第3話 盗賊? 影法師!
王都の鐘楼が、七度の鐘を鳴らした。
俺は大通りを南へ進みながら、巡回中の衛兵や、王国の紋章を掲げた馬車を避けて歩いていた。
礼拝堂の騒ぎは、二本向こうの通りまで聞こえてくる。
三十二人いる異界人のうち、まだ半分ほどしか名前を呼ばれていない。
だが、教官たちの目は天城蓮と小野寺真也に釘付けだ。
普段、俺たち異界人は教会の施設内で寝起きしている。
食事も訓練も教会の管理下にあり、どこへ行っても監視の目がついて回った。
異端審問庁南区支部の前を通り過ぎる際、俺は折り畳んでおいた一通の手紙を告解箱へ滑り込ませた。
足は止めない。
今日の天賦開示の儀式は、教会の目を振り切る絶好の機会だった。
とはいえ、使える時間は多くない。
俺がいないことに気づけば、教会はすぐに捜索を始めるだろう。
教室の床に金色の紋様が浮かび、俺たち三十二人がこの世界へ召喚された日から、すでに八十七日が経っている。
あと三日で訓練期間は終了する。
その後、俺たちは各地へ派遣され、王国と教会から割り振られた任務に就くことになる。
一度目の人生で、俺は流されるまま王都に残った。
当時は、王都にいるのが一番安全だと思っていたからだ。
だが実際には、教会の部隊に同行し、毎日のように邪教徒や犯罪組織の掃討へ駆り出された。
確かに安全ではあった。
その代わり、価値のある装備や道具を手に入れる機会は、ほとんどなかった。
生き延びるには適していても、強くなるにはまるで向いていない環境だった。
俺がそれに気づいた頃には、辺境で新たな迷宮が次々と発見されていた。
最初から辺境へ向かったクラスメイトたちは、それぞれが自分だけの好機をつかみ、すでに大きく成長していた。
今度は、同じ失敗をするわけにはいかない。
向かうべき場所は、もう決めてある。
だからこそ、出発までの三日間で、王都にいるうちにできることをすべて終わらせなければならなかった。
* * *
この世界では、レベルが能力値を決める。
職業が成長の上限を決め、スキルが戦う手段を与え、天賦が英雄の領域へ踏み込めるかどうかを決める。
そして、そのすべての根底に存在するのが――成長適性だ。
成長適性は、レベルが上がる速度と、スキルが成長する速度を左右する。
一般的な冒険者なら、六から十程度。
二十を超えれば、王国が予算を割いて育成する価値のある人材と見なされる。
天城蓮は、四十八。
俺は、わずか四だ。
成長適性は、転職によって上昇させることができる。
だから俺にとって、職業選びを一度間違えることは、いくつかのスキルを無駄にする程度の話ではない。
その先にある成長の道を、完全に塞いでしまうことを意味する。
一度目の人生で、教官たちは俺に戦士を選ばせた。
戦士は、就くための条件が最も緩い職業だったからだ。
それに、どんな部隊にも一人は必要になる。
隊列の最前線に立ち、後ろにいる天才たちの代わりに、敵の最初の一撃を受ける人間が。
その人間に天賦があるかどうかなど、誰も気にしない。
長く生きられるかどうかも、どうでもよかった。
その後、教官たちは俺の副職業に運び屋を指定した。
結果、俺は全員分の荷物を背負ったまま、二年間、隊列の最前列に立ち続けた。
「ステータス」
人気のない路地へ入り、建物の壁際に背を預ける。
心の中でそう唱えると、淡い青緑色の半透明なパネルが目の前に現れた。
【ステータス】
名前:朝倉悠真
種族:人間/異界人
レベル:1
成長適性:4
主職業:なし
副職業:なし
筋力 STR:7
敏捷 DEX:16
体質 CON:7
知力 INT:16
精神 WIS:28
魅力 CHA:5
HP:24/24
MP:59/59
スキル:なし
礼拝堂では、【終焉回帰】に意識を奪われていた。
そのせいで、六つの能力値をきちんと確認したのは、これが初めてだった。
レベル1の一般人なら、能力値の平均はおよそ10。
筋力7。
体質7。
どちらも平均を下回っている。
この二つの数字だけで、俺に戦士の適性がないことは明らかだった。
筋力7では、重剣をまともに振るうことすらできない。
体質7ではHPも24しかなく、レベル5程度の魔獣に爪で薙ぎ払われただけで、身体を真っ二つにされかねない。
一度目の人生で、レベル42の上位戦士となった俺が最後まで生き延びられたのは、命を削るような戦い方を続けてきたからだ。
二年間の努力を、最初から底の抜けていた桶へ注ぎ込み続けていた。
敏捷16。
知力16。
この二つは、平均を大きく上回っている。
さらに一段下へ視線を移し――そこで止まった。
精神 WIS:28。
「……」
俺は三呼吸ほど固まった。
片手で顔を拭い、目を閉じる。
それから、もう一度パネルを見た。
やはり、28だった。
おかしい。
ここだけは、明らかに一度目と違う。
一度目の人生でも、天賦がないという判定を信じられず、儀式の直後に何度もステータスを確認した。
そのときの精神は――3。
教官からは、こう評価された。
