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その事件、魔法ではありません。~魔力ゼロ転移者の魔法学園生活~  作者: にめ
1学年前期:ルミエールとの出会い

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第3話 黒い壁が語る真実

# 第3話 黒い壁が語る真実


 旧校舎の一角に、奇妙な沈黙が落ちていた。


 さっきまで廊下を満たしていたざわめきが、今は薄い膜になって空気の底に沈んでいる。人がいるのに、誰も大声を出さない。息をする音さえ遠慮がちで、足音は板張りの床に吸い込まれていく。


 理由は一つ。


 誰もが、蒼真が示した「黒い壁」を見ているからだ。


 しかし、その視線にはまだ確信がない。ただ漠然とした違和感と、不安と、理解できないものに向ける戸惑いが混じっている。


 ――魔法ではない何か。


 それがそこにある気がする。だが、魔法学園の生徒にとって「魔法ではない」という言葉は、答えではなく空白だった。説明のつかない現象は、これまで“魔法”という一語で片付けてきた。その思考の癖が、今、音を立てて軋んでいる。


 ひそひそとした声が、背後で波のように寄せてくる。


「……ねえ、あの人……」


「蒼井くん、だっけ? あの制服、やっぱり変……」


「魔法を使ってないのに、あんなふうに言い切れるの?」


「でも……覗き魔じゃないなら、あの人、どこから来たの……?」


 蒼真は、それらの視線や囁きを真正面から受け止めながらも、表情を崩さなかった。


(疑われるのは、簡単だ。……晴らすのは、面倒だ)


 そして、自分でもまだ言葉にできない違和感が、胸の奥に残っている。


 魔法。


 この世界。


 なぜ自分がここにいるのか。


 考え始めると、頭の奥がじくりと痛む。思い出そうとするたび、何かに押し返されるような感覚があった。


(……今は、目の前のことだ)


 蒼真は意識を切り替え、ゆっくりと前へ出た。教師、ルミエール、アリシア、ジョージ。彼らを含む一団は、写真部室の前に集まっている。


 ルミエールは、ミニスカートの制服にローブを羽織ったまま、胸の前で両手をきゅっと握りしめていた。先ほどまでの騒動が嘘のように静かなのに、その肩はまだわずかに震えている。大きな胸元が呼吸に合わせて上下し、その動きが、彼女が無意識に緊張していることを雄弁に物語っていた。


 アリシアはルミエールの半歩後ろに立ち、彼女を庇うように身を寄せている。か弱げな表情で周囲を見回しながらも、ルミエールから視線を離さない。その仕草はお淑やかだが、制服越しにも分かる豊かな胸元が、早まった呼吸に合わせて小さく上下していた。


