第6話 寮へ向かう道
――第6話 寮へ向かう道――
学園長室の扉が、静かに閉まった。
重厚な木扉が立てる低い音が、やけに耳に残る。
その向こうで交わされた会話は、まだ蒼井蒼真の頭の中で整理しきれていなかった。
魔力を生み出せない身体。
それでも魔法に干渉し、吸収し、反射するという特性。
そして――ノクティス魔法学園で、表には出ていない不可解な出来事が起きているという事実。
どれもが重く、しかし現実味がない。
まるで、短時間で別人の人生を押し付けられたような感覚だった。
ここに来てから、まだ数時間しか経っていないはずなのに、世界はあまりにも急激に変わりすぎていた。
(……一気に詰め込みすぎだろ)
蒼真は小さく息を吐き、首を振った。
考え続ければ、答えが出る問題ばかりではない。
今は、足元を固めるべきだ。
そんな彼の視界に、柔らかな色が差し込んだ。
「お疲れさま、蒼井くん」
廊下の壁際に立っていたのは、クラリス・ヴァルシュタインだった。
三十代前半ほどに見える年上の女性。
すらりとした体躯に、教師用ローブをまとっている。
布越しでもはっきりと分かる豊かな胸元と、無駄のない所作。
整った顔立ちに浮かぶ穏やかな微笑は、長年教壇に立ってきた者だけが持つ余裕を感じさせた。
美人だ、と率直に思う。
だが同時に、簡単には踏み込めない距離感も漂っていた。
「長い時間だったでしょう」
「……はい」
蒼真は短く答えた。
学園長との会話の内容をどう説明すればいいのか、まだ言葉になっていない。
だがクラリスは、それ以上踏み込まなかった。
事情を聞こうとも、探ろうともせず、ただ自然に次の行動を示す。
「今日はもう、十分よ」
クラリスはそう言って、軽く手を差し出した。
「まずは寮に案内するわね。それから、必要なものも渡しておきたいし」
その言い方は、教師というより生活を預かる大人のものだった。
蒼真はうなずき、彼女の後について歩き出す。
*
新校舎を離れ、長い回廊を抜ける。
外に出ると、空はすでに夕暮れの色を帯び始めていた。
城のようにそびえ立つノクティス魔法学園の校舎が、背後で静かに遠ざかっていく。
白い石壁は夕陽を受けて赤みを帯び、尖塔の影が長く地面に伸びていた。
近くで見ると圧倒されるだけだった建築も、少し距離を取ることで、その異常な規模が改めて実感できる。
学園というより、もはや一つの都市だ。
(……屈指、って言われるだけあるな)
魔法研究、教育、精霊学、歴史学。
各分野の権威が集まり、世界中から学生が集う場所。
ノクティス魔法学園は、名実ともに魔法世界の中心の一つだった。
学園は学ぶ場所であると同時に、暮らす場所でもある。
教室も、廊下も、中庭も、寮も――これからはすべてが日常になる。
「寮は、学園の外縁部にあるの」
歩きながら、クラリスが説明を始めた。
「基本的には、大きく男女で分かれているわ」
蒼真はうなずく。
「ただ、この学園……男子は少ないでしょう?」
言われて、蒼真は中庭で見かけた生徒たちの顔を思い出した。
確かに、女子の姿ばかりが印象に残っている。
「ええ。だから男子寮は一棟丸ごと、という形じゃないの」
クラリスは前を向いたまま続ける。
「ワンフロア単位で男子用になっているの。上の階は女子寮ね」
「なるほど……」
合理的だ、と蒼真は思った。
人数に合わせて柔軟に運用している。
「それに、全員が寮に入るわけじゃないのよ」
「家が近い子や、貴族で屋敷から通っている子もいるわ」
寮生活は、強制ではない。
それだけで、この学園が現実的に、そして長く続いてきた組織だと分かる。
しばらく歩いたあと、蒼真は前から気になっていたことを口にした。
「……やっぱり、この学園、女性が多いですよね」
クラリスは一瞬だけ蒼真を見ると、くすっと小さく笑った。
「なに?」
声の調子が、ほんの少しだけ変わる。
「もう彼女探し?」
「ち、違います!」
蒼真は思わず即答していた。
