第50話「彼女の料理と、選ばれる場所」
# 第50話「彼女の料理と、選ばれる場所」
「……できたよー」
台所の奥から、少しだけ遠慮がちな声がした。
その声に、家の中の空気が一斉に動く。
「わー!」
「ごはん!」
「おなかすいたー!」
子どもたちが椅子を蹴って立ち上がり、台所の方へ走りかける。
「こら、まだ!」
すぐにフレイアの制止が飛んだ。
声はいつも通り明るいが、ほんの少しだけ緊張が混じっている。
蒼真は椅子に座ったまま、背筋を伸ばした。
次に何が出てくるのか――というより、自分はどんな顔をすればいいのか。
事件でも、推理でもない。
ただの昼食。
それなのに、妙に落ち着かなかった。
◇
最初に運ばれてきたのは、大きな木の皿だった。
湯気が立ちのぼり、素朴な香りが部屋に広がる。
根菜を中心にした煮込み。
刻んだ香草が散らされ、色味は地味だが、食欲を刺激する。
続いて、焼いた肉。
脂は控えめで、表面だけがこんがりと色づいている。
そして、焼きたてのパン。
「ほら、並べて」
フレイアは子どもたちに声をかけながら、次々と皿を運んでくる。
その動きは手慣れていた。
魔法は使わない。
フレイアは一瞬だけ竈の前で立ち止まり、火の具合を目で確かめた。
指先が僅かに震える。
――学園では、炎は彼女の武器だ。
大勢の前で、派手に、強く、正確に。
けれど、この家の火は違う。
火は誰かを守るためでも、誰かを驚かせるためでもない。
ただ、食卓に並ぶものを温めるために、黙って燃える。
フレイアは鍋の蓋を少しだけずらし、湯気を逃がして香りを確かめると、ようやく肩の力を抜いた。
自分で煮立てすぎない。
焦がさない。
塩は最後。
その手順が、彼女の「派手さ」と同じくらい、丁寧だった。
火も、普通の竈の火だ。
強くも弱くもせず、一定に保たれている。
(……制御、か)
蒼真は、ふとそんな言葉を思い浮かべた。
教室で炎を操るフレイアは派手だ。
けれど、ここでは違う。
火は主張しない。
料理のためだけに、そこにある。
それが、彼女の「もう一つの顔」なのだと、自然に理解できた。
父が椅子を引き、全員が座り直す。
「じゃ、いただきます!」
父の声を合図に、全員が手を合わせる。
「いただきまーす!」
子どもたちの元気な声が重なった。
蒼真も、少し遅れて言葉を口にする。
「……いただきます」
箸を取る手が、わずかに硬い。
まずは煮込みから。
一口。
噛んだ瞬間、野菜の甘みが広がる。
余計な味付けはない。
けれど、物足りなくもない。
きちんと、腹に落ちる味だ。
「……うまい」
思わず、声が漏れた。
短い言葉。
飾り気のない評価。
その瞬間。
フレイアの動きが止まった。
「……でしょ?」
言い終えたあと、フレイアは慌てて鍋のほうへ視線を逃がした。
誰にも見られていないふりをしたいのに、耳の赤さだけは誤魔化せない。
子どもたちは、それを見逃さない。
一拍遅れて返ってきた声は、少しだけ上ずっている。
「おねえちゃん、顔赤い!」
「やっぱり結婚だ!」
「こんにゃくしゃー!」
「ちがうし! こんにゃくしゃ言うなって!」
フレイアが慌てて否定するが、耳まで赤い。
蒼真は、二口目を食べながら視線を逸らした。
(嘘は言ってない)
それだけだ。
◇
食卓は、賑やかだった。
子どもたちは蒼真の隣を取り合い、椅子をずるずると動かしては父に叱られる。
「そこ! 椅子は引きずらない」
「はーい!」
返事だけはやけに立派だ。
「蒼真おにいちゃん、これ食べて!」
小さな手が、煮込みの具を自分の皿から差し出してくる。
「……それはお前が食べろ」
「えー、蒼真おにいちゃんにあげたいの!」
理由は単純だった。
蒼真が一度『うまい』と言っただけで、子どもたちはそれが“勝利宣言”になったとでも思っている。
「ほら、蒼真。食べてあげなよ」
フレイアが、わざとらしく優しい声を出す。
「……お前が言うと、圧だな」
