第15話 【雷霆聖痕】VS【元素掌握】(5000字の超ボリューム回!)
小野寺の唇が、わずかに動いた。
神谷の言葉に、小野寺自身も怯んだようだった。
だが、その頃には通りの両側を大勢の野次馬が取り囲んでいた。
王都の住民にとって、異界人は見慣れない存在ではない。
三十二人の異界人が教会に召喚されてからというもの、俺たちは時折、神官や教官に引率されて大通りを歩いていた。
教会から一律に支給された白い礼装は、今では『異界人』の目印になっている。
その異界人たちが路上で揉めていると見るや、通行人たちは逃げるどころか、瞬く間に周囲を取り囲んだ。
「喧嘩か?」
「教会が囲ってる異界人たちだ」
「今日が天賦開示の日だって聞いたぞ」
「あの雷を出してる奴がS+か?」
「本当かよ。三百年に一人しか出ない最高評価だろ?」
「見たところ、別に大したことなさそうだけどな」
人垣が、じりじりと前へ詰めていく。
爪先立ちになる者もいれば、道端の木箱へ上る者までいた。
果物売りの店主など、商売を放り出し、腕を組んで露店の向こうから見物している。
路地の入口に身を隠していた俺も、騒ぎに紛れて外へ出た。
襟を持ち上げて顔を隠し、野次馬の間へ入り込む。
大柄な職人らしい男の背後に立ったが、こちらへ注意を向ける者はいなかった。
全員の視線が、通りの中央へ注がれている。
「俺は――」
小野寺が顔を上げた。
「お前なんか、たかがAランクじゃないか!」
言葉が終わると同時に、雷光が爆発した。
青紫色の電流が地面を這い、神谷へ向かって突き進む。
電弧に触れた石畳から、激しく火花が散った。
見物人たちが、一斉に声を上げる。
「魔法を撃ったぞ!」
「下がれ! こっちまで雷が来るぞ!」
口ではそう叫びながらも、前列にいた者のほとんどは後ろへ下がらなかった。
神谷は、その場から動かない。
右足を無造作に半歩引いた。
轟音とともに、土の壁が地面からせり上がる。
雷撃が土壁へ衝突し、大量の石片を弾き飛ばした。
神谷が掌を返す。
空中へ散った石片が、同時に赤い光を帯びた。
その表面を炎が走り、十数個の石片が、尾を引く火球へと変わる。
「その程度か?」
神谷が口元を吊り上げた。
「S+を手に入れたくらいで、自分がまともな人間になったつもりかよ?」
火球が唸りを上げ、小野寺へ殺到する。
小野寺は両手を勢いよく左右へ引き開いた。
交差する雷が、目の前で一枚の網を形作る。
爆発音が立て続けに響いた。
炎。
砕けた石。
青紫色の電弧。
それらが四方へ飛び散る。
野次馬たちは、ようやく数歩後退した。
それでも、人垣が崩れることはない。
「結構すごいんじゃないか?」
「何がだよ。向こうの奴に簡単に防がれてるじゃねえか」
「最高評価で、あの程度なのか?」
「天賦が高くても、喧嘩が強いとは限らないだろ」
人混みの中から、いくつかの笑い声が漏れた。
小野寺の頬が引きつる。
神谷にも、その声は聞こえていた。
野次馬たちのほうへ顔を向け、蔑むように鼻で笑う。
「聞こえたか?」
「王都中がお前を役立たずだと思ってるぞ」
「黙れ!」
小野寺が右足を強く踏み込んだ。
雷光が両脚へ絡みつく。
その身体が一気に加速した。
十数歩あった距離を、ほとんど一瞬で駆け抜ける。
雷電強化。
二つ目の雷魔法だ。
小野寺は神谷の懐へ飛び込んだ。
眩い雷をまとった右拳を、その横顔へ叩きつける。
神谷はわずかに首を傾け、拳をかわした。
雷光を帯びた拳が耳元をかすめ、弾けた熱で髪が数本焼け焦げる。
神谷の目つきが変わった。
「本当に俺へ触りやがったな」
小野寺の手首をつかむ。
同時に、膝を腹へ深く突き刺した。
「ぐっ!」
鈍い音が響き、小野寺の身体がくの字に折れ曲がった。
だが、小野寺の腕を覆っていた雷は、二人が触れ合った場所から神谷へ流れ込んでいた。
「雷蛇!」
細長い電流が、神谷の腕へ巻きつく。
三つ目。
俺はわずかに目を細めた。
違う。
最初に使った遠距離雷撃と、雷網を別々に数えるなら、小野寺はすでに四種類の雷魔法を使用している。
遠距離雷撃。
雷網。
