第67話 ボタニカル・マギアフェスタ(2)
第67話 ボタニカル・マギアフェスタ
蒼真は話題を戻す。
「ボタニカル・マギアフェスタって、結局どんな祭りなんですか?」
エルミナは一瞬、目を点にした。
そして、また笑い出した。
「本当にそこからなのね」
「名前は聞いています」
「名前だけ?」
「はい」
「蒼真くん、ボタニカル・マギアフェスタがあるから、植物の勉強をしてたんじゃないの?」
「違いますよ。単に植物が好きですし、魔法が使えないので、魔法以外の知識を身につけないとと思って」
エルミナはまた目を細めた。
嬉しそうだった。
「そっか」
「はい」
「じゃあ、ちゃんと説明しないとね」
エルミナは作業台の椅子に腰を下ろした。
蒼真も向かい側に座る。
赤く染まった温室の中ではあるが、さっきまでの重苦しさは少しだけ薄れていた。
エルミナは指を一本立てる。
「ボタニカル・マギアフェスタは、ノクティス魔法学園で毎年開かれる魔法植物の祭典よ。学園内では植物祭って呼ぶ人の方が多いけれど、正式名称はボタニカル・マギアフェスタ」
「かなり大きな行事なんですか?」
「大きいわ。生徒だけじゃなくて、保護者、貴族、研究者、薬師、商人、近隣の町の人たちも来るもの」
「外部の人も来るんですね」
「ええ。魔法植物は薬にも、食材にも、装飾にも、研究にも使われるから。珍しい植物や新しい栽培方法を見に来る人は多いの」
エルミナの声に、少しずつ熱が入っていく。
植物の話をしている時の彼女は、本当にわかりやすい。
蒼真は自然と背筋を伸ばして聞いた。
「まず、一番有名なのは魔法植物育成コンテストね」
「育成コンテスト」
「生徒たちが育てた魔法植物を出品して、健康状態、美しさ、魔力反応、希少性、育成記録なんかを総合的に評価するの」
「植物の品評会みたいなものですね」
「そうね。ただ、見た目が綺麗なだけじゃだめ。根の状態、葉の張り、魔力の安定性、育成環境への配慮も見られるわ」
「かなり本格的ですね」
「本格的よ。審査員には先生だけじゃなくて、外部の薬師や植物研究者も来るもの」
エルミナは少し照れくさそうに笑った。
「私も参加予定なの」
「エルミナ先輩なら上位に入れそうですね」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、簡単じゃないわ。三年生や四年生にはすごい人も多いし、珍しい植物を育てている子もいるから」
「どんな植物を出す予定なんですか?」
「それはまだ秘密」
エルミナは人差し指を唇に当てた。
「当日のお楽しみよ」
「わかりました」
「次に人気なのは、魔法植物フォトスポット」
「フォトスポット?」
「記録水晶や記録板を使って、魔法植物と一緒に姿を残せる場所よ。光る花とか、浮遊果実とか、虹色に変わる葉を背景にするの」
「写真みたいなものですね」
「しゃしん?」
「俺の世界で、風景や人物をそのまま記録する技術です」
「へえ。記録水晶に近いのかしら」
「たぶん近いです」
エルミナは楽しそうに頷いた。
「綺麗な花と一緒に記録を残したいって人も多いの。毎年すごく人気なのよ。去年は月光草のアーチの前に行列ができて、係の子が途中で声を枯らしていたわ」
「行列ができるほどですか」
「ええ。夜になると月光草が一斉に光るでしょう? その下で記録を残すと、とても幻想的なの」
「それは見てみたいですね」
「今年も作る予定だったの。だから、この月光草も絶対に戻してあげないと」
エルミナは赤く染まった月光草を見る。
その目には、もう諦めはなかった。
「それから、魔法植物バトルレース」
「バトルレース」
名前からして不穏だった。
「歩く植物や走る蔓を使った競争よ。もちろん安全管理はしているわ。小型の走草とか、跳ね茸とか、動く根を持つ植物を専用コースで走らせるの」
「植物が走るんですか」
「走るわ」
「植物なのに」
「魔法植物だもの」
その一言で済ませていいのだろうか。
