第49話「休日、彼女の帰る場所」(2)
# 第49話「休日、彼女の帰る場所」
蒼真が聞くと、フレイアは肩越しに振り返り、悪戯っぽく笑う。
「言ってなかったっけ? 蒼真が私の手料理、食べたいって言ってたから」
「手料理とは言ってない。郷土料理だ」
「なに、私の手料理、嫌なの?」
「……そういう意味じゃない」
「じゃあ?」
詰めが早い。
蒼真は、しぶしぶ言葉を選んだ。
「……食べたいです」
フレイアの顔が一瞬止まり、それからにやりと口角が上がる。
「にしし。任せなさい」
勝ち誇ったように胸を張る。
その胸が物理的に強調され、蒼真は視線を逸らした。
(祭りは終わったのに、平穏が戻らない)
◇
街は学園の外にあった。
門を抜けると、石畳の道が続き、休日の人が行き交う。学園の外の空気は少しだけ柔らかい。
市場は賑わっていた。
野菜、肉、香草、乾燥させた木の実。甘い焼き菓子の屋台。瓶に詰められた蜂蜜。
フレイアは迷いなく歩く。
普段の学園では見ない動きだ。
「まずは野菜。あ、これ新鮮!」
手際がいい。
蒼真が値段札を見ると、彼女は肩をすくめる。
「そこは、ちゃんと見るよ。無駄は嫌い」
「意外だな」
「意外ってなに」
「勢いで全部買いそう」
「失礼だなぁ!」
フレイアは頬を膨らませたが、すぐに笑う。
「勢いは、必要なときだけ」
言い方が妙に格好良くて、蒼真は一瞬だけ黙った。
フレイアは、根菜を選びながら言う。
「蒼真は、何が好き?」
「食べ物の話か」
「そうだよ。今日の献立に関わる」
「……肉」
「分かりやすい!」
笑いながらも、フレイアは肉屋の前で足を止めた。
「じゃあ、これ」
脂が少なめで、赤身が多い。
「ちゃんと選ぶんだな」
「私、作るんだよ? 失敗したくない」
そう言うと、フレイアは少しだけ視線を落とした。
普段の彼女には珍しい。
蒼真は、何か言うべきか迷い、結局、事実だけを言った。
「失敗しないだろ」
「……何その自信」
「お前の炎は、ちゃんと制御できる」
フレイアの頬が、ほんの少し赤くなる。
「……それ、料理にも適用してくれる?」
「さあな」
「えー!」
フレイアは笑いながら、蒼真の腕を軽く叩いた。
軽いのに、距離が近い。
市場の人混みの中で、肩が触れそうになる。
蒼真は、無意識に歩幅を合わせた。
最後に、フレイアは小さな袋のお菓子を二つ買った。
「これは?」
「子どもたち用」
「子ども?」
蒼真が聞き返すと、フレイアはさらりと答える。
「うん。家にいるから」
それ以上説明しない。
蒼真の中で、目的地の輪郭が少しずつ固まっていく。
◇
移動は長かった。
街から電車に乗り、窓の外の景色が石の建物から畑へ変わる。次に馬車へ乗り換え、土の道を揺られながら進む。
揺れるたび、フレイアの髪が肩に触れる。
座席が狭い。
必然的に距離が近い。
フレイアは窓の外を見ながら、ぽつりと言った。
「……こういうの、久しぶりかも」
「何が」
「休日に、ゆっくりするの」
ゆっくり。
その言葉が、彼女の口から出るのが意外だった。
「学園、忙しいのか」
「うん。楽しいけどね」
楽しい。
でも、忙しい。
蒼真は、その間にあるものを想像しようとしてやめた。
想像は、勝手に人を裁く。
蒼真は裁かない。
だから、聞くべきは本人が言うことだけだ。
馬車が止まり、御者が「ここだよ」と言う。
フレイアが降りる。
蒼真も続く。
そこは、静かな集落だった。
豪華な門も、石造りの屋敷もない。
木の柵、土の庭、素朴な家。
フレイアは家の前で振り返った。
「……私の実家」
「やっぱりか」
「ちょっと、話合わせて」
蒼真は、嫌な予感しかしなかった。
◇
玄関の扉が開く前に、窓が揺れた。
子どもが覗いている。
次の瞬間、扉が勢いよく開き、小さな影が飛び出してきた。
「フレイアお姉ちゃん!」
「おかえり!」
「ただいまー!」
フレイアが両手を広げると、子どもたちが抱きつく。
その様子が自然すぎて、蒼真は一歩引いた。
子どもたちの視線が、次に蒼真へ向く。
「このおじちゃん、だれ?」
蒼真が反射的に口を開く。
「おじ……」
言い切る前に、フレイアが割り込んだ。
「この人はねー、私の婚約者だよ」
「――っ!?」
蒼真は、言葉を失った。
(そうきたか)
子どもたちが目を丸くする。
「こんにゃくしゃ!」
「こんやくしゃ!」
「結婚するの!?」
わざと間違えているのか、本当に間違えているのか分からない。
蒼真は、脳内で「こんにゃく」を握りつぶしそうになった。
そこへ、家の奥から足音。
落ち着いた声。
「フレイア、おかえり」
出てきたのは、穏やかな顔の男性だった。
フレイアの父。
手は少し荒れていて、働き者の匂いがする。
「お父さん、今日もいっぱい買ってきたよ」
「そうか」
