第五話 今日で終わりです
二十一日は、数え終わった。
冬至の朝、レティシアは手帳を閉じて、机の抽斗の奥に入れた。
線はすべて潰してある。潰す線がなくなった手帳は、ただの紙の束だった。
玄関広間には、荷が並んでいた。
麻布をかけた箱が四つと、旅行鞄が二つ。旅行鞄はこちらで用意したものではない。
家令が数を確かめている。
「閣下」
公爵は振り向いて、荷のほうへ顎を向けた。
「お前の荷は、私が運ばせる」
「わたくしが手配いたします」
「もう決めた」
それきり、公爵は外套を家令に渡して奥へ入っていった。
指先から冷えていく。
運ばせる、と父は言った。
────送り先を、こちらに言わせないおつもりなのだわ。
そういう気の遣い方をする人だった。この期に及んで、と思う。
淑女の笑みを作って、レティシアは荷の脇を通り抜けた。
王宮に着いたのは、日が傾きはじめた頃だった。
控えの間で支度を整えていると、侍女が平たい包みを持ってきた。
藍色の紙に、銀の紐。
「殿下より、ただいま」
紐は、去年と同じ結び方だった。
レティシアは受け取り札に署名して、包みを卓に置いた。棚がないので、積む先がない。
扉が鳴った。
アルベールが立っていた。式服の襟をまだ留めていない。
「開けていただけますか」
「のちほど、ゆっくりと」
「六度目です」
紐に手をかけた指が、止まった。
数えられていたとは思わなかった。
包みの中身は、手袋だった。
薄手の白で、手首のところに細い縫い取りがある。飾りは何もない。夜会に嵌めていくには地味すぎる品だった。
アルベールが片方を取って、こちらへ差し出す。
「どうぞ」
断る理由を探して、見つからなかった。
指を通した。
内側に起毛がある。冷えていた指の先が、布の中で行き場をなくして、そこにとどまった。
とどまったまま、温まっていく。
────これは、計算に入っていない。
もう片方も嵌めた。両手を胸の前で合わせると、自分の手の温度が自分に返ってくる。
「よくお似合いです」
「痛み入ります」
淑女の笑みを作った。作ったつもりで、うまく形になったかどうか分からなかった。
署名の間には、卓が一つ据えられていた。
羽根ペンが二本。硯箱。封蝋の棒と、火のついた小さな燭台。立会人が四人、卓の左右に分かれて立っている。
書記官が婚姻契約の条項を読み上げた。
持参の目録、居所の定め、後見の順位。声に抑揚がない。
「ヴァレンヌ公爵令嬢、こちらへ」
レティシアは手袋を外し、羽根ペンを取った。
インクをつけ、余りを硯の縁で落とす。署名欄は思っていたより下のほうにあった。
書いた。
紙が硬く、ペン先が二度ひっかかった。
アルベールが続けて署名する。書き終えるまで、こちらを一度も見なかった。
書記官が封蝋の棒を燭台の火にかざす。溶けた蝋が紙の上に落ち、印章が押された。
蝋の匂いが、少しだけ立った。
立会人が順に署名を添えていく。誰も声を荒げない。誰も紙を覗き込まない。
手続きは、それで終わった。
────終わった。手続きが。
宣誓は簡単なものだった。書記官の読み上げに、二人で同じ言葉を返す。
返してから、レティシアは手袋を嵌め直した。
外していた間に、指はもう冷えていた。布の中に入れると、また戻ってくる。
戻ってくるのが、落ち着かなかった。
大広間の扉が開いたのは、それから半刻ほど後だった。
灯が入り、人が集まり、楽団が音を合わせている。
レティシアは壁際に立って、人の流れを見ていた。
流れの向こうで、扉がもう一度開いた。
ミレイユ・ダンヴィエが入ってくる。
淡い色の夜会服で、髪に生花を挿していた。温室で話した、冬に咲く花だった。
ミレイユは足を止めない。人の間を抜けて、まっすぐこちらへ来る。
周りの声が、少しずつ引いていく。
レティシアは手袋の中で指を揃えた。揃えても、揃わなかった。
ミレイユ様が、まっすぐにこちらへ歩いてくる。──ようやく、終われる。




