第一話 新しい生活を楽しみながら
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
春の柔らかな日差しが、王都の街並みを照らしていた。
貴族学園の正門前には、色とりどりの馬車が次々と到着している。
今日から新たな学園生活を始める子息令嬢たちは、期待と緊張を胸に、門をくぐっていった。
その中に、一台の馬車が静かに停まった。
「お嬢様、到着いたしました」
「ありがとう、フィリス」
執事が開いた扉から、一人の少女が姿を現す。
艶やかな金髪に、整った愛らしい顔立ち。上品に仕立てられた制服を身にまとい、柔らかな微笑みを浮かべている。
セレス・ハワード。
十歳にしてハワード伯爵家の当主を務める少女である。
「それでは、行ってくるわね」
「はい。どうぞ、学園生活をお楽しみくださいませ」
「ふふ、もちろんよ」
フィリスに手を振り、セレスは正門へと歩き出した。
その姿に気づいた生徒たちが、ひそひそと囁き始める。
「あれがハワード家当主の……」
「お美しいわ」
「虐待されても、なお、自身の才覚で家を取り戻した才女ですって」
「お友達になれるかしら」
「噂では、商会も営んでいるらしいぜ」
「えっ、凄すぎない? ハワード様……」
「同性趣向だといいな」
「は? そういうのじゃないんだけど、何で男子ってすぐそういう方向にいくの?」
最後のやり取りに、周囲から小さな笑い声が漏れた。
セレスは聞こえてくる噂話に、思わず口元を緩める。
どうやら、この二年間の成果は十分に広まっているらしい。
八歳で屋敷を取り戻してから、セレスはフィリスとともに様々な準備を進めてきた。
その一つが商会の設立である。
もちろん、目的は単に金銭を稼ぐことではない。
人を動かすには、まず人々の生活を支える仕組みを押さえる必要がある。
そのための準備は、着実に進んでいた。
(ふふ、随分と好意的なのね)
セレスは周囲に向けて、にこりと微笑んだ。
それだけで、何人かの生徒が頬を赤らめる。
(可愛い子たち。学園生活も退屈せずに済みそうだわ)
そんなことを考えながら、セレスは入学式の会場へ向かった。
◇
入学式を終えた新入生たちは、それぞれ指定された教室へと移動していた。
セレスが自分の席を確認していると、一人の少女が恐る恐る近づいてきた。
「あの、ハワード様」
「何かしら?」
振り返ると、少女は緊張した様子で背筋を伸ばした。
「ハワード様はすでに伯爵家の当主ですのよね?」
「ええ、書類上は。ですが、この国では貴族と認められる条件が学園卒業ですので、微妙な立場ですわね」
セレスは苦笑する。
ハワード家の当主となったこと自体は、正式な手続きを経て認められている。
しかし、当主であることと、国家から貴族として正式に認められることは別の話だった。
この国では、貴族としての正式な承認を受けるために、学園の卒業が求められる。
そのため、セレスは伯爵家を率いる立場にありながら、制度上はまだ一人前の貴族とは認められていない。
「それでも凄いですわ! 家紋を背負いながら、商会も営んでらっしゃるのでしょう? 素晴らしいですわ」
少女は目を輝かせていた。
その純粋な称賛に、セレスは嬉しそうに微笑む。
「ふふふ、ありがとう。私のことはセレスと呼んでくださいね」
「セレス様……私、ミナと言います」
「よろしくね、ミナ」
「はい!」
ミナは満面の笑みを浮かべた。
その反応が可愛らしくて、セレスも自然と笑みを深める。
これから何年も通う学園なのだ。
どうせなら、楽しい時間を過ごしたい。
そんなことを考えていると、教室の扉が勢いよく開いた。
◇
「全員、席に着け」
入ってきたのは、険しい表情をした男性教師だった。
生徒たちが慌てて席に着く。
教師は教壇に立つと、教室を見渡した。
「私はハロルド。このクラスの担任を務める」
簡潔な自己紹介を終え、ハロルドは学園生活について説明を始めた。
「この学園では、身分による特別扱いは認められない。王族だろうが貴族だろうが、学ぶ立場であることに変わりはない」