父は蒼真に視線を向け、丁寧に頭を下げた。
「ようこそ。何もない家ですが、ゆっくりしていってください」
「はじめまして、蒼井蒼真です」
蒼真も頭を下げる。
子どもが横で囁く。
「お父さん、フレイア姉ちゃんがこんにゃくしゃ連れてきた」
「こんにゃくしゃじゃない」
蒼真が小声で訂正すると、フレイアが笑った。
「かわいいでしょ」
かわいいかどうかより、心臓に悪い。
ふと、庭が目に入る。
畑だ。
小さな庭に、きちんと畝が作られ、野菜が並んでいる。
「すごいな」
「でしょ。ここ、私の自慢」
フレイアが胸を張る。
彼女の胸は今日も強い。
蒼真は視線を逸らした。
◇
家の中は、貴族の屋敷のような豪華さはない。
けれど、清潔だった。
床は磨かれ、窓辺には乾いたハーブが吊るされ、布はきちんと畳まれている。
暮らしがある。
蒼真は、案内されるまま椅子に座った。
「これからご飯作るから、蒼真はゆっくりしてて」
「手伝うか」
「だめ。今日はお客さん」
「婚約者だもんな」
蒼真が皮肉を込めると、フレイアは目を細める。
「そう。婚約者」
否定しない。
否定しないまま、台所へ消えていく。
蒼真は、背中を見送ってから深く息を吐いた。
(休日に、何をやっているんだ俺は)
次の瞬間。
椅子の周りに影が増えた。
「おにいちゃん、あそぼー」
「……いいよ。何して遊ぶ?」
「えっとね、質問ゲーム!」
嫌な予感しかしない。
蒼真が警戒する間もなく、子どもは満面の笑みで投げてくる。
「おねえちゃんのどこが好きなの?」
「……は?」
「チューした?」
「してない」
「じゃあ、いつするの?」
「しない」
「じゃあ結婚できないよ!」
論理が飛躍している。
蒼真は頭を抱えた。
台所から、包丁の音が聞こえる。
音が、少しだけ乱れた気がした。
(聞いてるな、これ)
蒼真は、言葉を選び直す。
「……好きなところは、たくさんある」
「どこどこ!」
「まず、真っ直ぐだ」
「まっすぐ!」
「嘘をつかない」
「うそつかない!」
「困ってる人を見ると放っておけない」
「それ、いい!」
「あと……」
蒼真は、思い出す。
教室で燃えた日。
怖かったはずなのに、前を向いた目。
花火の前の不安。
それでも『見ててね』と言った声。
「努力する」
「がんばりやさん!」
「……背が低いのに、動きが速い」
「ちっちゃいのにすごい!」
子どもたちが笑う。
台所の方から、咳払いが一つ。
「……誰がちっちゃいって?」
フレイアの声。
声が赤い。
蒼真は、子どもたちを見た。
「聞こえてる」
「聞こえてるね!」
「顔、赤いね!」
「赤くない!」
台所から反論が飛んでくる。
蒼真は、少しだけ口角を上げそうになった。
子どもたちは勢いづく。
「じゃあ次の質問!」
「まだあるのか」
「いつ結婚するの?」
「……」
「子どもは何人欲しい?」
「……」
「名前は何にするの?」
「……」
情報量が多い。
蒼真は、息を吐き、淡々と答えた。
「結婚は……まだ分からない」
「えー!」
「子どもは……考えたことない」
「だめだよ!」
子どもたちの価値観が強い。
そこへ、フレイアの声が飛んでくる。
「蒼真を困らせないの!」
叱るようで叱っていない。
子どもたちが素直に返事をする。
「はーい」
だが、目がキラキラしている。
(絶対やめてない)
蒼真は、逃げ場を探して視線を彷徨わせた。
壁。
棚。
そして、写真。
家族写真が飾られていた。
父。
子どもたち。
フレイア。
笑っている。
その中で、空白のように感じる場所が一つ。
蒼真は、そこに言葉を置かない。
勝手に推測して、勝手に痛がるのは簡単だ。
けれど、それは彼女の物語を奪う。
蒼真は、写真から視線を外した。
その瞬間、子どもが最後の一撃を放つ。
「ねえねえ、結婚したら、蒼真おにいちゃんもここに住むの?」
蒼真は固まった。
台所の包丁の音が、止まる。
「ちょ、なに聞いてんの!」
フレイアの声が、少し大きい。
子どもたちが笑う。
「だって婚約者だもん!」
「こんにゃくしゃだもん!」
「こんにゃくしゃ言うな!」
蒼真は、思わずツッコミを入れた。
笑い声が、家の中に満ちる。
その笑い声の中で、蒼真はふと気づいた。
ここは。
彼女が帰る場所だ。
火のように派手な彼女の、土台。
――そして、今の自分が踏み込んでいる場所。
台所から、甘い匂いが漂ってきた。
もう少しで、何かが運ばれてくる。
蒼真は、喉の奥で小さく息を飲んだ。
休日は、平穏ではない。
だが。
悪くない。
その時。
「……できたよー」
フレイアの声が、少しだけ遠慮がちに響いた。
蒼真は、椅子に座ったまま背筋を伸ばす。
次に何が来るのか。
そして、自分はどんな顔をすればいいのか。
分からないまま。
それでも、笑い声の中で待っていた。




