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その事件、魔法ではありません。~魔力ゼロ転移者の魔法学園生活~  作者: にめ
1学年前期:リリアの相談

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第27話 鍵は、最初から奪われていた

第27話 鍵は、最初から奪われていた



 ――少し、時間を戻そう。


 事件が起こる前日の夜。

 場所は、九条リリアの部屋だった。


 部屋の明かりは落とされ、スタンドライトだけが机の上を淡く照らしている。昼間なら本の山に埋もれているであろう空間も、今は異様なほど静かで、壁際の時計の音だけが規則正しく響いていた。


 その音が、リリアの神経を逆なでする。


 彼女はベッドの縁に腰掛け、両手を強く握りしめていた。


「……私は、どうすればいいの?」


 声は小さく、今にも消えそうだった。


 向かいに立つ蒼井蒼真は、しばらく黙っていた。慰めの言葉を探しているわけではない。感情を整理しているわけでもない。


 ――順番を決めている。


 何から話すべきか。何を最初に伝えれば、彼女が一番混乱しないか。


「まず……犯人の話だ」


 蒼真は静かに切り出した。


「おそらく、犯人は――図書委員長のアルベルトだ」


「……そんな……」


 リリアの目が見開かれる。


「委員長が……? あの人が、そんなこと……」


 信頼していた相手の名前が出た瞬間、声が震えた。怒りよりも、裏切られたという感覚の方が強い。


 蒼真は頷いた。


「だからこそ、だ」


 蒼真は机の上に置かれていた鍵を指差す。


「リリア。君は、自分の部屋の鍵を“無くした”と言っていたね」


「ええ……でも、ほんの数分よ。すぐに見つかったし……」


「その数分で十分なんだ」


 蒼真は淡々と告げる。


「鍵は、開けるだけのものじゃない。複製できる」


 リリアが息を呑む。


「柔らかい素材――粘土みたいなものに、鍵をぎゅっと押し付ければいい。型が取れる。その型を使えば、時間をかけて同じ形の鍵を作れる」


「……そんな……」


「だから、リリアの部屋はもう“密室”じゃない」


 蒼真の言葉は、事実だけを切り出していた。だが、それは刃のように鋭かった。


「……嘘……怖い……」


 リリアの肩が震える。


 蒼真は一歩近づいた。


「大丈夫だ。俺が、リリアを守る」


 短い言葉だったが、不思議と迷いはなかった。



「それから、ドアガードだ」


 蒼真は扉の前に立ち、内側から掛けられている簡易のドアガードを指差した。


「鍵が開けられるなら、次に疑うのはこれだ。――輪ゴム一つで外せる」


「……え?」


「見せる」


 蒼真は机の引き出しから、細めの輪ゴムを一本取り出した。特別なものではない。文房具としてどこにでもある、ごく普通の輪ゴムだ。


「まず、廊下側で一度ドアを少し開ける。完全に開ける必要はない」


 蒼真は“仮定”としての手順を示す。実際に外へ出ることはせず、動作だけをゆっくりと再現した。


「次に、ドアガード――このU字の金具の片側に、輪ゴムを通して結ぶ」


 指で形を描きながら説明する。


「結び目は、この先端。ガードが引っかかっている“爪”の部分に移動させる」


 蒼真は、輪ゴムが先端に掛かった状態を空中で作ってみせた。


「ここからが肝だ。輪ゴムをぴんと伸ばして、室内側のドアの――対角線上になる位置に、引っかける」


 蒼真は扉の内側、下方の取っ手付近を指す。


「この状態で、ドアを静かに閉める」


 蒼真は、閉まる動作を手でなぞった。


「ドアが閉まる力で、輪ゴムが引っ張られる。すると、ガードの先端が引き上げられて……」


 彼は、親指を使って“外れる瞬間”を示す。


「――ガードが、開く」


 言葉の最後に、蒼真は小さく付け足した。


「音は、ほとんど出ない」


 リリアの顔から、すっと血の気が引いた。


「……やだ……」


 喉から絞り出すような声。


「鍵が複製されているなら、この方法で十分だ。道具も特別な力もいらない。だから――今まで気づかなかった」


 蒼真は一拍置いてから、続けた。


「もう一つ、確認したいことがある。図書委員の仕事が終わった後、アルベルトから食べ物か、飲み物をもらってないか?」


「……うん。第六日の本の整理の後は、いつも。お疲れ様って」


「やっぱりな」


 蒼真は小さく息を吐いた。


「おそらく、睡眠薬が入ってる。だから君は、第六日の夜だけ、ちょっとの物音じゃ起きない」


「……どうしたら……」


 泣きそうな声。


「明日は、飲むふりをするだけでいい。絶対に飲まない」


 リリアは何度も頷いた。


「……でも……明日の夜、この部屋にいたくない……」


「もちろんだ」


 蒼真は即答する。


「今夜と明日の夜は、俺とユリウスの部屋に泊まればいい」


「……え? 本当に?」


「ああ。そして、明日の夜は――俺がここで寝る」


 リリアは息を呑んだ。


「大丈夫……?」


「任せろ」


 その一言で、作戦は決まった。



 ――第五日の夜。


 蒼真とユリウスの部屋。


「ユリウス。今夜、リリアを泊めるけど、いいか」


「うん。どうしたの?」


「ちょっと、匿う必要が出てきた」


「わかったよ」


 扉の前で、リリアが頭を下げる。


「九条リリアです。よろしくお願いします」


