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その事件、魔法ではありません。~魔力ゼロ転移者の魔法学園生活~  作者: にめ
1学年前期:ルミエールの相談

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第22話 裁くのは誰か

第22話 裁くのは誰か



 扉が閉まる音を聞いた覚えはない。

 蒼真は、部屋に戻ったところまでは記憶がある。医務室での緊張、張り詰めた空気、ルミエールやアリシアの表情、そして最後に見たエドガーの顔――それらが断片的に脳裏をよぎったところで、思考はぷつりと途切れた。


 廊下の明かりが背中で遠ざかり、重たい体を引きずるようにしてドアノブを回した、そこまでだ。次の瞬間、意識は深い闇に沈んでいた。


 そして、朝。


 柔らかい感触が、胸の前にある。


 半分眠ったままの蒼真は、それを枕か、抱き枕の類だと思い込み、無意識に腕を回した。疲労が抜けきらない体は、温もりを逃がさないように、自然と力を込めてしまう。


「……なんだ、このやわらかいの……」


 自分でも聞き取れないほど小さな声。


 その直後、もぞ、と何かが動いた。


「……ん……」


 耳元で、確かに人の声がした。


 蒼真は一気に目を開けた。


 視界いっぱいに広がる金色の髪。近すぎる距離。布団の中で、向かい合うように横たわる人影。


「……え?」


 同時に、相手も目を開く。


「おはよう、蒼真くん」


 少し眠たげで、それでも柔らかい声。ユリウスはぱちぱちと瞬きをしながら、にこっと笑った。


 状況を理解するまでに、数秒かかった。蒼真は反射的に体を引き、布団の端に転がるように距離を取る。


「な、なんで……」


「えっとね、昨日すっごく疲れてたんだよ。部屋に戻ってきたと思ったら、そのまま倒れ込んできてさ」


 語尾が少し上がり、どこか甘えた響きが混じる。責める様子はまったくなく、むしろ心配そうだった。


「……俺、戻ってきてからの記憶が……」


「うん、無理もないよ。ずっと張り詰めてたでしょ? 見てて分かったもん」


 事件の緊張、推理の連続、誰にも見せなかった集中。その反動が、一気に出たのだろう。


 蒼真は顔が熱くなるのを感じ、咳払いでごまかした。


「……何もしてないよな?」


 ユリウスは一瞬きょとんとしてから、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。


「えー? どうだろ。でもね、蒼真くん、ずっとくっついてたよ?」


「っ!」


 蒼真は勢いよく布団を跳ねのけ、ベッドから降りた。


「からかうな」


「ご、ごめん……でも、ちょっと可愛かったから」


 ユリウスは照れたように笑い、頬をわずかに染めている。


 蒼真は深く息を吸い、胸の内を落ち着かせた。


(……日常に戻った、か)


 そう思おうとしたが、腕に残る温もりの感覚は、なかなか消えてくれなかった。



 学園の朝は、いつもと同じようで、どこか違っていた。


 廊下を歩けば、ひそひそと声を潜めた会話が、あちこちから聞こえてくる。誰もが直接的な言葉を避け、曖昧な噂話に終始している。


「聞いた? 医務室、封鎖されたって」

「先生が何かやらかしたらしい」

「貴族絡みで、大事になってるとか……」


 どの話も断片的で、核心には触れていない。


 真実はすでに明らかになったはずだった。だが、学園という巨大な組織の中では、事実はすぐに共有されるものではない。噂は歪み、形を変え、別の物語として広がっていく。


 掲示板の前で足を止める生徒たちの視線の先には、簡素な文面が貼られていた。


《医務室担当教員 当面の職務停止について》


 そこに名前はない。それが、かえって現実味を帯びさせていた。


(……終わった、わけじゃない)


 蒼真は胸の奥でそう呟き、指定された時間に校長室へと向かった。



 校長室の扉の前に立った瞬間、ルミエールとアリシアの空気が明確に変わった。


 普段は凛としているルミエールも、無意識のうちに背筋を正している。アリシアは手を胸の前で組み、小さく呼吸を整えていた。


(……そんなに緊張する場所なのか?)