精神がこの数値では、一生かかっても魔法を身につけることはできない、と。
それが今は、28になっている。
壁際に立ったまま、俺は頭の中で一つずつ情報をつなぎ合わせた。
【終焉回帰】は、俺を二年前へ送り返した。
十七歳だった頃の、この身体へ。
筋力も、敏捷も、体質も、一度も実戦を経験していなかった頃の水準まで戻っている。
だが、精神だけは戻らなかった。
精神は筋肉ではない。
意志。
知覚。
危機を察知する直感。
過酷な現実に何度も打ちのめされ、それでも立ち上がった末に、骨の奥へ刻み込まれたものだ。
俺はこの世界で二年間を生きた。
何十もの迷宮へ潜り、部隊が全滅しかねない戦いを何度も経験した。
そして最後には、七人の黒衣の旧神教徒に包囲され、殺された。
その二年間の記憶が、今、この十七歳の身体へ流れ込んでいる。
俺はゆっくりと、本当にゆっくりと息を吐いた。
六つの能力値のうち、筋力、敏捷、体質は鍛えれば伸ばすことができる。
十分に食べ、重い物を持ち、毎日走り続ければ、一年で数ポイントは上げられる。
だが、残る三つは話が違う。
中でも精神は、訓練だけで伸びるものではない。
鍛えるのではなく、耐え抜くことで上がる能力値だ。
一度目の人生で、俺は精神3から28まで上げるのに、丸二年を費やした。
そのあいだに仲間を三人失った。
迷宮の崩落に一度巻き込まれた。
精神系の魔獣が作り出した幻覚世界に、十九時間閉じ込められたこともある。
たとえ成長適性48の天城蓮でも、今の時点で精神が20を超えているとは思えない。
MPが59もあるのは、この精神値のせいだ。
職業に就いていないレベル1の人間なら、MPは通常二十前後。
俺の数値は、転職したばかりの初級魔法使いさえ上回っている。
「……よし」
俺は小さく呟いた。
表情は変わらなかった。
ただ、袖の中で指先だけがわずかに曲がった。
筋力と体質が低い以上、敵と正面から殴り合うことはできない。
しかも、これからの俺は一人で行動することが多くなる。
冒険者の一団にとって最も重要なのは、前衛ではない。
攻撃役でもなければ、回復役ですらない。
最も重要なのは、偵察役だ。
偵察の成否が、部隊の生存率を決める。
そして独りで行動する者にとっては、あと何日生き延びられるかを決める。
盗賊。
レンジャー。
斥候。
いずれも偵察を担える職業だ。
当初、俺は盗賊を選ぶつもりだった。
盗賊の職業解放任務が、最も単純だったからだ。
――自分よりレベルが十以上高い職業持ちから、道具を一つ盗み出す。
言葉にすれば簡単だ。
だが、十以上のレベル差があり、相手は職業にも就いている。
正面から戦えば、まず勝ち目はない。
そして盗みに失敗したとしても、殴られるだけで済むとは限らなかった。
レンジャーも候補には入れていた。
だが、レンジャーはエルフを起源とする職業だ。
解放任務は、新月の森に生息する月狐を生け捕りにすること。
任務そのものの難しさ以前に、場所が指定されている。
今の俺では、新月の森へたどり着くことさえできない。
しかし、それらは精神が3だった俺のための選択肢だ。
今の俺には、精神が28ある。
ならば、選ぶべき職業は別にある。
初級職――【影法師】。
冒険者協会は、この職業の存在すら公表していない。
一度目の人生で、親しくなった異端審問官に同行し、ある邪教徒の取り調べに立ち会う機会がなければ、俺もその存在を知ることはなかっただろう。
影法師。
その名のとおり、影魔法を操る魔法職だ。
影魔法には、直接的な殺傷力を持つ術がほとんど存在しない。
代わりに習得できるのは、気配遮断や影潜行といった魔法だ。
どれも、偵察のために作られたとしか思えない能力ばかりだった。
そして、さらに重要な点がある。
魔法職の攻撃力判定に使われるのは、筋力ではない。
知力だ。
筋力7。
知力16。
その一点だけでも、選ぶ理由としては十分だった。
【影法師】の解放条件も覚えている。
影属性の魔法を、最低一つ習得すること。
問題は、影魔法が禁忌魔法に指定されていることだ。
魔法は、本を二、三冊めくれば身につくようなものではない。
火魔法や水魔法のような一般的な術なら、呪文の写本は教会図書館の公開書架にも置かれている。
だが、影魔法の写本はない。
影魔法を学ぼうとした者の中には、最初の一歩で影に呑み込まれ、そのまま二度と戻ってこなかった者も少なくない。
それも、教会が影魔法を禁忌に指定した理由の一つだった。
王都で、影魔法を知る人間は多くない。
一人は、すでに死んでいる。
一人は、異端審問庁の最下層に収監されている。
そして残る最後の一人は――これから俺が向かう場所にいる。
これ以上考えていても仕方がない。
問題は、そいつをうまく騙せるかどうかだ。
「はは……失敗しても、二度目の【終焉回帰】はないんだがな」
自嘲するように、小さく笑った。
だからこそ、必ず成功させる。
教会が俺の失踪に気づく、その前に。




