第7話 同室者ユリウス
――第7話 同室者ユリウス――
扉を閉めると、部屋は一気に静かになった。
ノクティス魔法学園の夜は、思ったよりも穏やかだ。外から聞こえてくるのは、遠くで時を告げる鐘の余韻と、石壁を撫でる風の低い音だけ。広大な敷地を持つ学園は、夜になると昼間の喧騒をきれいに飲み込み、まるで別の顔を見せる。
蒼井蒼真は、そっと視線を巡らせた。
二人部屋。整然と並べられたベッドが二つ、壁際には机と簡素な棚。生活に必要なものは一通り揃っているが、無駄はない。名門と呼ばれる学園らしく、質実剛健という言葉が似合う造りだった。
その片方のベッドには、すでに人影があった。
シーツの盛り上がりと、かすかな寝息。誰かが深く眠っていることは、遠目にもはっきり分かる。
(……起きてるわけじゃなさそうだな)
規則正しい寝息。先に部屋を使っている同室者がいることは、最初から分かっていた。だからこそ蒼真は、物音を立てないよう慎重に動く。ここで無用に起こす必要はない。
鞄を床にそっと下ろし、制服を丁寧に畳む。受け取ったばかりのローブは椅子の背に掛け、皺が寄らないよう整えた。動作一つ一つに気を配りながら、静かな時間を保つ。
窓の外には、夜の学園が広がっていた。尖塔の輪郭を縁取るように灯る明かりが、城のような校舎群を柔らかく照らしている。遠目にも分かる規模と格式。ここが世界でも屈指の魔法学園であることを、夜景ですら雄弁に物語っていた。
(……本当に、名門だな)
そう思いながら、蒼真は小さく息を吐いた。今日一日の出来事を思い返すと、頭の中が自然と整理されていく。
学園長との会話。自分の能力についての曖昧な理解。まだ見ぬ授業や、生徒たちのこと。
考えるべきことは山ほどあったが、今は休むべきだ。
そのときだった。
ベッドの方から、布がこすれる微かな音がした。寝返りだろうか、と考えた瞬間。
「……おはよう」
間の抜けた声が、静かな部屋に落ちる。
蒼真はゆっくり振り返った。
ベッドに腰を起こしていたのは、同い年くらいの少年だった。柔らかい髪が無造作に跳ね、眠たげな目がこちらを捉える。どこか人懐っこい雰囲気で、緊張感を与えない空気をまとっている。
そして――
彼は、パンツ一丁だった。
蒼真の思考が、一瞬止まる。
(……え)
視線が合った瞬間、蒼真は反射的に目を逸らした。別に見てはいけないものではない、と頭では分かっている。それでも不意を突かれると、体が先に反応してしまう。
「あ、起こしちゃった? ごめん」
少年は悪びれた様子もなく、のんびりと頭をかく。その仕草すら、眠気に支配されているようだった。
「あれ? 君、今日から同じ部屋になる人?」
「……そう、だけど」
蒼真は必死に平静を装った。視線は壁の一点に固定し、余計なことを考えないよう努める。
少年は、ようやく状況を理解したらしく、少しだけ目を見開いた。
「ああ、なるほど。よろしくね」
そう言って、にこりと笑う。その笑顔には警戒心がなく、初対面特有のぎこちなさも薄い。
「僕、ユリウス・フィオレ」
名前を名乗る声は穏やかで、よく通った。
「蒼井蒼真です」
「蒼真、ね」
ユリウスは、その名前を確かめるように繰り返した。まるで口に馴染ませるかのように。
その後も、ユリウスは特に慌てる様子はない。服を探すそぶりも見せず、平然と座っている。その態度からは、今の格好が特別な状況ではないことがはっきりと伝わってきた。
「……その格好、いつもなのか?」
蒼真が遠慮がちに言うと、ユリウスはきょとんとした。
「うん。寝るときはだいたいこれ」
「癖みたいなものかな。楽なんだよ」
悪びれも照れもなく言い切る。その無自覚さに、蒼真は言葉を失った。
