第48話「マナブルーム祭」(2)
# 第48話「マナブルーム祭」
――少し前。先週の放課後。
図書室。
高い天井まで伸びる書架に囲まれ、外の喧騒が嘘のように静まり返った空間。夕方の光がステンドグラスを通して床に落ち、埃がきらきらと浮いていた。
フレイア、エリナ、蒼真の三人は、奥の閲覧机を占領していた。
机の上には、分厚い魔法理論書と、元素素材の記録帳。それと、エリナが書いた走り書きのメモ。
フレイアは椅子に座りきれず、背もたれに逆向きに腰掛けて言った。
「なあ……花火、さ」
「炎って赤じゃん?」
声は抑えているが、身振りは大きい。
エリナが小さく頷く。
「うん。基本的には火属性魔力は赤系統だよ。理論的に、色の幅はどうしても限られちゃって……」
少し歯切れが悪い。
その様子に、フレイアは唇を尖らせた。
「でもさ、祭りなんだぞ? 一色だけじゃ、もったいなくないか?」
蒼真は、机の上の本から視線を上げた。
「炎色反応、って現象がある」
フレイアとエリナが同時に顔を上げる。
「なにそれ!」
「聞いたこと……ないかも」
蒼真は、図書室の静けさを壊さない声量で説明を始めた。
「特定の金属成分を炎に含ませると、発光する色が変わる。魔法じゃなくて、物質の性質だ」
「ナトリウムなら黄色。銅なら青緑。カリウムは紫。カルシウムは橙。ストロンチウムは赤を強める」
エリナが、はっと息を呑む。
「……発光波長の違い。魔力を使っているように見えて、実際は元素が光っている……」
「そういうこと」
フレイアは身を乗り出した。
「それ、できたらすっごく素敵じゃない?」
「準備は必要だ」
「準備なら、私やるよ!」
その時だった。
「……蒼真」
三人同時に、声のした方を見る。
書架の影から現れたのは、黒髪に眼鏡の少女――九条リリアだった。
腕には本を数冊抱え、視線はまずフレイア、次にエリナ、最後に蒼真へと移る。
「ずいぶん楽しそうね」
声音は淡々としている。
だが、目が笑っていない。
「蒼真。女子と仲がいいのね」
その一言に、フレイアがきょとんとし、エリナが慌てて背筋を伸ばす。
「ち、違います! これは作戦会議で……」
「作戦会議」
リリアは小さく復唱し、眼鏡を指で押し上げた。
「なるほど。花火の演目ね」
視線が机の上の本とメモを正確に捉える。
「炎色反応……ふむ」
リリアは一瞬だけ考え込み、すぐに結論を出した。
「理論としては成立するわ。金属粒子の分散と、術式の安定が鍵ね」
エリナが目を見開く。
「……それ、分かるの?」
「図書室にある資料は、だいたい読んでいるもの」
リリアは淡々と言い、蒼真を見る。
「蒼真、こういう時だけ、頼りになるのはずるいわ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味」
リリアはふっと視線を逸らす。
「……まあいいわ。記録は私が補足しておく。安全面も含めて」
フレイアが目を輝かせる。
「えっ、助っ人!?」
「勘違いしないで。これは学術的興味」
そう言いながら、リリアはちゃっかり空いている椅子を引いた。
図書室の空気が、少しだけ騒がしくなった。
◇
夜。
学園の灯りが段階的に落とされる。
中庭の石畳に集まった観客のざわめきは、潮のように寄せては返し、静まりそうで静まらない。
夜空が、ひとつ大きなキャンバスになる。
フレイアたちのクラスの出番。
蒼真は、観客の端からその準備を見守っていた。
ルミエールが、いつの間にか隣に来る。
「間に合ったのね」
「……仕事で呼ばれた」
「仕事?」
「秩序が」
ルミエールが小さく笑う。
「ふふ。セレナらしい」
そこへ、反対側からセレナも来る。
「蒼真。ちょっと確認」
「何を」
「前に言ってた色の反応、混ぜる順番はこれで合ってる?」
セレナが小さなメモを見せる。
几帳面な字で、元素名と比率が並んでいる。
蒼真は目を通し、短く頷いた。
「問題ない。……ただ、銅は入れすぎると煙が出る」
「分かった」
セレナは即座に修正し、戻っていく。
ルミエールが、その背中を見ながら呟く。
「蒼真って、こういうところが不思議ね」
「どこが」
「魔法が使えないのに、魔法を一番うまく使ってる」
蒼真は返事をしない。
褒め言葉だと分かっても、受け止め方が難しい。
その沈黙が、逆にルミエールを動かしたのかもしれない。
ルミエールは蒼真の袖をつまんだ。
「ねえ」
「……なに」
「祭りが終わったら、少し話す時間を作って」
声が柔らかい。
だが、逃げ道がない。
「……忙しいだろ」
「忙しいわ。でも、作るの」
ルミエールが微笑む。
そこへ、赤い影が飛び込んでくる。
「蒼真!」
フレイアだ。
出番前なのに、観客側へ走ってきた。
包帯の腕をかばいながら、息を切らしている。
「来てくれたんだ!」
「……呼ばれた」
「それでも、嬉しいよ!」
フレイアは、蒼真の前で胸を張る。
夜の灯りの下で、その動きはやけに目立つ。
ルミエールの視線がそこへ落ち、すぐに蒼真へ戻る。
「フレイア、もうすぐ出番でしょう?」
「分かってる! でも……言っときたかった」
フレイアは蒼真を見上げる。
いつもの勢いではなく、少しだけ慎重な目。
「……色、出せるかな」
蒼真は、短く答えた。
「出せる。やることはやった」
