第24話 我こそ雷霆の神なり!
「先輩!」
「あなたは、いったい――」
「我が目覚めていられるのは、一分だけだ」
低く重い声が、小野寺の言葉を遮った。
「一分後、我は再び眠りにつく」
小野寺は即座に口を閉じた。
背筋を伸ばして座り直し、一秒たりとも無駄にすまいと耳を澄ませる。
影の中に潜む俺は、間を置かなかった。
時間がないと思わせるほど、小野寺には疑う余裕がなくなる。
「我こそ、太古より雷霆を司りし神なり」
「第一次神戦において、我はオルドランと諸神の包囲を受け、神体を砕かれ、権能を切り分けられた」
「そして汝が持つ【雷霆聖痕】こそ、我が失いし権能の一部である」
小野寺は目を見開いた。
「俺の天賦が……」
「神の権能?」
「その通りだ」
俺の声には、わずかな迷いもなかった。
「ゆえに汝は、常人を遥かに凌ぐ雷霆の資質を持つ」
「それは教会が汝に与えた力ではない」
「我の一部だ」
小野寺は無意識に手を持ち上げた。
指先から、小さな電弧が弾ける。
今日になって目覚めたS+天賦。
突然聞こえるようになった謎の声。
そして、その声の導きによって神谷を倒したという事実。
すべてが一本の線で繋がったように思えたのだろう。
「我が祭壇へ赴けば、汝は完全なる力を得られる」
俺は続けた。
「その時、我もまた汝の完全な力を借り、この世界へ帰還できる」
「そして、オルドランと戦うのだ」
小野寺の顔に浮かんでいた興奮が、わずかに止まった。
「オルドランと……戦う?」
自分たちを召喚したのは、オルドラン教会だ。
この八十日余り、神官たちは何度も教えてきた。
オルドランは知識と星図を司る神。
人類の文明を守護する正神だと。
それなのに今、正体不明の声が、自分はオルドランに包囲された太古の神だと名乗っている。
小野寺は、すぐには信じなかった。
その反応を見ても、俺は驚かなかった。
昼間なら、わずかな助言を与えるだけでも騙せた。
だが、夜中に教会を抜け出させ、正体不明の祭壇へ向かわせるとなれば、太古の神を名乗るだけでは足りない。
検証可能な情報を、少し与える必要がある。
「汝は我を疑っている」
小野寺の身体が固まった。
「いや、俺はただ――」
「疑うことは正しい」
俺は静かに告げた。
「神を盲信する者に、雷霆を継ぐ資格はない」
小野寺は、言い訳しようとしていた言葉を飲み込んだ。
むしろ、その一言によって少し警戒が薄れたようだった。
「第一次神戦の真実を知りたければ、教会の資料庫へ行け」
「資料庫西側、三列目の書架。その最下段に、整理番号のない『旧王国暦法考』という本がある」
「その本を半分だけ手前へ引き出し、隣にある真鍮の燭台を時計回りに回せ」
「書架の背後に、地下へ続く階段が現れる」
小野寺は呆然とした。
「資料庫の下に、地下室があるのか?」
「そこには、第一次神戦の時代に残された原典が封印されている」
「人々は、第一次神戦を、正神が邪悪な存在と戦った戦争だと信じている」
「それは偽りだ」
室内の蝋燭が、かすかに揺れた。
俺も声をさらに低くする。
「真実の第一次神戦とは、現在の正神と邪神が手を組み、彼らに従わぬ古き神々を世界の外へ追放した戦争である」
「歴史は勝者によって記される」
「オルドランは我らの名を消し去り、自らを世界の救済者へと仕立て上げた」
小野寺の呼吸が、次第に速くなっていく。
教会の資料庫にある隠し仕掛け。
そんなものは、適当に物語を作っただけの人間が知り得る情報ではない。
一度資料庫へ行き、確認すれば真偽が分かる。
その時、俺は突然、声を途切れさせた。
「時間が……来た」
「待ってくれ!」
小野寺が慌てて声を上げる。
「祭壇はどこだ? どうやって行けばいい?」
「カラウ通り」
「旧鐘楼の地下……封鎖された排水路だ」
「三本の爪痕が刻まれた壁に沿って、下へ進め」
俺は意図的に、一瞬だけ沈黙した。