その言葉に、生徒たちは真剣な表情で耳を傾ける。
しかし、ハロルドは途中で言葉を切った。
「その前に……セレス・ハワード」
「はい」
名前を呼ばれたセレスは、静かに立ち上がった。
ハロルドは彼女を睨みつける。
「この学園では生徒の身分は関係ない。当主の座に着いているからって、図に乗るなよ」
教室が静まり返った。
突然の言葉に、生徒たちは困惑した表情を浮かべる。
セレスはまだ何もしていない。
ただ、名前を呼ばれて立ち上がっただけだ。
それなのに、なぜこのような言葉を向けられなければならないのか。
しかし、セレスは表情を変えなかった。
「承知いたしました。皆様と一緒に精進して参りますわ」
そう言って、丁寧に頭を下げる。
その所作は、非の打ちどころのないものだった。
ハロルドの眉間に皺が寄る。
「チッ! 座れ」
「はい。皆様もどうぞよろしくお願いいたしますわ」
セレスは教室の生徒たちにも一礼し、静かに腰を下ろした。
その姿を見ていた生徒たちの間に、小さな囁きが広がる。
「……今の、酷くありません?」
「セレス様、何も悪いことをしていないのに」
「それなのに、あんなに丁寧に……」
「やっぱり素敵な方ですわ」
ハロルドは不機嫌そうに教壇を叩いた。
「静かにしろ! 説明を続けるぞ!」
生徒たちは口を閉じたが、その視線はどこか冷ややかだった。
一方のセレスは、何事もなかったかのように教師の説明を聞いている。
ただ、その瞳には、ほんの僅かな愉悦が浮かんでいた。
(ふふ、随分とわかりやすい方ね)
どうやら、学園生活は想像以上に面白くなりそうだった。
◇
初日の説明が終わり、生徒たちが帰り支度を始めた頃。
「セレス様、大丈夫でした? ハロルド先生も言い方というものがあるでしょうに」
一人の少女が心配そうに声をかけてきた。
「ありがとうございます、サラ様。私は大丈夫ですわ。その……お恥ずかしい話ではありますが、先生のあのような態度にも慣れておりますので」
「……あっ、ご家族の……」
「サラ」
隣にいた少女が、静かに名前を呼んだ。
サラははっとした表情になる。
「あ、も、申し訳ございません」
「いいのよ、サラ様がご心配してくださることが、何より嬉しいですわ」
セレスが柔らかく微笑む。
「はぅ~、セレス様、素敵ですわ……」
サラは頬を染め、うっとりとした声を漏らした。
「ふふ、ありがとうございます」
すると、隣にいた少女が呆れたように肩をすくめる。
「私はステラよ。よろしくね、セレス様」
「ふふ、様はいりませんわよ、ステラ。話しにくいのでしょう? こちらこそよろしくね」
「あら、意外と話がわかるじゃない」
「ふふふ、私もこっちが素よ」
「へー、お高くとまったご令嬢かと思ってたわ」
「ちょっと、ステラ!」
サラが慌てて友人を窘める。
しかし、セレスは楽しそうに笑った。
「いいのよ。サラ様もサラと呼んでよろしいでしょうか? 私のこともセレスとお呼びください」
「……っ、せ、セレ……ス」
「ええ、サラ」
「…………っ、も、もう行こう、ステラ!」
「さ、サラ!? ちょっと!」
真っ赤になったサラが、ステラの手を引いて教室から飛び出していく。
取り残されたセレスは、しばらく二人の去った扉を眺めていた。
そして、くすりと笑う。
「ふふ、可愛い子たちね」
ミナも、サラも、ステラも。
それぞれ違った個性を持つ、面白い少女たちだった。
これから彼女たちと過ごす時間を思うと、自然と心が弾む。
もちろん、学園に来た目的を忘れたわけではない。
だが、目的のためだけに毎日を過ごす必要もないだろう。
楽しいものは、楽しい。
それでいい。
セレスは鞄を手に取り、教室を後にした。
廊下には、まだ多くの生徒たちの賑やかな声が響いている。
その光景を眺めながら、セレスは小さく微笑んだ。
「ふふ、これからが楽しみだわ」
こうして、セレス・ハワードの学園生活が始まった。
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