第4話 覗き魔の正体と、最後の悪あがき
# 第4話 覗き魔の正体と、最後の悪あがき
前夜の騒ぎが、まだ学園の空気に残っていた。
女子寮で起きた覗きの件――蒼井蒼真が「魔法ではない可能性」を口にしたことで、事態は一気に動き出した。噂は噂のままでは済まされず、教師の判断で関係者が集められることになったのだ。
昼下がりの女子寮は、いつもより静かだった。
授業が終わり、本来なら談笑や足音が響くはずの時間帯。それでも廊下には、どこか張り詰めた空気が漂っている。
原因はひとつ。
女子寮の更衣室で、以前から何度も起きていた「覗き」の噂だ。最初は気のせいとして流され、次は勘違いとして処理され、それでも消えなかった違和感が、ここ数日で一気に表に噴き出した。
最初に声を上げたのはアリシアだった。
そして、つい最近になって、ルミエールも同じ被害を訴えた。
それで、今。
更衣室の前に、事件の関係者たちが集められていた。
「……ここ、ですのね」
金髪が揺れる。絹のような髪と、堂々とした立ち姿。ルミエール・ド・アルセリア。
貴族の令嬢らしい気品をまといながらも、彼女の頬には薄い緊張が残っていた。これまで何度も続いていた覗きの噂が、ようやく“事件”として扱われることになり、その渦中に自分が立たされているからだ。
「蒼井くん。ほんとうに、ここで……」
隣で、アリシアが小声で言う。
蒼井蒼真は、扉の前に立ったまま、周囲の視線を受け流していた。視線は刺さる。女子生徒の冷たいもの、男子生徒の好奇のもの、教師の警戒混じりのもの。だが、蒼真は肩をすくめるだけで、表情を変えない。
「証拠はこの中にある。……と言いたいところだけど」
蒼真は扉の取っ手に手をかけ、わずかに引いた。
「証拠は、もっと『外』にある」
更衣室の中は、夕方前の淡い光で満ちていた。
鏡。長い横鏡が壁一面に設置され、足元まで映し出す。魔法学園らしく、鏡の縁には小さな魔術刻印が並び、曇り止めや傷防止の術式が施されているらしい。
「……普通の鏡にしか見えませんわ」
ルミエールが、口元に指を当てる。
「普通の鏡だよ」
蒼真は淡々と言った。
「ただし――普通の『使われ方』じゃない」
蒼真は鏡の前まで歩き、壁の角、鏡の端、そして床の継ぎ目に視線を落とした。指先で縁をなぞり、少しだけ力を入れる。
――ぐらり。
鏡が、ほんの数ミリ動いた。
「きゃっ……」
誰かが短く声を上げる。
「い、今、動いた……?」
蒼真は頷いた。
「立て付けが弱い。……というより、壁そのものが簡易だな」
蒼真は鏡の縁を軽く押したまま続ける。
「この寮、内壁はかなり薄い。簡易建材だ。だから少し力をかけただけで歪むし、立て付けも最初から良くない。誰かが細工をしたって話じゃない。単に、構造的に弱いだけだ」
教師が眉をひそめるが、蒼真は首を振る。
「点検とか、そういう話でもないです。これ、最初からこういう造りなんでしょう。生活区画は、魔法学園でも案外簡易ですから」
蒼真は鏡の端に掌を当てる。
「覗きをよく見ようと思って、犯人が壁に手を当てた。力が加わって、動いてしまったんだろう。……こういうの、俺のいた世界じゃ通称がある」
蒼真は鏡を見上げた。
「マジックミラー」
「……まじっく、みらー?」
アリシアが復唱する。周囲の生徒たちは一斉に首をかしげた。魔法学園の用語ではない。教師でさえ知らない顔をしている。
「片側が鏡、片側が透けて見えるガラス。……いや、この世界だとガラスじゃないかもしれないけど、理屈は同じ。光の反射と透過のバランスを調整すれば、こういう『一方通行』ができる」
「魔法ではないのですの?」
ルミエールが問いかける。
「魔法が使われてるのは事実だ。でも、『覗き』の原因は魔法じゃない」
蒼真は鏡の縁に刻まれた術式に視線を滑らせた。
「曇り止め、明度調整……それから、ここ」
指先が刻印を一つ示す。
「光の反射率を一定にする。これがあるから、鏡として成立し続ける。……つまり、魔法は『鏡を鏡のままにする』ために使われてるだけだ」
ざわり、と声が広がる。
誰かが戸惑ったように口を開くが、蒼真は首を振る。
