第69話 魔法植物カフェとエルフの里(2)
第69話 魔法植物カフェとエルフの里
蒼真の沈黙を見て、リリアの視線がさらに細くなる。
「やっぱり何かあるのね」
「いや、説明が難しい」
「難しいことほど説明するべきでしょう。あなた、いつもそう言っているじゃない」
「それは事件の話だ」
「人間関係も事件みたいなものよ。特にあなたの周辺は」
「否定しづらい言い方をするな」
リリアは紅茶を一口飲んだ。
そして、少しだけ視線を逸らす。
「でも……少し羨ましいのは本当」
「羨ましい?」
「エルミナ先輩と会話できることよ」
意外な言葉だった。
蒼真が黙っていると、リリアは説明を続けた。
「エルフは精霊や魔法植物に詳しいわ。特にエルミナ先輩は、植物研究会でもかなり有名。魔法植物の知識だけなら、教師に近いくらいあると言われているの」
「そんなにすごい人だったのか」
「あなた、知らずに教わっていたの?」
「ああ」
「本当に、あなたは……」
リリアは呆れたように額に手を当てた。
「魔法研究部としては、話を聞けるだけでも貴重なのよ。精霊に近い植物の管理方法や、エルフ族に伝わる薬草の扱いなんて、普通はなかなか聞けないもの」
「じゃあ、今度話してみるか?」
蒼真は自然に言った。
「エルミナ先輩なら、たぶん嫌がらないと思う。植物の話になると楽しそうに話してくれるし」
「……あなた経由なら、という条件が付きそうね」
「そうか?」
「そうよ」
リリアは少し拗ねたように言った。
蒼真は、そこでふと思い出した。
「ああ、そうだ。今度、エルフの里に招待してもらえることになったんだ」
その瞬間だった。
リリアが紅茶を吹いた。
「ぶっ――!」
紅茶がテーブルに飛び、リリアは慌てて口元を押さえた。
「ごほっ、ごほっ……!」
「大丈夫か」
蒼真はすぐにおしぼりを取り、テーブルを拭いた。リリアの前にも新しい布を差し出す。
周囲の客が何事かとこちらを見る。
リリアは顔を赤くしながら、手で制した。
「だ、大丈夫です……ごめんなさい」
周囲の視線が戻る。
リリアは深く息を吐き、それから蒼真を睨んだ。
「蒼真」
「はい」
「それはまずいわよ」
「まずい?」
「まずいどころじゃないわ」
蒼真は眉を寄せた。
「まさか、何か変な掟があるのか?」
「変な掟というより、重い意味があるのよ」
「重い意味?」
リリアは周囲を確認した。
それから、少し身を乗り出し、声を潜める。
蒼真も自然と身を寄せた。
距離が近くなる。
リリアの髪から、紅茶とは違う甘い香りがした。
本人は気づいていないのか、真剣な顔で説明を始める。
「エルフ族の里は、誰でも簡単に入れる場所じゃないの」
「結界で守られているとか?」
「ええ。強力な森の結界で守られているわ。外から見つけようとしても、普通は辿り着けない。地図にも載っていない。王侯貴族ですら、招かれなければ入れない場所よ」
「そんな場所なのか」
「そんな場所よ」
リリアは真顔で頷いた。
「エルフは長命で、外部との関わりに慎重な種族なの。特に里は、血族と精霊と植物を守る場所。外部者を招くというだけで、かなり特別な意味を持つ」
「特別な意味……」
「まして、若いエルフが異性を招く場合は、なおさらよ」
蒼真は嫌な予感がした。
リリアは続ける。
「深い信頼。家族への紹介。将来を見据えた関係。場合によっては――」
少し間が空く。
「結婚前提、と受け取られてもおかしくないわ」
「えっ!」
蒼真の声が思ったより大きく出た。
周囲の客が一斉にこちらを見る。
吊り花まで驚いたように花弁を閉じた。
蒼真は慌てて頭を下げる。
「あ、すみません」
何人かの客がくすくす笑い、視線が戻っていく。
蒼真は椅子に座り直し、今度は小声で言った。
「リリア……どうしたら……」
リリアは冷たい目で見た。
「知らないわよ。自分でまいた種でしょう」
「種をまいた覚えはない」
「植物祭だけに?」
「今うまいこと言わなくていい」
「私はわりと上手いと思ったけれど」
「そこじゃない」
蒼真はこめかみを押さえた。
エルフの里。
エルミナは、それほど重い意味で言ったのだろうか。
いや、彼女の様子を思い返すと、純粋な感謝と親愛だった可能性もある。エルフ族の額キスも、感謝、約束、親愛の意味だと言っていた。
