第70話 火属性少女のお願い(2)
第70話 火属性少女のお願い
フレイアの勢いが、一瞬だけ弱まった。
「……うん」
普段の彼女なら、当然でしょ、と胸を張って答えるところだ。
だが、今は少し違った。
視線が横に泳ぐ。
指先がパンフレットの端をいじる。
赤い髪の奥の耳が、ほんの少し赤い。
「賞品が……欲しいの」
「賞品?」
「うん」
フレイアはパンフレットの下の方を指した。
そこには、優勝賞品の欄があった。
火竜の花鱗。
火霊の種。
蒼真はその名前を見ても、価値が分からなかった。
「火竜の花鱗と、火霊の種……?」
リリアが説明する。
「火竜の花鱗は、火竜の鱗のような形をした超希少な花びらよ。実際に竜の鱗というわけではないけれど、火属性の魔力を非常に安定して蓄える性質があるの。火属性魔法の触媒や、高位術式の補助素材に使われるわ」
「そんなにすごいのか」
「普通の学生が簡単に手に入れられるものではないわね」
ルミエールも続ける。
「火霊の種は、火の精霊が宿ると言われる魔法植物の種です。実際に精霊が宿っているかは個体差があるそうですが、火属性の魔法使いにとっては、とても貴重な育成素材だと聞いています」
「つまり、火属性のフレイアにはかなり重要なものなのか」
フレイアは小さく頷いた。
「火属性魔法使いなら、喉から手が出るくらい欲しいわ」
いつもの彼女らしい元気な声ではなかった。
少し恥ずかしそうで、少し悔しそうで、それでも本気の声だった。
「本当は、一人でも出られる競技ならよかったんだけど……二人一組なの。しかも、ただ魔力が強いだけじゃ勝てない。私、火力には自信あるけど、こういう細かい判断は、あんまり得意じゃないから」
「自覚はあるんだな」
「あるわよ!」
フレイアは一瞬いつもの調子に戻ったが、すぐにまた声を小さくした。
「だから、その……蒼真に一緒に出てほしくて」
フレイアは、蒼真を見た。
まっすぐな赤い瞳。
けれど、いつものように勢いだけで押してくる感じではない。
少しだけ上目遣い。
指先をもじもじさせている。
唇が小さく尖っている。
「だめ?」
その一言は、反則だった。
蒼真は言葉に詰まった。
リリアが横で小さく息を吐く。
「……それはずるいわね」
声は呆れ気味だが、刺々しくはない。むしろ、少し笑っている。
ルミエールも困ったように微笑んだ。
「フレイアさん、そのお願いの仕方は少し強いです」
「え、そ、そう?」
フレイアは自分の顔が赤くなっていることに気づき、慌てて両手を振った。
「ち、違うわよ! 別にそういう作戦じゃなくて! ただ、本当に欲しいから……その……」
言えば言うほど、フレイアの声は小さくなっていく。
蒼真は、軽く息を吐いた。
「分かった」
フレイアが顔を上げる。
「え?」
「出るよ。魔法植物バトルレース」
「ほんと!?」
「ああ。ただし、俺は魔法植物を制御できない。そこはフレイアに任せる」
「もちろん!」
「俺は観察と判断に集中する。危ないと思ったら止めるぞ」
「うん!」
「あと、無理に勝ちに行って怪我をするのはなしだ」
「分かってるわよ!」
フレイアはぱっと笑顔になった。
まるで、火が灯ったような明るさだった。
「やったー! ありがとう、蒼真!」
彼女は勢いよく立ち上がり、蒼真の腕を掴んだ。
「じゃあ、さっそく行くわよ!」
「どこへ?」
「エントリー!」
「今からか?」
「今からよ! 受付締め切り、意外と早いんだから!」
蒼真はまだケーキを食べ終えていなかった。
皿を見る。
半分残っている。
ルミエールもそれに気づいた。
「あ、あの、蒼真さん。ケーキが……」
フレイアが、はっとして止まる。
