第33話 便乗
俺は【鑑定】を持っていない。
だが、一度目の人生で数え切れないほどの戦闘を経験したことで、相手の動きから、おおよそのレベルを判断できるようになっていた。
歩く際の重心。
立っているときの呼吸。
筋肉へ力を込める動作が、どれほど連動しているか。
そして、周囲の変化へ身体が反応する速さ。
レベルアップによって強化されるのは、能力値だけではない。
肉体が何度も強化されれば、歩く、立つといった何気ない動作にさえ違いが現れる。
もちろん、この方法で完全に正確なレベルを見抜けるわけではない。
隠し職業。
特殊な装備。
能力を強化するスキル。
そうしたものがあれば、判断に誤差が生じる。
それでも、初級職業者と高位職業者を見分ける程度なら十分だった。
【百指司教】グレゴリーは、明らかに例外的な存在だ。
だが、彼を除けば、この拠点はやはり一般的な【祈祷所】の水準にすぎない。
通路を行き交う血月教団の信徒は、大半がレベル10前後。
比較的強そうな者でも、レベル15程度だろう。
中級職へ転職した者は、一人も見当たらなかった。
だが、今の俺が全力で攻撃したとしても、そのうちの誰かを確実に一撃で殺せるとは限らない。
訓練人形には防具がない。
防御スキルも使わない。
だが、本物の職業者には体質がある。
防具がある。
さらに、さまざまな常時発動型のダメージ軽減効果も存在する。
訓練人形へ87のダメージを与えられても、実際の敵に届く頃には半分も残れば良いほうだ。
そして最初の奇襲で仕留め損ねれば、状況は一気に悪化する。
相手に存在を認識された時点で、【暗殺】の最大倍率は維持できない。
二撃目の威力は大幅に低下する。
少しでも手間取れば、警報を上げられる可能性もある。
防御用の魔法道具を使われるかもしれない。
近くの仲間を呼ばれることもある。
そうなれば、相手にするのは一人では済まない。
教会がこの拠点へ突入するまでは、存在を知られないほうがいい。
俺は通路の角に落ちる影へ潜み、行き交う血月教団の信徒たちを観察していた。
【暗影潜伏】を得たことで、静止中の【影潜行】はMPを消費しなくなった。
だが、祭壇へ向かうには移動しなければならない。
移動中のMP消費は、今までと変わっていなかった。
地下通路の構造は複雑だ。
祭壇は地下三階にある。
自分の魔力だけを使って全行程を移動し、その途中で光源や巡回中の信徒を避け続ける。
MP回復薬を持っているとはいえ、必要のない浪費だった。
では、【影潜行】を解除せずに祭壇まで辿り着くには、どうすればいい?
方法は単純だ。
誰かに便乗すればいい。
使用回数が増えるにつれ、俺は【影潜行】への理解を深めていた。
影は、地面へ固定された動かない物体ではない。
光源や物体が動けば、影そのものも位置を変える。
誰かの影へ潜り、その内部に留まり続ければ、影の持ち主と一緒に移動できる。
走行する馬車へ乗っているのと同じだ。
馬車そのものは前へ進んでいる。
だが、客車を基準にすれば、乗客は静止している。
【暗影潜伏】が判定する『静止』も、絶対的な静止ではなかった。
相対的な静止だ。
俺自身が影の中で能動的に動かなければ、影の持ち主が数百メートル歩いたとしても、MPは消費されない。
この発見によって、【暗影潜伏】の価値はさらに一段上がった。
俺が持ち込んだ情報を受け、血月教団はすでに動き始めている。
通路を行き交う人間は、先ほどより明らかに増えていた。
武器を運ぶ者。
薬品や巻物を詰めた木箱を、さらに地下へ運び込む者。
グレゴリーの命令を伝えて回る神官。
彼らは、地下第一層を放棄するつもりらしい。
一般信徒と非戦闘員は、隠された出口から撤退させる。
戦闘可能な精鋭は、すべて地下三階へ集結させていた。
祭壇が存在する階層へ。
一つには、戦力を集中させるため。
もう一つは、この拠点の本当の構造を隠すためだ。
この地下拠点は、階層ごとに独立して封鎖できる。
次の階層へ続く階段は、石壁の裏にある隠し扉の先に設けられていた。
扉を閉じれば、外見は普通の石壁とほとんど変わらない。
何の情報も持たずに教会が地下第一層へ突入し、中がもぬけの殻になっているのを見れば。
血月教団が事前に撤退したと判断する可能性がある。
異変へ気づいたとしても、隠し扉を探すには時間がかかる。
教会には、あまり時間を浪費してほしくなかった。
祭壇を起動するには、血液と魂が必要だ。
教会と血月教団には、できるだけ早く戦闘を始めてもらわなければならない。
前方を、一人の信徒が通り過ぎた。
両腕には、二束の弩矢を抱えている。
急いではいたが、次の階層へ向かう方向ではない。
俺は動かなかった。
しばらくすると、革鎧を身に着けた三人の信徒が通路を横切った。
まだ最後ではない。
俺は静かに待ち続けた。
十数分後。
地下第一層は、少しずつ静かになっていった。
通路の灯りも、一つずつ消されていく。
最後に、各部屋の確認を担当している血月教団の信徒が、長い通路を歩いてきた。
男は両側の扉が施錠されていることを確認する。
その後、油灯を手に、地下第二層へ続く隠し扉へ向かった。
こいつだ。
俺は壁際の影から滑り出した。
消費したMPは、わずか1。
物音一つ立てず、信徒の足元にある影へ潜り込む。
相手は何も気づかなかった。
男は通路の突き当たりへ行き、石壁にある突起へ手を置いた。
カチリ。
石壁が奥へ動いた。
その裏から、細い階段が姿を現す。
血月教団の信徒は油灯を持ち、その中へ入っていった。
俺は男の影に留まり、自分からは動かない。
信徒は続いて、壁の内側にある仕掛けを操作した。
隠し扉が、ゆっくりと閉じ始める。
石壁が完全に閉じる直前。
一枚の銅貨が、男の影の端から静かに滑り出た。
チンッ。
ごく小さな音がした。
銅貨は隠し扉の下まで転がり、閉じかけた石壁に軽く挟まれる。
石扉は、そのまま問題なく閉じた。
だが、本来なら隙間なく密閉されるはずの下端に、ほとんど見分けられないほど細い隙間が残った。
俺は影から出なかった。
ただ、頭の中で位置を確認する。
油灯の光は、あの隙間から通路側へ漏れ出す。
教会の人間が目の見えない者ばかりでなければ、通路を調べた際、石壁の下から不自然な光が漏れていることに気づくはずだ。
仮に光を見落としたとしても、壁際を捜索すれば、あの銅貨を蹴る可能性が高い。
手がかりは残した。
教会がどれほど早く隠し扉を見つけるかは、あとは彼ら次第だ。
血月教団の信徒は、足元から銅貨が一枚消えたことにも気づいていない。
油灯を手にしたまま、さらに奥へ進んでいく。
俺は静かに、その影の中へ留まり続けた。