「圧じゃないし。サービスだし」
言いながら、フレイアは蒼真の皿に肉を一切れ置いた。
「肉、好きなんでしょ?」
さらりと。
蒼真は返事をせず、肉を一口で噛む。
焼き目は香ばしく、赤身は柔らかい。
噛むほどに旨味が出る。
「……うまい」
さっきと同じ言葉。
そのたびにフレイアが一瞬、呼吸を止めるのが分かる。
「ほら! また言った!」
「結婚、決定ー!」
「決定じゃない!」
フレイアが慌てて否定すると、父が笑った。
「賑やかで、いい」
その短い一言に、家の中の温度が少し上がる。
蒼真はその温度の上がり方が、炎ではなく笑いで生まれるものだと、初めてはっきり認識した。
子どもたちは競うように料理を口に運び、父はそれを穏やかに見守っている。
蒼真も、自然とその輪の中にいた。
気を張る必要はない。
誰かに評価される場でもない。
ただ、食べる。
それだけなのに、胸の奥が少し温かい。
「蒼真、もっと食べて」
フレイアが皿を差し出す。
差し出し方が、学園のフレイアとは違う。
戦う前の「行くよ!」でも、勝った後の「見た!?」でもない。
ただの、家の中の声だ。
蒼真はそれが妙に効くことに気づいてしまい、目を逸らしてから答えた。
フレイアが皿を差し出す。
「大丈夫だ」
「遠慮しないで。今日はお客さんなんだから」
「婚約者だもんな」
蒼真が小さく言うと、フレイアは睨んだ。
「まだ言う?」
否定はしない。
けれど、肯定もしない。
その曖昧さが、今は心地よかった。
◇
食事が一段落すると、フレイアは立ち上がった。
「片付け、してくるね」
皿を重ね、台所へ向かう背中は、どこか軽い。
その背中が見えなくなった頃、父が静かに口を開いた。
「……蒼真くん」
「はい」
「フレイアのことだが……」
声は低く、慎重だった。
「母親を早くに亡くしてな。あの子は、小さい頃から弟妹の面倒を見てきた」
父の視線が、台所の方へ一瞬だけ向く。
「泣いているところを、あまり見せない子だった。泣く暇がなかったのかもしれん」
蒼真は頷かない。
否定もしない。
ただ、言葉の重さを受け止める。
蒼真は、黙って聞く。
「魔法の才能が見つかった時も……あの子は、喜ぶより先に『家の役に立てる』と言った」
父は、苦笑する。
「平民が、魔法学園に通うのは簡単じゃない。貴族も多いし……その、無理をしていないか、心配でな」
父は苦笑した。
「学園の話をすると、あの子はいつも『大丈夫』と言う。楽しい、とも言う。だから余計に……本当に大丈夫なのか、こちらが分からなくなる」
言い訳のように笑うが、目は笑っていない。
蒼真は、その“分からなさ”が父の誠実さだと思った。
蒼真は、少しだけ考えた。
同情はしない。
決めつけもしない。
ただ、知っている事実を並べる。
「フレイアさんは、自分で前に進める人です」
父が顔を上げる。
「困った時は、ちゃんと周りを頼れます」
蒼真は、少し間を置いた。
「……少なくとも、学園では一人じゃない」
蒼真はそこで言葉を止めた。
『自分がいる』と断言するのは、簡単だ。
けれど、それは蒼真が“保証人”になってしまう。
蒼真は、誰かの人生を勝手に保証しない。
代わりに、事実だけを置く。
フレイアは、前に進んでいる。
そして、前に進むために周りを使えるようになってきている。
それが今、蒼真が見ていることだ。
父は、ゆっくりと息を吐いた。
「そうか……」
それだけで、十分だった。
「どうか……これからも、見ていてやってくれ」
“守ってくれ”ではない。
父は蒼真に、剣も魔法も求めていない。
ただ、あの子が無理をしていないか。
笑っている時に、笑えているか。
それを、見ていてほしい。
蒼真は、それならできると思った。
頼む、ではない。
任せる、でもない。
ただ、託すような言葉。
蒼真は、静かに頷いた。
◇
台所から戻ってきたフレイアは、エプロンの紐を解きながら近づいてきた。
頬にはまだ熱が残っている。
「なに話してたの?」