だが、リリアの説明を聞く限り、外から見れば話は違ってくる。
特に、エルミナが男性嫌いと噂されているなら、なおさらだ。
そんな彼女が、蒼真を里へ誘った。
周囲がどう受け取るかは、容易に想像できる。
「……誤解を招くな」
「もう招いていると思うわ」
「断定が早い」
「観察と論理の結果よ」
「俺の真似をしないでくれ」
リリアは、少しだけ口元を緩めた。
だが、すぐに真面目な顔へ戻る。
「あなたは、そういうところがあるのよ」
「そういうところ?」
「困っている相手を助ける。相手が傷ついているところを見抜く。欲しい言葉を自然に言う。しかも本人は無自覚」
「……それは悪いことなのか?」
「悪くはないわ」
リリアは視線を落とした。
「悪くはないから、厄介なの」
蒼真は黙った。
リリアの声には、責めるだけではない何かが混ざっていた。
拗ねている。
怒っている。
呆れている。
けれど、それだけではない。
寂しさのようなものが、少しだけ見えた。
蒼真は、慎重に口を開いた。
「最近、図書室に行けていなかったのは悪かった」
リリアが顔を上げる。
「別に、謝ってほしいわけじゃないわ」
「でも、気にしていたんだろ」
「……気にしていないとは言っていない」
「じゃあ、次からはちゃんと顔を出す」
「義務みたいに言わないで」
「そういうつもりじゃない」
蒼真は少し考えた。
「リリアと話すと、整理できることが多い。召喚のことも、魔法のことも。この世界で分からないことが多い俺にとっては、助かっている」
リリアは一瞬、目を見開いた。
そして、すぐに視線を逸らす。
「……そういうところよ」
「何が?」
「なんでもない」
リリアはカップを持ち上げた。
だが、中身がほとんど残っていないことに気づき、少し気まずそうに置いた。
蒼真は店員を呼ぼうとした。
「おかわり頼むか?」
「いいわよ、自分で頼めるから」
「そうか」
また少し沈黙が落ちる。
だが、先ほどまでの重さとは違っていた。
少しだけ、柔らかい。
テーブルの上の小さな鉢植えが、いつの間にか花を開いていた。
淡い紫色の花だった。
リリアがそれを見て、ぼそりと言う。
「感情反応花ね」
「感情に反応するのか?」
「ええ。近くにいる人の感情が強く動くと、花が開くの。色で感情の種類もある程度分かるわ」
「紫は?」
「……知らない」
「知らないのか」
「知らないわ」
リリアは明らかに知っている顔だった。
蒼真は追及しなかった。
代わりに、エルフの里の話へ戻す。
「それで、エルフの里の件だが」
「ええ」
「どう対応すればいいと思う?」
「あなたがどうしたいかによるわ」
「エルミナ先輩には感謝しているし、悪い人ではないと思っている。植物のことももっと知りたい。けど、結婚前提だと思われるのは困る」
「でしょうね」
「元の世界に帰る方法も探している途中だ。無責任な約束はできない」
その言葉に、リリアの表情が少しだけ変わった。
蒼真が元の世界へ帰る可能性。
それは、彼女も知っている。
召喚について調べているからこそ、リリアはその問題の重さを理解していた。
彼がこの世界に残るのか。
帰るのか。
帰れるのか。
帰ったとして、また来られるのか。
何も分かっていない。
だからこそ蒼真は、誰かと正式に付き合うことに踏み込めない。
リリアは、少しだけ目を伏せた。
「……そうね。あなたは、そういうところは妙に誠実なのよね」
「妙に、は余計だ」
「褒めているわ」
「半分くらいか?」
「今度は七割くらい」
「増えたな」
リリアは小さく笑った。
その笑顔を見て、蒼真は少し安心した。
やはり、いつものリリアに戻りつつある。
リリアは、指先でカップの縁をなぞりながら言った。
「変な誤解を避けたいなら、一人で行かない方がいいかもしれないわね」
「一人で行かない?」
「ええ。第三者がいれば、少なくとも密約みたいには見えにくいでしょう」
「なるほど」
「それに、エルフの里の記録や精霊関連の情報は、魔法研究部にとっても価値があるわ。だから、その……」
リリアの声が少し小さくなる。
「私が同行すれば、研究目的という形にもできる」
「リリアが?」
「嫌なら別にいいけれど」
「いや、助かる。リリアがいてくれるなら心強い」
リリアの頬が、ほんの少し赤くなった。