 蒼真が内心で首をかしげていると、扉が静かに開いた。


「入ってくれ」


 穏やかな声が響く。


 三人が中へ入ると、机の向こうに座る老紳士が、にこやかな表情で迎えた。


「また、君か、蒼井くん」


「すみません」


 反射的に頭を下げると、校長は軽く手を振った。


「いや、怒っておらんよ。むしろ、褒めたいくらいだ。事件解決、ありがとう」


 その言葉に、蒼真は戸惑いを覚える。褒められるようなことをした自覚はなかった。ただ、最短で被害を止めただけだ。


 校長は続けて、ルミエールへと視線を向けた。


「すまんの、ルミエール殿。ワシは事実を知っておりながら、手を出さんかった……」


 ルミエールは一瞬だけ言葉を失い、すぐに深く頭を下げた。


「いえ。私が自己解決できず、プライベートの問題を学園に持ち込んでしまったのが原因です。申し訳ありません」


「いやいや、許嫁などよくあることじゃ。問題ない」


 校長の声は柔らかいが、軽くはない。


 続いて、アリシアへ。


「アリシア殿も、助けてやれずすまんの」


「い、いえ……私がブローチをなくしたのが原因ですので……自業自得です」


 その言葉に、校長は静かに首を振った。


「それなんじゃがな。ブローチは、なくしたのではないかもしれん」


 校長は淡々と事実を整理する。


 授業中の怪我。医務室へ付き添ったこと。そこで落とされたブローチ。そして、それが返されなかったこと。


 責める言葉は一切ない。ただ出来事だけが、順序立てて語られていく。


「……アリシア」


 ルミエールの声が震えた。


「ごめん……私の怪我のせいだった……」


「そんなことありません……」


 二人は、これまで押し殺していた感情を抑えきれず、互いに抱き合った。


 校長はその様子を静かに見守り、やがて口を開いた。


「ルミエール殿、アリシア殿に、特に罰則はない。アリシア殿は被害者として扱う」


 そして、蒼真へと向き直る。


「蒼井くん。君のやり方は、少々派手ではあったが……ワシの言うことは守ってくれておる」


「罰則はなしじゃ。今後も、学園の平和のために頼んだぞよ」


 ルミエールとアリシアが、同時に蒼真を見る。


「蒼真、校長先生になにを頼まれてるのよ」


「……守秘義務だ」


「ほほほ」


 校長は意味深に笑った。



 校長室を出ると、張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていった。


 重厚な扉が背後で閉まる音は、外の廊下に出た途端、まるで別世界の出来事のように遠くなる。学園の石造りの廊下には、いつも通りの足音とざわめきが戻ってきていた。


 それでも、蒼真の胸の奥には、校長室に残してきた“重み”のようなものが引っかかっている。


 数歩歩いたところで、蒼真は足を止め、ぽつりと口にした。


「……校長先生って、もしかして、すごい人なのか?」


 自分でも、なぜ今さらそんなことを聞いたのか分からなかった。ただ、あの部屋に流れていた空気が、普通のそれではなかったのは確かだ。


「さっき、二人とも……ずっと緊張してたように見えて」


 ルミエールとアリシアは一瞬、言葉を失ったように顔を見合わせた。そして、まるで『そこからか』と言いたげに、小さく息を吐く。


「もしかして、じゃないわ」


 ルミエールは即座に言い切った。その声には、先ほどまでの張りつめた硬さではなく、どこか当たり前の事実を告げるような響きがあった。


「校長先生は……この魔法学園そのものと言っていい人よ」


 続けて、アリシアも頷く。


「学園で、校長先生を知らない人はいません……いえ、知らない“ままでいられる人”がいない、と言った方が正しいかもしれません」


 蒼真は思わず眉をひそめた。


「どういう意味だ?」


 ルミエールは、廊下の高い天井を見上げるようにして、ゆっくりと言葉を選び始めた。


「この学園ができる前、この国は今よりずっと不安定だったの。魔法は力で、力は争いの道具だった」


 貴族同士の小競り合い。派閥争い。精霊との契約を巡る衝突。


「校長先生は、その時代を生き抜いた人よ。前線に立って、魔法を振るった英雄……そう語られることもあるわ」


 アリシアが、少しだけ声を潜めて続ける。


「でも、ただ強いだけじゃありません。戦いの中で、たくさんのものを失ったとも聞きます」


 ルミエールは頷き、さらに言葉を重ねた。


「戦争を終わらせたあと、校長先生は言ったそうよ。『魔法を学ぶ場所がなければ、争いは繰り返される』って」


 それが、魔法学園設立のきっかけだった。


 力を持つ者が、力の使い方を学ぶ場所。

 魔法を、支配や破壊のためではなく、秩序と生活のために使う場所。


「校長先生は、自分が前に出続けることをやめたわ。代わりに、学園という“仕組み”を作った」


 ルミエールの声は、どこか誇らしげで、同時に畏敬を含んでいた。


「それ以来、校長先生は表に立たない。命令もしない。ただ、見ているだけ」


 その言葉に、蒼真は校長の穏やかな笑顔を思い出す。


(……見ている、か)


 アリシアが、小さく付け加えた。


「だからこそ、校長先生の前では……皆、緊張するんです。何を知っていて、何を知らないのか、誰にも分からないから」


 蒼真は、校長室での一つ一つの言葉を反芻した。


 責めない。

 裁かない。

 ただ、事実を並べ、判断を下す。


(……あの人は、正義の味方じゃない)

(でも、無関心でもない)


 だからこそ、あの場に立っている。


「……なるほどな」


 蒼真は短くそう呟いた。


(俺がやったのは、現場で止めただけだ)

(その先を引き受けるのが、校長で……学園ってわけか)


 自分が踏み込んだ場所と、踏み込まなかった場所。その境界線が、少しだけはっきりした気がした。


 その頃、医務室では、見慣れない女性教師が静かに机を整えていた。


 白衣の裾を整え、棚に並ぶ薬瓶の位置を一つ一つ確かめていく。その動作は無駄がなく、どこか洗練されている。


 彼女はふと、窓の外に視線を向けた。


 学園の中庭。行き交う生徒たち。


 何も異変はない。


 それでも、その視線だけが、わずかに鋭く光った。


 日常は続く。


 だが、その裏側で、確かに何かが動き始めていた。


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