第48話「マナブルーム祭」(1)
# 第48話「マナブルーム祭」
鐘が鳴った。
ノクティス魔法学園の朝を区切るいつもの鐘とは違う。音が一段深く、長く、石造りの回廊に反響してから、最後にふっと笑い声へ溶けていくような――そんな鐘だった。
マナブルーム祭、開幕。
中庭へ続くアーチの先に、屋台の布が揺れている。紙灯籠の淡い光はまだ昼の光に負けているのに、飾りの色と匂いだけが早足で先に祭りの夜を連れてくる。
蒼井蒼真は、歩きながら「今日は平穏に終わってほしい」と思った。
平穏。
その単語を思い浮かべた瞬間、背後から視線が刺さる。
ルミエールだ。
クラス委員として朝から忙しいはずなのに、通りすがりに蒼真へだけ軽く手を振り、笑顔を作る。笑顔の温度は柔らかいのに、視線の角度が妙に正確だった。
(平穏の定義が揺らいでる)
さらに、視線のもう一本。
セレナ。
祭りという浮ついた空気の中でも、彼女だけは背筋がまっすぐで、制服の皺ひとつ許さない。整然とした歩き方で、蒼真の横を通り過ぎる……はずが、わざとらしく一拍遅れて止まった。
「蒼真」
「なに」
「今日は、余計な騒動を起こさないで」
「俺が起こしてるみたいに言うな」
「起こされてる側でしょ」
言い返せない。
そして最後に――。
もう一本どころではない、観測の目。
◇
昼。
学園の中庭は別世界だった。
普段は落ち着いた石畳の広場に、布の屋根が並び、香辛料と甘い蜜の匂いが混ざり合う。魔法で冷やされた果実水、焼いた肉の串、粉を練って揚げた甘い菓子。どれも現代日本の屋台とは違うのに、祭りの「人を浮かせる感じ」だけは変わらない。
蒼真は、クラスの当番表を確認するふりをしながら、フレイアの姿を探した。
探したのに、見つかったのは向こうだった。
「蒼真ー!」
声が先に飛んできて、次に小柄な影が突っ込んでくる。
フレイア・バルディッシュ。
赤髪を高く結び、包帯の腕を振り回さないように気をつけながら、それでも勢いは止まらない。制服の上からでも分かるしなやかなスタイルは、動くたびに軽やかで、そして――胸元だけは元気そのものの存在感を主張していた。
昨日の教室での距離感を思い出し、蒼真は反射的に一歩引きそうになる。
だがフレイアはそれより早い。
「ねえ、祭りだよ? 屋台、見に行こ!」
「当番は」
「あと! あとで!」
雑。
だが、祭りの日に彼女の雑さは妙に正しく見える。
蒼真が諦めて歩き出すと、フレイアは当然のように隣に並んだ。
並んだだけで、周囲の視線が増える。
昨日の「デート」発言が尾を引いているのか、あるいは祭りの空気が噂を加速させるのか。
蒼真は、背中に貼りついた視線の数を数えようとしてやめた。
数えるのは推理のときだけでいい。
屋台の前。
フレイアが指差す。
「これ! 食べたい!」
そこには、串に刺さった何かが並んでいた。見た目は丸い団子に近いが、表面が少し光っている。
「……何だ」
「蜜焼きボール!」
名前が強い。
フレイアが店主に向かって勢いよく注文し、蒼真は財布を出そうとした。
その瞬間、横から別の手が差し出された。
「二本ください」
ルミエールだった。
金髪を揺らしながら、上品に微笑んでいる。笑顔は祭り仕様で柔らかい。
だが、視線は蒼真とフレイアの距離を測っている。
「……ルミエール。忙しいんじゃないのか」
「忙しいわ。でも、クラス委員として『皆が楽しめているか』を見るのも仕事よ」
仕事と言いながら、蒼真の反応を見ている。
フレイアが団子を受け取って、得意げに胸を張った。
「ねえ見て、蒼真。ルミエール、いい人でしょ?」
「……いいやつね」
ルミエールが笑う。
笑うのに、どこか勝ち誇っている。
そこへ、規律の影が差す。
「甘いもの食べると、動線乱れるよ」
セレナだ。
屋台の列の端で、まるで巡回兵のように立っている。祭りでも秩序を持ち込む姿勢がぶれない。
「……今、列の中に来て言うことか?」と蒼真が言うと、セレナは眉ひとつ動かさずに答えた。
「私は列の外だから」
確かに、きっちり外。
フレイアが団子を片手に笑う。
「セレナも食べよ? 祭りなんだからさ!」
「……私は」
セレナが口を開きかけた瞬間、ルミエールがさらりと追撃した。
「セレナも、一本どう?」
セレナがわずかに固まる。
フレイアが目を輝かせる。
「おっ、いいじゃん!」
「……では」
セレナは短く息を吐き、一本受け取った。
その瞬間、周囲の女子がざわめく。
セレナが祭りの甘味を受け取る。
事件よりレアかもしれない。
蒼真が「これは記録される」と思ったところで、
フレイアが団子を一口かじり、目を丸くする。
「おいしい……!」
頬が緩み、声が素直になる。
その横顔が、昨日の夜の赤とは違う。
祭りの光を映した、子どもみたいな顔だ。
蒼真は、そこで初めて少しだけ肩の力が抜けた。
――祭りは、こういうものだ。
誰かが笑って、周りがつられて笑って、余計なことを忘れる。
忘れるはずだった。
◇
「蒼真!」
フレイアが、蒼真の袖を引いた。
袖。
昨日の教室では机の下で引かれたが、今日は堂々と引かれる。
「次はあれ! 射的だよ!」
「射的?」
木製の台に小さな的が並んでいる。魔法で飛ばす針を当てるらしい。
フレイアがニヤリと笑う。
「ねえ、勝負しよ?」
「何の」
「負けた方が、相手のお願い一個、聞くのね」
ルールが急に危険になる。
蒼真が断ろうとした瞬間、ルミエールが優雅に手を挙げた。
「私も参加するわ」
セレナも、当然のように頷く。
「公平のために、私も入る」
蒼真は、平穏という概念が完全に死んだことを認めた。
店主が四本の針を配る。
「はいはい、順番ね」
フレイアが先に投げた。
火の属性魔力を針先へ乗せ、勢いよく放つ。
――当たる。
真ん中。
周囲が「おお!」と湧き、フレイアが胸を張る。
「どう? すごくない?」
その胸の張り方が物理的に強く、蒼真は視線を外へ逃がした。
次はルミエール。
光の針はきれいに伸び、的の端を正確に射抜く。
「狙ったところに当てるのは、当然よ」
言い方が意味深。
セレナは無駄のない動作で放ち、同じく中心近く。
「規範の勝ち、かな」
蒼真は、小さくため息をついた。
そして、思った。
(……この勝負、負けても勝っても面倒だ)
結果は僅差だった。
最終的に、一番中心に近かったのは――セレナ。
セレナが胸を張る。
「私の勝ち」
「セレナ、勝ったねー!」とフレイアが叫ぶ。
ルミエールが微笑む。
「じゃあセレナ、お願いを考えないと」
セレナは、少しだけ間を置いた。
そして、蒼真を見た。
「……蒼真。放課後の時間、花火の準備にちゃんと使って」
「それはお願いじゃなくて業務だ」
「必要なことだから」
やはり秩序。
フレイアが肩を落とす。
「えー、つまんないよ!」
ルミエールが笑っていた。
蒼真は、何だかんだで一番安全なお願いに救われた気がした。
◇




