第三話 協力者を得るには、胸中を打ち明けるのが効果的
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
屋敷へ戻ったセレスは、執事に紅茶を用意するよう命じた。
誘拐された挙げ句、森の中で獣たちと戯れたのだ。さすがに少しばかり喉が渇いている。
もっとも、疲労を感じているわけではない。
むしろ、身体を動かしたおかげで気分はすこぶる良かった。
「ふふ、やっぱり運動はいいものね」
窓際の椅子に腰掛け、セレスは満足そうに微笑んだ。
やがて執事が紅茶を運んでくる。
「お待たせいたしました、お嬢様」
「ありがとう。そこに置いてちょうだい」
「かしこまりました」
執事は丁寧な所作でカップを置くと、一歩下がって控えた。
セレスは紅茶を一口含み、ゆっくりと味わう。
芳醇な香りが鼻を抜け、温かな液体が喉を潤した。
「いい香りね」
「お気に召していただけたようで何よりでございます」
「ええ。ところで、少し話があるのだけれど」
「はい。何なりとお申し付けください」
セレスはカップをソーサーへ戻した。
そして、まるで今日の天気について話すかのような調子で告げる。
「実は私ね、魔王の生まれ変わりなの」
「…………」
執事の動きが止まった。
セレスはその反応を楽しむように、口元に笑みを浮かべる。
しばらくの沈黙が流れた。
「…………冗談、ではなさそうですね。むしろ、色々腑に落ちました」
「あら、そう?」
「はい。お嬢様の魔法の腕前、知識、物事の捉え方。いずれも八歳のお嬢様が身につけられるものとは思えませんでしたので」
「ふふ、随分と観察されていたのね」
「お仕えする者として、当然のことでございます」
執事はそう答えると、わずかに表情を引き締めた。
「けれど、私に打ち明けて良かったのですか?」
「私、貴方のこと気に入っているもの」
「……っ!」
執事は一瞬だけ目を見開いた。
しかし、すぐに深々と頭を下げる。
「光栄でございます」
「ふふ、そんなに畏まらなくてもいいのよ」
「いえ、私にとっては何よりのお言葉でございますので」
セレスは楽しそうに微笑んだ。
この執事は、なかなか面白い。
必要以上に怯えることもなければ、無闇に媚びることもない。
自分の役割を理解し、できることとできないことを見極め、時には皮肉まで口にする。
先ほどの森でのやり取りなど、思い出すだけで笑みがこぼれてしまう。
もちろん、だからといって絶対に裏切らないと信じているわけではない。
かつての自分は、信頼していた者たちに殺されたのだ。
人間であろうと魔族であろうと、心の内まで見通せるわけではない。
それでも。
気に入った相手に秘密を打ち明けるくらい、構わないだろう。
「さて、どこから話しましょうか」
「差し支えなければ、先ほどのお言葉についてお聞かせいただけますか?」
「国を落とすって話?」
「はい。お嬢様が魔王の生まれ変わりであることと、国家転覆をお考えになったことには、何か関係があるのでしょうか」
「あら、鋭いわね」
「恐れ入ります」
セレスは再び紅茶を口にした。
窓の外では、庭師たちがいつもと変わらず仕事をしている。
穏やかな昼下がりだった。
そんな光景を眺めながら、セレスは静かに口を開いた。
「私は人間と魔族に……復讐するわ」
「…………」
執事は何も言わなかった。
セレスも、すぐには言葉を続けない。
カップの中で揺れる紅茶を見つめながら、遠い昔のことを思い出していた。
かつて、彼女は魔王だった。
人間と魔族が争い続ける世界で、双方が手を取り合える未来を望んでいた。
そのために長い年月を費やした。
話し合いの場を設け、互いの主張に耳を傾け、争いを減らすために力を尽くした。
理解し合うことは難しかった。
考え方も、価値観も、生き方も違う。
それでも、少しずつ歩み寄ることはできると信じていた。
だが、最後に待っていたのは裏切りだった。
和平のために設けられた場で、人間と魔族の双方から命を狙われた。
そして、彼女は殺された。
信じていた者たちの手によって。
「……随分と長い時間を無駄にしたものだわ」
セレスは小さく呟いた。
「お嬢様?」
「昔の話よ。私はね、人間と魔族が仲良く暮らせる世界を作ろうとしていたの」
「…………」
「何百年もかけて、ようやく少しは形になってきたと思っていたのだけれど……最後は両方から裏切られて殺されたわ」
