表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔力ゼロ探偵と美少女たちの魔法学園事件簿 ~その事件、魔法じゃありません!~  作者: にめ
1学年前期:ルミナスブルーム

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

67/94

第54話 帰る場所(3)

第54話 帰る場所


 蒼真は記憶を辿った。


 現代日本。


 学校。


 日常。


 そして、気づけばこの世界にいた。


 すべてが霧の向こうにあるようだった。


「光とか、音とか、魔法陣とか」


「覚えていない」


「誰かの声は?」


「それも……分からない」


 蒼真は自分の手元を見た。


「ただ、呼ばれた、という感覚はある」


 リリアが息を止めた。


「呼ばれた?」


「説明はできない。でも、事故で落ちたとか、迷い込んだとか、そういう感じじゃない。誰かに引っ張られたような……いや、正確には、どこかへ向かう流れに乗せられたような感覚だった」


 言葉にすると曖昧だった。


 蒼真自身、確信を持っているわけではない。


 だが、何もなかったとは思えなかった。


 リリアは黙ってメモを取った。


 その横顔は真剣だった。


 研究者の顔。


 けれど、どこか不安そうでもあった。


「それなら、やっぱり召喚に近い」


「近い?」


「断定はできない。でも、少なくとも“世界間移動”が起きたのは確かよ。自然現象の可能性もゼロではないけれど、あなたの能力を考えると偶然とは言い切れない」


「俺の能力」


「魔力生成不能。それなのに外部魔力への干渉ができる」


 リリアは蒼真を見た。


「無力化、吸収、反射、痕跡の視認。普通じゃないわ」


「普通じゃないのは分かってる」


「いいえ、多分あなたが思っている以上に普通じゃない」


 その言い方は、少し強かった。


 蒼真は黙った。


 リリアは、すぐに視線を資料へ落とす。


「ごめんなさい。責めているわけじゃないの」


「分かってる」


「ただ……」


 リリアの指が、紙の端を軽く押さえた。


「あなたがこの世界に来たことには、理由があると思う」


 部屋の中が、静かになった。


 外からは、遠くの部活動の声がかすかに聞こえる。研究棟のどこかで魔道具が小さく鳴っている音もする。


 それでも、この部屋だけが少し世界から切り離されたようだった。


「誰が」


 リリアは呟くように言った。


「何のために」


 資料の上に、夕方の光が落ちている。


「あなたを呼んだのか」


 蒼真はその言葉を聞きながら、妙な感覚を覚えた。


 自分はこれまで、目の前の事件を見てきた。


 被害者。

 加害者。

 動機。

 手段。

 証拠。


 だが、自分自身についてはどうだろう。


 なぜ呼ばれたのか。


 誰が得をするのか。


 どんな手段が使われたのか。


 それは、まだ何一つ分かっていない。


 自分自身の事件だけが、未解決のまま残っている。


 蒼真は、ゆっくりと口を開いた。


「それで」


 リリアが顔を上げる。


「俺は戻れるのか」


 その瞬間、リリアの動きが止まった。


 本当に、止まったように見えた。


 紙を押さえていた指。


 わずかに開いた唇。


 眼鏡の奥の瞳。


 すべてが、一瞬だけ凍りついた。


「……戻る」


 リリアは小さく繰り返した。


「ああ」


 蒼真は視線を逸らさなかった。


「召喚されたなら、逆の手順で戻れる可能性があるのかと思った」


 それは、当然の疑問だった。


 呼ばれたなら、帰れるのか。


 道があるなら、逆向きの道も存在するのか。


 しかし、リリアの表情を見た瞬間、蒼真は自分の問いが彼女にどう響いたのかを理解した。


 リリアは、ただ研究者としてその問いを聞いたわけではなかった。


 彼女にとってそれは、蒼真がこの世界からいなくなる可能性を意味していた。


「蒼真」


 リリアの声は、かすかに震えていた。


「戻りたいの?」


 問われて、蒼真はすぐに答えられなかった。


 戻りたいのか。


 その問いは、簡単なようで難しかった。


 この世界に来たばかりの頃なら、迷わず戻りたいと答えただろう。


 知らない世界。

 知らない人間。

 知らない魔法。


 自分が何者なのかも、何のためにここにいるのかも分からなかった。


 だが今は違う。


 ルミエールがいる。


 リリアがいる。


 アリシアがいる。


 フレイアがいる。


 セレナがいる。


 この学園で出会った人たちがいる。


 事件を通して関わった人間たちがいる。


 この世界には、もう蒼真の居場所が少しずつでき始めていた。


 それでも。


「分からない」


 蒼真は正直に答えた。


「分からない?」