「あ、ご、ごめん。食べ終わるまで待つわ」
彼女は腕を掴んだまま、素直に反省した顔をした。
蒼真は苦笑する。
「いや、急いでいるなら食べる」
彼は残っていたケーキを手早く、しかし味わいを無視しない程度に食べた。
「うまかった」
ルミエールが嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます」
蒼真は紅茶を飲み干し、立ち上がる。
「行くか」
「うん!」
フレイアは再び蒼真の腕を掴んだ。
今度は遠慮がない。
そのまま引っ張るように歩き出す。
「ちょっと待て、歩幅が合わない」
「レースの練習だと思って!」
「まだ二人三脚じゃない」
「気持ちの問題よ!」
二人がカフェの出口へ向かう。
その後ろ姿を、リリアとルミエールが見送った。
リリアは紅茶のカップを置き、少しだけ肩をすくめる。
「蒼真……本当に忙しい人ね」
ルミエールは小さく頷いた。
「ええ。でも、困っている人に頼まれると、断れない方ですから」
「それが蒼真らしいところではあるわね」
リリアの声は穏やかだった。
少し拗ねてはいる。
だが、フレイアを責めるような色はない。
ルミエールが、ふとリリアを見る。
「私たちも、見に行きますか?」
リリアは少し考えた。
「……そうね。安全確認の名目なら、私がいても不自然ではないわ」
「では、私は応援ということで」
「応援ね」
リリアは微笑を浮かべた。
「どちらを?」
ルミエールは少しだけ頬を赤くして、けれど上品に答える。
「もちろん、蒼真さんとフレイアさんを、です」
「そういうことにしておきましょう」
二人は席を立った。
テーブルの上の感情反応花が、淡い金色と紫色をゆらゆらと揺らしている。
リリアはそれを一瞥し、小さく呟いた。
「本当に、分かりやすい花ね」
そして、ルミエールと共にカフェを出た。
魔法植物バトルレースの会場は、カフェから少し離れた大校庭に作られていた。
近づくにつれ、歓声と楽器の音が大きくなる。
屋台の匂いも混ざってきた。
焼き菓子。
香草肉串。
花蜜ジュース。
揚げた根菜のようなもの。
植物祭らしく、どの屋台にも魔法植物が何かしら使われているらしい。
フレイアは蒼真の腕を引いたまま、人混みをすいすい進んでいく。
彼女の赤い髪は目立つため、人混みの中でも見失いにくい。
蒼真は引っ張られながら、周囲を観察した。
会場の外周には、仮設の観客席が作られている。木と蔓を組み合わせたような造りで、要所に補強用の魔法陣が刻まれていた。
中央には、巨大なコースが広がっている。
「でかいな……」
蒼真は思わず呟いた。
パンフレットの図で見るより、実物はずっと迫力があった。
まず、スタート地点の先には、光る花が咲き乱れるトンネルがある。花びらがアーチ状に重なり、内側から淡い光を放っていた。
その先には、つる橋ゾーン。
太い蔓が編まれて橋になっているが、見るからに揺れそうだ。下には柔らかそうな葉のクッションが敷かれている。
さらに奥には、白い花粉が時折吹き上がる区画がある。花粉嵐ゾーンだろう。
その向こうには、巨大な花がいくつも閉じた状態で並んでいる。花が開く瞬間に跳ぶ、という説明があったジャンプ台だ。
さらに森ゾーン。
色の濃い植物が密集し、道が見えにくい。
最後に、地面から複雑に根が伸びた迷路ゾーン。
根の壁が曲がりくねり、いくつもの分岐を作っている。
蒼真は全体を見て、率直に言った。
「なんか、めっちゃ大変そうなレースだな」
「だから楽しいのよ!」
「価値観の違いを感じる」
フレイアは笑いながら受付へ向かった。