蒼真は少し考えたが、そういうものなのだと受け入れることにした。
「運動が好きな生徒には人気そうですね」
「人気よ。応援もすごく盛り上がるの。去年は走草が途中でコースを外れて観客席へ突っ込んで、係の先生が慌てて捕まえていたわ」
「安全管理は?」
「ちゃんとしていたわよ。だから誰も怪我はしなかったの」
「それならよかったです」
「ただ、先生の帽子は食べられたわ」
「植物が帽子を食べるんですか」
「走草は布を噛む癖があるの」
「癖で済むんですね」
エルミナはくすくす笑った。
「魔法薬の材料採集競争もあるわ」
「競争が多いですね」
「これは知識勝負よ。指定された魔法薬の材料を、制限時間内に正確に集めるの。似た見た目の薬草や毒草が混ざっているから、観察力が必要ね」
蒼真は少し興味を持った。
「それは面白そうです」
「蒼真くん、得意そう」
「知識が足りません」
「そこは私が教えてあげるわ」
「お願いします」
エルミナは嬉しそうに頷いた。
「ただし、間違えるとかなり減点されるわ。去年は解毒草と眠り草を間違えた生徒がいて、審査員にものすごく怒られていたもの」
「間違えたら危険ですね」
「ええ。魔法薬の材料は、似ているだけでまったく効果が違うものが多いの。だから、観察と確認が大事」
「事件現場と似ていますね」
「事件現場?」
「似たものの違いを見る、という意味です」
「なるほど。蒼真くんらしい見方ね」
エルミナは感心したように頷いた。
「屋台もあるのよ。魔法植物の屋台」
「食べられるんですか」
「食べられるものはね。炎苺串、月光草茶、浮遊果実飴、花蜜焼き菓子、薬草スープ……いろいろあるわ」
「食人植物は?」
「食べないわ」
「ですよね」
「食人植物は、食べる側じゃなくて食べる方だもの」
「その説明も怖いです」
「でも、食人植物の観察展示はあるわよ。もちろん厳重な檻つきで」
「食べ物の屋台の近くには置かない方がよさそうですね」
「当然よ。去年、配置を近くにしようとして先生に止められた子がいたわ」
「止められてよかったです」
二人は小さく笑った。
「魔法植物の迷路も人気ね」
「迷路?」
「迷い蔓や光苔を使った迷路よ。通る人の魔力に反応して蔓が少し動くから、毎回道が変わるの」
「危なくないんですか」
「安全な蔓を使うから大丈夫。たまに迷いすぎて泣く一年生はいるけど」
「大丈夫なんですか、それは」
「先生が見回っているから平気よ」
蒼真は、魔法学園の安全基準について少し疑問を持った。
だが、今さらかもしれない。
「途中で光苔が道を照らしてくれるの。だから、夜でも綺麗なのよ。迷路を抜けた先に小さな花畑を作るのが恒例で、そこがまた人気なの」
「かなり凝っていますね」
「みんな本気だから」
エルミナは誇らしそうに言った。
「魔法植物アクセサリー工房もあるわ」
「それは平和そうですね」
「花弁や樹脂、乾燥させた小さな実を使って、髪飾りやブレスレット、しおりを作るの。記念に持ち帰れるから毎年人気よ」
「女子生徒には人気そうですね」
「ええ。毎年行列ができるくらい人気よ。もちろん男子生徒も作れるわ。去年は先生に贈るしおりを作っていた男の子もいたわね」
「贈り物にもなるんですね」
「そう。魔法植物は、乾燥させても香りが残るものがあるの。しおりにすると、本を開くたびに少し香るのよ」
「それはいいですね」
「蒼真くんも作ってみる?」
「俺がですか?」
「ええ。自分用でもいいし、誰かへの贈り物でもいいし」
「考えておきます」
エルミナは少し楽しそうにした。
「魔法植物カフェもあるわよ」
「カフェ」
「植物研究会が運営するの。花茶、薬草菓子、精霊花ゼリー、香草パン、月光草のミルクティー……あ、月光草は量を間違えると眠くなるから注意ね」
「カフェで眠らされるんですか」
「眠らせないわ。ちゃんと調整するもの」
「少し不安です」
「蒼真くんには私が選んであげるから大丈夫」