「そういうつもりじゃなくて……ただ、気になっただけで……」
「ふふ」
クラリスは楽しそうに笑う。
「まあ、気になるのは普通よね」
そして、少しだけ教師らしい表情になる。
「でも、この学園、貴族の子も多いの。距離感には気をつけてね」
軽く肩をすくめて、続ける。
「男子生徒は数が少ないから、そのぶん目立つの。肩身が狭い思いをする子も多いわ」
(目立つ……か)
蒼真は内心で、その言葉を反芻した。
「理由としては単純よ」
クラリスは、歩みを止めずに言う。
「魔力は、男性より女性の方が高く出ることが多いの」
「だから男性は、剣士や武術家、近接戦闘職を目指す子が多くて……」
「剣術学園や武術学園に進学するケースが多いわね」
世界の仕組みが、少しずつ輪郭を持ち始める。
「この学園で、剣や武術……魔法剣は学べますか」
蒼真は慎重に言葉を選びながら尋ねた。
「魔法が使えないので……必要だと思って」
クラリスはすぐには否定しなかった。
「学科としては、あるわ」
「剣術、武術、それから魔法剣も」
だが、と前置きしてから続ける。
「魔法剣はね。剣の型を学ぶというより、攻撃の本質は魔法がメインなの」
「剣は、魔法を通すための媒体に近いわ」
蒼真は、納得しかけて首を傾げた。
「……向き、不向きがありそうですね」
「そうね」
クラリスは微笑む。
「詳しい話は、またあとで教えてあげるわ」
*
やがて、寮の建物が見えてきた。
学園本体に比べれば控えめだが、それでも十分に豪華だった。
厚い石壁、装飾の施された柱、磨き上げられた床。
生活の場でありながら、ここもまた名門学園の一部だと主張している。
「ここが寮よ」
中に入ると、空気が少し変わった。
学園とは違う、生活の匂いがする。
共有スペース、広い食堂、清潔な浴場。
掲示板には規則が並んでいるが、どれも最低限のものだ。
「問題を起こさなければ、基本的に自由よ」
その言葉に、蒼真は少し肩の力を抜いた。
廊下を進む途中、クラリスが立ち止まる。
「そうそう」
そう言って、彼女は空間収納から布包みを取り出した。
「これ、蒼井くんの制服とローブ」
差し出されたそれを受け取り、蒼真は目を見開いた。
制服は、青を基調としたデザインだった。
濃淡の異なる青が重なり、胸元にはノクティス魔法学園の紋章。
派手すぎず、それでいて一目で上質と分かる仕立てだ。
ローブも同様に、深い青を基調とした色合いで、内側には細かな補強と魔法加工が施されているのが分かる。
「蒼井くんは、青が割り当てね」
「属性……ですか?」
「いいえ」
クラリスは首を振る。
「学年と所属を示す色よ。深い意味はないわ」
だが、その言い方はどこか含みがあった。
「明日からは、それを着て授業を受けてもらいます」
「……分かりました」
制服を抱えた瞬間、ようやく実感が湧いてくる。
ここで、学生として過ごすのだという現実が。
さらに少し進んだところで、クラリスは扉の前に立ち止まった。
「蒼井くんの部屋はここ。二人部屋よ」
扉の横に付いた札を指さす。
「同室は――ユリウス・フィオレ」
聞き慣れない名前を、蒼真は心の中で反芻した。
「今日は、もうゆっくり休みなさい」
「明日から、私のクラスで授業を受けてもらいます」
そう言って、クラリスは穏やかに微笑み、その場を離れていく。
蒼真は、静かに扉を開けた。
部屋は、思っていたより広かった。
ベッドが二つ、並んで置かれている。
机が二つと、簡素だが上質な家具。
「……悪くないな」
荷物を置き、制服とローブを机に広げる。
窓の外では、ノクティス魔法学園の灯りが夜空に浮かび始めていた。
学園長。
依頼。
寮。
制服。
そして、ユリウス・フィオレという同室者。
すべてが、まだ現実感を伴っていない。
だが確かに、ここから始まる。
(こうして、俺の学園生活は――)
蒼真は静かに息を吐いた。
(静かに、でも確実に、動き始めたんだ)




