第62話 エルフの先輩と食人植物(2)
第62話 エルフの先輩と食人植物
最初に案内されたのは、淡い青色の花が咲く区画だった。
花は小さく、星のような形をしている。葉は細く、夜空を思わせる深い紺色。花弁の中心には、微かな光が宿っている。
「これは月光草」
エルミナが説明する。
「月の光を浴びると、花が開いて光るの。今は昼だから弱いけれど、夜になるともっと綺麗よ」
「薬に使うんですか?」
「ええ。花弁を乾燥させると、眠りを助ける薬になるわ。強いものではないから、子どもや高齢者にも使いやすいの」
「睡眠薬みたいなものですね」
「スイミンヤク?」
「ああ、俺の世界での言い方です。眠るための薬、という意味です」
「なるほど。異世界にも似た薬があるのね」
エルミナは興味深そうに頷いた。
「ただし、月光草は採取の時間が大事なの。満月の夜、花が完全に開いた瞬間に摘まないと、薬効が半分以下になるわ」
「そこまで違うんですか」
「魔法植物は、環境や時間の影響を受けやすいの。普通の植物よりもずっと繊細なのよ」
蒼真は月光草を見下ろした。
何気なく咲いているように見える花にも、扱い方がある。
魔法陣と同じだ。
線一本、節点一つで意味が変わる。
植物もまた、ただそこに生えているだけではない。
条件、環境、性質。
それらを理解して初めて、正しく扱える。
「次はこっち」
エルミナは楽しそうに先へ進む。
次に見せられたのは、赤い実をつけた低木だった。
実は小さな苺のようだが、表面がほのかに赤く光っている。
「これは炎苺」
「炎の苺?」
「火属性の魔力を含んだ果実よ。食べると体が温まるの。寒い地域では重宝されているわ」
「食べられるんですね」
「熟していればね」
エルミナは意味深に言った。
「未熟なものを食べると、口の中で小さく爆ぜるわ」
「爆ぜる」
「ぱちん、くらいならまだいいけれど、収穫時期を間違えると、ぼん、って」
「口の中で?」
「口の中で」
蒼真は赤い実から一歩離れた。
エルミナがくすりと笑う。
「怖がらなくても大丈夫。ここにあるものは熟度を管理しているから」
「管理していないものは怖いですね」
「自然に生えている炎苺は、慣れていない人にはおすすめしないわ。山で見つけても、勝手に食べちゃだめよ」
「覚えておきます」
異世界で野草を食べるのは危険。
蒼真は心のメモに書き込んだ。
次の区画では、白い花が並んでいた。
一見すると普通の花だ。
だが、近づくと花が一斉にこちらを向いた。
「……見られてます?」
「正確には、音に反応しているの」
エルミナは指を唇に当て、静かにと言うような仕草をした。
そして、小さく手を叩く。
ぱん。
白い花が一斉に震えた。
次の瞬間、かすかな音が響く。
鈴のような、笛のような、透明な音。
「歌花よ」
「歌うんですか」
「音に反応して共鳴するの。複数並べると、簡単な旋律を奏でることもできるわ」
「植物の楽器ですね」
「そうね。音楽科の生徒がよく借りに来るわ。ただし、大声を出すと驚いて一斉に鳴くから、授業中に持ち込むのは禁止されているの」
「授業妨害になりそうですね」
「実際、去年それで怒られた生徒がいたわ」
エルミナは懐かしそうに笑った。
蒼真は歌花の前で軽く指を鳴らした。
ちりん、と一輪だけが小さく鳴る。
「面白いな」
「でしょう?」
エルミナが嬉しそうに言う。
「魔法植物って、危険なものばかりじゃないの。人の生活を助けたり、楽しませたり、心を落ち着かせたりもするのよ」
その言葉には、植物への愛情が滲んでいた。
蒼真はエルミナの横顔を見た。
植物を見つめる目が優しい。
おっとりしているが、知識は深い。
危険なものを危険だと理解したうえで、それでも好きなのだろう。
「エルミナ先輩、本当に植物が好きなんですね」
蒼真が言うと、エルミナは少し照れたように笑った。
「ええ。大好き」
迷いのない返事だった。
「小さい頃から、ずっと植物に囲まれて育ったの。エルフの里では、植物はただの資源じゃなくて、隣人みたいなものだったから」
