第11話 隠し職業——【影渡り】?!
灰煙を出たあとも、俺はすぐには教会へ戻らなかった。
下層街の路地を二周ほど遠回りし、尾行されていないことを確認してから、ようやくフードを脱ぐ。
そのまま王都中心部へ向かう人混みに紛れ込んだところで、俺はゆっくりと息を吐いた。
レベル72。
ドーンの本当のレベルを知った瞬間、さすがの俺もわずかに動揺した。
英雄の領域へ踏み込む最低条件は、レベル60。
レベル72の【夜行者】ともなれば、王国や教会が抱える最高戦力の中に入っても、決して無視できる存在ではない。
ましてや、俺が取り込んだのは、そんな男が凝縮した影の種子だ。
そこに蓄積されていた負の感情が、あと少しでも強ければ――。
今頃俺は、影に意識を食い尽くされた、空っぽの抜け殻になっていたかもしれない。
だが、俺は耐えきった。
それだけでなく、影の種子から【影潜行】まで継承した。
今回の賭けで得たものは、予想を遥かに上回っている。
俺は服の内側にしまった黒い証へ触れた。
影の教会。
一度目の人生で二年間生きたが、そんな場所があるとは一度も聞かなかった。
身元を隠したまま情報を買い、殺し屋を雇える。
十分な対価さえ用意できれば、英雄の領域に達した職業者すら動かせるという。
ドーンの話が事実なら、この証の価値は影の種子にも劣らないだろう。
もっとも、今は影の教会について考えている場合ではない。
俺が今、何より気にしているのはカラウ通りだった。
今夜、教会は間違いなくあそこへ向かう。
なぜなら、俺が事前に匿名の密告状を送っておいたからだ。
礼拝堂を抜け出したあと、俺はまず異端審問庁南区支部の告解箱へ手紙を投げ込んだ。
灰煙へ向かったのは、そのあとだ。
手紙には、食淵教団の名を書いていない。
記したのは、血月教団がカラウ通り百十五番地に構えている拠点の場所。
地下へ通じる入口。
そして、今夜そこで儀式が行われるという情報だけだ。
それだけでも、教会を動かすには十分だった。
本来の歴史では、カラウ通りの拠点が発見されるのは三か月後だ。
その頃には、血月教団の信徒たちはすでに撤退していた。
残されていたのは、使われなくなった祭壇だけ。
教会は地下室を隅々まで調べたものの、結局、何一つ見つけることができなかった。
だが、俺には三か月も待つ余裕がない。
あの祭壇が必要だ。
これから進む職業ルートに、欠かすことのできないものがある。
しかし、今の俺はレベル1。
【影潜行】を習得したとはいえ、拠点にいる邪教徒を一人で全滅させることなどできない。
だから、教会を使う。
教会に邪教徒を殺させる。
その隙に、俺が祭壇へ近づく。
問題は、教会が祭壇の本当の構造に早く気づきすぎても、俺に機会がなくなるということだ。
あの祭壇は、血月教団のものではない。
血月教団の連中は、祭壇の最も表面的な部分を利用しているだけだ。
正しい使い方など、何も知らない。
本当の使用方法を知っている人間は、今この時点では、この王国にすらいなかった。
予定どおりに進めば、教会が今夜発見するのは、ごく普通の邪教の祭壇にすぎない。
だが俺は、すべてを「予定どおりに進む」という前提へ賭けるつもりはなかった。
だから、ドーンも誘い出した。
教会。
血月教団。
ドーン。
三者が同じ場所でぶつかれば、現場は必ず混乱する。
混乱が大きいほど、公開の儀式で天賦なしと判定された、レベル1の異界人に注意を向ける者はいなくなる。
濁った水の中でなければ、魚をつかむ機会はない。
もちろん、この計画にも危険はある。
ドーンが来ない可能性もある。
教会が地下室全体を早々に封鎖するかもしれない。
血月教団が危険を察知し、予定より早く儀式を始めることも考えられる。
どの段階にも、絶対の保証はない。
だが、それで十分だ。
俺が必要としているのは、完璧な機会ではない。
中へ入り込める、ほんのわずかな隙間だけだ。
人通りのない曲がり角を通り、建物の影の中で足を止めた。
礼拝堂までは、まだ少し距離がある。
戻る前に、もう一つ確認しておくことがあった。
「ステータス」
淡い青緑色のパネルが、目の前に展開される。
俺は迷わず職業欄を開いた。
【選択可能な主職業】
【影法師】
解放条件:
・影系魔法を一つ以上習得する[達成済み]
・精神が20以上に達する[達成済み]
・潜行と影を司る神の承認を得る[達成済み]
予想どおりだ。
一度でも【影潜行】を発動したことで、【影法師】は正式に解放されていた。
今ここで選択すれば、すぐに転職を完了できる。
俺は職業による能力値の補正を確認しようとした。
だが、その下に並んでいる文字を見て、視線が止まった。
【盗賊】
【詐欺師】
「……は?」
俺は二つの職業名を凝視した。
【詐欺師】が解放されていることは、それほど不思議ではない。
詐欺師の職業解放任務は、虚偽の情報や偽の身分を利用し、自分よりレベルが十以上高い職業者から、価値のある物を騙し取ることだ。
ドーンはレベル72。
俺は最初から最後まで、完全な作り話をしたわけではない。
だが、一度目の人生で経験した出来事を、今の自分がすでに経験したことのように語った。
そしてドーンに、俺が現在、教会に育成されている異端審問官見習いだと思わせた。
最終的に、俺はあの男から影の種子を手に入れた。
条件には、完全に当てはまっている。
だが、なぜ【盗賊】まで解放されている?
