第56話 妖精?
俺は目の前の妖精を、驚きながら見つめた。
妖精も、こちらに気づいている。
翅を動かして宙へ舞い上がると、まず俺の周囲を一周した。
次に灰白色の仮面へ顔を近づけ、珍しい生物でも観察するようにじろじろと眺める。
そのまま背後へ回り。
漆黒の外套を確認し。
最後に、もう一度俺の正面へ浮かんだ。
暗金色の瞳が、頭の先から足元までを往復する。
「ぷっ」
妖精は突然、噴き出した。
次の瞬間には腹を抱え、空中で大声を上げて笑い始める。
「あははははは!」
「人間?」
「しかも異界人じゃないか!」
「レベルはたったの4。力は情けないほど弱くて、体質なんて死にかけの病人と変わらない」
「そんなお前が、私を目覚めさせたのか?」
妖精は、存在しない涙を目元から拭う仕草をした。
「ノクスの眷属に、どうしてこんな変な奴がいるんだ?」
「あいつ、配下を選ぶ余裕もないほど落ちぶれたのか?」
俺は言葉を失った。
この妖精。
口を開いた瞬間から、殴りたくなる。
だが、今の言葉に含まれていた情報は無視できない。
異界人。
レベル4。
筋力と体質。
そして、ノクス。
妖精は詠唱を行っていない。
スキルを発動したときの魔力変動もなかった。
俺自身も、【鑑定】を受けたときに感じる特有の不快感を覚えていない。
ただ周囲を一周しただけで、俺の状態を大量に見抜いた。
中でも、ノクスとの繋がり。
俺はノクスの正式な信徒ではない。
ドーンから影の種子を継承し、【影潜行】を習得した。
そのうえで影の教会の信物を介し、忘れられた神と僅かな間接的繋がりを持っているだけだ。
高レベルの職業者であっても、一目で看破できるとは限らない。
だが、突然現れたこの妖精は。
ほんの一瞬で見抜いた。
「お前は何者だ?」
俺は率直に尋ねた。
妖精の笑いが止まる。
「私が何者か?」
空中を二往復ほど飛び回った。
「何だ、その馬鹿みたいな質問は」
「私は当然――」
言葉が途切れた。
妖精は何度か瞬きをする。
顔に浮かんでいた嘲笑が、少しずつ疑問へ変わっていった。
「あれ?」
「そういえば」
「私って、誰だっけ?」
腕を組み、宙に浮いたまま真剣な表情で考え始める。
数秒後。
自分の頭を軽く叩いた。
何も起こらない。
今度は頭に生えた黒い角を一本掴み、強く揺さぶった。
それでも思い出せなかったらしい。
最後に、俺の目の前まで飛んでくる。
「おい」
「私って誰なんだ?」
こめかみが引きつった気がした。
「俺に聞いているのか?」
「そうだよ」
妖精は当然のように頷いた。
「お前が私を呼び出したんだろ?」
「知らないのか?」
俺は答えなかった。
知っているなら、最初から質問などしていない。
俺が黙っていると、妖精は不満げに腰へ両手を当てた。
「役に立たない奴だな」
「レベルは低い。力も弱い。そのうえ頭まで悪いのか」
「ノクスも、ずいぶん落ちぶれたものだ」
「こんな人間まで配下にするなんて」
俺は妖精を無視することにした。
現状から考えれば。
こいつが、先ほど獲得した【???の導き】と関係していることは間違いない。
ただし、【???の導き】が何に由来するのかは、まだ判断できなかった。
逆に呑み込まれたグラトニーの投影から生まれた可能性。
【終焉回帰】に異常が起きたことで発生した、未知の変化である可能性。
今は情報が少なすぎる。
結論を出すことはできない。
ここから無事に脱出したあとで、時間をかけて調べればいい。
俺は再び、ステータス画面へ意識を向けた。
先ほど確認できたのは。
【終焉回帰】が再び永久ロックされたこと。
その下に【???の導き】が追加されたこと。
それだけだった。
だが、妖精が現れる直前。
天賦欄の最下部に、もう一つ別の文字列が表示されたように見えた。
【雷霆聖痕】は、すでにグラトニーへ呑み込まれた。
小野寺も、報酬が降りる前に死亡している。
祭壇の規則に従うなら。
【雷霆聖痕】から変換された報酬は、生き残った俺へすべて与えられるはずだ。
新しく現れたあの表示こそ。
小野寺の天賦から変換された、本来の報酬である可能性が高い。
もう一度、天賦欄を開こうとした。
そのとき。
祭壇の外から足音が聞こえた。
重い。
そして速い。
俺は即座に動きを止めた。
「何者だ?」
広間の入口から、冷たい女の声が響く。
妖精が勢いよく振り返った。
銀白色の長剣を手にしたオースティンへ、暗金色の視線を向ける。
その目が、わずかに輝いた。
「おいおい、人間の小僧」
俺の耳元まで飛んでくる。
声には、隠す気もないほどの愉悦が満ちていた。
「運が悪かったな」
「レベル46の教会職業者が来たぞ」
「毒を受けているし、魔力もほとんど残っていないけど」
「お前みたいなレベル4の小物を潰すくらい、虫を指で潰すのと変わらないだろうな」
妖精は口元を手で覆った。
翅を震わせながら笑っている。
「ははっ」
「お前、死んだな」
最後の嘲笑は無視した。
俺が本当に驚いたのは。
妖精が再び、異常な能力を見せたことだ。
レベル46。
何の準備もない。
スキルを使用した痕跡もない。
オースティンを一目見ただけで、鑑定を完了させた。
しかも、見抜いたのはレベルだけではない。
毒に侵されていること。
魔力を激しく消耗していることまで把握している。
俺は祭壇の外へ視線を向けた。
オースティンには、鑑定を受けた反応がまったくなかった。
高位職業者は、外部からの探知に極めて敏感だ。
通常の鑑定スキルを使えば、気づかれない可能性は低い。
だが、彼女の視線は最初から俺だけへ固定されている。
妖精を見ることはない。
視界の端を、僅かに向けることすらなかった。
見えていない。
声も聞こえていない。
この妖精は、俺の知覚にしか存在していないらしい。
いや。
実体が存在しないとは限らない。
翅を動かしたときに散る光は、はっきり見えていた。
先ほどは、実際に俺の外套へ触れている。
【???の導き】によって。
他者から知覚されないだけなのかもしれない。
高位職業者の状態を、気づかれることなく鑑定できる。
神との繋がりや、異界人という出自まで識別できる。
この二点だけでも。
記憶を失った妖精には、極めて高い価値があった。
ただし――
俺がここから生きて脱出できれば、の話だ。
俺は改めて、オースティンを見た。
彼女が祭壇まで辿り着いたということは。
上層での戦闘は、すでに終わったのだろう。
グレゴリーは、おそらく彼女に殺された。
地下第三層にいたセレスも、生きているとは考えにくい。
オースティンは毒を受け、大きく消耗している。
それでもレベル46の【聖契裁判官】だ。
さらに。
身体から漂う気配は、通常よりも明らかに強い。
何らかの道具を使い、一時的な強化を受けているのだろう。
正面から戦っても、勝ち目は一つもない。
ならば。
騙すしかない。




