幕間 執事の呟き
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
セレスとの話し合いを終えた後、執事フィリスは一人、執務室に残っていた。
机の上には、先ほどまで二人で書き上げていた資料が広げられている。
経済圏の掌握。
学園での勢力拡大。
そして、王家の転覆。
どれも、普通の八歳の少女が考えるような内容ではなかった。
「……まったく」
フィリスは小さく溜息を吐いた。
つい先日まで、セレスはただの少女だった。
母を失い、父からも顧みられず、後妻たちに虐げられていた哀れな少女。
それが、ある日を境に変わってしまった。
圧倒的な魔力。
年齢に見合わぬ知識。
そして、他者を圧倒する威厳。
何より、あの瞳。
まるで、長い年月を生きてきた者のような、底知れぬ深さを感じさせる瞳だった。
「魔王の生まれ変わり、ですか……」
荒唐無稽な話だった。
普通なら、子供の戯言として聞き流してしまうだろう。
しかし、今のセレスを見ていると、否定する方が難しかった。
フィリスは机の上の資料へと視線を落とす。
そこには、国家転覆に向けた計画が記されていた。
単なる夢物語ではない。
経済圏を掌握するために必要な資金の調達方法。
既存の商会との提携。
流通網を構築するための具体的な手段。
そして、それらを実現するために利用できる魔法の数々。
一つ一つは、決して不可能なことではなかった。
もちろん、問題はいくらでもある。
人材も足りない。
資金も十分とは言えない。
既存の商人たちが黙っているとも思えない。
だが。
「……実現できてしまいそうなのが、恐ろしいところですね」
フィリスは苦笑した。
あの少女は、国を落とすと宣言した。
そして、そのための手段を考え、実現に向けて動き始めている。
しかも、本人は心底楽しそうだった。
フィリスは椅子の背もたれに身体を預け、天井を見上げた。
「……私はとんでもない主を持ったようですよ、セナ様」
静かな部屋に、その名が響いた。
セナ。
かつてフィリスが仕えていた女性。
そして、セレスの母親だった人。
フィリスはゆっくりと目を閉じた。
思い出すのは、穏やかな笑顔。
誰に対しても分け隔てなく接し、使用人たちにまで気を配っていた優しい女性。
そして、幼い娘を抱きしめ、幸せそうに微笑んでいた姿。
あの方が亡くなられてから、屋敷は変わってしまった。
フィリスは、その変化を止められなかった。
セレスが虐げられていることを知りながら、守り抜くことができなかった。
どれだけ悔やんでも、過去は変わらない。
「……申し訳ございません、セナ様」
返事はない。
当然だった。
もう、あの優しい声を聞くことはできないのだから。
フィリスはしばらく目を閉じたまま、静かに呼吸を繰り返した。
やがて、再び机の上の資料へと視線を向ける。
そこには、八歳の少女が描いた未来が記されていた。
王家を転覆させる。
国を手に入れる。
そして、世界へと手を伸ばす。
その先に、どれほどの血が流れるのか。
どれほどの人間が命を落とすのか。
考えれば、恐ろしくないはずがなかった。
それでも。
フィリスは、ふっと口元を緩めた。
「……貴女を御守りできなかった愚か者の私ですが、貴女の残した宝に付き従う程度はできるでしょう」
その目には、深い哀愁が漂っていた。
セレスは、もはや自分が守らなければならないだけの少女ではない。
むしろ、彼女の進む道に付き従うことすら、容易ではないだろう。
それでも構わなかった。
かつての主が遺した、たった一人の娘。
その少女が、どのような道を歩もうとも。
今度こそ、最後まで付き従おう。
フィリスは静かに立ち上がった。
そして、誰もいない部屋で、深々と頭を下げる。
「このフィリス、命を賭して、お嬢様に付き従います」
それは、亡き主への誓いであり、新たな主への忠誠だった。
やがてフィリスは顔を上げ、机の上の資料を丁寧にまとめ始めた。
明日からは忙しくなる。
商会の設立に向けた準備。
必要な人材の選定。
資金の確保。
そして、誰にも知られてはならない国家転覆計画。
「……ふふ」
思わず笑みがこぼれた。
「本当に、退屈だけはしそうにありませんね」
フィリスは資料を手に取り、執務室の明かりを消した。
その足取りに、迷いはなかった。
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