第70話 火属性少女のお願い(1)
第70話 火属性少女のお願い
魔法植物カフェの窓際の席に、急に人数が増えた。
つい先ほどまで、蒼真とリリアの二人だけだったテーブルには、フレイアとルミエールが加わり、四人分の気配が並んでいる。
テーブルの中央に置かれた小さな鉢植えは、さっきから落ち着きなく花弁の色を変えていた。
紫。
赤。
淡い金色。
それから、よく分からない薄桃色。
感情反応花というらしい。
近くにいる人間の感情が強く動くと、花が開いたり色が変わったりする魔法植物だと、リリアが説明してくれた。ただし、リリアは色ごとの意味については「知らない」と言い張っている。
蒼真は、その花をしばらく見つめてから言った。
「……やっぱり、色が増えてるな」
リリアは本を閉じ、落ち着いた声で答える。
「祭り仕様なんじゃないかしら」
「そんな都合のいい仕様があるのか?」
「魔法植物には、だいたい都合のいい性質があるものよ」
「それは説明になっているようで、なっていない気がする」
「細かいことを気にしすぎると、せっかくの祭りを楽しめないわ」
言い方は少しすましたものだったが、リリアの表情はそこまで険しくない。
さっきまでの拗ねた空気は、まだ少し残っている。けれど、彼女は本気で怒っているわけではなかった。蒼真が見たところ、どちらかと言えば、からかい半分、拗ね半分、そして少しだけ寂しさが混ざっている。
リリアは怖いというより、機嫌の悪い猫に近い。
いや、それを本人に言えば、たぶん眼鏡の奥から冷静な視線が飛んでくる。
だから蒼真は黙っていた。
フレイアは、そんな二人の微妙な空気には深く踏み込まず、椅子を引いて座った。
「それにしても、朝からここにいたんだ。蒼真、植物祭を一人で回ってるのかと思ったわ」
「最初はそのつもりだった。朝食を食べてなかったから、まずここに来たんだ」
「ふーん。それで、リリアと二人で朝食?」
フレイアがにやりと笑う。
ルミエールも、蒼真の前にある皿へ目を向けた。
皿には、ルミエール作の魔法植物モンブランケーキが半分ほど残っている。淡い金色のクリームと、光る花びらが飾られた上品なケーキだ。
ルミエールは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「召し上がってくださったのですね」
「ああ。おいしかったよ」
蒼真が素直に言うと、ルミエールの頬がほんのり赤くなる。
「ありがとうございます。まだ試作の時よりも改良した部分があって……光蜜栗の甘さが強すぎると、月露草の香りが負けてしまうので、比率を調整したんです」
「そうなのか。たしかに、甘すぎなくて食べやすい」
「よかった……」
ルミエールは胸元に手を当て、ほっと息を吐いた。
フレイアが横から顔を覗き込む。
「いいなー、私もあとで食べよっかな。ルミエールのケーキ、見た目からして強そうだし」
「強そう、ですか?」
「優勝しそうって意味よ」
「ふふ、ありがとうございます」
ルミエールが柔らかく笑う。
その様子を見ながら、リリアは紅茶のおかわりを頼んだ。さっき紅茶を吹いてしまったせいで、カップの中身はほとんど空だったのだ。
新しい紅茶が届くと、彼女は一口飲み、少しだけ落ち着いた顔になった。
フレイアは、それを待っていたかのように、両手をテーブルに置いた。
「それで、蒼真」
「なんだ?」
蒼真が返事をすると、フレイアは目を輝かせた。
「魔法植物バトルレース、一緒に出ようよ!」
一瞬、空気が止まった。
蒼真はフォークを持ったまま固まる。
リリアはカップを口元に運ぶ途中で止まり、ルミエールは目をぱちぱちと瞬かせた。
最初に口を開いたのは、リリアだった。
「……急ね」
怒っているわけではない。ただ、素直に驚いている声だった。
ルミエールも困惑気味に言う。
「バトルレース、ですか?」
蒼真は、フレイアを見た。
「なんだそれ」
「だから、レースよ!」
「それは名前から分かる」
「魔法植物を使って走るの!」
「分かるような、分からないような説明だな」
フレイアは胸を張った。
「細かいことはパンフレットに書いてあるわ!」
「説明を投げたな」
「だって、読む方が早いでしょ」
そう言って、フレイアは自分の持っていたパンフレットを広げた。
蒼真の前に差し出されたページには、大きな文字でこう書かれている。
――魔法植物バトルレース。
二人一組。
植物の力を使い、障害を突破してゴールを目指せ。
直接攻撃禁止。
妨害、加速、防御は植物能力のみ使用可。
文化祭特別安全結界あり。
蒼真は、文章を読みながら眉を寄せた。
「……二人一組?」
「そう!」
「植物の力を使う?」
「そう!」
「直接攻撃は禁止?」
「そう!」
「バトルとは?」
「気合いよ!」
「説明になっていない」
フレイアは楽しそうに笑った。
リリアが横から補足する。
「正式には、魔法植物の特性を利用した障害物競走ね。文化祭向けに調整されているから危険度は低いけれど、魔法植物の扱いとチームワークが必要になるわ」
「チームワーク」
蒼真はその言葉を繰り返した。