「そもそも、特別な反応なんて出ていない。鏡として機能するための最低限の魔法が、ずっと働いているだけだ」
蒼真は鏡に掌を当て、ゆっくりと横へ滑らせた。
「だから余計に、“魔法のせい”に見えただけ。実際には、誰かが覗ける位置に立っていただけだ」
空気が変わる。
魔法学園の生徒たちは、無意識のうちに「魔法」を万能の犯人として扱ってきた。わからないことは魔法のせいにする。解けない謎は魔法のせいにする。
けれど、蒼真はその前提を、軽々とひっくり返して見せた。
ルミエールが、ほんの少しだけ息を呑む。
アリシアも、唇を噛んだ。
蒼真は振り返る。
「……で。ここに来るまでの話、もう一回整理する」
蒼真は、床に落ちた埃ひとつ見逃さないように、淡々と指摘していく。
被害が出た時間帯。更衣室の利用が集中する前後。寮の巡回が手薄になる瞬間。廊下の死角。誰がどこを通れるか。
それらを積み重ね、最後に、蒼真は言った。
「覗きをやってたのは――ジョージだ」
名前が落ちた瞬間、視線が一斉に移動した。
そこにいたのは、短い茶髪の男子生徒だった。切れ長で鋭い目つきは、普段からどこか刺々しい印象を与える。今はその視線が定まらず、焦りと動揺がはっきりと滲んでいた。
「ち、違う……!」
ジョージが叫ぶ。
「俺じゃない! 俺は……俺はルミエールさんを守ろうと……!」
ルミエールとアリシア、そして周りの女子たちの視線が刺さる。冷たい針のような視線。責めるような視線。信じられないという視線。
ジョージはそれを浴びながら、必死に言い訳を続けた。
「ストーカーがいるかもしれないだろ! だから……だから、見張って……観察してたんだ……!」
蒼真は少しだけ首を傾げた。
「ストーカー?」
そして、静かに言う。
「なぜ、守ることが着替えの覗き見になるんだ?」
ジョージの喉が詰まる。
「そ、それは……だって……」
口が開いたまま、言葉が出ない。
だが、次に出てきた言葉は、彼自身を終わらせるものだった。
「だって……一番、無防備な姿になるから……」
言いながら、ジョージの目がどこか遠くを見る。
――思い出している。
その瞬間、彼の頬が赤く染まり、呼吸が荒くなった。口角がわずかに歪み、喉が鳴る。ぞっとするほど生々しい興奮。
女子たちの空気が一斉に冷えた。
「うわ……」
「最低……」
「守るって……なにそれ……」
ささやきが刺さる。ルミエールは一瞬、顔を伏せた。怒りと羞恥と、言いようのない嫌悪が混ざっている。
そこへ、教師の低い声が落ちた。
「ジョージ。職員室まで来なさい」
教師は前へ出て、ジョージの腕を掴もうとする。
その瞬間だった。
ジョージが腕を振り払った。
「触るな!」
足元から熱が立ち上がる。
空気が乾いて、焦げた匂いが混じる。
ジョージの掌に、赤い光が宿った。
「炎……?」
誰かが呟く。
ジョージは炎魔法の使い手だった。普段は実技でそこそこ評価される程度の生徒だ。だが今、怒りと興奮が混ざり合い、その魔力が暴走する。
「お前が出てきたせいで……全部、ぶち壊しだ!」
ジョージの目が蒼真を捉える。
「くらえ!!」
呪文が吐き出される。
「ファイア!」
火球が、まっすぐに蒼真へ飛んだ。
蒼真は反射的に腕をクロスし、顔の前で防御姿勢を取った。
(まずい! 魔法の防御なんてしたことがない!)
熱が迫る。
火球が蒼真に当たる寸前――
――消えた。
「……は?」
ジョージが間抜けな声を出す。
続けて二発目。
「ファイア!」
火球が飛ぶ。
――また、消えた。
三発目。
――消えた。
まるで、火が存在しなかったかのように、熱だけが一瞬残って消える。
蒼真の腕は震えていた。
自分が何をしたのか、わからない。
だが、目の前で確実に起きている。
蒼真に向けられた魔法が、蒼真の前で「無効化」されている。
ジョージの顔が歪む。
「なんだ……?」
恐怖と苛立ちが混ざり、さらに魔力が膨れ上がる。
「なら、もっと……!」
ジョージは炎を連発した。
「ファイア! ファイア! ファイア!」
火球が次々に放たれる。
蒼真は、もう逃げる余裕がない。
再び腕をクロスし、防御姿勢を取った。
(……消えろ。消えろ、消えろ……!)
