↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロ探偵と美少女たちの魔法学園事件簿 ~その事件、魔法じゃありません!~  作者: にめ
1学年前期:ボタニカル・マギアフェスタ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

87/96

第64話 赤く染まった温室(2)

第64話 赤く染まった温室



 やがて、背後で小さな声がした。


「……う……」


 蒼真は振り返る。


 ソファの上で、エルミナがゆっくり目を開けていた。


「エルミナ先輩」


 蒼真はすぐにそばへ戻った。


「大丈夫ですか。無理しないでください」


「あたし……」


 エルミナはぼんやりと天井を見た。


 それから、ゆっくり体を起こそうとする。


 蒼真は肩を支えた。


「急に起きない方がいいです」


「うん……ごめんね」


 エルミナは少しずつ意識を取り戻しているようだった。


 だが、温室の赤い光景が目に入った瞬間、また表情が歪む。


「……夢じゃ、ないのね」


「はい」


 蒼真は短く答えた。


 ここで嘘をついても意味がない。


 エルミナはソファの上で両手を握りしめた。


「どうしよう……」


 声が震えている。


「ボタニカル・マギアフェスタが近いのに……」


 涙が目元に浮かぶ。


「みんな、ずっと準備してきたの。植物研究会の子たちも、薬草学の子たちも、先生たちも……この子たちを見てもらうために、ずっと……」


 エルミナは赤く染まった植物たちを見る。


「私、この子たちの状態、毎日見てたのに……昨日まで元気だったのに……」


 蒼真は黙って聞いた。


 この光景が、エルミナにとってどれほどつらいものか。


 それは、完全にはわからない。


 ただ、植物を語る彼女の表情を知っている。


 マンドラゴンを起こさないように手を添えた時の真剣な目。


 月光草の採取時間を説明した時の楽しそうな声。


 土臭いと言われたことを少し寂しそうに話した顔。


 彼女にとって、ここにある植物は単なる展示物ではない。


 大切に育ててきた存在なのだ。


「まだ、枯れてはいません」


 蒼真は言った。


 エルミナが顔を上げる。


「え……?」


「葉に張りがあります。茎も折れていない。土も大きく荒らされてはいません。色は異常ですが、少なくとも今すぐ全部駄目になったとは限らないと思います」


「本当に……?」


「断言はできません。でも、諦める段階じゃないです」


 エルミナは唇を噛んだ。


 涙が一筋、頬を伝う。


「ありがとう……」


 蒼真は頷いた。


 その時だった。


 植物研究施設の扉が、再び開いた。


 ゆっくりと。


 まるで、開ける者が中の状況をすでに知っているかのように。


「これはこれは」


 聞き慣れない男子生徒の声が響いた。


「エルミナ、大丈夫かい?」


 蒼真は振り返った。


 入口に一人の男子生徒が立っていた。


 年齢はエルミナと同じくらいだろう。


 二年生の紋章。


 整った顔立ち。


 薄茶色の髪を綺麗に整え、制服も乱れなく着こなしている。


 立ち姿だけなら、貴族の子弟という印象を受ける。


 だが、その目は温室ではなく、エルミナだけを見ていた。


 赤く染まった植物を見ても、驚きは薄い。


 心配そうな言葉を口にしているが、視線はエルミナの顔から離れない。


 エルミナの表情が一変した。


 悲しみの中に、怒りが混じる。


「トマス……」


 彼女はソファから立ち上がろうとした。


 蒼真が支える。


 エルミナはまだ足元が少しふらついていたが、それでもトマスを睨んだ。


「あなたの仕業でしょ!」


 トマスと呼ばれた男子生徒は、大げさに肩をすくめた。


「何を言うんだ、エルミナ。植物を赤くする魔法なんて、僕は知らないよ」


 その言い方に、蒼真はわずかな違和感を覚えた。


 植物を赤くする魔法。


 まだ誰も、魔法で赤くしたとは言っていない。


 エルミナは怒りでそこまで気づいていないようだった。


「しらばっくれないで。こんなことをする理由があるのは、あなたくらいよ」


「ひどいな。僕は君を心配して来ただけだよ」


 トマスは施設内へ一歩入った。


 蒼真は自然にエルミナの前へ少し出る。


 トマスの視線が、そこで初めて蒼真へ向いた。


 途端に、目つきが変わる。


「……それより、エルミナ」


 声が低くなった。


「隣のそいつは誰だよ」


 蒼真はトマスを見返した。


 敵意。


 明確な敵意だった。


 初対面の相手に向けるには、少し強すぎる。


「俺は――」


 蒼真が名乗ろうとした瞬間、エルミナが蒼真の袖を掴んだ。


 小さな力だった。


 けれど、はっきりと助けを求めるような仕草だった。


 蒼真は言葉を止める。


 エルミナは一瞬だけ蒼真を見た。


 そして、ほんの少しだけ目で合図をする。


 その表情は怒っている。


 悲しんでいる。


 けれど、それ以上に、トマスから距離を取りたいという意志があった。


 エルミナはトマスへ向き直った。


「私の彼氏よ」


 温室内の空気が止まった。


 蒼真も、一瞬だけ止まった。


 だが、エルミナがこちらに小さくウインクしたのを見て、状況を理解した。


 嘘だ。


 トマスを遠ざけるための嘘。


 そう判断した蒼真は、驚きを表に出さないようにした。


「……そういうことです」


 淡々と合わせる。


 トマスの顔色が変わった。


「なんだと……?」


 声が震えていた。


 怒りか、嫉妬か。


