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死に戻りは一度きり――「無才」の俺は禁忌の隠し職を手に入れ、クラスメイトの覚醒イベントを先回りする  作者: 夜守灯
王都祭壇編

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第5話 影の種子

灰煙(はいえん)の喧騒が、何者かに押さえつけられたように遠のいた。


露店では今も値段の交渉が続いている。


壁の油灯も変わらず燃え、二つ隣の店では、二人の男が一本の薬を巡って言い争っていた。


それでも、脚の欠けた机の前に立つ俺には、周囲の空気が急に重くなったように感じられた。


呼吸が自然と遅くなる。


膝から力が抜け、身体が本能のまま後ろへ下がろうとしていた。


幸い、今の俺には精神が28ある。


一度目と同じ3のままだったなら、すでにその場へ尻餅をついていたかもしれない。


――さすがは、一人で討伐隊(とうばつたい)一個部隊を食い止めた男だ。


もっとも、それは二年後の話。


今の老人は、あの頃より二歳若い。


すでに英雄の領域(えいゆうのりょういき)へ足を踏み入れているのか。


それとも、あと一歩のところまで迫っているだけなのか。


俺には分からなかった。


だが、恐怖は感じなかった。


俺は笑った。


その笑みを目にした老人の眉が、わずかに動く。


レベル1の子供が、これほどの威圧を正面から受ければ、本来は声も出せなくなるはずだ。


たとえ口を開けたとしても、震えながら命乞いをするか、背を向けて逃げ出すのが普通だろう。


だが、その子供は笑った。


「その名を、どこで知った?」


老人がもう一度尋ねた。


先ほどよりも、さらに低い声だった。


俺は質問には答えなかった。


代わりに、別の言葉を口にする。


「カラウ通り、百十五番地」


老人の瞳孔が縮んだ。


ほんの一瞬。


油灯から火の粉が弾けた程度の、わずかな変化だった。


だが、俺は最初からその反応を待っていた。


老人の目を、一度も逸らさずに見ていた。


「どうやら、間違ってはいないようだな」


俺は続けた。


血月教団(けつげつきょうだん)が王都に構えている拠点の一つだ。地下二階。入口は酒蔵にある三つ目の棚の裏」


「奴らの祭壇(さいだん)も、そこにある」


「建物の基礎が旧市壁(きゅうしへき)の排水路の上に乗っているからだ。血を流しても、床に溜まることなく、そのまま排水路へ落ちていく」


老人は何も言わなかった。


ゆっくりと椅子の背へ身体を預け、両手を机の上へ戻す。


「何が言いたい」


「先ほど、食淵教団(しょくえんきょうだん)という名をどこで知ったのかと聞かれた」


俺は老人を見返した。


「その質問に答えている」


老人は数呼吸のあいだ沈黙した。


血月教団と食淵教団。


本来なら、両者には何の関係もない。


血月教団は、正神教会(せいしんきょうかい)から異端と認定された、古き時代の神を崇める集団だ。


この大陸では、珍しくもない邪教の一つにすぎない。


灰煙へ来れば、金貨三枚で儀式の日程すら買うことができる。


だが、食淵教団は違う。


その名は、十七歳の異界人が口にしていいものではなかった。


「俺は異端審問官(いたんしんもんかん)の見習いだ」


俺は付け加えた。


老人が目を上げる。


「カラウ通りの拠点については、先月、捕らえた血月教徒から吐かせた。審問は王都大神殿(おうとだいしんでん)の地下三階で行われ、十一日間続いた」


「俺はその場で、記録を取っていた」


記録官(きろくかん)は、基本的に口を挟まない。だからこそ、いろいろな話を聞くことができた」


俺は一度言葉を切った。


「審問が終わったあと、上官は完成した供述書(きょうじゅつしょ)を長いこと見つめていた」


「そして、こう言った」


俺は老人の目を見たまま、その言葉を再現する。


「血月教団の祭壇にしては、どうにも妙だ。むしろ食淵教団のものに見える――と」


二つ隣の店で言い争っていた男たちは、ようやく値段に折り合いをつけたらしい。


銀貨が陶器の椀へ落ちる澄んだ音が、露店二つ分の距離を越えて聞こえてきた。


老人は動かない。


俺も机の前に立ったまま、老人の返答を待った。


だが、こんな話だけで簡単に信じてもらえるとは思っていない。


「供述書の末尾には」


老人がゆっくりと口を開いた。


「三つ、印を押すのだったか」


「二つだ」


俺は即座に答えた。


「主任審問官と執行官(しっこうかん)。記録官は証人として扱われないため、印は押さない」


老人の指が、机を一度叩いた。


「異端者の審問で、最後に行う手続きは?」


書写(しょしゃ)