「急げ」
「別の教団が、あの祭壇を使おうとしているのを感じる」
「奴らは、我が残した権能を奪おうとしている」
「これ以上遅れれば、【雷霆聖痕】は永遠に完全な姿へ戻れない」
小野寺の顔色が変わった。
「じゃあ、俺は……俺はどうすれば……」
「忘れるな」
「今夜が最後の機会だ」
「今夜を逃せば……すべてが手遅れになる」
言葉を終えると同時に、俺は小野寺の影から離れた。
ベッドの脚。
壁際。
カーテンが落とす闇。
それらを伝い、物音一つ立てずに窓の隙間から部屋の外へ滑り出る。
「先輩?」
小野寺は、その場に立ち尽くしていた。
「雷霆の神様?」
もう一度、探るように呼びかける。
返事はない。
部屋に残ったのは、蝋燭が燃える小さな音だけだった。
正直なところ、小野寺には、あの奇妙な声を信じていいのか分からなかった。
太古の神。
雷霆の権能。
第一次神戦の真実。
どれもあまりに荒唐無稽だ。
だが、あの声から受けた助力が本物であることも事実だった。
あの声がなければ、自分は神谷に勝てなかった。
しかも相手は、教会の資料庫に隠された入口についてまで語った。
西側三列目の書架。
整理番号のない『旧王国暦法考』。
その隣にある真鍮の燭台。
本当かどうかなど、自分の目で一度確認すれば分かる。
「資料庫の地下室……」
小野寺は、小さな声で繰り返した。
率直に言えば、気になっていた。
先に確かめてから、あの声を信じるかどうか決めてもいいのではないか。
行くのは、ただの資料庫だ。
今すぐ正体不明の祭壇へ向かうわけではない。
それに、小野寺はもともとオルドラン教会へ好意を抱いていなかった。
この世界へ召喚されてからというもの、毎日決められた時間に起床し、食事を取り、訓練し、眠ることを強制されている。
少し長く休もうとしただけでも、教官に叱責された。
本来なら今頃、自宅で冷房に当たりながら漫画を読み、好きな時間に眠っていたはずなのだ。
それが理由も分からないまま異世界へ召喚され、毎日、疲れるだけの退屈な訓練を受けている。
ようやくS+天賦を目覚めさせたというのに、教会の人間たちは相変わらず天城蓮ばかりを見ていた。
神官は最初に天城の様子を確認した。
教官も、天城が力を使うための指導を優先した。
神谷のようなAランクでさえ、自分に負ければ、すぐ誰かが庇いに出てくる。
なぜだ?
S+なのは、自分のほうだ。
神谷を倒したのも、自分だ。
最も重視されるべき、最強の人間は、自分のはずなのに。
「どいつもこいつも、クズばかりだ」
小野寺は歯を食いしばり、吐き捨てた。
その手が偶然、胸元へ触れる。
そこには、金色の房飾りが留められていた。
今日、天賦開示を終えたあと、教会から直接授けられたものだ。
正式に勇者候補となった証。
小野寺は指で金色の房をつまみ、ゆっくりと何度か撫でた。
最高評価の天賦を持っている。
自分にも勇者となる資格がある。
それなのに、最初から最後まで、全員の視線は天城へ向けられたままだった。
この飾りは、自分に与えられるべき尊敬を何一つもたらさなかった。
小野寺の表情が、次第に険しくなる。
やがて、金色の房飾りを乱暴に引きちぎり、床へ投げ捨てた。
金属の装飾が石床へぶつかり、小さな音を立てる。
小野寺は一度見下ろしたが、拾おうとはしなかった。
教会が何かを隠しているのなら、自分で確かめても何も悪くない。
あの声の話が本当かどうかは、ひとまず置いておけばいい。
資料庫の下に本当に隠し部屋があるのなら、少なくとも相手がすべて嘘をついているわけではない。
そのあとで、カラウ通りへ行くかどうか決めればいい。
そう考えた小野寺は立ち上がり、蝋燭の火を消した。
静かに扉を開ける。
まず廊下へ顔を出し、誰もいないことを確認する。
それから足音を忍ばせ、部屋の外へ出ていった。
背後で、扉が音もなく閉じた。




