第59話 ルミナスブルーム(1)
第59話 ルミナスブルーム
森の奥へ続く光の道は、雨に濡れた地面の上を静かに伸びていた。
それは道と呼ぶにはあまりにも細く、頼りないものだった。けれど、確かにそこにある。草の葉先を伝い、木の根の隙間を抜け、小さな水たまりの縁を回り込みながら、淡い金色の光が森のさらに奥へ流れている。
蒼井蒼真とルミエール・ド・アルセリアは、手を繋いだままその光を追っていた。
雨はまだ降っている。
ただ、先ほどより少しだけ弱まっていた。葉を叩く音は柔らかく、霧の中に溶けていくようだった。木々の間に漂う光の粒は、雨粒と混ざり合い、時折ふわりと浮かんでは消えていく。
ルミエールの手は、蒼真の手の中で少しだけ力を込めていた。
足元が悪いから。
森の奥だから。
光花の魔力にまた引かれるかもしれないから。
理由はいくつもあった。
けれど、そのどれもが今は言い訳のようにも思えた。
蒼真は、あえて何も言わなかった。
ルミエールも、何も言わなかった。
二人はただ、光に導かれるように進んだ。
やがて、木々の密度が少しずつ薄くなっていく。
枝の重なりが解け、視界の奥に、ぽっかりと開けた場所が見えた。
森の中に、円形の小さな広場があった。
そこだけ木々が周囲を囲むように退き、空がわずかに見える。雨雲はまだ厚く、陽光は届いていない。けれど、広場全体には不思議な明るさがあった。
中央には、浅い水たまりがいくつもできている。
雨を含んだ草地。
濡れた土。
低く伸びた木の根。
そして、地面のあちこちに、小さな蕾のようなものが見えた。
蒼真は足を止めた。
「ここか」
ルミエールは返事をしなかった。
彼女は広場の中央を見つめている。
金色の瞳が、何かを待つように揺れていた。
光の道は、二人の足元から広場の中央へ向かって伸びている。
そして、その先で静かに消えていた。
蒼真は周囲を見回す。
危険な気配はない。
魔物の足跡も、獣の気配もない。
ただ、そこにあるのは雨と森と、まだ咲いていない蕾たちだけだった。
「ルミエール」
「……ええ」
ルミエールはようやく頷いた。
声は少し震えていた。
「たぶん、ここよ」
その時だった。
広場の奥で、小さな光が灯った。
ぽっ。
そんな音が聞こえたような気がした。
実際には、音などなかったのかもしれない。
けれど、蒼真には確かにそう感じられた。
雨に濡れた地面から、一本の細い茎が伸びている。その先端にあった小さな蕾が、ゆっくりと開いた。
白い花弁。
いや、完全な白ではない。
半透明で、内側から淡い金色の光を含んでいる。花弁の縁は柔らかく、雨粒を受けるたびに小さく震えた。中央には、火ではなく灯りのような光が宿っている。
燃えているわけではない。
眩しいわけでもない。
ただ、そこに静かに灯っていた。
蒼真は息を呑んだ。
「これは……」
隣で、ルミエールが小さく呟く。
「ルミナスブルーム……」
その声には、憧れと驚きが混ざっていた。
彼女自身も、実物を見るのは初めてなのだろう。
蒼真は一輪の花を見つめた。
花は雨に濡れている。
けれど、その光は消えない。
雨粒が花弁に落ちると、光はむしろ柔らかく広がった。水滴の中に小さな金色が宿り、地面へ落ちるまでのわずかな時間だけ、光る雫となって空中に浮かぶ。
美しい。
その言葉しか出てこなかった。
だが、それで終わりではなかった。
一輪目を合図にしたように、広場の別の場所でまた光が灯る。
ぽっ。
ぽっ。
ぽっ。
次々と、地面の蕾が開いていく。
雨に濡れた草の間から、白い花弁が顔を出す。
木の根元に寄り添うように、一輪。
水たまりの縁に、一輪。
苔むした石の影に、一輪。
広場全体に、淡い光が増えていく。
花が咲くたび、雨の森に小さな灯りが増える。
やがて、その光は点ではなく面になった。
広場一面に、ルミナスブルームが咲いていた。
雨粒は花の光を受けて輝き、水たまりには金色の花々が逆さに映る。薄い霧は光を含んで柔らかく染まり、森の奥とは思えないほど幻想的な空間が広がっていた。
まるで、地上に星空が降りてきたようだった。
蒼真は言葉を失った。
現代日本で見た夜景とも違う。
イルミネーションとも違う。
人工の明かりではない。
この世界の雨と、森と、魔力と、花が作り出している光景だった。
「すごいな……」
やっと出た声は、それだけだった。
ルミエールも、隣で立ち尽くしていた。
「すごい……」
彼女は同じ言葉を、もっと小さな声で繰り返した。
「こんな景色、見たことない……」
蒼真は、花々から視線を移した。
ルミエールの瞳に、ルミナスブルームの光が映っている。
雨に濡れた金色の髪に、小さな光の粒が宿っていた。白金色の外套にも、魔法傘の縁にも、淡い金色が柔らかく乗っている。
彼女の表情は、いつもの貴族令嬢のものではなかった。
人前で崩れないように整えた笑顔でも、委員としての落ち着いた顔でもない。
子どもの頃から憧れていたものを、ついに目の前にした少女の顔だった。
驚き。
喜び。
少しの信じられなさ。
それらが全部、雨の光の中で温かく浮かんでいる。
蒼真は思った。
来てよかった。
この景色を見ることができてよかった。
そして、この表情を見ることができてよかった。
ルミエールが一歩、広場へ踏み出した。
その瞬間、周囲のルミナスブルームがさらに明るくなった。
花々が、彼女の魔力に反応している。
それは光の蔓のような強制的なものではない。
今度は、迎え入れるような光だった。
ルミエールの足元から柔らかな金色が広がり、花々の光が呼応するように揺れる。
彼女が歩くたび、周囲の花弁がかすかに開き、雨粒が光を弾いた。
「私に……反応しているの?」
ルミエールが呟く。
「そうみたいだな」
蒼真は頷いた。
「さっきの光の蔓は、ここへ導いてくれていたのかもしれない」
「ええ」
ルミエールは花々を見つめた。
「少し強引だったけれど」
「かなり強引だった」
「でも、悪い子ではなかったみたいね」
蒼真は少しだけ笑った。
「花に悪い子ってあるのか?」
「あるかもしれないわ」
ルミエールも笑った。
その笑い声は、雨音に溶けるように柔らかかった。
二人は広場の中央近くまで進んだ。