俺は答えた。


「主任審問官が供述書の末尾に誓印(せいいん)を押したあと、記録官が最初から最後まで別の紙へ書き写す」


「写本は文書庫(もんじょこ)へ封印され、原本はその場で焼却される」


「なぜ、原本を焼く」


「原本には、被審問者(ひしんもんしゃ)の血が付着しているからだ」


俺は淀みなく続けた。


「血の付いた供述書は、契約の半分が成立したものとして扱われる。オルドラン神殿は、そうした物が残ることを禁じている」


老人は、それ以上質問しなかった。


身体をわずかに前へ傾け、太い両腕を机の縁に載せる。


その動きによって、俺たちの距離は半歩近づいた。


「興味深いな」


老人は言った。


「レベル1で、しかも職業にも就いていないお前が、異端審問官とは」


「見習いだ」


俺は訂正した。


「異端審問官は中級職(ちゅうきゅうしょく)だからな。三日後に訓練期間が終われば、まず苦行者(くぎょうしゃ)へ転職させられる予定だった」


老人は、じっと俺を見つめた。


苦行者の職業解放条件しょくぎょうかいほうじょうけんは、この王国では有名だった。


精神を25まで上げること。


何かを成し遂げる必要はない。


特殊な技術を身につける必要もない。


ただ修道院へ閉じ込められ、夜通し祈り続ける。


断食し、聖典を書き写し、夜明けまで氷水の中に立つ。


それを一年、また一年と繰り返し、精神の数値が25へ届くまで耐え続ける。


大半の者は、生涯を費やしても25には届かない。


そして、ごく少数の到達者も、修道院を出る頃には、頭の中が教義だけで満たされている。


「なるほど」


老人の目に、わずかな興味が浮かんだ。


「精神が28もあるのか」


レベル1の少年が、精神28。


この老人は鑑定(かんてい)によって、すでに俺の数値を見抜いている。


そして俺が口にしたことも、すべて辻褄が合っていた。


異端審問庁(いたんしんもんちょう)の規則。


苦行者から始まる職業の道筋。


教会が俺のために用意した、一本の将来。


奴らは、成長適性が笑えるほど低い異界人を、天賦を最も必要としない道へ押し込もうとしていた。


十年かけて聖典を書き写させる。


その後は中級職の異端審問官として、教会に代わって他人を尋問させる。


「だが、もううんざりだ」


俺は言った。


声に感情は込めなかった。


すでに何度も計算し、結論を出した事実を述べるように。


「三か月の徹夜と断食で、その先の十年がどんなものなのかは十分に分かった」


「この精神28は、俺が少しずつ耐え抜いて手に入れたものだ」


「その見返りが、あの部屋に座って、吊るされた人間の供述を書き写すことだ」


「書き終われば、血の付いた原本を燃やす」


老人は何も答えなかった。


椅子の背へ再び身体を預け、煙管を手に取る。


指先で一度回してから、また机へ置いた。


「それで、異界人」


老人は言った。


「灰煙まで来て、俺に食淵教団の名を出した」


その目が細くなる。


「お前はいったい、何を望んでいる?」


「何が目的だ?」


俺は心の中で小さく笑った。


老人は、俺の話を完全に信じたわけではない。


だが、少なくとも興味は持った。


それだけでも、十分にいい出だしだった。


影の種子(かげのたね)


俺はすぐに答えた。


老人の全身が静止した。


煙管へ伸ばしかけていた手が、二寸(にすん)ほど手前で止まる。


灰煙の油灯が、ぱちぱちと乾いた音を立てた。


長い時間が過ぎてから、老人はようやく手を引き、膝の上へ置いた。


顔には何の表情も浮かんでいない。


だが、その喉が一度動いたのを、俺は見逃さなかった。


「それを知っているのか」


老人が言った。


「知っている」


「ならば、何なのかも理解しているのだろうな」


影属性(かげぞくせい)上位職(じょういしょく)が持つ、純度の高い血液」


老人の目が細くなった。


「それを取り込むことが、何を意味するのかも?」


「一度種子を宿せば、その者は生涯、潜行系(せんこうけい)と影属性の魔法しか扱えなくなる」


「ほかには?」


「信仰だ」


その言葉を口にするとき、俺はわずかに声を落とした。


「影の種子を宿すことは、潜行(せんこう)と影を司る神へ信仰を捧げることと同じだ」


それこそが、影魔法を習得するための最低条件だった。


さらに、種子の質は、その後に扱う影魔法の威力へ直接影響する。


今の俺には精神が28ある。


一般的な上位影職の血から作られた種子なら、問題なく耐えられるはずだ。


英雄の領域に達した者の種子となれば、確実とは言い切れない。


それ以上の存在から作られたものなら、種子を宿した瞬間、精神が耐えきれずに発狂し、そのまま死ぬ可能性さえある。


だからこそ、この老人が最適だった。


英雄の領域へ足を踏み入れているか、少なくとも、その寸前にいる影職(かげしょく)


この男に導かれ、影の種子を得ることができれば――。


俺の影魔法は、一般的な術者の数倍もの威力を持つ可能性がある。


老人は動かなかった。


椅子に腰かけたまま、十七歳の少年を見つめ続けている。


「……この王国で」


ようやく老人が口を開いた。


「潜行と影を司る神の存在を知る者は、俺を含めても四人に満たない」


「そのうち二人は、すでに死んでいる」


俺は目を伏せた。


潜行と影を司る神は、正神(せいしん)ではない。


教会が祀る七柱(ななはしら)の神々にも、その名は含まれていない。


その神――ノクスは、邪神でもなかった。


異端者名簿(いたんしゃめいぼ)を探しても、その名を見つけることはできない。


旧神(きゅうしん)ですらない。


世界の片隅にひっそりと存在し、ほとんど誰からも記憶されなくなった、忘却の神(ぼうきゃくのかみ)にすぎなかった。


だから、影の種子を宿した者が異端として裁かれることはない。


その代わり、教会から庇護を受けることも永遠にない。


そのどちらも、俺は理解していた。


老人がゆっくりと立ち上がった。


「お前がどうやって知ったのかは、もうどうでもいい」


その言葉が終わった瞬間――老人の姿が消えた。


俺の目には、動き出した瞬間すら映らなかった。


次の瞬間、すぐ背後から、しわがれた声が耳殻(じかく)を撫でる。


「答えろ」


冷え切った煙管が、俺のうなじへ押し当てられた。


「なぜオルドランを捨て、影を選ぶ?」


心臓が、大きく半拍跳ねた。


一度目の人生で、討伐隊一個部隊を食い止めたのは、灰煙の情報屋ではない。


英雄職(えいゆうしょく)――【夜行者(やこうしゃ)】ドーン。


この答えで男を納得させられなければ、俺は今日、灰煙から生きて出ることはできない。


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