表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その事件、魔法ではありません。~魔力ゼロ転移者の魔法学園生活~  作者: にめ
1学年前期:リリアの相談

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/31

第29話 朝は、何もなかったことにできない

# 第29話 朝は、何もなかったことにできない


 朝の光は、思っていたよりも正直だった。


 カーテンの隙間から差し込む淡い陽射しが、部屋の輪郭を一つずつ現実へ引き戻していく。机の上の本の山、整えられた書類、壁際に並ぶ本棚。昨夜と同じ景色のはずなのに、どこか違って見えた。


 違っているのは――距離だ。


 蒼井蒼真は、目を覚ました瞬間、身動きが取れない理由を理解した。


 腕が、重い。


 正確には、重いというより――抱え込まれている。


 視線を下げると、九条リリアがそこにいた。眠ったまま、蒼真の腕にしがみつくように体を寄せ、完全に抱き枕扱いしている。昨夜は背中合わせだったはずなのに、どういう寝返りを打ったのか、今は正面から密着していた。


 柔らかな感触が、はっきりと伝わる。


(……状況が悪化しているな)


 蒼真は内心で冷静に結論を出した。


 リリアの髪が蒼真の首元にかかり、微かな甘い匂いがする。寝息は穏やかで、完全に無防備だ。


 問題は距離だけではない。


 彼女の体温と、柔らかな重みが、逃げ場のない位置で伝わってくることだった。呼吸のたびに、わずかに体が擦れ、そのたびに蒼真の意識が引き戻される。


(起こすべきか……いや、起こしたら確実に気まずくなる)


 起こさなければ、この状況が続く。


 起こせば、昨夜の記憶が一気に蘇る。


(詰み手が多すぎる)


 蒼真が微動だにせず耐えることを選んだ、その時だった。


「……ん……」


 リリアが小さく身じろぎし、さらに蒼真へ体を寄せてくる。無意識に、腕に回された手に力が入り、柔らかな部分が背中や腕に押し当てられる。


 蒼真は反射的に息を止めた。


(……これは、事故だ。事故だが……)


 心臓が、うるさい。


 昨夜は理性で抑えられていた感覚が、朝の無防備さによって一気に前に出てくる。


 その直後、リリアのまぶたがゆっくりと開いた。


 数秒。


 焦点が合うまでの、静かな時間。


 目の前にいる蒼真の顔を認識し、状況を理解し――


 リリアの顔が、みるみる赤く染まる。


「……おはよう……蒼真」


 寝起きの、少し掠れた声。


 蒼真は平静を装い、短く返す。


「……おはよう」


 その瞬間、二人の脳内で同じ言葉が浮かんだ。


 ――近い。

 ――近すぎる。


「っ……!」


 リリアは勢いよく身を起こし、布団を引き寄せて距離を取る。


「わ、わすれて……! 今の、今の全部なし!」


 必死な声。布団の向こうで、もぞもぞと動く気配がする。


 蒼真もすぐに視線を逸らした。


「……ああ。今のは、なかった」


 昨夜のことは、消せない。


 だが、今朝のこれは――なかったことにするしかない。


 そういう暗黙の合意が、静かに成立した。


 しばらくして、二人は時間をずらして身支度を整えた。


 休日用の軽い服に袖を通すと、不思議と背筋が伸びた。制服ではない分、昨夜の距離感がそのまま残り、かえって意識してしまう。


 リリアは鏡の前で髪を整えながら、ちらりと蒼真を見る。


「……昨日は、本当にありがとう」


 声は落ち着いているが、耳は赤い。


「怖かったけど……蒼真がいたから、ちゃんと朝になった」


 少しだけ、踏み込んだ言い方。


「当然だ」


 蒼真は短く答える。それ以上を言えば、また空気が揺れる気がした。


 廊下へ出ると、学園は休日らしい静けさに包まれていた。授業の鐘は鳴らず、人影もまばらで、遠くから鳥の声が聞こえる。


 二人で並んで歩く。


「蒼真」


 呼び捨てにされるのが、もう自然だった。


「どうした」


「……今日が休日でよかった」


「どうして」


「心の整理が……必要だから」


 正直な言葉。


 蒼真はそれに否定も肯定もしなかった。ただ歩調を合わせる。


 その空気を切り裂くように、伝令の声が響いた。


「蒼井蒼真殿、九条リリア殿。校長室へ」


「……やっぱり呼ばれるよね」


「事実を話せばいい」


 校長室は朝の光に満ちていた。窓から差し込む光が、重厚な家具を柔らかく照らしている。


「蒼井殿、今回もお疲れ様であった」


「いえ」


 校長は穏やかにリリアへ向き直る。


「リリア殿、怖い思いをさせてすまなかった。アルベルトは退学処分とした。部屋の鍵もすでに交換手配をしておる」


「は、はい……ありがとうございます」


 緊張しながらも、きちんと頭を下げるリリア。その肩は、まだ少し固い。


 校長は蒼真を見て微笑んだ。


「君は、いつも正しい場所に真実を置く」


 含みのある言葉。


 蒼真は答えず、視線だけで受け取った。


「図書委員長の席が空いた。どうかな」


「冗談でしょう」


「本、好きじゃろ?」


「嫌いではありませんが……一年生です」


「それもそうじゃな」


 校長はくつりと笑い、リリアへ視線を移す。


「委員内で話し合ってくれたまえ」


「……はい」


 校長室を出た瞬間、リリアは大きく息を吐いた。


「はぁ……寿命縮んだ……」


「大げさだな」


「大げさじゃない! 本当にすごい人なんだから」


 二人で顔を見合わせ、くすりと笑う。


 廊下の角で、リリアが足を止めた。


「……ねえ、蒼真」


「ん?」


「御礼、ちゃんとしたいの」


 少しだけ視線を逸らしながら。


「今度の週末……行きたいところ、ある?」


 完全に能動的な誘い。


 蒼真は一拍置き、答える。


「……考えとく」


 中庭へ向かうと、噴水の水音が心地よく響いていた。休日の学園は、時間そのものが緩んでいるように感じられる。


 その途中で、金髪の少女が立ち止まった。


「……大丈夫でしたの?」


 ルミエールだった。休日の装いでも、凛とした空気は変わらない。


「ああ。もう終わった」


 短い返答。


 ルミエールは一瞬だけリリアを見て、何かを悟ったように微笑む。


「……それなら、よかったですわ」


 去っていく背中を見送りながら、蒼真は思う。


 休日であっても、世界は止まらない。


 むしろ――


 静かな時間だからこそ、変化ははっきりと残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