盗賊の職業解放任務は、自分よりレベルが十以上高い職業者から、価値のある物を一つ盗み出すことだったはずだ。
俺はいつ、ドーンから物を盗んだ?
影の種子は、ドーンが自分から差し出した。
影の教会の証も同じだ。
正体を隠していたからといって、他人から贈られた品まで盗品として判定されたわけではないだろう。
俺は眉をひそめ、自分の服を探り始めた。
黒い証。
匿名の密告状を書いた際の下書き。
教会から支給された銅貨が数枚。
それから――。
指先が、細長く硬い物へ触れた。
俺の動きが止まる。
服の内側から引き抜くと、一本のペンが現れた。
黒い硬木で作られた軸。
銀製のペン先。
末端には、小さな深緑色の石が埋め込まれている。
俺は数呼吸ほど、そのペンを見つめた。
そして、ようやく思い出す。
ドーンに契約を持ちかけたとき、俺は机の上に置かれていたこのペンを手に取った。
契約書と一緒に、ドーンの前へ差し出したのだ。
ドーンは署名しなかった。
契約書の内容すら見なかった。
そのあと、俺は契約書を回収した。
どうやら、その際にペンまで一緒に懐へしまい込んでいたらしい。
ドーンが気づかなかっただけではない。
俺自身も、何かを持ち去ったという自覚がなかった。
俺はペンを街灯の光へかざした。
軸の末端近くに、小さな装飾文字が刻まれている。
――王都コールマン工房。
聞き覚えのある名前だった。
貴族や上級文官向けの筆記具を専門に製造している、王都の老舗工房だ。
最も安いペンでも、金貨二枚以上する。
これは魔法道具ではない。
それでも、軸に使われている木材と銀製のペン先を見るかぎり、店へ持ち込めば金貨三、四枚にはなるだろう。
一般人にとっては、十分に高価な品だ。
もっとも、ドーンにとっては――。
レベル72の【夜行者】からすれば、この程度の物は価値のある品にすら入らないのかもしれない。
今になっても、机からペンが一本消えたことに気づいていない可能性すらある。
俺はペンを手にしたまま、どんな表情をすればいいのか分からなかった。
俺はただ、影法師になりたかっただけだ。
それなのに、まず影の種子を騙し取った。
さらに自分でも気づかないうちに、レベル72の職業者の机から、有名工房の高級ペンを盗み出していた。
「盗みの極意というのは、相手に気づかれないことじゃないんだな」
俺は小声で呟いた。
「自分まで騙しきることらしい」
ペンを服の内側へ戻す。
次にドーンと会ったとき、返しておいたほうがいいだろう。
金貨数枚は、確かに小さな金額ではない。
だが、その程度の金のために、レベル72の【夜行者】へ「あなたの机から物を盗みました」と知られるのは、あまりにも割に合わない。
俺は再びパネルへ目を向けた。
影法師。
盗賊。
詐欺師。
三つの職業が、すべて選択可能になっている。
影法師は、もともと俺が計画していた職業だ。
盗賊なら、潜行、解錠、罠の解除といった能力を強化できる。
詐欺師は、変装、交渉、精神誘導を得意とする。
どの職業にも価値がある。
だが、主職業として選べるのは一つだけだ。
俺は、それぞれの職業補正を順番に確認しようとした。
その瞬間、パネル上の文字が明滅した。
三つの職業名が、同時に淡い青緑色の光へ包まれていく。
【以下の職業解放条件を満たしていることを確認しました】
【影法師】
【盗賊】
【詐欺師】
【特殊スキルを検出しました:【影潜行】】
【特殊信仰を検出しました:潜行と影を司る神――ノクス】
【隠し職業の解放条件をすべて満たしました】
俺の呼吸が、わずかに止まった。
隠し職業――!?
一度目の人生でも、特殊な職業についていくつか耳にしたことがある。
冒険者協会の職業一覧には掲載されていない。
公に知られた転職儀式も存在しない。
レベル、スキル、経験、信仰。
複数の条件が同時に一致したときにだけ、ステータス画面上へ現れる職業だ。
どの隠し職業も、普通の人間には決して再現できない、固有の道筋へつながっている。
三つの職業名の下へ、新たな文字がゆっくりと浮かび上がった。
【隠し初級職が解放されました】
【影渡り】