台所から戻ってきたフレイアが、少し警戒した顔で聞く。
「いい話だ」
父が先に答える。
「なにそれ……」
フレイアは不満そうだが、父の表情を見て、それ以上は追及しなかった。
代わりに、蒼真を見る。
蒼真は何も言わない。
それだけで、十分だった。
◇
食後、二人は庭に出た。
皿洗いを手伝おうとした蒼真は、フレイアに「だーめ」と押し返された。
「今日は“お客さん”なんだから」
「さっきも聞いた」
「じゃあ、ちゃんと守って。お客さんの役割」
「役割って何だ」
「私が作ったの、おいしいって言う役割」
フレイアは言ってから、しまったという顔をした。
「……いや、今のなし!」
「遅い」
蒼真が淡々と返すと、フレイアは耳を押さえて庭へ逃げた。
そういう仕草が、学園の“派手なフレイア”よりよほど女の子っぽい。
蒼真は追いかけるほどでもないのに、自然と足が向かった。
畑には、規則正しく野菜が並んでいる。
「最近さ、ちょっと元気なくて」
フレイアはしゃがみ込み、指先で土を少し掘ってみせた。
「ほら、表面が固いでしょ。水はけも、なんか悪い」
「踏まれて固まってるな」
「子どもたちが走り回るからね。注意してもさ、止まらないの」
言い方は困った調子なのに、どこか嬉しそうだ。
蒼真は、そこにある生活の音を感じる。
フレイアが土を見下ろす。
「土かもしれないな」
「土?」
「貝殻を砕いて混ぜるといい。炭酸カルシウムで、土が落ち着く」
蒼真は言いながら、頭の中で“説明しすぎない”線を引いた。
ここは教室じゃない。
フレイアが知りたいのは理屈より、明日の畑の顔色だ。
「あと、枯れ葉を集めて寝かせると土になる。時間はかかるけど」
「時間かぁ……」
フレイアが眉を寄せる。
「でも、待つのも大事ってこと?」
「たぶん」
「蒼真、たぶん多いね」
「断言すると、責任が増える」
「ずるい」
「合理的だ」
フレイアは笑った。
「そういうとこ、好き……って言ったら、また子どもたちに聞かれるかな」
「聞かれるな」
「だよね!」
笑いながら、フレイアは両手を広げて伸びをした。
その動きで、昼に着ていた服の話が蒸し返される。
白い生地に赤の縁取り。
小柄なのに、目が離せない輪郭。
蒼真は、視線を畑に固定した。
「なにそれ!」
フレイアの目が輝いた。
「今度、やってみる!」
「一気にやるなよ」
「わかってるって」
二人で笑う。
その笑いは、自然だった。
◇
気づけば、空は橙色に染まっていた。
家の中では子どもたちが走り回り、笑い声が窓から漏れてくる。
蒼真はその音が、学園の喧騒とは違う種類の騒がしさだと気づく。
急いで勝ち取るための音じゃない。
“ここにいていい”と言われている音だ。
家の中から、父の声がする。
「フレイア、今日は泊まっていくだろ?」
父の声は、当然のようでいて、押しつけがましくない。
その言葉に、フレイアの肩がほんの少しだけ跳ねた。
蒼真のほうを見る視線は、挑発でも、命令でもない。
――どうする?
そう問いかけるだけの目。
フレイアが、ちらりと蒼真を見る。
その視線に、問いが含まれている。
蒼真は、答えをすぐに出せなかった。
“泊まる”という言葉は、距離を一段縮める。
事件の現場に踏み込むのとは違う。
ここに踏み込むのは、相手の生活に触れるということだ。
それは、推理よりもずっと慎重でなければならない。
蒼真は、その慎重さを持っている。
そして――それでも、ここを嫌だと思わなかった。
それでも。
この場所が、悪くないことだけは、はっきりしていた。
夕風が、畑を渡る。
フレイアが小さく息を吸い、蒼真の袖を指先でつまんだ。
引っ張るほどではない。
逃げないで、という合図にも見える。
蒼真はその指先を見て、何も言わずに立ち止まった。
言葉にしないまま、同じ場所に立つ。
その静けさが、今日一番の答えだった。
火の匂いはしない。
ただ、温度だけが、そこに残っていた。