「隣人」
「ええ。話しかける相手で、助け合う相手で、時々機嫌を損ねる相手」
「機嫌を損ねるんですか」
「損ねるわよ。水が多すぎるとか、日差しが強すぎるとか、近くでうるさくしすぎるとか」
「人間より繊細ですね」
「植物によっては、人間よりずっと気難しいわ」
エルミナは冗談めかして言った。
けれど、蒼真は少し納得していた。
魔法植物は、ただの植物ではない。
魔力を宿し、環境に反応し、時には人を襲い、時には人を癒す。
それを知ることは、この世界を知ることに近い。
蒼真は施設内を見回した。
ここには、まだ自分の知らないものが山ほどある。
その事実が、不思議と悪くなかった。
「そういえば」
エルミナが思い出したように言った。
「もう少ししたら、学園で植物祭があるの」
「植物祭?」
「ええ。植物研究会や薬草学の生徒、精霊学に関わる生徒たちが、研究成果や珍しい植物を展示する行事よ。外部の来客も来るし、屋台みたいなものも出るわ」
「学園祭みたいなものですか」
「ガクエンサイ?」
「ああ、俺の世界での言い方です。生徒が出し物をしたり、展示をしたりする行事です」
「それなら近いかもしれないわね。ただ、植物祭はかなり専門的な展示も多いの。薬草、魔法薬、栽培技術、精霊植物、危険植物の管理方法……」
エルミナはそこで少しだけ胸を張った。
「私も準備を手伝っているのよ」
「エルミナ先輩なら、中心になってそうですね」
「そ、そんなことはないわ」
エルミナは照れたように手を振った。
だが、その表情は嬉しそうだった。
「でも、植物祭は楽しいわよ。蒼真くんも、時間があったら見に来てね」
「はい。興味あります」
「本当?」
「本当です。今日見ただけでも、かなり面白いので」
蒼真がそう言うと、エルミナの表情がぱっと明るくなった。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
その笑顔は、月光草の光よりもわかりやすく輝いていた。
それからも、エルミナは施設内を案内してくれた。
葉に触れると冷気を放つ氷露草。
風がなくても葉を回転させる風車蔓。
近づいた人の魔力に反応して色を変える虹葉樹。
水を与えると小さな声で礼を言うという、にわかには信じがたい草。
実際にエルミナが水を与えると、葉が揺れて、かすかに「ありがと」と聞こえた気がした。
蒼真は思わず立ち止まった。
「今、しゃべりました?」
「鳴いただけよ」
「俺には礼を言ったように聞こえました」
「ふふ。そう聞こえたなら、きっと喜んでいるのね」
「そういうものなんですか」
「そういうものよ」
エルミナは当然のように言った。
この世界では、科学的な説明だけでは追いつかないことがある。
ただし、それは考えなくていいという意味ではない。
蒼真はそう思う。
魔法があるからこそ、現象を観察する必要がある。
魔法だからと片付けてしまえば、何も見えなくなる。
植物も同じだ。
不思議だからこそ、よく見る。
知らないからこそ、学ぶ。
案内が一段落した頃、施設内には夕方の光が差し込んでいた。
ガラス張りの天井越しに、空が淡い橙色へ変わっている。
植物たちの影が通路に伸び、月光草の花が少しずつ光を強め始めていた。
「……気づいたら、結構時間が経ってましたね」
蒼真が言うと、エルミナははっとしたように天井を見上げた。
「あら、本当。ごめんなさい。植物の話をすると、つい長くなっちゃうの」
「いえ、面白かったです」
蒼真は本音で言った。
「この世界に来てから、魔法そのものに意識が向いてましたけど、植物も魔法と深く関わってるんですね」
「ええ。魔法植物は、魔法薬にも、結界にも、生活にも、時には事件にも関わるわ」
「事件にも?」
「もちろん。毒草を使った事件、幻覚花を使ったいたずら、食人植物を利用した密輸防止……あ、最後のは事件じゃなくて警備だったわね」
「物騒な警備ですね」
「効果はあるのよ」