フレイアの目が少し潤む。
「……よし」
フレイアは深く息を吸い、踵を返した。
「見ててね! ちゃんと、すごいのやるから!」
走って戻る背中。
蒼真はその背中を見ながら、昨夜と同じことを思った。
――勢いと逃走。
◇
開始の合図。
中庭の明かりがさらに落ち、観客が息を呑む。
フレイアたちのクラスが作った花火台の周囲に、魔法陣が浮かぶ。
火の魔力が、ゆっくりと集まり、空気が熱を帯びる。
だが暴走の気配はない。
土台がある。
セレナが陣の外縁で補助術式を展開し、安定を支える。
フレイアが中央で、火を“上へ”向けて解放する。
――一発目。
赤い花が夜空に咲く。
次の瞬間、その赤の縁が金色に変わった。
観客がざわめく。
「色が……!」
二発目。
黄色。
三発目。
青緑。
四発目。
紫。
それぞれが夜空に咲いて、弾けて、消えていく。
ただの単色ではない。
中心から外へ波紋のように広がり、螺旋を描き、花びらの形でほどける。
花火。
魔法の花火。
火を打ち上げて終わりではない。
『形』と『色』を制御して初めて、観客は“驚き”を受け取る。
そしてその驚きが、祭りの夜を完成させる。
フレイアは、派手にやっている。
だが、派手なのに危うさがない。
火の勢いを知っているからこそ、抑えるべき瞬間を知っている。
セレナはそれを支え、場を崩さない。
観客のどよめきが、拍手に変わる。
蒼真は、その音の中で、ふと隣を見た。
ルミエールが花火を見上げている。
横顔が柔らかい。
その柔らかさのまま、蒼真の方をちらりと見る。
そして、言った。
「……すごいわね」
「すごいのは、あいつらだ」
「あなたもよ」
ルミエールが、目を細める。
その一言が、蒼真の胸の奥に小さな棘を残す。
褒められることは、嫌いではない。
ただ、褒められると次に何かを求められる気がしてしまう。
その瞬間、最後の大玉が打ち上がった。
夜空が一瞬白くなり、次に――。
金と紫と青緑が、花のように一斉に弾けた。
光が降る。
火の花びらが、夜へ消える。
観客が歓声を上げ、拍手が波になる。
フレイアのクラスの勝利。
フレイアの復権。
そして、フレイアが“代表”として立った夜。
蒼真は、拍手の中で静かに息を吐いた。
◇
演目が終わり、観客が動き出す。
興奮が残ったまま、屋台の方へ流れていく人の波。
蒼真がそれに巻き込まれそうになった時、腕を引かれた。
「蒼真!」
フレイア。
汗をかき、頬が赤い。
火の熱ではない。
達成の熱。
そして、どこか別の熱。
「見た? ちゃんと見てた?」
「見た。……すごかった」
蒼真が言うと、フレイアは一瞬だけ言葉を失った。
そして、照れたように笑う。
「……でしょ?」
隣にセレナも来る。
「成功だね。思ったより安定してた」
その言い方が、褒めているのに淡々としていて、フレイアがむっとする。
「もう、もっと喜んでよ!」
「喜んでいます」
「顔に出せ!」
「出しています」
セレナの顔はいつも通りだった。
蒼真が小さく笑いそうになった瞬間、ルミエールが合流する。
「お疲れさま。素敵だったわ」
その声は優しい。
優しいが、フレイアの隣に立つ位置が近い。
フレイアも負けじと蒼真の近くへ寄る。
セレナは間に入る形で立ち、秩序を守る顔をする。
リリアは少し離れたところで、静かに観測していた。
蒼真は、胸の奥で小さく祈った。
(お願いだから今夜はこれ以上燃えないでくれ)
だが、祭りの夜は人を大胆にする。
フレイアが、急に言った。
「ねえ、蒼真」
「なんだ」
「さっきの、色のやつ……ありがとね」
声が少し小さい。
周囲が一瞬静まる。
ルミエールが、微笑む。
セレナが、視線を逸らす。
フレイアは蒼真を見上げた。
いつもの勢いで押し切らない。
押し切らない代わりに、真っ直ぐ。
「……昨日のことも」
そこまで言って、フレイアは言葉を飲み込んだ。
昨夜のこと。
頬の温度。
逃げる背中。
未処理案件。
蒼真は、そこで初めて「未処理」を処理する必要があると理解した。
「……礼を言われるほどじゃない」
蒼真がそう言うと、フレイアはむっと頬を膨らませる。
「それ、ずるい」
「何が」
「全部自分で抱える感じ。助けたくなるだろ」
蒼真は返事に困った。
フレイアは、少しだけ笑う。
「……じゃあさ」
そして、手を伸ばした。
蒼真の手。
指先が触れた瞬間、蒼真は反射的に引きそうになる。
だが、フレイアの手は熱すぎず、冷たすぎず、ただ人の温度だった。
フレイアは小さく言う。
「今日だけ。……いや、今日からでもいい」
その言葉が、祭りのざわめきに溶けそうで溶けない。
蒼真は、周囲を見る。
ルミエールが何か言いたげに口を開きかけて、閉じる。
セレナが「節度」と言いかけて、言わない。
そんなものがあるなら、今この瞬間だ。
蒼真は、ゆっくりと手を握り返した。
フレイアの指が、少しだけ震えた。
それが、花火よりも静かな爆発だった。
夜空には、まだ余韻の煙が薄く残っている。
紙灯籠の光が、二人の手元を淡く照らす。
フレイアは照れたように笑い、蒼真の隣を歩き出した。
手は、離さない。
蒼真は、遠くの屋台の笑い声を聞きながら思った。
――平穏ではない。
だが。
悪くない。
マナブルーム祭の夜は、まだ続く。




