第44話 地下第三層へ
オースティンの表情が、初めて険しくなった。
まずい。
教会がカラウ通りの拠点へ下した判定は、第二級拠点【祈祷所】。
通常なら、管理責任者はせいぜい十数レベルの神官だ。
戦闘要員がいたとしても、レベル30を超える者がいるはずはない。
だが、今。
彼女の前に現れたのは【百指司教】グレゴリー・バルクだった。
教会の記録において、この男が最後に公の場へ姿を現したのは二年前。
当時の推定レベルは45。
そして今は――
それより高いと考えるべきだった。
オースティンはレベル46の【聖契裁判官】。
正面戦闘だけを比較するなら、【聖契裁判官】はグレゴリーの職業【血月狩殺者】より明確に優れている。
だが、邪教徒を相手にするとき、職業の強弱だけを見ても意味はない。
罠。
毒。
呪い。
生贄の術式。
こいつらは敵を殺すためなら、自分の命すら平然と差し出す。
左肩を貫いた弩矢から、焼けるような痛みが絶え間なく伝わってくる。
毒が塗られている。
さらに、血月教団特有の侵蝕魔力まで付着していた。
オースティンは矢柄を掴み、一気に引き抜いた。
鮮血が飛び散る。
後方の神官は、すでに杖を掲げていた。
「【治癒の光】!」
温かな白光が傷口へ降り注ぐ。
流血が急速に止まり、毒も一時的に抑え込まれた。
オースティンは、治療が完了するまで待たなかった。
地面を蹴る。
銀白色の剣先が、すでにグレゴリーの首へ迫っていた。
ガキンッ!
グレゴリーは長衣の下から短剣を引き抜き、斬撃を受け止める。
金属が衝突した瞬間。
もう片方の手も腰元へ伸びた。
二本目の短剣が、オースティンの剣身に沿うように突き出される。
狙いは胸ではない。
先ほど射抜かれた左肩。
オースティンは即座に後退した。
短剣が傷口のすぐ前を通り過ぎる。
あとわずかに遅ければ、同じ場所を再び抉られていた。
一度打ち合っただけで、オースティンは確信した。
グレゴリーは強くなっている。
筋力では、自分を上回っていないかもしれない。
だが速度。
反応。
魔力の強度。
すべてがレベル46以上の領域へ達していた。
この男の現在のレベルは、間違いなく自分より高い。
「小さな祈祷所に、百指司教が隠れていたとはな」
オースティンは構えを整えた。
「血月教団も、ずいぶんと思い切った配置をする」
言葉を発しながら、右足をわずかに持ち上げる。
靴の踵で、床を一度だけ軽く叩いた。
ごく小さな動作。
だが後方にいた神官の一人は、すぐに意味を理解した。
他の者たちが視線を遮る隙に、静かに後退する。
そのまま隣の通路へ入り、隠密神術を発動。
地上へ向けて素早く撤退していった。
ここは王都だ。
オースティンが部隊を率いて拠点へ突入した時点で、撤退という選択肢は存在しない。
教会が何年も指名手配してきた司教が、聖都の足元に潜伏していた。
グレゴリーとその部下を地上へ逃がせば。
失うのは、数人の邪教徒だけではない。
王都におけるオルドラン教会の威信まで傷つく。
グレゴリーは、両手の短剣を軽く回した。
胸元に吊るされた指骨が互いにぶつかる。
カラッ。
カラッ。
「私も驚いている」
グレゴリーは笑った。
「教会が、これほど少ない人数しか送ってこないとはな」
彼は、長いあいだ暗所から部隊を観察していた。
この一団で、本当に警戒すべき相手はオースティンだけ。
他は大半が、レベル20前後の一般的な執行官と神官。
さらに、血を見たことすらない異界人が数人。
なぜ急に情報が漏れたのかは分からない。
だが、グレゴリーはすでに外部へ知らせを送っていた。
ここを守り続ければ、血月教団の増援はいずれ到着する。
地下第三層には、セレスもいる。
実験に取り憑かれた、性格の悪い若造。
だが、実力だけは確かだった。
自分がオースティンを足止めすれば。
他の者たちに、セレスが守る祭壇を突破することなどできない。
「オースティン・レイヴン」
グレゴリーの笑みが、さらに深くなる。
「公爵家の令嬢」
「教会でも最年少に数えられる聖契裁判官」
「お前の指を切り落とせば、私の最も価値ある収集品になるだろう」
オースティンは挑発へ応じなかった。
再び地面を蹴る。
剣身を覆う聖光が、一気に膨れ上がった。
グレゴリーの笑みが固まる。
今度は受け止めようとしなかった。
足元に暗赤色の月紋が浮かぶ。
その身体が、瞬時に十数メートル後方へ滑った。
「【猟跡転移】」
オースティンの剣が空を切った。
グレゴリーは、すでに研究区画の奥へ退いている。
【血月狩殺者】は、追跡、伏撃、消耗戦を得意とする職業だ。
複雑な建物の内部では、視界も移動範囲も制限される。
本来なら、最も適した戦場とは言えない。
それでも【聖契裁判官】と正面から斬り合い続けるよりは遥かにましだった。
グレゴリーは灰色の球体を一つ投げる。
バンッ!
濃密な血色の煙が、一瞬で通路を埋め尽くした。
煙の中に隠されていた毒針が、同時に射出される。
オースティンは剣を振るった。
銀白色の剣光が障壁となり、毒針をすべて叩き落とす。
だが、追撃はしなかった。
すでに目的は達成している。
グレゴリーは自ら、地下第三層の入口から離れた。
「第一突入隊は、ここに残れ!」
オースティンが即座に命じた。
「グレゴリーを牽制し、地下第二層を制圧しろ!」
「第二突入隊――」
彼女は、グレゴリーが現れた床を指差した。
隠し通路は、今も開いたまま。
狭い階段が、さらに地下へ続いている。
「ただちに地下第三層へ突入!」
「残存する邪教徒を掃討しろ!」
命令を聞いたグレゴリーが、わずかに眉を寄せた。
だが、振り返ることはなかった。
第二突入隊の構成員は、大半がレベル20前後。
異界人たちは、それよりさらに弱い。
セレス一人のレベルだけで、あの中の全員を上回っている。
そのうえ地下第三層では、すでに防衛準備が完了していた。
入らせたところで。
実験材料となる死体が、数体増えるだけだ。
「はっ!」
第二突入隊が、即座に陣形を組み替えた。
盾兵が真っ先に入口へ飛び込む。
後方の執行官と神官も、それに続く。
地下第三層へ続く階段を見た瞬間。
小野寺真也の目が輝いた。
祭壇は、あの下にあるはずだ。
ようやく、この時が来た。
彼は隊列全体が入り終えるのを待つことさえせず、入口へ向かって走り出した。
壁際の影へ潜んでいた俺も、密かに息を吐いた。
地下第三層の入口が、あの石板の下にあることは最初から知っていた。
だが閉じている間、石板は周囲の床と完全に密着している。
隙間はない。
光も漏れない。
【影潜行】は影の中へ入ることはできても、完全な物体を通り抜けることはできない。
だから待つしかなかった。
誰かが入口を開く、その瞬間を。
そして今。
ようやく機会が訪れた。
俺は床に広がる影に沿って、素早く移動した。
小野寺が階段へ足を踏み入れる直前。
音もなく、その影へ潜り込む。
地下第三層。
祭壇。
そして【貪欲の口】。
本当の計画は――
ここから始まる。