 おそらく両方だ。


「エルミナ……僕という人がいながら……」


「あなたとは何度も付き合えないって言ったわ」


 エルミナの声は冷たかった。


「何度も。はっきりと」


「どうしてだ!」


 トマスが声を荒げる。


「僕はこんなに君を愛しているのに!」


「違う」


 エルミナは即座に否定した。


「あなたが欲しいのは、私じゃない。私の中にあるエルフの血でしょ」


 トマスの目が一瞬だけ揺れた。


 蒼真はそれを見逃さなかった。


 エルミナは続ける。


「あなたはいつもそうだった。エルフは美しい、エルフは長命だ、エルフの血は特別だって……私自身の話なんて、聞こうともしなかった」


「そんなことはない」


 トマスは取り繕うように笑った。


「僕は君が好きなんだ。君のすべてが欲しいんだよ」


 その視線が、エルミナの顔から、髪、耳、そして身体へと流れる。


 好意というより、所有欲に近い。


 蒼真は無意識に眉を寄せた。


 エルミナは一歩引いた。


「私、純粋なエルフじゃないわよ」


 その言葉は、静かだった。


 けれど、覚悟を決めた声だった。


「混血だけど、それでもいいの?」


 トマスの表情が、ほんの一瞬だけ止まった。


 本当に一瞬だった。


 だが、迷った。


 蒼真にはそう見えた。


 トマスはすぐに笑顔を作り直す。


「構わないさ。君が好きなんだから」


 だが、その言葉は軽かった。


 エルミナにも、それは伝わったらしい。


 彼女の目から、怒りよりも深い失望が滲む。


 トマスはそれに気づかないまま続けた。


「僕と一緒にいれば、こんな泥くさい作業をしなくて済むよ。毎日土にまみれて、変な植物の世話をして、危ない思いをして……そんなことをしなくてもいい」


 エルミナの肩が震えた。


「それに、そいつとも別に本気じゃないんだろう? どうせ僕を遠ざけるための嘘だ。君がそんな平凡な男を選ぶはずが――」


「もういい」


 エルミナの声が、低く響いた。


 トマスが口を閉じる。


「やっぱり、あなたは何もわかってない」


 エルミナは、赤く染まった植物たちを見た。


 それから、自分の手を見た。


 土がついている手。


 植物を育ててきた手。


「私は、この場所が好きなの」


 声が震えている。


 けれど、弱くはなかった。


「この子たちが好きなの。土に触れることも、水をあげることも、葉の色を見ることも、根が元気か確かめることも……全部、私にとって大切なことなの」


 エルミナはトマスを睨んだ。


「それを泥くさいって言う人に、私の何がわかるの?」


 トマスは少し苛立ったように顔を歪めた。


「エルミナ、僕は君のためを思って――」


「出ていって」


「……何?」


「もう出ていって。あなたと話したくない」


 温室内に沈黙が落ちた。


 赤く染まった植物たちが、ただ静かに揺れている。


 トマスの顔が怒りで引きつった。


「くっ……」


 そして、ついに口を滑らせた。


「せっかく、この赤い植物の戻し方を教えてあげようと思ったのに」


 その瞬間。


 蒼真の目が細くなった。


 エルミナも息を呑む。


「……今、なんて言ったの?」


 エルミナの声は震えていた。


 トマスは一瞬、しまったという顔をした。


 だが、すぐに開き直るように顎を上げる。


「別に。ただ、僕には知識があると言っただけだ」


 蒼真は静かに言った。


「そういうことですか」


 トマスの視線が蒼真へ向く。


「なんだよ」


 蒼真は赤く染まった植物を見た。


 それから、トマスを見る。


「戻し方を知っているんですね」


「お前に何がわかるんだよ」


 トマスの声には、あからさまな敵意が混じっていた。


「エセ彼氏が」


 エルミナの手が、蒼真の袖を強く握った。


 蒼真はその震えに気づく。


 怒り。


 恐怖。


 悔しさ。


 そして、植物たちを傷つけられたかもしれない悲しみ。


 事件は、まだ解決していない。


 植物がなぜ赤くなったのかも、まだわからない。


 トマスがどう関わったのかも、証拠はない。


 けれど、少なくとも一つだけはっきりした。


 この男は、何かを知っている。


 蒼真は静かに息を吐いた。


 赤く染まった温室の中で、エルミナの震える手を感じながら、トマスを見据える。


 植物祭はまだ始まっていない。


 だが、その準備期間に起きたこの異変は、もう単なる事故では済まされない。


 そして、蒼真は理解していた。


 ここから先は、ただ植物を元に戻すだけの話ではない。


 エルミナが大切にしてきたものを、誰が、なぜ、どうやって傷つけたのか。


 それを明らかにする必要がある。


 赤い葉が、温室の明かりを受けて不気味に光る。


 トマスは蒼真を睨みつけていた。


 エルミナは泣きそうな顔で、それでも蒼真の横に立っていた。


 蒼真はまだ、結論を出さない。


 ただ、事実を一つずつ拾い上げる。


 この世界でいつもそうしてきたように。


 魔法のせいだと決めつけず。


 感情に流されず。


 目の前の現象を観察する。


 赤く染まった温室。


 壊れていない鍵。


 枯れていない植物。


 薄い魔力痕跡。


 そして、戻し方を知っていると言った男。


 蒼真は小さく呟いた。


「まずは、事実を整理しよう」


 その言葉に、トマスの眉がぴくりと動いた。


 エルミナは不安そうに蒼真を見る。


 だが、蒼真の視線は温室全体を捉えていた。


 事件は、ここから始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。