雷電強化。
雷蛇。
この時点で、あいつらが正確に何レベルだったのか、俺はもう覚えていない。
召喚から八十七日間、俺たちは教会の中で訓練を受け続けていた。
体力作り。
瞑想。
魔力制御。
木剣を使った模擬戦。
本当の危険を伴わない訓練から得られる経験値など、ごくわずかだ。
成長適性が最も高い連中でさえ、今はまだレベル10に届いていないはずだった。
成長適性が4しかなかった一度目の俺に至っては、一度もレベルが上がらなかった。
それなのに、小野寺はすでに少なくとも四種類の雷魔法を使いこなしている。
今日、天賦に目覚めてから急に習得したとは考えにくい。
おそらく、以前から転職を済ませていた。
職業は【雷法師】に近いものだろう。
ただし、一般的な雷法師よりも、近接戦闘能力が高い。
小野寺が雷蛇をさらに締め上げようとした瞬間、神谷の腕が炎に包まれた。
「離れろ」
二人の腕に密着したまま、炎が爆発する。
雷蛇が強引に吹き飛ばされた。
同時に、小野寺の袖口へ火が燃え移る。
小野寺は慌てて手を放し、後方へ跳んだ。
だが、その着地点を覆う石畳には、いつの間にか薄い氷が張っていた。
足を置いた瞬間、小野寺の体勢が崩れる。
神谷はその隙を逃さなかった。
地面から石柱が斜めに突き出し、小野寺の脇腹へ激突した。
鈍い衝撃音が響く。
小野寺の身体が吹き飛ばされ、肩が石畳を擦った。
皮膚が裂け、血の筋が残る。
野次馬たちから、どっと声が上がった。
「吹っ飛ばされたぞ!」
「あれがS+なのか?」
「全然、大したことなくないか?」
「教会が評価を間違えたんじゃないのか?」
小野寺は地面へ手をつき、立ち上がろうとした。
だが、神谷はすでに目の前まで歩み寄っていた。
その靴底が、小野寺の手の甲を強く踏みつける。
「うあっ!」
小野寺が悲鳴を上げた。
「さっきまで随分と威勢がよかったじゃねえか」
神谷は靴へゆっくりと体重をかけていく。
「もう一発、雷を出してみろよ」
「神谷!」
久世直哉の顔色が変わった。
「もうそのくらいにしろ。教官もすぐに――」
「黙れ」
神谷は振り返りもしなかった。
「次に口を挟んだら、お前も一緒に殴るぞ」
先ほどまで笑っていた三枝拓真が、その一言を聞いた途端、口を閉ざした。
神谷は足元の小野寺を見下ろす。
「前までは、俺を見るたびに頭を下げて謝ってたよな?」
「S+をもらった途端、随分偉くなったじゃねえか」
「まさか、評価が一つ変わっただけで、自分まで別の人間になれると思ったのか?」
小野寺は歯を食いしばった。
腕から再び電光が浮かび上がる。
神谷の足へ、さらに力が入った。
小さく、硬い音が鳴る。
石畳が割れたのか。
それとも、手の骨が圧力に耐えきれなかったのか。
小野寺の顔から、瞬く間に血の気が引いた。
「誰が動いていいと言った?」
神谷が笑った。
「役立たずは、どこまで行っても役立たずだ」
「昔は反撃する勇気もなかった。今は魔法をめちゃくちゃに撃つことしかできない」
人垣の中から、再び落胆したような声が聞こえてきた。
「本当にS+なのか?」
「三百年に一度って聞いてたのに、あれかよ」
「もう一人、S+がいるんだろ? 天城とかいう奴。そっちが本物の勇者候補なんじゃないか?」
「小野寺なんて名前、今まで聞いたこともなかったぞ」
言葉が一つずつ、小野寺の耳へ突き刺さっていく。
呼吸は次第に速くなり、表情は醜く歪んでいった。
俺は二人の戦いを、黙って観察していた。
表面だけを見れば、小野寺と神谷は何度か攻防を繰り返した。
魔法の規模にも、大きな差はないように思える。
だが実際には、勝敗は最初から決まっていた。
神谷玲司が使用した属性は、三つ。
炎。
氷。
土。
炎は、爆発的な攻撃に使う。
氷で、相手の足場を奪う。
土魔法は、防御と行動の制限を担う。
異なる属性を切り替える際、わずかな停滞すらなかった。
それが神谷玲司のAランク固有天賦――【元素掌握】。
基礎元素魔法の習得難度を大幅に下げ、異なる属性へ切り替える際に発生する魔力の衝突を抑える天賦だ。
一般的な魔法使いが専門とする属性は、一つか二つに限られる。
