第68話 ボタニカル・マギアフェスタ開幕(2)
第68話 ボタニカル・マギアフェスタ開幕
正門近くの広場では、植物研究会の生徒たちがパンフレットを配っていた。
「ボタニカル・マギアフェスタの案内です!」
「会場図はこちらでーす!」
「危険植物区画は係員の指示に従ってください!」
蒼真も一部受け取った。
紙面には、鮮やかな緑色の文字で催し物の一覧が書かれている。
魔法植物カフェ。
魔法植物スイーツコンテスト。
魔法植物バトルレース。
魔法植物の相性迷路。
魔法薬の材料採集競争。
魔法植物の屋台。
魔法植物の研究発表。
フィナーレ、魔法植物の音楽パレード。
昨日エルミナから聞いたものばかりだ。
こうして一覧で見ると、本当に一日で回りきれるのか不安になるほど多い。
蒼真はパンフレットを眺めながら歩いた。
まずはどこへ行くか。
予定を立てようとして、ふと足が止まる。
「……先に、エルミナ先輩のところへ行くか」
植物たちが戻ったのかどうかが気になった。
それに、植物祭当日を迎えられたことを、直接確認したかった。
蒼真は植物研究施設の方へ向かった。
道中は、すでに来客で混み始めている。
普段は静かな校舎裏の道にも、今日は案内用の花飾りが並んでいた。足元の光苔が進む方向を示し、曲がり角には小さな看板が立っている。
【植物研究施設・展示準備中】
【関係者以外は開場時間までお待ちください】
施設の前に近づくと、中はかなり慌ただしかった。
扉は開いているが、一般客はまだ入れないように柵が置かれている。その向こうで、植物研究会の生徒たちが忙しく動き回っていた。
鉢を運ぶ者。
説明札を差し替える者。
水差しを持って走る者。
魔法陣の調整をしている者。
そして、その中心にエルミナがいた。
緑色の長い髪を一つにまとめ、いつもより動きやすそうな格好をしている。袖をまくり、手袋をつけ、指示を出しながら自分でも鉢の状態を確認していた。
「そこの月光草は日陰に少し寄せて。まだ光が強すぎるわ」
「歌花は音に反応しすぎないように距離を取ってね。開場直後は人の声が多いから」
「薬草棚の札、右と左が逆よ。眠り草と解熱草を間違えると大変だから、必ず確認して」
いつものおっとりした雰囲気とは違う。
植物のことになると、エルミナは本当に頼もしかった。
蒼真は柵の手前で足を止めた。
声をかけるか迷う。
明らかに忙しそうだ。
邪魔になるなら、後で来た方がいいかもしれない。
そう思った瞬間、エルミナがこちらに気づいた。
「あっ、蒼真くん!」
ぱっと表情が明るくなる。
周囲の生徒が一瞬こちらを見た。
蒼真は軽く手を上げる。
「おはようございます。忙しそうですね」
「おはよう。ごめんね、今すごくバタバタしてて」
「見ればわかります」
蒼真が言うと、エルミナは苦笑した。
「植物祭当日の朝は毎年こうなの。準備していたはずなのに、直前になると必ず何か起きるのよ」
「今年は特に大変だったんじゃないですか」
蒼真は施設内の植物を見る。
数日前まで赤く染まっていた植物たち。
月光草。
歌花。
薬草。
風車蔓。
マンドラゴンの鉢。
その多くが、本来の色を取り戻していた。
完全に元通りではないものもある。
葉の端にわずかに赤みが残っている植物もあった。
だが、あの不気味な赤一色の温室ではない。
青白い光。
柔らかな緑。
白い花弁。
透明な水滴。
植物研究施設は、エルミナが大切にしてきた色を取り戻していた。
「戻ったんですね」
蒼真が言うと、エルミナは満面の笑みを浮かべた。
「うん!」
その返事は、今まで聞いた中でも特に明るかった。
「全部じゃないけど、ほとんど戻ったの。薬効も大きな問題はなかったし、展示できる状態まで回復したわ」
「よかったです」
「蒼真くんのおかげよ」
「俺は理由を説明しただけです。戻ったのは、植物が頑張ったからですよ」
エルミナは一瞬きょとんとした。