「そういう即答も、どうかと思うわ」
「なぜだ」
「なんでもない」
リリアはまた視線を逸らした。
そして、何かを決意したように息を吸う。
「しょうがないわね」
「何が?」
「エルフの里の件。変な誤解を避けたいなら……その、私と……」
リリアの声が、そこで一度止まった。
蒼真は続きを待つ。
リリアは珍しく言い淀んでいた。
眼鏡の奥の瞳が揺れている。
耳まで、ほんのり赤い。
「私と……」
その瞬間だった。
「蒼真!」
明るく勢いのある声が、カフェの入口から飛んできた。
蒼真が振り向く。
赤い髪が、人混みの中でもよく目立っていた。
フレイア・バルディッシュ。
元気いっぱいの火属性少女が、こちらへ大きく手を振っている。
「おはよ! 探したわよ!」
その隣には、金髪の令嬢がいた。
ルミエール・ド・アルセリア。
光属性の名門令嬢であり、蒼真にとって最初の事件から関わりの深い少女。
彼女はフレイアより少し控えめに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「おはようございます、蒼真さん」
蒼真は椅子から少し身を起こした。
「おはよう、フレイア。ルミエールも」
フレイアはずんずんと近づいてくる。
ルミエールはその後ろから、上品な足取りでついてくる。
リリアは、閉じかけていた口をそのまま閉じた。
そして、静かにカップを持ち上げる。
中身はもうない。
それでも、彼女は紅茶を飲むふりをした。
蒼真は気づかない。
「二人とも、どうしたんだ?」
フレイアは腰に手を当てた。
「どうしたんだ、じゃないわよ。植物祭、ひとりで回ってるのかと思って探してたの」
ルミエールは蒼真の前に置かれた皿に目を留めた。
皿には、食べかけのモンブランケーキがある。
金色のクリームと、光る花びら。
ルミエールの瞳が、ぱっと明るくなった。
「それ……私のケーキですか?」
「ああ」
蒼真は頷いた。
「おいしかったよ。見た目もきれいだし、味もいい」
ルミエールの頬が、ふわりと赤く染まる。
「本当ですか?」
「本当だ」
フレイアがにやりと笑った。
「へえ、朝からルミエールのケーキ食べてたんだ」
リリアが、静かに本を開き直した。
「ええ。私の前でね」
その一言に、空気が少しだけ変わった。
フレイアの目が細くなる。
ルミエールは笑顔のまま、蒼真とリリアを交互に見た。
蒼真だけが、その微妙な変化を理解しきれていなかった。
「リリア?」
「何でもないわ」
リリアは本に視線を落としたまま答えた。
だが、その声は明らかに何でもなくなかった。
フレイアはテーブルの横に立ち、リリアを見た。
「で、何の話してたの?」
リリアはページをめくる。
読んではいない。
「別に。蒼真がまた無自覚に面倒なことをしている、という話よ」
「また?」
フレイアが蒼真を見る。
ルミエールも、少し不安そうに蒼真を見る。
蒼真は眉を寄せた。
「また、とは心外だ」
リリアは小さく呟いた。
「心外なのはこっちよ」
その声は、フレイアたちには聞こえたかどうか分からないほど小さかった。
蒼真は聞こえたが、意味は分からなかった。
フレイアが明るく言う。
「まあいいわ。せっかくだし、ここ座ってもいい?」
ルミエールも微笑む。
「もしお邪魔でなければ、ご一緒してもよろしいですか?」
蒼真は自然に頷いた。
「ああ、もちろん」
リリアの指が、またぴたりと止まった。
蒼真はそれにも気づかない。
窓際の席に、リリア、蒼真、フレイア、ルミエールが集まる。
魔法植物カフェの小さなテーブルの上で、感情反応花がゆっくりと花を開いた。
紫。
赤。
淡い金色。
いくつもの色が、まるで誰かの心を映すように揺れていた。
蒼真はそれを見て、首を傾げる。
「この花、さっきより色が増えてないか?」
リリアは本を閉じ、静かに答えた。
「気のせいじゃないかしら」
フレイアは椅子を引きながら笑う。
「へえ、面白い花ね」
ルミエールは蒼真の隣に座る前に、少しだけ花を見つめた。
「……本当に、面白いですね」
蒼真は、三人の表情を見比べる。
何かが始まりそうな気配はある。
だが、それが何なのかは、まだ分からない。
少なくとも、魔法植物カフェで静かに朝食を終える、という当初の予定だけは、もう無理そうだった。