「それなら安心です」
蒼真がそう言うと、エルミナは少し嬉しそうにした。
「接客は少し緊張するけど、植物の説明なら任せて。香りの違いや効能もちゃんと説明するわ」
「説明が長くなりそうですね」
「……少しだけね」
「少しだけですか」
「少しだけよ」
エルミナは視線を逸らした。
蒼真は追及しなかった。
「それから、魔法植物スイーツコンテスト」
「甘いものもあるんですね」
「魔法果実や花蜜を使ったお菓子を作るの。見た目、味、香り、魔力の安定性、食べた時の効果まで評価されるわ」
「食べた時の効果?」
「体が温まるとか、少し元気になるとか、気分が落ち着くとか。もちろん危険なものは禁止よ」
「それを聞いて安心しました」
「去年は、食べると一瞬だけ声が高くなる飴が出品されて、審査員が困っていたわ」
「危険ではないんですか」
「危険ではなかったけど、発表が少し大変そうだったわ」
エルミナは思い出して笑う。
「研究発表も大事よ。上級生や研究会が、栽培方法、薬効、危険植物の管理、精霊植物との共生について発表するの」
「かなり専門的ですね」
「ええ。でも、一般の人にもわかりやすいように展示するのが大切なの。難しいだけじゃ、植物の魅力は伝わらないから」
「エルミナ先輩らしいですね」
「そう?」
「はい。植物を知ってほしい、という感じがします」
エルミナは少し照れたように笑った。
「そうね。知ってほしいの。怖いだけじゃない。役に立つだけでもない。植物は生きていて、面白くて、綺麗で、時々わがままで……そんな存在だって」
蒼真は頷いた。
その気持ちは、今なら少しわかる。
最初は、食人植物に指を食べられかけた印象が強かった。
だが、エルミナと一緒に世話をし、説明を聞き、植物の状態を見るうちに、少しずつ印象は変わってきた。
危険なものもある。
扱いが難しいものもある。
けれど、それは人間と同じだ。
知れば、距離を測れる。
観察すれば、理由が見える。
「最後は、フィナーレの魔法植物の音楽パレードね」
エルミナの声が少し弾んだ。
「音楽パレード」
「歌花、音蔓、風鈴草、夜光花を使った夜のパレードよ。音を出す植物と、光る植物を組み合わせるの。温室から中央広場まで、植物たちが音と光を運ぶの」
「それは綺麗そうですね」
「すごく綺麗よ」
エルミナは目を細めた。
「夜の学園に、花の光が流れて、歌花が響いて、風鈴草が風に鳴るの。小さい頃、初めて見た時、本当に森の精霊が歩いているみたいだと思ったわ」
その表情は、どこか遠いものを見ていた。
故郷の森か。
幼い頃の記憶か。
蒼真にはわからない。
けれど、エルミナにとって植物祭がただの行事ではないことは伝わった。
「だから、間に合わせたいんですね」
「ええ」
エルミナは赤い植物たちを見る。
まだ本来の色ではない。
でも、もう絶望だけではなかった。
「絶対、間に合わせるわ」
「俺も手伝います」
「本当?」
「できる範囲で」
エルミナはにっこり笑った。
「じゃあ、できる範囲で、たくさんお願いしようかな」
「たくさんですか」
「ええ。蒼真くん、筋がいいもの」
「酷使されそうですね」
「大丈夫。ちゃんと休憩も入れるわ。魔法植物カフェの試食もつけてあげる」
「それは魅力的です」
「でしょう?」
二人の間に、柔らかい空気が戻る。
赤く染まった温室なのに、不思議と暗くはなかった。
エルミナは少し考えたあと、ふと蒼真を見た。
「そうだ。今度、お礼にエルフの里に案内するわね」
「エルフの里?」
蒼真は思わず聞き返した。
「ええ。私の故郷よ」
「行けるんですか?」
「簡単には入れない場所だけど、私が一緒なら大丈夫。森の奥にある小さな里なの。魔法植物もたくさんあるし、精霊に近い場所もあるわ」
精霊。
その言葉に、蒼真は少し反応した。
精霊魔法。
この世界の魔法体系の中でも、まだよく知らない分野だ。
いつか自分が精霊と契約すれば魔法が使えるようになるかもしれない、という話もある。
