第47話「翌朝の教室で」(2)
# 第47話「翌朝の教室で」
蒼真がため息をつく前に。
フレイアが動いた。
教室の中央から、一直線に蒼真の席へ向かってくる。
歩くというより、突撃。
止める間もなく、フレイアは蒼真の隣の椅子を引いて、どさりと座った。
近い。
昨日より近い。
制服越しでも分かる体温が、隣で存在感を放っている。
小柄なのに、距離が近いと妙に圧がある。
いや、圧というより――。
意識してしまうものがある。
フレイアは咳払いをして、前を向いたまま口を開いた。
「蒼真、おはよう」
「……おはよう」
蒼真が返した瞬間、フレイアの肩がぴくっと跳ねた。
昨日の余韻が、二人の間に薄く残っている。
それをごまかすように、フレイアは早口になる。
「ねえ、今度の休みなんだけどさ」
「休み?」
「そう。休み」
「……うん」
蒼真が頷いた。
フレイアはここで、少しだけ息を吸う。
そして、さらりと言った。
「デート、しない?」
教室が静まった。
一拍。
二拍。
蒼真は、理解が遅れた。
「……今、何て言った」
「で・え・と」
フレイアは一音ずつ言う。
「聞こえなかったの?」
「聞こえた。意味が分からなかった」
「意味はそのまま!」
フレイアが机を軽く叩く。
周囲の視線が、一斉に集まる。
ニヤニヤ。
ヒソヒソ。
蒼真は、今朝から感じていた「視線の多さ」の理由をようやく理解した。
(これか)
昨夜の件が、どこかから漏れている。
あるいは、漏れていなくても、今この瞬間に、全てが確定した。
蒼真が言葉を探していると、背後から柔らかい声が飛んできた。
「蒼真〜」
ルミエールだ。
席に座ったまま、笑顔でこちらを見ている。
笑顔のまま、圧がある。
「いつの間にかフレイアと仲良しねー?」
語尾が甘い。
甘いのに、刺さる。
そして、その隣からさらに硬い声。
「……随分と距離が近いですわね」
セレナが、静かに眉を寄せていた。
謝罪したばかりの人間とは思えない速度で嫉妬している。
フレイアは頬を膨らませて反論する。
「え? 普通じゃん。隣に座るくらい」
「普通、ではありませんわ」
「えー? セレナって、ほんと固いよな」
「秩序です」
「秩序って便利な言葉だな!」
フレイアが笑う。
ルミエールも笑う。
セレナは笑わない。
その三者三様の表情が、蒼真には危険な三角形に見えた。
その危険さをさらに尖らせるように、セレナが小さく咳払いをした。
「蒼真」
「……なに」
「返答を先延ばしにすると、火種が増えます」
「今、増やしてるのは誰だ」
「私は、観測です」
「観測の目が鋭すぎる」
蒼真が小さく言い返した瞬間。
フレイアが、妙に得意げに胸を張った。
「ね、ね? 蒼真、返事してよ」
胸を張ると、物理的にも存在感が増す。
小柄な体なのに、目線がそこに引っ張られそうになって、蒼真は必死に視線を上へ戻した。
それを、ルミエールが見逃すはずがなかった。
ルミエールの笑顔が、さらに柔らかくなる。
「蒼真?」
呼び方が、やけに優しい。
優しいのに、逃げ道を塞いでいる。
セレナも同じように、背筋を伸ばした。
「蒼井。答えなさい」
「命令形だな」
「質問です」
「質問の形をした命令だ」
フレイアが「なにそれ!」と笑い、教室の女子たちがさらにざわつく。
蒼真は、人生で一番「チャイムが鳴ってほしい」と思った。
――そして。
天は蒼真に味方しない。
チャイムはまだ鳴らない。
代わりに、担任のクラリス先生が扉を開けて入ってきた。
「おはよう。……随分、にぎやかね」
先生の一言で、空気が一瞬で整う。
全員が着席する音が重なり、教室が「授業の顔」になる。
蒼真は、胸の奥で小さくガッツポーズをした。
救われた。
だが、救われただけだ。
問題は消えていない。
ただ時間切れになっただけ。
クラリス先生は出欠を取りながら、何気なくフレイアを見る。
フレイアは背筋を伸ばし、いつもより素直に返事をした。
「はい!」
それだけで、教室の数名が「あれ?」という顔をする。
蒼真は、机の上に肘をつきそうになって、やめた。
授業が始まる。
内容は祭り当日の注意事項と、簡単な魔法理論の復習。
だが、蒼真の頭には半分も入ってこない。