「先生」


 蒼真は教師の方を向いた。


「少しだけ……実験をさせてください」


「……実験?」


 教師は眉を寄せ、蒼真を測るように見つめた。


「君は、魔法が使えないと言ったな」


「はい。少なくとも、ここで皆さんが言うような魔法は」


 その言葉に、周囲の生徒がざわつく。


「魔法が使えないって……」「じゃあ、どうやって……?」


「まさか、また何か変なことを……」


 教師は短く考え込み、やがて頷いた。


「分かった。ただし、危険な行為は認めない。無闇に触れたり、壊したりもしないこと」


「はい。必要なのは……明るさだけです」


 蒼真の言葉に、ルミエールが思わず目を瞬かせた。


「……あ、明るさ? ですの?」


 困惑と不安が入り混じった声だった。


 蒼真は静かに頷き、写真部室の中央へ歩み出る。床板がきしりと鳴り、その音がやけに大きく響いた。


「まず、確認したいことがあります」


 蒼真は黒い壁――室内の一面を覆う、黒いガラスのような面――へ視線を向けた。


「この部屋は、暗室として使われていましたよね。写真を現像するために、光を抑える必要がある」


「ええ。その通りです」


 教師が頷く。


「だから、壁一面が黒い素材で覆われている」


 蒼真は壁に近づき、指先を伸ばすが、触れる寸前で止めた。


「この黒い壁。今は“ただの壁”に見える。でも素材は、石でも木でもない。ガラスに近い」


 生徒の一人が反射的に声を上げる。


「でも、ガラスなら透けるじゃん」


「そう。普通のガラスなら」


 蒼真は一拍置き、続けた。


「でも、これは黒い。――光を通しにくいように加工されている」


 アリシアが、小さく首を傾げる。


「……ガラスって……魔法で作れるもの、なのですか?」


 その問いに、周囲が一瞬静まり返った。


 蒼真は即答せず、教師の方を見る。


「先生。この世界では、ガラスはどうやって作るんですか」


 教師は少し考えてから答えた。


「一般には、砂を高温で溶かす。火と土の術式を併用する工房もある。錬金術で性質を変えることも可能だ」


「つまり」


 蒼真は言葉を噛み砕くように続ける。


「魔法で“作る”ことはできる。でも、一度作られた素材は、魔法を流さなくても、ただの“物”として存在する」


 教師が短く頷いた。


「そういうことだ」


 ルミエールが、不安げに、しかし真剣な声音で問う。


「……では、これは魔法の仕掛けではなくて……“物”の性質、ということですの?」


「はい。たぶん」


 蒼真は答えた。


「そして、その性質を生かす条件が、ここには揃っている」


 蒼真は指を折る。


「一つ目。女子更衣室は明るい。二つ目。この写真部室は暗室仕様で暗くできる。三つ目。この壁は黒いガラス。四つ目。明るいままだと、ここからは何も見えない」


 周囲の生徒が顔を見合わせる。


「……じゃあ、条件が揃うと?」


「見える」


 蒼真は静かに、しかしはっきりと言い切った。


「先生。照明を消してもらえますか」


 一瞬の沈黙。


 教師は周囲を見渡し、不安そうな生徒たちの表情を確認してから、ゆっくりと頷いた。


「……分かった。皆、足元に注意しろ。消すぞ」


 カチリ、と音がして照明が落ちる。


 暗闇が写真部室を包み込み、視界が一瞬だけ奪われる。


 ――その瞬間だった。


「……っ」


 誰かが息を呑む。


 黒い壁が変わった。


 それはもはや“壁”ではない。


 暗い写真部室側から見ると、向こう側――女子更衣室の輪郭が、ぼんやりと、しかし確かに浮かび上がっている。


 ロッカーの並び。ドレッサー。白いカーテン。洗面台の白い陶器。


 そして、壁の近くに置かれた椅子の影。


「……え……」


 ルミエールが、喉の奥で声を詰まらせた。


「見……える……? うそ……そんな……」


 瞳が大きく見開かれ、涙がきらりと光る。


「わ、わたくし……あのとき……」


 思い出してしまったのだろう。着替えの途中で感じた、言葉にできない嫌悪感と羞恥が、表情に浮かぶ。


 アリシアが慌ててルミエールの腕に手を添えた。


「ルミエールさん……大丈夫……っ。今は……見られていないから……」


 その声も震えている。アリシア自身も、同じ恐怖に触れていた。


 生徒たちがざわつく。


「ほんとに見える……」「なんで……魔法じゃないの?」


「え、でも……これ、今も見えてる……?」


「……じゃあ、今まで……」


 教師が低い声で言った。


「……蒼井くん。説明してもらおうか」


 蒼真は暗闇の中でも落ち着いた声で語り始めた。


「鏡って、特別な道具だと思われがちですが……本質は単純です。光を跳ね返しているだけです」


 指先で空中に線を描き、見えない図をなぞるように。


「一方、ガラスは光を通します。向こうが見えるのは、光が通ってくるから」


「……うん……」


 誰かが小さく相槌を打つ。


「この黒いガラスは、その両方の性質を持っている」


 蒼真は続ける。


「光を、少し返して、少し通す」


 生徒の一人が声を上げる。


「でも、返すなら鏡じゃん。通すなら窓じゃん。どっちなの?」


「条件で変わります」


 蒼真は足元を指差した。


「こちらが暗く、向こうが明るいとき。こっちには自分の光が少ない。だから向こうの明るさが通って、見える」


 そして壁の向こうを指す。


「でも、こちらが明るくなると。自分の光が強く反射して、向こうの光より“自分の映り込み”が勝つ」


「……つまり」


 教師がゆっくりと息を吐いた。


「暗い側からは見える。明るい側からは鏡……」


「はい」


 蒼真は頷く。


「写真部室が暗い間だけ、この壁は“窓”になる」


 ルミエールが、唇を震わせた。


「……では……写真部室が……暗いとき……」


「見えます」


 蒼真ははっきり言った。


「だから、覗きは“ここ”からしか起きない。女子更衣室側は明るいままなら、ただの鏡です」


 アリシアが、白くなった指で自分の胸元を押さえた。


「……そ、そんな……。わたくしたち……」


 ルミエールが小さく首を振る。


「魔法じゃないのに……こんな……」


 蒼真はその言葉を静かに受け止め、続けた。


「魔法で“作られた”素材かもしれません。でも、使われているのは魔法じゃない」


「光の性質です」


 教師が、重々しく頷く。


「……魔法犯罪の検知に引っかからないわけだ。発動も詠唱もない」


「だからこそ」


 蒼真は一度息を吐き、言葉を選ぶ。


「魔法のせいにするのは簡単です。でも――」


 顔を上げ、はっきりと言った。


「見えないんじゃない。――“見ていなかった”だけだ」


 その言葉に、場が凍りつく。


 誰もが思い出す。


 黒い壁は、最初からそこにあった。


 なのに、誰も見ようとしなかった。魔法だと決めつけ、説明できない部分を“便利な言葉”で塗り潰してきた。


 教師が、低い声で言った。


「……魔法ではない。だが、だからこそ厄介だな」


 蒼真は小さく頷く。


(これで、トリックは示した)


 だが、事件は終わっていない。


 ここから先は、物ではなく人の話だ。


 そのとき、背後で誰かが小さく言った。


「……ねえ、じゃあ……誰が……」


 ざわめきが、また広がり始める。


 蒼真は視線を巡らせた。


 廊下の向こう、暗がりの中で、誰かが一歩下がる気配がした。


 蒼真が振り返る。


 そこには、誰もいない。ただ、空気がほんの少しだけ冷えたような感覚が残っていた。


(……次は、人の嘘だ)


 蒼真は再び黒い壁へと視線を戻した。


 真実は、すでにここにある。


 あとは、それを――誰が使ったか、だ。


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