それから、柔らかく笑う。
「そういうところよ」
「何がですか」
「なんでもない」
エルミナは少し頬を赤くして視線を逸らした。
その時、奥から声が飛ぶ。
「エルミナ先輩! 迷い蔓の誘導札が足りません!」
「すぐ行くわ!」
別の方向からも声が上がる。
「リーフグレイス先輩、月光草の水量確認お願いします!」
「わかった、少し待って!」
エルミナは蒼真に向き直る。
「ごめんね。本当はゆっくり話したいんだけど」
「大丈夫です。今日は忙しいでしょうし」
「うん……でも、来てくれて嬉しい」
その言葉は小さかった。
周囲の喧騒に紛れそうなほどだったが、蒼真には聞こえた。
「約束しましたから」
「約束……」
エルミナの視線が、一瞬だけ蒼真の額へ向いた。
昨日の額へのキスを思い出したのか、彼女の耳が赤くなる。
蒼真もその視線の意味に気づき、少しだけ反応に困った。
しかし、エルミナはすぐに気を取り直す。
「今日は一緒に回れないけど」
「わかっています」
「フィナーレには来てね」
「音楽パレードですね」
「うん」
エルミナは少しだけ身を乗り出した。
「絶対よ?」
「行きます」
「本当に?」
「本当に」
「途中で迷路に閉じ込められたり、食人植物の展示に近づきすぎたり、変な屋台で眠らされたりしない?」
「その心配の種類が多いですね」
「蒼真くん、危なっかしいもの」
「俺はそんなに危なっかしいですか」
「食人植物に触りかけた人が何を言っているの?」
「それは初日です」
「初日だからよけいに印象に残ってるの」
エルミナは楽しそうに笑った。
だが、また奥から呼び声が飛ぶ。
「エルミナ先輩ー!」
「今行くわ!」
エルミナは慌てて水差しを持ち直した。
「ごめん、行かないと」
「頑張ってください」
「蒼真くんも楽しんでね。カフェも、レースも、迷路も、屋台も、全部見て回って」
「はい」
「それで、夜は必ずパレードに来て」
「わかりました」
エルミナは満足そうに頷いた。
そして、ふと何かを思いついたように、少しだけ蒼真の近くへ寄る。
「あと」
「はい」
「手、まだ痛むなら無理しないでね」
そう言って、彼女は蒼真の包帯が外された手をちらりと見た。
火傷はかなり良くなっている。
跡は少し残っているが、動かすのに支障はない。
「大丈夫です」
「本当に?」
「本当に」
「ならいいけど」
エルミナはまだ少し心配そうだった。
それから、柔らかく微笑む。
「じゃあ、また後でね」
「はい。また後で」
エルミナは忙しそうに植物たちの方へ戻っていった。
蒼真はしばらくその背中を見送る。
緑色の髪が揺れ、彼女が指示を出すたびに周囲の生徒たちが動く。
エルミナは、あの場所で本当に生き生きとしていた。
土に触れ、葉に触れ、植物の状態を見て、必要な手を打つ。
トマスが泥くさいと言った作業。
けれど、蒼真にはそれが彼女らしさに見えた。
大切なものに向き合っている姿だ。
蒼真はパンフレットを開いた。
催し物の一覧をもう一度見る。
魔法植物カフェ。
魔法植物スイーツコンテスト。
魔法植物バトルレース。
魔法植物の相性迷路。
魔法薬の材料採集競争。
魔法植物の屋台。
魔法植物の研究発表。
フィナーレ、魔法植物の音楽パレード。
どこから回るか。
蒼真は少し考える。
その時、風に乗って甘い香りが漂ってきた。
花蜜のような香り。
焼きたてのパンのような香り。
薬草茶のような、少し爽やかな香り。
視線を向けると、中庭の方に案内板が立っていた。
【魔法植物カフェ】
朝食はまだ食べていない。
ユリウスとの会話が濃すぎて、食事のことを後回しにしていた。
蒼真は看板を見て、小さく頷いた。
「まずは朝飯かな」
そう呟き、カフェの方へ歩き出す。
まだ知らない。
その先で、黒髪眼鏡の理論派少女が、妙に気合いの入った顔で彼を待ち構えていることを。
ボタニカル・マギアフェスタは、まだ始まったばかりだった。