願うように、息を飲む。
次の瞬間。
火球は――消えなかった。
蒼真の目の前で、燃える塊が存在感を増し、彼の視界を赤く染めた。
蒼真の喉が詰まる。
(終わ――)
しかし、火球は蒼真に触れる直前で、軌道を変えた。
まるで、見えない壁に当たって跳ね返るように。
火球は反転し、今度はジョージの方へ戻っていく。
「……え?」
ジョージが目を見開く。
逃げる間もない。
火球はそのままジョージの胸元に直撃した。
「ぐあぁぁっ!!」
悲鳴。
床に転がり、制服の袖を叩き、悶える。焦げた匂いが一気に広がる。
蒼真は、腕を下ろせなかった。
自分の体が、熱くも冷たくもない。
ただ――皮膚の内側で、何かが動いた感覚だけが残っていた。
まるで魔法が発動したみたいに。
でも、蒼真は魔法を知らない。
知らないはずなのに。
周囲は凍りついた。
教師も、ルミエールも、アリシアも。
言葉を失い、蒼真を見ている。
蒼真は、ようやく小さく息を吐いた。
「……魔法は嘘をつかない」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、事実を確かめるように。
「嘘をつくのは、いつだって人だ」
教師が我に返り、素早く手を伸ばす。
「拘束」
呪文とともに、光の鎖が現れ、ジョージの体を縛り上げた。炎が消え、騒ぎが収束する。
教師はジョージを引き起こし、冷たい声で言った。
「行くぞ」
ジョージは呻きながらも、蒼真を睨んだ。
その目は、怒りと、壊れた執着と、恐怖が混ざった濁りだった。
教師はジョージを連行しながら、ふと蒼真へ視線を向ける。
「蒼井くん、だったかな」
蒼真の背筋が硬くなる。
「君も職員室へ来なさい。校長先生に会ってもらう」
「……!」
蒼真は思わず目を見開いた。
校長。
この学園の頂点。
異世界から来た自分が、いきなり会うような相手じゃない。
「……わかりました」
蒼真は短く答えた。
教師は頷き、ジョージを引きずるように扉へ向かう。
だが、出ていく直前、教師は鏡の方をもう一度振り返った。
そして、小さく呟く。
「……しかし」
誰に言うでもなく。
「誰がこのミラーを設置したんだろうな?」
その一言が、更衣室に残った空気をもう一度凍らせた。
生徒たちは、今さらそんなことを――という顔をする。
だが、蒼真だけは違った。
(設置……?)
鏡は元からあったのか。
誰かが用意したのか。
覗きは、ただの偶然の悪行だったのか。
それとも、誰かが「覗ける環境」を先に仕込んでいたのか。
蒼真の頭の中で、事件の輪郭が一段深く沈んでいく。
教師が去り、騒ぎは解散へ向かう。
生徒たちは口々に言い合いながら散っていった。
「ジョージ最低」
「校長って……蒼井くん、なに者?」
「さっきの、反射……見た?」
蒼真は、それらを聞き流しながら、扉の外へ出ようとした。
そのとき。
「蒼真さん」
ルミエールの声。
彼女が蒼真に駆け寄り、距離を詰める。気品のある香りがふわりと漂い、思わず周囲が視線を寄せた。
だがルミエールは、周りの視線を気にする余裕がないようだった。
金の睫毛の奥の瞳が、揺れている。
普段の令嬢然とした態度ではない。
真剣で、少し怯えたような色。
ルミエールは、蒼真の耳元に口を寄せる。
吐息が触れるほど近く。
「……後で、話があります」
囁きは小さく、しかしはっきりとした重みを持っていた。
蒼真は一瞬だけ目を細め、そして短く頷いた。
「わかった」
ルミエールは少しだけ安心したように息を吐く。
だが、その表情はすぐにまた曇り、彼女は何か言いかけて口を閉じた。
蒼真は、ルミエールの言葉の続きを待たず、ただ心の中で整理する。
校長。
設置者不明のミラー。
そして、ルミエールの「話」。
覗き事件は終わった。
――終わったはずなのに。
蒼真の背中に、見えない糸が絡みつくような感覚があった。
それがこの学園の“日常”なのか。
それとも、蒼井蒼真という異物が来たことで、何かが動き出したのか。
蒼真は廊下の先、職員室へ続く道を見つめる。
そして、静かに歩き出した。
真実は、いつも。
誰かの都合の裏側に隠れている。