 ユリウスは満面の笑みで応じた。


「ユリウス・フィオレです。蒼真の愛人です」


「お、おい……!」


「……かわいい……え、愛人!?」


「冗談だよ。……半分は」


「誤解を招く言い方をするな!」


 リリアは一瞬むすっとしたが、すぐに小さく笑った。


 その笑顔を見て、蒼真は胸の奥で静かに息を吐いた。


 ――守らなければならない。



 ――事件当日。


 夕暮れの光が、図書室の高窓から斜めに差し込んでいた。


 本棚の影が長く伸び、床の上で重なり合う。昼間の喧騒が嘘のように、図書室には静かな疲労だけが残っていた。


「これで、今日の整理は終わりだな」


 アルベルトの声が、室内に響く。


「お疲れ様でした……」


 図書委員たちが、それぞれ肩を回したり、深く息を吐いたりしながら返事をする。


 リリアも、無意識に肩をさすっていた。


 確かに疲れている。頭も、少しぼんやりする。


 ――だからこそ、注意しなければならない。


 リリアは、蒼真の言葉を思い出していた。


『飲むふりをするだけでいい。絶対に飲まない』


 アルベルトは、慣れた手つきで箱を開けた。


 中には、小瓶と包み菓子が整然と並んでいる。


「皆、今日もよく頑張った。ほら、いつものだ」


 一人ずつに手渡される飲み物。


 リリアの番が来る。


「お疲れ、リリアくん」


 いつもと変わらない声音。


 いつもと変わらない笑顔。


 ――でも、今日は違う。


 リリアは受け取ると、軽く微笑んで見せた。


「ありがとうございます」


 そして、唇に触れる寸前で止める。


 香りだけを吸い込み、喉を動かしたふりをする。


 飲み込んだ“演技”。


 心臓が、どくんと強く脈打った。


 アルベルトの視線が、一瞬だけ鋭くなる。


 だが、それはすぐに柔らかなものへ戻った。


「今日は、いつもの彼はいないね」


 何気ない雑談のように。


 けれど、その問いは探るようでもあった。


「ええ。なんでも、部活に入ったみたいです」


 リリアは、事前に打ち合わせた通りの答えを返す。


「そうか。それは残念だな」


 アルベルトは笑った。


 その笑みの奥に、何があるのか――今のリリアには、はっきり分かる。


「では……お先に失礼します」


 それ以上、話を広げない。


 リリアは本を抱え直し、足早に図書室を出た。


 背中に、視線を感じる。


 振り返らない。


 振り返ってはいけない。


 扉が閉まり、足音が遠ざかる。


 その背中を、アルベルトは無言で見つめていた。



 夜。


 寮の廊下は、昼間とは別の顔をしていた。人の気配はほとんどなく、ランプの光が一定の間隔で床を照らしているだけだ。その光の円を踏み越えるたびに、靴音がやけに大きく響く気がする。


「さてと……行ってくる」


 蒼真は、できるだけ普段と変わらない調子で言った。


 ユリウスはベッドに腰掛けたまま、少し不安そうに眉を下げる。


「……本当に、大丈夫なんだよね?」


「大丈夫だよ。危なくなったら、すぐ引く」


 それは半分本当で、半分は約束だった。


 部屋の奥で、リリアが小さく手を握っている。


「……気をつけてね」


 声が、かすかに震えている。


「お願い……」


 蒼真は振り返り、短く頷いた。


「おう」


 それ以上、言葉はいらなかった。


 蒼真は机の上に置いてあったウィッグを手に取る。黒髪で、長さも質感も、できる限りリリアに近いものだ。ルミエールが、理由も聞かずに用意してくれた。


 そして、もう一つ。


 封を切っていない新品の下着。


 これもまた、罠の一部だ。


 蒼真はそれらをまとめて抱え、静かに扉を開けた。


 廊下の空気が、ひんやりと肌を撫でる。


 ――すべては、ここからだ。



 ――そして、現在。


 事件後のリリアの部屋。


 部屋の中は、まだ完全には落ち着いていなかった。ベッドのシーツは乱れ、床にはウィッグが落ちたままになっている。さきほどまでの緊張が、形として残っているようだった。


「……終わったのかな」


 リリアの声は、かすれていた。強がろうとしても、震えは隠せない。


 蒼真は、少しだけ間を置いてから答える。


「ああ。終わった」


 断定だった。


 それが、今のリリアに必要な言葉だと分かっていたから。


 リリアは、ゆっくりと息を吐いた。


「……よかった……」


 そのまま、力が抜けたようにベッドの縁に腰を下ろす。


 蒼真は無言で近くの椅子を引き、彼女の正面に座った。


「怖かったな」


 短い言葉。


 リリアは、小さく頷く。


「……うん。でも……」


 視線を上げ、蒼真を見る。


「蒼井くんが、ちゃんと説明してくれたから……耐えられた」


 蒼真は、その言葉を否定しなかった。


「説明できることは、全部説明した。それだけだ」


 リリアは、かすかに笑う。


「それが……すごいことだと思います」


 部屋に、静かな間が落ちた。


 月光がカーテンの隙間から差し込み、床に細い線を引く。


 蒼真は、その光を見つめながら思う。


 鍵。

 ドアガード。

 飲み物。

 そして、人の油断。


 ばらばらだった点は、すべて一本につながった。


 事件は、終わった。


 少なくとも――今夜は。


 蒼真は、静かにそう結論づけた。


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