第一話 過ぎたる欲望の末路
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
薄暗い部屋の中、セレスは椅子に縛り付けられていた。
窓は板で塞がれ、室内を照らしているのは壁に取り付けられた数本の燭台だけ。埃っぽい空気が漂い、長らく使われていなかった建物であることが窺える。
そんな場所に連れ込まれたというのに、セレスは落ち着いた様子で周囲を眺めていた。
やがて、廊下から足音が聞こえてくる。
扉が勢いよく開かれ、一人の女が姿を現した。
その顔を見たセレスは、わずかに目を丸くする。
「あら、貴女でしたの」
……ギリッ!歯ぎしりの音を立てて喚く女。
「あんたのせいで全て失ったのよ!」
女は憎悪を剥き出しにして叫んだ。
かつてセレスの暮らす屋敷で、我が物顔に振る舞っていた後妻だった。
「私のせい?」
「そうよっ! あんたが余計な事をしなければ、あの家の物は全部私のものだったのよ!」
「ふっ、私のもの……ね」
「……っ! 何が可笑しいのよ!」
「ごめんなさいね。貴女があまりにも愚かで、つい」
「……っ! こんのクソガキが!」
後妻が扇子を振り上げた。
そのまま勢いよくセレスの頬へと振り下ろす。
しかし、乾いた音とともに弾き飛ばされたのは扇子の方だった。
「……え?」
後妻は何が起きたのかわからない様子で、自分の手を見つめた。
セレスの頬には傷一つない。
それどころか、椅子に縛られた少女は、先ほどと変わらぬ笑みを浮かべていた。
「ふふふ、哀れね」
「な、何よ……何なのよ、その態度は!」
後妻の顔が怒りで歪む。
「……っ、あんた達! やってしまいなさい! 二度と無礼な口がきけないように、このクソガキを教育するのよ!」
その声に応じて、扉の向こうから男たちがぞろぞろと入ってきた。
いずれも無骨な風貌をしており、薄汚れた衣服の下には鍛えられた筋肉が見える。
男たちは椅子に縛られたセレスを見て、下卑た笑みを浮かべた。
しかし、セレスの表情は一切変わらない。
「ふふふ、今度は貴方達がお相手をしてくれるの」
「へへへ、嬢ちゃん。強気なのも気に入ったぜ。たっぷり可愛がってや……ぶへっ?」
男の一人がセレスへと手を伸ばした。
その瞬間だった。
何かが床に落ちる鈍い音が響く。
男の首が、胴体から切り離されていた。
首を失った胴体から鮮血が噴き出し、床を赤く染めていく。
「きゃぁぁぁ!!」
「なっ、何が起こった!」
後妻が悲鳴を上げ、男たちは慌てて周囲を見回した。
誰かが襲撃してきたのか。
どこから攻撃されたのか。
しかし、部屋には自分たち以外、椅子に縛られた少女しかいない。
その少女が、ゆっくりと立ち上がった。
「なっ、このクソガキ! どうやって縄から! ……っ!」
後妻が叫ぶ。
だが、セレスは答えなかった。
身体に付着した埃を軽く払い落とす。
それと同時に、二人目の男の身体が真っ二つになった。
「う、うわぁぁぁ!」
「何だよ、これ! 何なんだよ!」
男たちが後ずさる。
セレスは、そんな彼らを見つめながら小さく溜息をついた。
「てっきり私に気づいた魔族が、私を殺そうとしているのかと思って大人しくついてきたのだけれど、とんだ無駄足ね」
その声には、明らかな落胆が滲んでいた。
馬車へと引きずり込まれたとき、セレスは抵抗しようと思えばいくらでも抵抗できた。
しかし、先ほどで魔族の潜入者と接触したばかりだったこともあり、自分の存在を察知した何者かが動き出した可能性を考えたのだ。
ところが、蓋を開けてみれば、ただの逆恨みだった。
「な、何なのよ、あんた! この化け物!」
「あら、心外だわ。幼気ない少女を食い物にしようとした貴女の方が、よっぽど化け物らしくなくて?」
セレスの表情は変わらなかった。
けれど、その瞳は怒りに燃えていた。
魔王としての記憶を取り戻す前のことを、セレスは忘れていない。
理不尽に怒鳴られ、蔑まれ、虐げられた日々。
幼い少女が何をしたというのだろう。
ただ、その家に生まれたというだけで。
ただ、そこに存在しているというだけで。
この女は、何のためらいもなく他者を傷つけてきた。
数百年を生きた魔王の記憶をもってしても、その行いは度し難い。
人間と魔族。
どちらが化け物なのか、わからなくなるほどに。
「ねぇ、一つ聞いていいかしら?」
「……っ!」
後妻がびくりと肩を震わせる。
「貴方達は私を襲った。なら、私が貴方達を襲っても……」
セレスの身体から魔力が噴き出した。
室内の空気が震え、燭台の炎が激しく揺れる。
「文句は無いわよね?」
次の瞬間、残された男たちの四肢に穴が開いた。
「ぎゃぁぁああ!!」
「い、痛ぇよぉ!」
「ひぃぃぃ!!」
男たちは次々と床に倒れ込み、苦痛にのたうち回った。
セレスはその光景を静かに見つめていた。
助けを求める声も、命乞いも、彼女の表情を変えることはなかった。
「ひっ、ひぃぃぃ! こ、来ないで!」
後妻は腰を抜かし、地べたを這いながら部屋の隅へと逃げていく。
壁に背中を押し付け、少しでもセレスから遠ざかろうとする。
その哀れな姿を見つめるセレスの顔から、ふっと表情が抜け落ちた。
「……ねえ」
「ひっ!」
「貴女は……いえ、貴女達は、どうして他者を虐げようとするの?」
セレスは一歩、また一歩と近づいていく。
けれど、その瞳は目の前の後妻だけを見ているわけではなかった。
もっと遠く。
もう二度と戻ることのできない、かつての時代。
人間と魔族が手を取り合えると信じていた日々。
そのために力を尽くし、和平を望み、そして裏切られた記憶。
自分を殺した者たちも、最初から敵意を剥き出しにしていたわけではない。
笑顔を向け、敬意を示し、ときには感謝の言葉さえ口にしていた。
それなのに。
「……ねえ、どうして?」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
後妻はひたすら謝り続けた。
先ほどまでの威勢はどこにもない。
セレスを見下していた女が、今では床に這いつくばり、許しを乞うている。
その姿を見て、セレスは足を止めた。
「…………貴女も、相手が強いとわかってから謝るのね」
静かな声だった。
怒鳴ることも、嘲笑うこともない。
ただ、失望だけが滲んでいた。
「…………興醒めだわ」
「へ? ……かびゅっ!」
セレスが腕を振った。
それだけだった。
後妻の喉元が切り裂かれ、同時に、床に倒れていた男たちの喉からも血が噴き出した。
悲鳴が途絶える。
命乞いも、謝罪も、もう聞こえない。
部屋に静寂が戻った。
セレスは倒れた者たちを一瞥する。
そこには、かつて自分を虐げていた女がいた。
けれど、何の感慨も湧かなかった。
復讐を果たした喜びも、胸のつかえが取れるような解放感もない。
ただ、ひどくつまらないものを見せられたような気分だけが残っていた。
「……本当に、度し難いわね」
セレスは小さく呟くと、扉へと歩き出した。
背後を振り返ることはない。
薄暗い部屋には、血に染まった床と、二度と動くことのない者たちだけが残された。
そして、少女の足音が遠ざかっていった。
お読み頂き、ありがとうございます。