エルミナは真顔で言った。
蒼真は苦笑した。
この人は穏やかだが、植物が絡むと時々感覚がずれる。
それもまた、彼女の個性なのだろう。
出口の近くまで戻ってくると、最初に見た食人植物がまだ静かに鉢の中で揺れていた。
蒼真は少しだけ距離を取る。
エルミナがそれを見て、楽しそうに笑った。
「ちゃんと警戒しているわね」
「学習しました」
「いいことね。魔法植物と付き合うには、まず相手を知って、次に距離を守ることが大切よ」
「人間関係みたいですね」
「そうね。植物も人も、近づきすぎると噛まれることがあるもの」
「……植物は物理的に噛みますけど」
「人も時々噛むわよ?」
エルミナがさらりと言った。
蒼真は少しだけ返答に困った。
エルミナはその反応を見て、またくすくす笑う。
「蒼真くんって、落ち着いているようで、時々わかりやすいのね」
「そうですか?」
「ええ。危ない植物を見た時と、変なことを言われた時だけ、表情が少し変わるわ」
「観察されてますね」
「さっき言ったでしょう? 珍しいものを見る時は、まず観察するのが基本よ」
そう言って、エルミナは扉を開けた。
外の空気が流れ込んでくる。
温室の湿った空気とは違い、夕方の風は少し冷たかった。
蒼真は一歩外へ出る。
振り返ると、エルミナは扉の内側に立っていた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。久しぶりに、説明していて楽しかったわ」
「また来てもいいですか?」
蒼真が尋ねると、エルミナは少し驚いたように目を開いた。
そして、すぐに柔らかく微笑んだ。
「もちろん。植物に興味を持ってくれる人は歓迎よ」
「じゃあ、また時間がある時に」
「ええ。待ってるわ」
その言葉は、ただの社交辞令には聞こえなかった。
蒼真は軽く頭を下げ、植物研究施設を後にした。
帰り道。
空は夕焼けに染まっていた。
校舎の窓が赤く光り、遠くから生徒たちの声が聞こえる。
蒼真は歩きながら、今日見た植物のことを思い返していた。
食人植物。
月光草。
炎苺。
歌花。
そして、植物の話をしている時のエルミナの表情。
「魔法植物、か」
今まで意識していなかった分野だった。
けれど、知れば知るほど、この世界を理解する手がかりになりそうだ。
魔法は人間だけのものではない。
植物にも、環境にも、日常にも宿っている。
それを知らずに、この世界の事件を正しく見ることはできないのかもしれない。
蒼真はふと、自分の手を見た。
食人植物に食べられかけた指。
無事でよかった。
「……次は、触る前に確認しよう」
そう呟いて、蒼真は校舎へ向かった。
一方、植物研究施設の中。
エルミナは窓際の植物に水を与えていた。
じょうろから細い水が落ち、葉が小さく揺れる。
彼女は作業を終えると、蒼真が出ていった扉の方を見た。
「不思議な子ね、蒼真くん」
異世界から来た少年。
魔力がないと言われているのに、事件を解決してきた一年生。
危ない植物に手を伸ばしかけたかと思えば、植物の性質を真剣に聞き、知らないものを知ろうとする。
ただ珍しいだけではない。
エルミナには、蒼真が何かをよく見ているように思えた。
植物を見る時も。
人を見る時も。
彼は、ただ眺めているのではない。
何かを見つけようとしている。
「また来るって言ってくれたし……」
エルミナは少しだけ頬を緩めた。
そして、食人植物の鉢の前で足を止める。
「あなたも、次は噛まないであげてね」
食人植物は、まるで返事をするように花弁を小さく震わせた。
エルミナはくすりと笑う。
その笑い声は、夕方の植物施設に静かに溶けていった。
こうして、蒼真はまたひとつ、この世界の新しい扉を開いた。
魔法植物。
植物祭。
そして、エルフの先輩。
まだ事件は起きていない。
けれど、学園の奥に広がる緑の世界は、蒼真の知らない物語を確かに抱えていた。
その物語に、蒼真が再び足を踏み入れるのは――そう遠くない。




