第18話 後始末
天城も、小野寺も、それ以上は何も言わなかった。
小野寺の身体を覆っていた雷光は、すでにひとりでに消えている。
天城が集めていた魔力も、急速に霧散していった。
周囲の野次馬たちも反射的に後ずさり、それまで騒がしかった通りが一瞬で静まり返る。
オースティン・レイヴン。
召喚の儀式が終わってから、俺たちの訓練を任されている主任教官だ。
決して、付き合いやすい人間ではない。
最初の合同訓練の日。
一人が寝坊し、五分遅れて訓練場へ現れたことがある。
オースティンは怒鳴らなかった。
罵りもしなかった。
ただ、クラス全員に、その日の訓練を最初からやり直させた。
早朝から日が沈むまで、休むことなく。
翌日から、遅刻する者は一人もいなくなった。
別の日には、訓練場の清掃を面倒がった一人が、道具を放り出したこともある。
どうせ教会の使用人が片づけるのだから、自分がやる必要はない。
そう言い放った。
オースティンは、その場で叱らなかった。
ただ一人で訓練場全体を清掃させ、翌日の武器訓練への参加を禁止した。
全員の訓練が終わったあとも、その生徒は一人で泥や木屑を片づけ続けていた。
それ以来、オースティンから与えられた仕事を、他人へ押しつけようとする者はいなくなった。
相手の身分など気にしない。
天賦の評価にも興味を示さない。
規則を破れば、必ず相応の罰を与える。
教会の侍女から聞いた話では、オースティンはレイヴン公爵家の長女らしい。
その身分なら、王都に残って貴族としての教育を受け、成人後には家門の権力の一部を継ぐこともできた。
だが彼女は幼い頃から、見習い兵士として軍営へ入った。
その後、家が用意した将来を自ら捨て、教会へ加わったという。
二十三歳で上級職への転職を完了。
現在のレベルは46。
出自。
天賦。
実力。
どれを取っても、天才と呼ぶにふさわしい。
その一方で彼女が最も嫌うのは、自分の天賦や力を笠に着て、規則を破る人間だった。
オースティンは、わずかに抜いていた剣を鞘へ戻した。
澄んだ金属音が響く。
その音が消えてから、小野寺はようやく呼吸を再開した。
「神谷玲司。小野寺真也」
オースティンが口を開いた。
「王都の通りで許可なく攻撃魔法を使用し、道路と民家を破損させ、一般市民を危険に晒した」
「両名を三日間の謹慎処分とする」
「発生した損害は、ひとまず教会が補償する。その後、お前たちの個人報酬から全額を差し引く」
小野寺の顔色が変わった。
「でも、先に神谷が――」
オースティンが一度、小野寺を見た。
それだけで、小野寺は口を閉じた。
「どちらが先に手を出したのかは、教会へ戻ってから調査する」
「だが、お前たち二人が、人体へ重傷を負わせかねない魔法を使用したことは事実だ」
オースティンは三枝拓真と久世直哉へ視線を移した。
「お前たちは、衝突が起こりそうだと分かっていながら、すぐに教会へ知らせなかった」
「周囲の住民を避難させようともしなかった」
「今後三日間、訓練終了後に東側訓練場を清掃しろ」
三枝は何かを言おうと口を開いた。
だが、結局は俯いた。
「……はい」
久世も頷くしかなかった。
「分かりました」
オースティンの視線は、そこで止まらなかった。
二人の向こう側。
野次馬の端にある露店へ目を向ける。
「もう一人いるな」
「いつまで隠れているつもりだ、朝倉悠真」
人混みの中に、小さなざわめきが広がった。
俺は大柄な職人の背後から歩み出た。
さすがはレベル46の【聖契裁判官】だ。
気配は抑えていた。
さらに人混みの中へ紛れ、見つかりにくい位置を選んでいた。
それでも、オースティンには最初から気づかれていたらしい。
「隠れていたわけではありません」
俺は平静に答えた。
「見ていただけです」
「二人が戦うところをか?」