隣のフレイアが、時々こちらを見ては、すぐに前を向く。
後ろの方から、ルミエールの視線が刺さる。
少し離れた位置から、セレナの視線が刺さる。
(……これ、祭りどころじゃないな)
蒼真は、心の中でそう結論づけた。
結論づけたところで、何も変わらない。
クラリス先生が黒板に書いた文字が、妙に踊って見える。
蒼真は小さく息を吐き、窓の外を見る。
外では、屋台の準備が進んでいる。
笑い声が聞こえる。
祭りの空気が、確かにそこにある。
なのに、蒼真の周囲だけは、別の種類の祭りが始まりかけていた。
――そして。
授業の終わり際。
フレイアが小さな声で言った。
「……ねえ、蒼真」
「なに」
「今日さ、放課後……時間ある?」
蒼真が答える前に、後ろからルミエールが「もちろんあるわよね?」という視線を飛ばしてくる。
横からセレナが「あるべきですわね」という圧を出してくる。
蒼真は、喉の奥で言葉を飲み込んだ。
逃げ道は、ない。
祭りは、今日から始まる。
学園の祭りも。
蒼真の周囲の祭りも。
蒼真は、静かに頷いた。
「……ある」
フレイアがぱっと笑う。
その笑顔は、昨夜の赤さとは違う、朝の火だった。
その瞬間、ルミエールが微笑み、セレナが目を細め、小さくメモを取った。
蒼真は、遠くの屋台の音を聞きながら思った。
――これは、長い一日になる。
そう結論づけた瞬間、フレイアが満足そうに小さく頷いたのが視界の端に入った。
それだけで、蒼真は嫌な予感しかしなかった。
◇
休み時間。
授業開始の緊張が少しだけ緩んだ途端、教室は一気に“祭り前の教室”という顔を取り戻した。
「ねえねえ、フレイア!」
「昨日どうだったの!?」
「怪我、ほんとに大丈夫!?」
女子生徒たちが一斉に集まる。
フレイアは苦笑しながらも、いつもの調子で応じていたが、蒼真の隣に座ったまま動かない。
その距離感が、さらに話題を呼ぶ。
「……あれ? フレイア、席そこだっけ?」
「違うよね?」
フレイアは堂々と言い切った。
「今日だけ!」
理由は言わない。
言わないから、想像が膨らむ。
蒼真は、無言で板挟みになっていた。
そこへ、ルミエールが自然な動きで近づいてくる。
「フレイア、怪我は本当に平気?」
「おう。問題なし!」
そう言いながら、フレイアはわざと蒼真との距離を詰めた。
肘が軽く当たる。
ルミエールの視線が、そこに落ちる。
「……ふふ。元気そうで何よりね」
笑顔。
だが、笑顔の奥で火花が散っているのが、蒼真には分かった。
さらに、後方から低い声。
「節度を保ちなさい」
セレナだった。
「学園内での距離感には規範があります」
「えー? 肘当たるくらいで?」
「当たっています」
「じゃあ、当たらなければいいんだな?」
フレイアは、そう言って少し体を引いた。
――引いた結果、今度は太ももが触れた。
蒼真は、完全に視線を正面へ固定した。
(見ない。見たら負けだ)
蒼真は深く息を吐いた。
この教室には、敵が多すぎる。
◇
次の授業の準備中。
フレイアが急に、机の下で蒼真の袖を引いた。
「なあ」
「……なに」
「デートの返事、考えてる?」
「今は考える状況じゃないだろ」
「そっか」
フレイアはあっさり引き下がる。
――と思った次の瞬間。
「じゃあ、保留ってことでいいな?」
「選択肢が勝手に減ってないか」
「増えてるよりいいだろ?」
理屈が雑だ。
だが、フレイアらしい。
蒼真が言い返そうとしたところで、ルミエールが会話に割り込む。
「蒼真、午後の予定は空いているかしら?」
「……なぜ今それを聞く」
「念のため」
念のため、という言葉が一番信用ならない。
さらにセレナ。
「放課後は、祭りの警備計画の最終確認があります」
「なぜ俺が含まれている」
「貴方は中心人物です」
「不本意だ」
蒼真は机に額をつけそうになるのを必死で堪えた。
◇
授業再開の鐘が鳴る。
全員が席に戻る中、フレイアだけが最後に蒼真の方を見た。
その目は、昨日の夜の赤とは違う。
朝の光を映した、真っ直ぐな色。
蒼真は、その視線を受け止めてしまった。
逃げられない、と理解した。
――これは、長い一日になる。
そして、きっと。
賑やかな一日になる。
マナブルーム祭は、もう始まっている。