嫌な予感がした。
フレイアは、その予感を裏切らない笑顔で言った。
「二人三脚状態で走るの」
「……二人三脚?」
「そう。片足同士を結んで、二人で一緒に進むの。だから息を合わせないと転ぶわ」
「普通に大変そうだな」
「そこに魔法植物の障害が入るのよ」
「さらに大変そうだな」
「でも面白そうでしょ?」
「今の説明で面白そうと言えるのは、たぶんフレイアくらいだ」
フレイアはむっと頬を膨らませた。
「失礼ね。毎年けっこう人気なのよ。観客席もいっぱいになるし、実況もつくし、屋台も周りに出るし」
「観客がいるのか」
「もちろん! 派手だからね」
蒼真はパンフレットをさらに読んだ。
そこには、使用される魔法植物の一部が紹介されている。
加速系。
風花草。
花粉を噴射して、前方へ強く押し出す。
跳躍ツタ。
地面を蹴るように伸び、使用者を大きく跳ばす。
光走花。
短時間だけ光の道を作り、その上を高速で走れる。
妨害系。
くすぐりツタ。
相手の足元に絡み、くすぐって動きを鈍らせる。
ふわふわ綿毛。
綿毛を撒き散らして視界をふさぐ。
香りの罠花。
甘い香りで植物の反応を鈍らせる。
防御系。
盾葉。
花びらが広がり、盾になる。
霧花。
周囲に霧を出し、妨害を受けにくくする。
根のガード。
地面から根を伸ばし、防壁を作る。
蒼真は、くすぐりツタの説明で手を止めた。
「くすぐりツタ……」
リリアが静かに言う。
「文化祭仕様だから、妨害は軽めなのよ」
「平和なのか、危険なのか判断に困る」
フレイアが笑う。
「くすぐられて転ぶ人、毎年いるわよ」
「危険じゃないか」
「安全結界があるから大丈夫!」
「その言葉、魔法世界で何度も聞いた気がする」
ルミエールが苦笑した。
「一応、教師の方々も監督しているはずです。大きな怪我が出ないように、事前に植物の魔力調整もしていると聞きました」
「なら、多少は安心か」
蒼真はパンフレットのコース図へ目を移した。
花のトンネルゾーン。
つる橋ゾーン。
花粉嵐ゾーン。
巨大花のジャンプ台。
森ゾーン。
根の迷路ゾーン。
そしてゴール。
図だけ見れば、楽しげな催しに見える。
だが、実際に走るとなれば話は別だ。
「かなり本格的だな」
「でしょ?」
なぜかフレイアは得意げだった。
蒼真はパンフレットを閉じかけ、そこで大事なことを思い出した。
「待て」
「なによ」
「俺、魔法が使えないぞ」
フレイアは瞬きした。
リリアもルミエールも、あらためてその事実を思い出したような顔になる。
蒼真は続けた。
「魔法植物を使うレースなんだろ。俺が出ても足を引っ張るだけじゃないか?」
フレイアは首を横に振った。
「違うわ。だから蒼真がいいの」
「どういう意味だ?」
「魔法植物の制御は私がやる。蒼真には、コースを見る役をしてほしいの」
「コースを見る役?」
「ルート選びとか、障害物のタイミングとか、どの植物を使うかの判断とか」
フレイアは指を折りながら言う。
「花のトンネルは最初だから勢いが大事。つる橋はバランス。花粉嵐は視界の確保。巨大花のジャンプ台は開くタイミング。森ゾーンは植物が勝手にバフとかデバフをかけてくるから判断力。根の迷路はルート選択」
蒼真は少し驚いた。
フレイアは普段、感覚で突っ走る印象が強い。
けれど今の説明は、意外と整理されていた。
「ちゃんと考えてるんだな」
蒼真が言うと、フレイアは一瞬きょとんとしたあと、頬を赤くした。
「な、なによ。私だって考えるわよ」
「悪い。そういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味よ」
「フレイアは勢いだけじゃなくて、勝つためにちゃんと見てるんだなと思った」
フレイアは、さらに顔を赤くした。
「……そういうこと、普通に言うのやめなさいよ」
「何か変だったか?」
「変じゃないから困るのよ」
リリアが紅茶を飲みながら、小さく頷いた。
「分かるわ」
ルミエールも少し微笑んだ。
「蒼真さんは、そういうところがありますから」
「どういうところだ」
三人とも答えない。
蒼真は少しだけ居心地が悪くなった。
フレイアは咳払いをして、話を戻した。
「とにかく、蒼真は魔法が使えなくてもいいの。むしろ、変な魔法に引っ張られないのが強みになると思う」
「引っ張られない?」
リリアが補足する。
「森ゾーンの説明にあるでしょう。植物がランダムにバフやデバフをかける、と。普通の魔法使いなら、その影響を受けやすい。加速、鈍化、方向感覚の乱れ、軽い眠気、注意散漫。そのあたりね」
「俺には効きにくい可能性があるのか」
「あなたの体質ならね。少なくとも、外部魔力による干渉には強いはずよ」
「なるほど」
蒼真は考えた。
たしかに、自分は魔力を生成できない。魔法植物を直接扱うことは難しいだろう。
だが、観察と判断ならできる。
それに、外部魔力に干渉する体質が、予想外に役立つ場面もあるかもしれない。
とはいえ、わざわざ出場する理由としては弱い。
蒼真はフレイアを見た。
「フレイア」
「なに?」
「そんなに出たいのか?」