それ以上を学びたくないわけではない。
属性ごとに、魔力の循環方法がまったく異なるからだ。
炎は爆発力を重視する。
土石は安定した魔力循環を必要とする。
氷には、極めて精密な魔力制御が求められる。
戦闘中に何度も切り替えれば、術式が崩壊しやすい。
最悪の場合、魔力が体内で暴発し、術者自身を傷つける。
だが、神谷にその問題はない。
十分な時間さえあれば、数多くの基礎元素魔法を容易に習得できる。
さらに、戦況に応じて自由に組み合わせられる。
Aランクでも、十分すぎるほど強力な天賦だ。
特に、全員のレベルが低い今の時期ならなおさらだった。
それに対して、小野寺のS+固有天賦――【雷霆聖痕】は、典型的な成長型能力だ。
戦闘。
殺害。
雷霆の力の蓄積。
それらによって、少しずつ成長する。
聖痕を蓄積するほど雷魔法の威力が上昇し、肉体そのものも、より強い雷へ耐えられるようになる。
だが、小野寺が天賦へ目覚めたのは今日だ。
今の聖痕には、ほとんど何の力も蓄えられていない。
現時点で【元素掌握】に勝てないのは、当然だった。
ただ、小野寺自身は、それを受け入れられないらしい。
「足を……どけろ」
俯いたまま、小野寺が呟いた。
「何だって?」
「足をどけろって言ってるんだ!」
雷光が轟然と弾けた。
神谷も、半歩後退せざるを得なかった。
小野寺は即座に手を引き抜き、地面から立ち上がる。
右手は大きく腫れ上がり、指も不自然な方向へ曲がっていた。
だが、痛みなど感じていないかのようだった。
青紫色の電弧が、首筋から頬、目尻へと這い上がっていく。
空気に、鼻を刺す焦げ臭さが満ちた。
「お前らは、AランクとかDランクのくせに……」
小野寺は神谷、三枝、そして周囲の人垣へ順番に目を向けた。
その顔は、完全に歪んでいた。
「何でだよ?」
「何で、まだ俺を笑えるんだよ?」
「俺はS+なんだぞ!」
野次馬の一人が、嘲るように笑った。
「S+になったら、笑われなくなるのか?」
「せめて勝ってから言えよ」
神谷は雷に焼かれた腕を軽く回した。
その顔に浮かぶ笑みも、次第に獰猛なものへ変わっていく。
「どうやら、さっきの仕置きじゃ足りなかったらしいな」
神谷の左右から、炎と冷気が同時に立ち上った。
「今度は歯を全部へし折ってやる」
小野寺を覆う雷光が、制御を失い始めた。
逸れた電弧が道沿いの壁を直撃し、煉瓦を一つ粉々に砕く。
前列の野次馬たちも、ようやく危険に気づいたらしい。
後ろへ押し合うように下がり始めた。
「おい、こいつ本当に暴走してるんじゃないか?」
「もっと離れろ!」
「教会の連中は、まだ来ないのかよ!」
人垣が乱れる。
だが俺は、その流れに逆らい、小野寺のいる方向へ歩き始めた。
屈辱と怒りで醜く歪んだ小野寺の顔を見ながら、今夜の計画を素早く組み替えていく。
神谷が片手を上げた。
薄い氷が、地面を這って小野寺へ迫る。
同時に、小野寺の背後から土壁がせり上がり、退路を完全に塞いだ。
「跪け」
地面から、何本もの石槍が立て続けに突き出した。
小野寺は一本目を辛うじてかわした。
だが、二本目が肩を直撃する。
身体が大きくよろめき、そのまま野次馬の集団へ飛ばされた。
見物人たちが悲鳴を上げ、左右へ散る。
小野寺の身体が俺の前を通り過ぎた、その瞬間。
俺は道端の露店が作る影へ一歩退いた。
【影潜行】。
身体が音もなく、地面の闇へ沈んでいく。
露店。
通行人。
周囲の建物。
それぞれが落とす影は、複雑に重なり合っていた。
俺は暗闇の道を素早く移動する。
次の瞬間には、小野寺の足元にある影へ潜り込んでいた。
本物の達人なら、俺が影へ溶け込んだ瞬間の魔力変動を察知したかもしれない。
だが、小野寺は力を手に入れたばかりの素人だ。
今のあいつの目には、神谷しか映っていない。
自分の影の中へ、一人の人間が入り込んだことなど、まったく気づいていなかった。
小野寺はよろめきながらも体勢を立て直し、神谷を睨みつけた。
その耳元へ、聞き覚えのない低い声がそっと囁く。
「力が欲しいか?」