「俺が割って入っても、何もできないと思いました」
これは嘘ではない。
少なくとも、周囲の者から見ればそうだろう。
俺が公開している能力値で、二人の天才が魔法を撃ち合う中へ飛び込めば、巻き込まれて吹き飛ばされるだけだ。
オースティンは俺を見つめた。
「天賦開示の儀式は、まだ終わっていなかった」
「勝手に礼拝堂を離れて、どこへ行っていた?」
「少し、歩いていました」
俺はわずかに間を置いた。
「一人になりたかっただけです」
声を大きくすることはなかった。
顔に、わざとらしく傷ついた表情を浮かべたわけでもない。
だが、先ほど公表された『天賦なし』という結果と合わせれば、それだけで十分だった。
同じように異世界へ召喚された。
周囲の人間はAランクやSランクの天賦を得ている。
それなのに、自分だけは何の天賦も持たず、成長適性まで絶望的に低い。
そんなとき、一時的にその場を離れたくなるのは、それほど理解しがたいことではない。
オースティンは二秒ほど沈黙した。
それ以上、行き先を追及することはなかった。
「礼拝堂を出てからどこへ行ったのかは、問わない」
「だが、無断で隊列を離れたこと」
「そして、争いを発見しても教会へ知らせなかったこと」
「この二つは見過ごせない」
「三枝、久世と同じく、三日間、東側訓練場を清掃しろ」
俺は頷いた。
「分かりました」
オースティンは背を向け、まだ周囲に残っていた王都の住民たちへ向き直った。
「本日発生した道路および財物の損害については、教会が確認し、補償を行う」
「負傷した者は、中央教会で無償の治療を受けられる」
「この件は終わりだ。解散してくれ」
野次馬たちは、まだ物足りなそうな顔をしていた。
だが、オースティンの前で居残ろうとする者はいない。
人垣はすぐに崩れ、通りから散っていった。
オースティンは三枝と久世に神谷を支えさせると、俺たちを連れて教会へ戻り始めた。
道中、小野寺はずっと隊列の中央を歩いていた。
先ほどまでの高揚は、すでに顔から消えている。
それでも、ときおり自分の両手へ視線を落としていた。
神谷を一撃で倒した感触が、まだ頭から離れないのだろう。
しばらく歩いたところで、小野寺が突然、後方を振り返った。
「おい、朝倉」
俺は足を止めなかった。
小野寺は眉をひそめ、歩調を速めて追いついてくる。
「お前、さっきまでどこに行ってたんだ?」
「適当に歩いていただけだ」
「適当に?」
小野寺は俺の全身を値踏みするように眺めた。
「天賦開示の結果があまりにも惨めだったから、一人で隠れてたのか?」
俺は答えなかった。
数秒待ったあと、小野寺の得意げな表情が、次第に苛立ちへ変わっていく。
「聞いてるんだけど」
それでも、俺は小野寺を見なかった。
無視されたことで、小野寺の顔が険しくなる。
「まあ、そうだよな」
「天賦もなくて、成長適性もたったの4」
「あそこに残っていても、恥を晒すだけだ」
「さっき俺たちが戦っていたときも、人混みの後ろに隠れて見ていることしかできなかったんだろ?」
声を潜めようともしなかった。
三枝と久世にも、はっきり聞こえている。
だが、二人とも何も言わなかった。
隊列の先頭を歩いていたオースティンが、突然足を止めた。
振り返り、冷たい目で小野寺を見る。
小野寺の笑みが、瞬時に固まった。
「……ただ聞いただけです」
視線を逸らし、ようやく口を閉じる。
オースティンは、それ以上何も言わずに歩き始めた。
俺も最初から最後まで、小野寺へ返事をしなかった。
小野寺真也の変化は、一度目の人生とまったく同じだった。
突然明らかになったS+の天賦によって、強い自信を得た。
さらに先ほど、自分を長年虐げてきた神谷を正面から打ち倒した。
今の小野寺は、自信と優越感に満ちている。
それでいい。




