第67話 ボタニカル・マギアフェスタ(1)
第67話 ボタニカル・マギアフェスタ
赤く染まった温室の中に、ほんの少しだけ明るい空気が戻っていた。
植物たちは、まだ元の色を取り戻してはいない。
月光草は本来の青白い光ではなく、淡い赤紫色の光を放っている。白かった歌花の花弁には赤い筋が入り、薬草棚に並ぶ葉も、蔓も、茎も、どこか不自然な色を帯びていた。
それでも、少し前まで温室を満たしていた絶望感は薄れていた。
枯れたわけではない。
死んだわけではない。
植物が赤い液体を吸い上げた結果、内側から染まった可能性が高い。
蒼真がそう説明したことで、エルミナの顔にはようやく血の気が戻り始めていた。
もちろん、完全に安心できるわけではない。
魔法植物は普通の植物とは違う。どの種類がどれくらいで元の色に戻るのか。赤い成分が薬効や魔力反応に悪影響を与えていないのか。植物祭までに展示できる状態へ整えられるのか。
確かめるべきことは山ほどある。
それでも、もう終わりではなかった。
それだけで、エルミナにとっては十分すぎるほど大きな救いだった。
作業台の上には、蒼真が描いた簡単な図が置かれている。
根。
茎。
細い管。
葉。
赤い水が吸い上げられ、葉脈に沿って広がっていく図。
エルミナはその図を何度も見返していた。
「根から吸って、細い管を通って、葉や花に運ばれる……」
「はい」
「だから、色のついた液体を吸えば、花や葉の色も変わる……」
「そうです」
「魔法を使わなくても?」
「少なくとも、俺のいた世界ではそうでした」
「魔法を使わなくても……」
エルミナはもう一度、噛みしめるように呟いた。
そして、急に肩を震わせ始めた。
蒼真は少し警戒した。
また泣き出すのかと思ったのだ。
だが、違った。
次の瞬間、エルミナは堪えきれないように笑い出した。
「ふふっ……あははっ……!」
「……どうしました?」
「ご、ごめんなさい。だって、蒼真くん……」
エルミナは目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
今度の涙は、悲しみではない。
笑いすぎた涙だった。
「ボタニカル・マギアフェスタがどんなものかも知らないまま、植物の勉強をしてたの?」
「はい」
蒼真は真面目に頷いた。
エルミナはまた笑う。
「本当に?」
「本当です」
「植物祭があるから、予習してたわけじゃなくて?」
「違います」
「じゃあ、何のために?」
「単に、植物が面白いと思ったので」
蒼真は赤く染まった月光草を見る。
「それと、俺は魔法が使えないので、魔法以外の知識を身につけないといけないと思っています」
エルミナの笑いが止まった。
長い耳が、ぴくりと動く。
「え?」
「はい?」
「魔法、使えないの?」
「はい」
蒼真は当たり前のように答えた。
「少なくとも、自分で魔法を発動することはできません」
エルミナは目を丸くした。
「でも、この学園にいるのよね?」
「います」
「魔法学園よ?」
「はい」
「それで魔法が使えないの?」
「そうです」
エルミナはしばらく言葉を失った。
それから、少しだけ困ったように笑う。
「蒼真くんって、時々とんでもないことを普通に言うわね」
「よく言われます」
「よく言われるのね」
「はい」
蒼真は包帯を巻かれた手を軽く動かした。
冷却葉の効果で痛みはかなり引いている。
「俺のいた世界には、魔法がありませんでした。こちらに来てからも、魔力を自分で生み出すことができないみたいです。だから、実技は苦手です」
「苦手というか……使えないのよね?」
「はい」
「それなのに、トマスの魔法を止めたの?」
「あれは、自分で魔法を使ったわけではありません。杖を掴んだら、集まっていた魔力の流れが乱れただけです」
「だけ、じゃないわよ」
エルミナは真剣な顔になった。
「普通はできないわ。発動しかけた魔法に直接触れるなんて、危ないだけよ。火属性なら、火傷どころじゃ済まないことだってあるの」
「熱かったです」
「熱かったです、じゃないの」
エルミナは少し怒ったように眉を寄せる。
だが、すぐにその表情は柔らかくなった。
「それなのに……この前、私の盾になってくれたのね」
「とっさに体が動いただけです」
「それでも」
エルミナは蒼真の包帯を巻いた手を見つめた。
「ありがとう」
正面から礼を言われると、蒼真は少し返答に困った。
視線をわずかに逸らす。
「あれは……女性を守るのも、男の役目なので」
言った直後、蒼真は自分でも少し見栄を張ったと思った。
冷静に考えれば、もっと別の言い方があったはずだ。
しかし、もう口にしてしまった。
エルミナは一瞬きょとんとした。
それから、頬を赤くして笑った。
「蒼真くん、そういうことも言うのね」
「忘れてください」
「嫌よ」
「なぜですか」
「可愛かったから」
「可愛いと言われる立場ではないと思います」
「じゃあ、かっこよかった」
エルミナはいたずらっぽく笑った。
蒼真は返答に詰まる。
その反応を見て、エルミナはさらに楽しそうに目を細めた。
「ますます気に入ったわ」
「……そうですか」
「そうよ」
エルミナは包帯を巻かれた蒼真の手をもう一度確認した。
冷却葉がずれていないことを確かめ、包帯の端を丁寧に整える。
「蒼真くんって、冷静そうなのに、時々ちゃんと照れるわよね」
「照れていません」
「今、少し耳が赤いわよ」
「エルミナ先輩もよく耳が赤くなります」
「それは言わなくていいの」
エルミナは自分の耳を慌てて手で隠した。
隠したことで、余計に意識しているのがわかる。
蒼真はそれ以上触れないことにした。
エルフの耳については、すでに一度失敗している。
「それで」