もちろん、今すぐどうにかなる話ではない。
だが、エルフの里は、この世界を知る上で重要な場所になりそうだった。
「それは、ぜひ行ってみたいです」
蒼真が言うと、エルミナは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、約束ね」
「はい」
蒼真が頷いた瞬間だった。
エルミナが少し背伸びをした。
蒼真は反応が遅れた。
額に、柔らかい感触が触れる。
ほんの一瞬。
優しく、温かく。
エルミナが蒼真の額にキスをした。
「え?」
蒼真は固まった。
さっきは唇。
今度は額。
この短時間で何度驚けばいいのだろうか。
エルミナは自分でしておきながら、すぐに顔を赤くした。
「あ、これは、その……エルフ族の習慣というか」
「習慣」
「そう。感謝とか、約束とか、親愛とか……そういう意味があるの。別に変な意味じゃなくて」
「変な意味」
「言わなくていいの!」
エルミナの耳が赤くなっていた。
蒼真は額に手を当てる。
そこに、まだ感触が残っている気がした。
「あの、ごめんね。また驚かせちゃった」
「いえ」
蒼真は少しだけ笑った。
「またびっくりしただけです」
「またって言わないで」
「すみません」
「謝らなくてもいいけど」
エルミナは恥ずかしそうに視線を逸らした。
その仕草が、いつものおっとりした先輩とは少し違って見えた。
植物の話をしている時は堂々としている。
危険植物の扱いにも迷いがない。
けれど、こういう時のエルミナは、少し年相応で、可愛らしい。
蒼真はそう思ったが、口には出さなかった。
出せば、また妙な空気になりそうだった。
クラリス先生たちは、まだ温室の奥で記録を続けている。
赤化した植物の一覧。
被害範囲。
水やりの記録。
トマスの処分や詳細な事情聴取は、これから学園側で行われるだろう。
だが、蒼真とエルミナの間では、一つの区切りがついていた。
植物は死んでいない。
水を与え続ければ戻る可能性がある。
ボタニカル・マギアフェスタも、まだ諦めなくていい。
エルミナはじょうろを手に取った。
「まずは普通の水をあげてみるわ」
「はい」
「蒼真くん、手は大丈夫?」
「大丈夫です」
「無理はしないでね」
「わかってます」
「本当に?」
「本当に」
エルミナは少し疑うように蒼真を見た。
だが、すぐに笑う。
「じゃあ、軽い作業だけお願いするわ」
「はい」
「まずは、この区画の水を替えるところから。赤い成分が残っているかもしれないから、古い水は別の容器に分けてね」
「わかりました」
蒼真は包帯を巻かれていない方の手で容器を取った。
エルミナは慎重に水を注ぐ。
赤くなった月光草の根元へ、透明な水がゆっくり染み込んでいく。
すぐに色が戻るわけではない。
当然だ。
けれど、それは始まりだった。
エルミナは月光草の葉をそっと撫でる。
「大丈夫。戻してあげるからね」
その声は優しかった。
蒼真はその横顔を見た。
赤く染まった温室。
包帯を巻かれた手。
額に残る微かな感触。
そして、これから始まる植物祭の準備。
事件の影はまだ完全には消えていない。
けれど、エルミナは前を向いている。
植物たちも、まだ生きている。
蒼真は透明な水を入れた容器を持ち上げた。
「次はどれですか」
エルミナは嬉しそうに振り返った。
「こっちよ。蒼真くんには、まだまだ覚えてもらうことがたくさんあるんだから」
「覚悟しておきます」
「ふふ、いい返事」
赤い温室の中で、二人は並んで歩き出した。
ボタニカル・マギアフェスタまで、まだ少し時間がある。
その時間を、諦めるためではなく、取り戻すために使う。
エルミナの足取りは、もう倒れそうなものではなかった。
蒼真はその隣で、赤く染まった葉を見つめる。
真実はもう一つ見えた。
そして、次に見るべきものも決まっている。
植物を戻すこと。
植物祭を成功させること。
それが今、蒼真にできる一番現実的な手伝いだった。