「この世界が嫌なわけじゃない。むしろ……楽しくなってきた」


 リリアは黙って聞いている。


「魔法も、学園も、こっちの常識も、まだ分からないことだらけだ。でも、知りたいと思う。ここで会った人たちのことも、嫌いじゃない」


「……なら」


「でも」


 蒼真は続けた。


「何か、やり残してきた気がするんだ」


 その言葉は、自分でも曖昧だった。


 記憶が完全に欠けているわけではない。


 自分が現代日本にいたことは分かる。


 高校生だったことも分かる。


 推理小説を読んでいたことも覚えている。


 日常も、断片的には思い出せる。


 けれど、その奥に何かがある。


 置いてきたもの。


 果たしていない約束。


 あるいは、ただ戻らなければならないという感覚。


 形にならないものが、胸の奥に残っていた。


「戻る必要があるんじゃないかと思ってる」


 蒼真は静かに言った。


 リリアの顔から、血の気が引いていくのが分かった。


 彼女は一度、視線を落とした。


 長い沈黙。


 紙の上に落ちる夕日が、ゆっくり色を変えていく。


 リリアは唇を噛んだ。


「なにそれ」


 声は小さかった。


 けれど、はっきりと怒っていた。


「リリア?」


「なにそれ、蒼真」


 リリアは顔を上げた。


 眼鏡の奥の瞳が揺れている。


「戻る必要があるかもしれないって、なに」


「俺にも分からない。ただ――」


「分からないのに言わないで」


 リリアの声が、少しだけ強くなった。


 蒼真は言葉を止めた。


 リリアは両手を握りしめている。


 研究者として資料を調べていた彼女ではなかった。


 そこにいるのは、ただ一人の少女だった。


「私、調べたの」


 リリアは震える声で言った。


「あなたがどうして来たのか、何が起きたのか、少しでも分かればいいと思って調べた」


「ああ」


「でも……」


 彼女は目を伏せた。


「あなたを帰すためだけに調べていたわけじゃない」


 蒼真は息を止めた。


 リリアは言葉を続ける。


「あなたのことを知りたかったの。あなたがどこから来て、なぜここにいるのか。あなた自身が分からないままでいるのが嫌だったから」


 それは、リリアらしい理由だった。


 知りたい。


 理解したい。


 曖昧なものを曖昧なままにしたくない。


 彼女はいつもそうだった。


 けれど、今の言葉には、それだけではない感情が混ざっていた。


「でも、戻るって言われたら」


 リリアの声が詰まる。


「戻ったら、二度とこっちの世界に来られないかもしれないのよ」


 蒼真は何も言えなかった。


 その通りだった。


 帰れるとしても、再び来られる保証はない。


 そもそも帰る方法があるのかも分からない。


 戻るという言葉は、この世界の人間にとって、蒼真との別れを意味する。


 蒼真は、その重さを十分に考えていなかったのかもしれない。


 自分の問題としてだけ、見ていた。


 帰れるか。


 帰るべきか。


 だが、帰れば残される人がいる。


 リリアは、そのことを真正面から受け止めていた。


「リリア」


 蒼真が名前を呼ぶ。


 リリアは答えなかった。


 彼女はゆっくりと立ち上がった。


 椅子が床を擦る音が、静かな研究室に響く。


 机を回り込み、蒼真の方へ歩いてくる。


 蒼真は少し戸惑った。


「どうした?」


 リリアは止まらない。


 蒼真の前まで来る。


 距離が近い。


 彼女の黒髪が、夕方の光を受けて淡く揺れていた。


「嫌」


 リリアが言った。


 その声は、今にも壊れそうだった。


「蒼真がいなくなるの、嫌」


 次の瞬間、リリアは蒼真に抱きついた。


 蒼真の身体が固まる。


 柔らかな重み。


 制服越しに伝わる体温。


 胸元に顔を押しつけるようにして、リリアは蒼真を抱きしめていた。


 普段の彼女からは想像できないほど、必死だった。


「リリア……」


 蒼真は、どうすればいいのか一瞬分からなかった。


 推理なら、条件を整理できる。


 証言なら、矛盾を探せる。


 現場なら、痕跡を追える。


 だが、泣きそうな少女が自分に抱きついている時、何をどうすれば正解なのか、蒼真には分からなかった。


 ただ、引き離すことだけは違うと思った。


 蒼真はゆっくりと手を上げた。


 迷った末に、リリアの頭に触れる。


 黒髪は思ったより柔らかかった。


 そっと撫でる。


「……ごめん」


 蒼真は言った。


「そんなつもりで言ったわけじゃなかった」


「分かってる」


 リリアの声は、蒼真の胸元に埋もれていた。


「分かってるけど……嫌なの」


 蒼真の手が止まりかける。


 リリアはさらに強く抱きしめた。


「蒼真が、急にいなくなるのは嫌」


 その言葉は、まっすぐだった。


 理屈ではない。


