだった。
だからこそ。
最後に思い出すのは、いつも同じ光景だった。
裏切られた、あの瞬間。
信じていた者たち。
共に笑い合った者たち。
平和を願っていたはずの者たち。
そのすべてが、セレスへ牙を剥いた。
何が起きたのか、理解できなかった。
なぜ。
どうして。
そんな言葉ばかりが、頭の中を巡っていた。
そして、すべてが終わった。
◇
「…………っ」
セレスは、はっと我に返った。
窓の外では、夕日がさらに傾いていた。
いつの間にか、両手を強く握り締めている。
爪が掌に食い込み、僅かな痛みが走った。
胸の奥が、ひどく冷たい。
それなのに、身体の内側では何かが激しく燃え上がっていた。
(……また、思い出してしまったわね)
セレスはゆっくりと息を吐く。
あの頃の幸せな記憶を思い出そうとすると、必ず最後には裏切りの瞬間へと辿り着く。
どれほど楽しかった日々も。
どれほど大切だった思い出も。
最後には、あの光景に塗り潰されてしまう。
(……これは、一種のトラウマなのかしら)
自嘲するように、小さく笑った。
しかし、その笑みは長く続かなかった。
胸の奥から、どす黒い感情が湧き上がってくる。
怒り。
憎しみ。
そして、決して消えることのない復讐心。
それに呼応するように、体内の魔力が激しく揺れ始めた。
空気が震える。
窓ガラスが、かすかに音を立てた。
セレスは拳を握り締める。
(……いけない)
必死に魔力を抑え込む。
こんな場所で、力を漏らすわけにはいかない。
誰かに気取られれば、これまで積み重ねてきた計画に支障が出る。
ましてや、こんな馬鹿げた悪戯のために、自分の正体を疑われるなど論外だった。
セレスは目を閉じ、深く息を吸った。
ゆっくりと吐き出す。
もう一度。
そして、もう一度。
やがて、荒れ狂っていた魔力が静まっていく。
窓ガラスの震えも止まった。
セレスはゆっくりと目を開いた。
夕日に染まる庭園は、先ほどと何も変わっていない。
美しい景色だった。
かつて仲間たちと眺めた景色と、どこか似ていた。
だからこそ、胸が痛んだ。
「…………」
セレスは静かに立ち上がり、窓際へ歩み寄る。
そして、遠くの空を見つめた。
あの頃の自分は、何も知らなかった。
信じれば、いつか理解し合えると思っていた。
手を差し伸べれば、いつかその手を取ってもらえると思っていた。
けれど、現実は違った。
もう二度と、同じ過ちは繰り返さない。
セレスは再び拳を握り締めた。
その瞳には、先ほどまでの柔らかな光はなかった。
「必ず……」
小さな声が、静かな室内に落ちる。
「必ずよ」
誰に聞かせるでもない言葉。
それは、かつて自分を裏切った者たちへの誓いだった。
窓の外では、夕日がゆっくりと沈み始めていた。
セレスはその光景を、ただ静かに見つめ続けていた。
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