「……そうか」
それ以上、何も言えなかった。
少ししてから、ようやくユリウスはのそのそと服を手に取る。
「じゃ、着るね」
「ああ」
蒼真は自然に背を向けた。別に指示する必要もない。相手がそうしたいようにすればいいだけだ。
着替え終えたユリウスが、改めてベッドに腰を下ろす。
「僕、同い年だよ。ノクティス魔法学園の一年」
「俺も一年だ」
「じゃあ、授業も一緒かもね」
楽しそうに笑うユリウスの声に、部屋の空気が少し明るくなる。
話しているうちに、蒼真は気づく。この少年は距離感が近いが、不快ではない。無邪気というより、自然体。計算のない振る舞いが、妙に安心感を与えていた。
「そうだ」
ユリウスが、ふと思い出したように言う。
「僕、闇属性なんだ」
「闇?」
蒼真は意外そうに聞き返したが、警戒はしなかった。
「うん。この世界じゃ、別に珍しくもないよ」
闇属性。隠蔽、補助、感知、境界への干渉。派手さはないが、実用性の高い系統だと蒼真は知識として理解していた。
「攻撃より、サポート向きかな」
ユリウスは肩をすくめる。
「目立たないけど、便利なんだ」
「……向いてそうだな」
蒼真がそう返すと、ユリウスは少し照れたように笑った。
やがて話題は、自然と昼間の出来事に移る。
「そういえばさ」
ユリウスが言う。
「今日、学園で事件があったでしょ」
蒼真の肩が、わずかに強張る。
「君が解決したって聞いたよ」
「……噂、早いな」
「すごいと思う」
ユリウスは、素直に言った。
「僕だったら、きっと何もできなかった」
称賛に裏はない。比較も、探りもない。ただの感想だ。
「ありがとう」
蒼真は短くそう返した。
話はさらに雑談へと流れる。
「この学園さ」
ユリウスは声を少し落とした。
「ちょっとした七不思議みたいな噂があるんだ」
「七不思議?」
「うん。でも、今はただの噂」
それ以上、ユリウスは語らなかった。蒼真も、無理に聞こうとはしない。知らないままにしておくほうがいいこともある。
やがて消灯の時間が近づく。
二人はそれぞれのベッドに入った。灯りが落ち、部屋は完全な闇に包まれる。
天井を見つめながら、蒼真は今日出会った同室者のことを考える。ユリウスという少年は、不思議な距離感を持っているが、そこに悪意は感じられない。
(距離は近いが、悪いやつじゃない)
そう結論づける頃には、意識がゆっくりと沈んでいった。
*
朝。
蒼真は、いつもと違う感覚で目を覚ました。
布団が、妙に温かい。人の気配が、近い。
身を起こし、そっと隣を見る。
そこにいたのは、美少女ではなく――美少年だった。
ユリウスが、すぐ隣で眠っている。
(……え?)
状況を理解するまで、数秒を要した。
蒼真は、静かにユリウスの肩に手を伸ばす。
「……おい、ユリウス。朝だ」
軽く揺すった、その瞬間。
「ん……だめ……もう少し……」
甘く、間延びした声が零れた。
ユリウスは寝返りを打ち、無意識に布団を引き寄せる。その拍子に距離が縮まり、吐息がかかるほど近くなる。
「ちょ……!」
蒼真は思わず息を呑んだ。
「……あったかい……」
さらに、意味深にも聞こえる寝言が続く。
(な、何を言ってるんだこいつ……!)
心臓が、妙に早く打ち始める。慌ててもう一度、今度は少し強めに揺すった。
「起きろ。朝だって」
ユリウスは小さく眉をひそめ、ゆっくりと目を開ける。
「……おはよう」
間近で見る寝起きの顔は、夜よりも柔らかく見えた。
蒼真は、言葉を失ったまま立ち尽くす。頭では冷静に状況を整理しようとしているのに、身体のほうが先に反応してしまっていた。
説明も、弁解も、まだ何も始まっていない。
それでも確かに――
朝は、動き出していた。