 研究でもない。


 結論でもない。


 ただ、感情だった。


 蒼真は、もう一度リリアの頭を撫でた。


「急にはいなくならない」


「本当?」


「少なくとも、今すぐはいなくならない」


「……今すぐだけ?」


 責めるような声ではなかった。


 不安がそのまま零れた声だった。


 蒼真は言葉に詰まった。


 未来のことは分からない。


 帰る方法があるかも分からない。


 自分がどうしたいのかも、まだ分からない。


 だから、簡単に約束はできなかった。


 それが蒼真の性格だった。


 嘘で安心させることはできない。


 だが、何も言わないこともできなかった。


「分からないことは多い」


 蒼真は正直に言った。


「でも、何も言わずに消えたりはしない」


 リリアが、わずかに顔を上げた。


 涙が目に溜まっていた。


 眼鏡の奥で、彼女の瞳が揺れている。


「本当に?」


「ああ」


「約束?」


「約束する」


 その言葉を聞いて、リリアの表情が少しだけ緩んだ。


 けれど、不安が消えたわけではなかった。


 彼女は蒼真を見つめていた。


 近い。


 近すぎる。


 さっき資料を覗き込んだ時とは、比べものにならないほど近い。


 蒼真はようやく、自分たちの距離に意識が追いついた。


「リリア」


「なに」


「その、近い」


「知ってる」


 リリアは答えた。


 その声は、まだ震えていた。


 けれど、どこか決意もあった。


 蒼真は動けなかった。


 リリアの手が、蒼真の制服を掴んでいる。


 離れたくないと言うように。


 蒼真は、彼女を見ていた。


 いつも冷静で、理論的で、どこか大人びていて。


 けれど今は、涙目で、頬を赤くして、必死に何かをこらえている。


 この世界に来てから、蒼真は何度も人の感情に触れてきた。


 怒り。

 恐怖。

 嫉妬。

 後悔。

 罪悪感。


 そして、好意。


 リリアのそれは、もう隠しようがなかった。


 リリアは唇を震わせた。


「私ね」


 声が小さい。


「蒼真が、いなくなるかもしれないって思ったら」


 言葉が途切れる。


 彼女は一度、目を伏せた。


「嫌で」


 そして、もう一度顔を上げる。


「どうしようもなく、嫌で」


 蒼真は何も言えなかった。


 リリアの瞳が、まっすぐに蒼真を見ている。


 研究室の窓から入る夕日が、二人の影を床に伸ばしていた。


 周囲には、積み上がった本と資料。


 召喚魔法の羊皮紙。


 膨大な魔力。


 国家級の儀式。


 帰還の可能性。


 それらすべてが、今は遠かった。


 リリアが、少し背伸びをした。


 蒼真は、その意味を理解するより先に、動けなくなった。


 次の瞬間、リリアの唇が蒼真の唇に触れた。


 時間が止まった。


 蒼真の思考が、一瞬で白くなる。


 柔らかい。


 温かい。


 近い。


 それ以外の情報が、ほとんど入ってこない。


 リリアは目を閉じていた。


 蒼真の制服を掴む指に、力がこもっている。


 触れるだけの短いものではなかった。


 彼女は、離れなかった。


 不安を押し込めるように。


 言葉にできなかった感情を伝えるように。


 蒼真がどこかへ行ってしまわないように。


 その唇は、長く、静かに重なっていた。


 研究室の外では、誰かが廊下を歩く足音がした。


 遠くで、魔道具の鈴のような音が鳴った。


 だが、蒼真にはほとんど聞こえていなかった。


 リリアの体温。


 近すぎる距離。


 胸の奥で跳ねる自分の鼓動。


 それだけが、やけにはっきりしていた。


 どれくらいそうしていたのか、蒼真には分からなかった。


 数秒だったのか。


 もっと長かったのか。


 やがて、リリアがゆっくりと離れた。


 唇が離れる。


 けれど、距離はまだ近い。


 リリアは顔を真っ赤にしていた。


 涙の残る瞳が、とろんと潤んでいる。


 眼鏡の奥のその表情は、いつもの理論派の彼女とはまるで違っていた。


 蒼真は、完全に言葉を失っていた。


「リリア……」


 名前を呼ぶのが精一杯だった。


 リリアは、自分が何をしたのかを遅れて理解したように、はっと目を見開いた。


 頬がさらに赤くなる。


 蒼真の制服を掴んでいた手が、少し震えた。


 研究室の中に、静寂が落ちる。


 机の上には、異世界召喚の資料が広がったままだった。


 羊皮紙に描かれた魔法陣。


 膨大な魔力の計算式。


 召喚対象を指定するための記述。


 帰還の可能性を示すかもしれない断片。


 そのすべての前で、リリアは小さく息を吸った。


 そして、震える声で言った。


「……ごめんなさい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