受付には、植物研究会の生徒と、体育会系らしい男子生徒が数人座っていた。
机の上には、エントリー用紙と、足を結ぶための柔らかい蔓紐が置かれている。
「魔法植物バトルレース、参加希望です!」
フレイアが元気よく言う。
受付の女子生徒が顔を上げた。
「はい、二名一組ですね。お名前をお願いします」
「フレイア・バルディッシュ!」
「蒼井蒼真です」
蒼真が名乗ると、受付の生徒が一瞬だけ目を丸くした。
「あ、あなたが……」
「何か?」
「い、いえ。最近、いろいろ事件を解決している方ですよね」
「たまたまです」
受付の生徒は、興味深そうに蒼真を見た。
「魔法植物の扱いは得意ですか?」
「いいえ」
即答だった。
フレイアが慌てる。
「ちょっと蒼真! そこはもう少し言い方があるでしょ!」
「事実だ」
「事実だけど!」
受付の生徒はくすりと笑った。
「大丈夫ですよ。片方が植物制御、片方がルート判断という組み合わせも多いですから」
「ほら!」
フレイアが得意げに蒼真を見る。
蒼真は頷いた。
「なら安心した」
受付の生徒はエントリー用紙に名前を書き、確認した。
「チーム名はどうしますか?」
「チーム名?」
蒼真が聞き返す。
フレイアは少し考えてから、ぱっと顔を上げた。
「蒼炎コンビ!」
「却下」
「早い!」
「目立ちすぎる」
「じゃあ、燃える名探偵チーム!」
「もっと却下」
受付の生徒が笑いをこらえている。
フレイアはむっとした。
「じゃあ蒼真が決めてよ」
「普通に、フレイア・蒼真組でいいだろ」
「普通すぎない?」
「普通でいい」
フレイアは不満そうだったが、受付の生徒は用紙に書き込んだ。
「では、フレイア・蒼真組ですね」
「なんか順番が私先なのはいいわね」
「そこは気に入るのか」
受付の生徒は続けた。
「レース開始まで少し時間があります。あちらの練習スペースで二人三脚の確認と、基本植物の試用ができます。初参加の方は必ず行ってください」
「分かりました」
「それと、競技中の直接攻撃は禁止です。植物能力による軽度の妨害は許可されていますが、火属性魔法による燃焼、爆発、過度な加熱は禁止です」
受付の生徒は、フレイアを見た。
フレイアは胸を張った。
「分かってるわよ!」
「本当にお願いしますね」
「なんで念押しするのよ!」
蒼真は小声で言った。
「日頃の印象じゃないか」
「蒼真まで!」
受付の生徒は笑顔で蔓紐を渡した。
「では、こちらが足固定用の蔓紐です。魔力に反応してほどけにくくなりますが、緊急時は審判が解除できます」
蒼真は蔓紐を受け取って観察した。
柔らかい。
見た目は蔓だが、布のような弾力がある。
無理に締めつける感じではなさそうだ。
「よし、練習行くわよ」
フレイアが言う。
蒼真は頷いた。
練習スペースは、会場の端に設けられていた。
簡易的な花のトンネル、小さなつる橋、低いジャンプ台、そして数種類の植物が置かれている。
すでに何組かが練習していた。
男女ペアもいれば、友人同士らしい女子二人組もいる。中には明らかに息が合わず、二歩進んで転びかけているペアもあった。
フレイアは蔓紐を持って、蒼真の隣に立つ。
「じゃあ、足を出して」
「右か左か?」
「私の左足と、蒼真の右足を結ぶ感じね」
「分かった」
二人は並んで立った。
近い。
二人三脚だから当然なのだが、肩が触れそうな距離だった。
フレイアがしゃがんで蔓紐を結ぼうとする。
蒼真も手伝おうとした。
その瞬間、二人の手が触れた。
「っ」
フレイアが小さく声を漏らす。
「悪い」
「べ、別に。これくらい普通でしょ」
そう言いながら、フレイアの耳は赤い。
蒼真は余計なことを言わないことにした。