執事の表情がわずかに険しくなった。
「それは……」
「ふふ、馬鹿みたいでしょう?」
セレスは笑った。
けれど、その瞳は笑っていなかった。
「争いをなくそうとしていた私を、人間も魔族も邪魔だと思ったのよ。理由はそれぞれあったのでしょうけれど、今となってはどうでもいいわ」
セレスはカップを置いた。
「だから、もうやめたの」
「何を、でございますか?」
「他人のために世界を良くしようとすることよ」
その声には、怒りも悲しみもなかった。
ただ、決定事項を告げるような静けさがあった。
「前世では、皆が幸せになれる未来を望んでいたわ。けれど、その皆に殺されたのだもの。今度は私自身のために生きることにしたの」
「……それが、復讐でございますか」
「ええ」
セレスは微笑んだ。
「私を裏切った者たちに、自分達が何をしたのか思い知らせてあげる。そのためなら、人間も魔族も関係ないわ」
執事は静かに耳を傾けていた。
セレスは窓の外へ視線を向ける。
「もっとも、問題が一つあるのよね」
「問題、でございますか?」
「私一人では、できることに限界があるの」
「…………」
「どれだけ魔法が使えても、世界中の情報を一人で集めることはできないでしょう? 人を動かすにも、お金を用意するにも、何かと手間がかかるもの」
「なるほど」
「だから、国を落とすの」
セレスは何でもないことのように言った。
「そのための足掛かりとして、この国をもらうわ。一個人にできることなんて、たかが知れてるから」
執事はしばらく黙り込んだ。
そして、ゆっくりと口を開く。
「…………お嬢様が言うと、嫌みにしか聞こえません」
「あら?」
「お嬢様ほどの力をお持ちの方が、一個人にできることなどたかが知れていると仰るのですから」
セレスは一瞬きょとんとした。
そして、口元を押さえて笑い始める。
「ふふっ……あははは!」
執事は静かに頭を下げた。
「失礼いたしました」
「あら、謝ることないわ。言うようになったじゃない、ふふふ」
「恐れ入ります」
「本当に、貴方は面白いわね」
セレスは紅茶を飲み干した。
執事はすぐに新しい紅茶を注ぐ。
その手つきには、先ほどまでと何の変化もなかった。
魔王の生まれ変わりであると知っても。
人間と魔族への復讐を望んでいると聞いても。
国家転覆を企てていると理解しても。
執事は、いつもどおりセレスに仕えていた。
「ねぇ、執事」
「はい」
「怖くないの?」
「何が、でございますか?」
「私のことよ。魔王の生まれ変わりで、国を落とそうとしているのよ?」
執事は少し考えるように目を伏せた。
「……恐れがないと申し上げれば、嘘になるでしょう」
「あら、正直ね」
「ですが、私がお仕えしているのは、今ここにいらっしゃるセレスお嬢様でございます」
「…………」
「お嬢様が何者であろうと、その事実に変わりはございません」
セレスは執事を見つめた。
しばらく、何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「……ふふ、そう」
セレスは椅子の背もたれに身体を預けた。
「なら、これから忙しくなるわね」
「覚悟しております」
「国を落とすのよ? 簡単な仕事ではないわ」
「承知しております」
「途中で逃げたくなるかもしれないわよ?」
「その際は、お嬢様に置いていかれないよう、努力するまででございます」
「ふふふ、いい答えね」
セレスは窓の外へ目を向けた。
穏やかな日差しが庭を照らしている。
この国の人々は、今日もいつもどおりの生活を送っているのだろう。
王宮では王族が政務を執り、貴族たちはそれぞれの領地を治め、商人たちは利益を求めて行き交っている。
その誰もが、八歳の少女によって国が狙われているなど、夢にも思っていないはずだ。
「さて……」
セレスは楽しそうに微笑んだ。
「まずは、計画を立てましょうか」
「かしこまりました」
執事は一礼すると、机の上に紙と筆記具を用意し始めた。
セレスはその様子を眺めながら、静かに笑う。
かつて世界の平和を願った魔王は、今度は復讐のために国を手に入れようとしている。
そして、その計画を知る者が、たった一人だけ増えた。
八歳の少女と、一人の執事。
二人による国家転覆の準備が、今まさに始まろうとしていた。
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