第49話「休日、彼女の帰る場所」(1)
# 第49話「休日、彼女の帰る場所」
マナブルーム祭が終わった。
学園に残ったのは、片付けの埃と、言葉にしない熱の残り香と――あの日、夜風の中で繋いだまま離さなかった指先の感触だった。
だからこそ、休日の朝は妙に静かに感じる。
静かなはずなのに、蒼井蒼真の頭の中だけは騒がしかった。
夢を見ていた。
ひどく具体的で、ひどくどうでもいい夢だ。
「蒼真、もっと……こっち……そこ……だめ」
耳元で囁く声が、やけに近い。
息がかかる。
距離感が狂っている。
(なにをしているんだ、俺は)
そう思うのに、夢は律儀に続く。
「……蒼真」
呼び方が、妙に甘い。
(待て、声の主が違う)
名を確かめようとして――。
蒼真は勢いよく目を開けた。
白い天井。
寮室の薄いカーテン越しの朝光。
遠くから聞こえる、休日の回廊を歩く足音。
「……っ」
喉が乾いている。
心臓が無駄に速い。
そして、隣のベッド。
「……蒼真、起きた?」
ユリウスが枕に肘をつき、眠そうにこちらを覗き込んでいた。
蒼真は、反射的に枕を掴んだ。
「……起きてたのか」
「起きちゃうよ。なんか……変な声、出してたし」
「出してない」
「出してた」
確信に満ちた断言。
蒼真は、枕を投げる代わりに、布団を引き上げて視線を遮った。
「忘れろ」
「えー、無理だよ」
「じゃあ死ね」
「朝からこわいこと言わないでよ」
ユリウスは小さく笑い、欠伸を噛み殺す。
「それでさ、誰が出てきたの? ……もしかして、ぼく?」
「……は?」
蒼真は布団の中で眉を寄せた。
「ぼくの名前、呼んでた気がするんだけど」
「呼んでない」
「呼んでた」
また断言。
(こいつ、休日の朝に何を確定させようとしている)
蒼真は、ため息をついて布団を放り投げ、ベッドの縁に座った。
「……夢の内容を詮索するな」
「じゃあさ、現実で気になること、しないでよ」
「現実は平穏だ」
「平穏、ねえ……?」
ユリウスが、わざとらしく首を傾げる。
「昨日の夜、祭りの帰り、手――」
「言うな」
蒼真は即座に遮った。
ユリウスは、はいはいと手を上げた。
「はいはい。大人気の名探偵さまは、秘密がいっぱいだもんね」
「名探偵じゃない」
「じゃあ、魔力ゼロの――」
「その呼び方もやめろ」
何か一つでも勝たせると、こいつは一日中それで遊ぶ。
休日の朝の会話なんて、これで十分だ。
◇
食堂は平日より空いていた。
休日でも寮生はいるが、朝が遅い者が多い。机の間隔が広く感じられ、普段なら混じる雑音が薄い。
蒼真とユリウスは、いつもの席に座り、温いスープと硬めのパンを淡々と口に運んでいた。
「今日、どこか行くの」
ユリウスが、何気なく聞く。
「予定はない」
「へえ」
「何だ」
「『予定はない』って言う時は、大抵、予定が生えてくるんだよ」
「生えない」
そう返した瞬間だった。
赤い影が、視界の端を横切った。
歩き方が速い。
迷いがない。
蒼真が顔を上げると、フレイアがこちらへ向かってきていた。
制服姿なのに、どこか休日の軽さがある。肩の力が抜け、歩幅が少しだけ跳ねている。
そして、何より。
蒼真を見つけた瞬間、表情が明るくなる。
「蒼真」
名前だけで、距離が縮まる音がした。
「今日はよろしくね。あとで、校門の前で」
それだけ言って、フレイアは一瞬だけ目を細める。
笑っているのに、照れを隠すような、急いでいるのに名残惜しそうな、妙な顔。
そして、言い逃げ。
赤い影はそのまま食堂を抜けていった。
蒼真は、スープの表面が揺れているのを見つめた。
(……休日に予定が生えた)
向かいでユリウスが、にやりと笑う。
「ほら」
「うるさい」
「校門の前で、だってよ」
「聞こえてる」
「休日に呼び出されるなんて、人気者だな」
「用事だろ」
「デートじゃないのか」
「違う」
即答。
ユリウスはパンを噛みながら、妙に楽しそうに言った。
「じゃあ、何で顔が赤い」
「赤くない」
「赤い」
また断言。
(断言するやつが一番厄介だ)
◇
蒼真は私服に着替え、校門へ向かった。
休日の学園は、普段より広い。
制服の集団がいないだけで、石造りの回廊が本来の静けさを取り戻す。風が通り、木々の葉の擦れる音がはっきり聞こえる。
校門の前。
そこにフレイアがいた。
制服ではない。
赤と白を基調にした私服だった。
白地のトップスに、差し色の赤が胸元と袖口を縁取っている。生地は柔らかく、身体のラインに沿って落ち、歩くたびに光を拾う。
胸元は控えめに開いているだけなのに、小柄な体格との対比で量感が強調され、視線を引き寄せてしまう。布の張りが、はっきりと立体を作っていた。
スカートはミニ丈。赤のラインが裾を走り、動くたびにふわりと揺れる。脚は軽やかで、足取りは弾むようだ。
小柄で背は高くない。それなのに、姿勢がいいからか、校門前の空気の中で自然と目立つ。
そして――。
蒼真は、視線の置き場に困った。
赤と白の配色が、白日の下でやけに鮮やかだ。胸元の立体感が、休日の光を受けて強調されている。
(……制服より、分かりやすい)
本人は無自覚なのか、あるいは分かった上で気にしていないのか。フレイアは、蒼真に気づくと手を振った。
「遅い!」
「今来た」
「ほんと?」
「ほんとだ」
フレイアは蒼真の顔をじっと見て、ふっと笑った。
「……よかった」
その一言が、妙に素直で、蒼真は返事に困る。
返事に困っている間に、フレイアはすでに歩き出していた。
「さて、街でちょっと買い物して……行こ!」
「どこへ」




