第四話 人も魔族も度し難く
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
エドガー先生から連絡があったのは、あの話を聞いてから三日後のことだった。
どうやら、先生の主とやらが、私との面会を了承してくれたらしい。
それを伝えに来た先生は、いつも以上に上機嫌だった。
「セレスお嬢様! 我が主が、ぜひお会いしたいと仰ってくださいました!」
「あら、それは嬉しいわ」
「お嬢様のお話をお伝えしたところ、大変興味を持たれたご様子でして!」
「ふふ、そうなのね」
先生は興奮気味に話している。
普段の落ち着いた様子からは、少し想像できない姿だった。
それほどまでに、その人物を尊敬しているのだろう。
「それで、いつお会いできるのかしら?」
「明日の午後でございます。先方のお屋敷までお越しいただく形になりますが、よろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわ」
「ありがとうございます!」
先生は深々と頭を下げた。
私はその様子を眺めながら、少し考える。
名前を明かせない高貴な人物。
しかも、家庭教師を通じて子供に特定の思想を教え込もうとしている。
普通に考えれば、何らかの政治的な目的があるのだろう。
貴族の子供を幼い頃から教育し、将来の協力者に育てる。
そうした方法は、私が魔王だった頃にも存在していた。
もっとも、実際にどのような目的を持っているのかは、会ってみなければわからない。
……ふふ。
少し楽しみになってきたわね。
◇
翌日。
私は執事が用意してくれた馬車に乗り、先生の主が待つ屋敷へ向かった。
同行するのは御者と、護衛として手配された二人の騎士。
執事も一緒に来ると言っていたけれど、屋敷の管理を任せている以上、あまり長く離れさせるわけにもいかない。
それに、私自身の身を守るために、誰かを必要とするわけでもない。
もちろん、そんなことを説明するつもりはなかった。
「お嬢様、くれぐれもお気をつけください」
出発前、執事は何度もそう言っていた。
「大丈夫よ。お茶を飲んで、お話をするだけでしょう?」
「……そのような方であればよろしいのですが」
「ふふ、心配性ね」
私は笑って馬車に乗り込んだ。
窓の外には、見慣れない街並みが広がっている。
屋敷の外へ出る機会は、まだそれほど多くない。
だから、こうして街を眺めるだけでも新鮮だった。
石畳の道を行き交う人々。
商品を並べる商人たち。
荷車を引く労働者。
そのどれもが、私の記憶にある人間社会と大きく変わらない。
何百年も経っているというのに、人の営みというものは案外変わらないものなのね。
もっとも、建物の造りや服装には違いがある。
魔道具らしきものを扱う店も見かけた。
いずれ、ゆっくり見て回るのも楽しそうだ。
そんなことを考えているうちに、馬車は街の中心部から少し離れた場所へ入っていった。
周囲には大きな屋敷が増え、人通りも少なくなっている。
やがて、立派な門の前で馬車が止まった。
「お嬢様、到着いたしました」
御者の声が聞こえる。
「ありがとう」
私は馬車を降りた。
目の前には、美しく整えられた庭園と、白い石造りの屋敷が広がっている。
なかなか立派な建物だった。
門には家紋が掲げられていたけれど、私には見覚えがない。
まあ、この時代の貴族については、まだ勉強中なのだから仕方がない。
門番に案内され、私は屋敷の中へ入った。
◇
「セレスお嬢様! よくお越しくださいました!」
玄関で出迎えてくれたのは、エドガー先生だった。
先生は普段よりも上等な衣服を身につけ、どこか誇らしげな表情を浮かべている。
「こんにちは、先生。今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ! 我が主も、お嬢様のお越しを楽しみにしておられます!」
「まあ、それは光栄です」
先生に案内され、私は廊下を進んだ。
屋敷の内部も、なかなか豪華だった。
壁には絵画が飾られ、床には柔らかな絨毯が敷かれている。
調度品も高価なものばかりのようだ。
ただ、私は別のことが気になっていた。
……妙ね。
屋敷に入った瞬間から、微かな違和感がある。
何かが、空気に混じっているような。
私は意識を集中させた。
すると、その正体がすぐにわかった。
魔力。
しかも、人間が使うものとは少し異なる性質を持っている。
……あら。
私は思わず口元を緩めた。
これは、随分と懐かしい。
かつて、魔族の領域で幾度となく感じた魔力の気配だった。
つまり、この屋敷には魔族がいる。
それも、かなり巧妙に気配を隠しているらしい。
普通の人間なら、まず気づかないだろう。
魔法に詳しい者でも、違和感を覚える程度かもしれない。
けれど、私にはわかる。
だって、私は元々魔族なのだから。
「お嬢様?」
先生が振り返った。
「あら、ごめんなさい。素敵なお屋敷だと思って」
「ありがとうございます。我が主は、美しいものを大変好まれる方でして」
「そうなのね」
私は微笑んだ。
なるほど。
先生が尊敬している高貴な人物。
その正体は、どうやら人間ではないらしい。
……ふふ。
これは、思っていた以上に面白いことになりそうね。
◇
案内されたのは、屋敷の奥にある広い応接室だった。
大きな窓から光が差し込み、室内には上品な香りが漂っている。
中央には立派な机と椅子が置かれ、その向こう側に一人の人物が座っていた。
年齢は三十歳前後に見える。
整った顔立ちに、落ち着いた物腰。
上等な衣服を身につけ、いかにも高位の貴族といった雰囲気をまとっている。
その人物は、私を見ると穏やかに微笑んだ。
「ようこそ、セレス・ハワード嬢。お会いできて光栄です」
「初めまして。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
私は丁寧に一礼した。
相手も軽く頭を下げる。
「エドガーから、貴女のお話は伺っております。大変聡明なお嬢様だとか」
「先生が大げさにお話ししたのではありませんか?」
「ふふ、謙虚でいらっしゃる」
その人物は楽しそうに笑った。
私は笑顔を返す。
……なるほど。
間違いない。
目の前にいるのは魔族だ。
姿を変え、人間の貴族として振る舞っている。
魔力の気配も巧妙に隠しているけれど、完全ではない。
それに、魔力の流れを注意深く観察すれば、身体の表面に薄い魔法の膜が張られていることもわかる。
変身、あるいは幻惑の類だろう。
なかなか器用なことをするものね。
「エドガー、ここからは二人で話をしたい。席を外してくれるかな」
「かしこまりました」
先生は深々と頭を下げ、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
応接室には、私とその人物だけが残された。
「さて、セレス嬢」
「はい」
「貴女は、現在の王国について、どのようにお考えですか?」
私は首を傾げた。
「まだ勉強を始めたばかりですので、詳しいことはわかりません」
「そうですか。では、王族や貴族の統治については?」
「それも、まだ十分には理解できていません」
「ふふ、慎重なお答えですね」
相手は微笑んだ。
けれど、その目は私をじっと観察している。
まるで、何かを測っているかのように。
「私は、この国には多くの問題があると考えています」
「そうなのですね」
「王族は権力を独占し、貴族は己の利益ばかりを追い求める。民の声は届かず、正しい判断がなされることも少ない」
「それは困ったことですね」
「ええ。だからこそ、私は変革が必要だと思っているのです」
「変革、ですか」
「はい。古い秩序を見直し、より優れた仕組みを作る。そのためには、優秀な人材が必要なのです」
私は静かに頷いた。
なるほど。
先生が教えようとしていた考え方と、よく似ている。
もっとも、先生自身は最近になって随分と考え方が変わってきたようだけれど。
「セレス嬢。貴女ほど聡明な方であれば、きっと私の考えをご理解いただけるでしょう」
「ふふ、そうでしょうか」
「ええ。私は、貴女に期待しているのです」
相手はゆっくりと身を乗り出した。
その瞬間。
微かな魔力が、私へ向けて伸びてきた。
……あら。
私は内心で笑った。
随分と直接的な方法を使うのね。
魔力は細い糸のように広がり、私の意識へ触れようとする。
精神干渉。
それも、相手の判断を少しずつ誘導し、自分の言葉を疑わなくさせる類の魔法だった。
なるほど。
これで人間を操っているわけね。
確かに、普通の人間なら気づかないかもしれない。
けれど。
「……無駄よ、私にそれは効かないわ」
私は微笑んだまま、そう告げた。
相手の表情が固まった。
「……何のことでしょう?」
「あら、とぼけるの?」
私は首を傾げる。
「せっかく綺麗に魔力を編んでいるのに、残念ね。もう少し工夫すれば、普通の魔法使いには見破られないと思うわ」
「…………」
「でも、私には通用しないの」
その瞬間、相手の目つきが変わった。
穏やかな貴族の表情が消え、冷たい殺意が浮かぶ。
同時に、室内の魔力が一気に膨れ上がった。
……あらあら。
随分と短気なのね。
私は椅子に座ったまま、静かに微笑んだ。
相手の指先から、鋭い魔力の刃が放たれる。
狙いは、私の喉元。
迷いのない一撃だった。
けれど。
その刃は、私に届かなかった。
私の目の前で、ぴたりと止まる。
まるで、見えない何かに捕らえられたかのように。
「……なっ!?」
相手が目を見開く。
私は軽く指を動かした。
それだけで、魔力の刃は音もなく砕け散った。
「ふふ、危ないわね」
私はゆっくりと立ち上がる。
「せっかくお招きいただいたのに、いきなり殺そうとするなんて。随分と失礼な方なのね」
相手は動かなかった。
いや、動けなかった。
私が放った魔法によって、身体の自由を奪われているのだから。
けれど、その表情は恐怖だけではなかった。
驚愕。
困惑。
そして、何かに気づいたような顔。
相手の視線が、私の周囲を漂う魔力へ向けられる。
私は特に隠すことなく、魔力を流していた。
ほんの少しだけ。
それでも、相手には十分だったらしい。
「……そんな、馬鹿な……」
声が震えている。
「この魔力……この制御……まさか……」
私は微笑んだ。
あら。
どうやら、何か思い当たることがあるみたいね。
「あ、貴女様は……」
「ふふふ、気づいちゃったのね」
「……っ!」
相手の顔から、血の気が引いた。
次の瞬間。
身体の拘束を解いてやると、その人物は椅子から崩れ落ちるように床へ膝をついた。
そして、深々と頭を下げた。
額が床につくほどに。
まるで、絶対に逆らってはならない存在を前にしたかのように。
私はその姿を見下ろした。
……ふふ。
どうやら、思っていた以上に面白い相手だったみたいね。
私はゆっくりと口を開いた。
「…………私のことは秘密にして、私に協力しなさい。いい子にしていれば、殺さずにおいてあげるし、貴方の正体をばらしたりしないから」
「…………はっ!」
震える声が返ってきた。
私は静かに微笑んだ。
さて。
この人からは、いろいろと聞けそうね。
お読み頂き、ありがとうございます。




