第83話 影咲き草と、エルフの里への誘い(1)
第83話 影咲き草と、エルフの里への誘い
発表会場に響いていた拍手が、少しずつ落ち着いていく。
魔法植物研究発表を終えたエルミナ・リーフグレイスは、壇上で何度か丁寧に頭を下げた。緑色の髪がさらりと揺れ、長い耳がその隙間から少しだけ覗く。
さっきまで彼女は、植物の葉脈が魔力を受信し、変換し、保持する可能性について語っていた。
植物はただ魔力を流すだけではない。
魔力を情報として受け取り、解析し、反応する。
それは難しい話だった。
蒼真にも、細部まで理解できたわけではない。
けれど、要点はなんとなく掴めた気がしていた。
植物は、ただそこに生えているだけではない。
この世界の植物は、魔力に反応する。
魔力を読み、記憶し、時には意思があるかのように振る舞う。
それはつまり――。
「あ、蒼真くん」
発表後の質疑応答を終えたエルミナが、会場後方にいる蒼真に気づいた。
資料を胸に抱えたまま、ぱっと表情を明るくする。
さっきまで研究者として壇上に立っていた顔ではない。
植物施設で見せていた、柔らかな先輩の顔だった。
「見に来てくれたんだ」
「はい」
蒼真は頷いた。
「難しくて、全部理解できたわけではないんですが……」
「うん」
「簡単に言えば、植物も魔法を使える、ということですか?」
エルミナは一瞬、目を丸くした。
そして、嬉しそうに笑った。
「……簡単に言えば、そうかな」
「合ってますか?」
「うん。すごく大雑把にまとめるなら、かなり近いよ。植物は人間みたいに詠唱したり杖を振ったりはしないけれど、魔力を受け取って、自分の中で処理して、反応を返す。そういう意味では、植物も魔法を使っていると言えるかもしれないね」
隣で聞いていたルミエールが、少し感心したように蒼真を見る。
「蒼真、理解してるじゃない」
「いや、ざっくりだ」
「そのざっくりを掴めるのがすごいのよ」
エルミナも頷く。
「そうだよ。研究って、最初は細かい言葉よりも、何を見ようとしているのかを掴む方が大事だから」
「そういうものですか」
「そういうもの」
エルミナは柔らかく笑った。
その時、彼女の視線が蒼真の隣へ向く。
ルミエールは花冠をつけ、耳には淡く光る花のイヤリングを揺らしていた。
金髪の令嬢らしい華やかさが、植物祭の明かりの中でいっそう目を引く。
エルミナは少し首を傾げた。
「ところで蒼真くん。そちらの綺麗な方は?」
「ああ。クラスメイトのルミエールさんです」
蒼真が紹介すると、ルミエールはすっと背筋を伸ばした。
先ほどまで屋台を回っていた時の柔らかい雰囲気から、貴族令嬢としての所作に戻る。
「ルミエール・ド・アルセリアと申します。エルミナ先輩のことは存じております」
「え?」
エルミナが少し驚いたように瞬く。
「エルフ族の長に近い存在であり、植物研究でも高く評価されている方だと聞いております」
その言葉に、エルミナは困ったように笑った。
「やめてください。ここではただの学生なので」
「失礼しました。でも、本当に有名な方ですから」
「有名と言われると、少し落ち着かないね」
エルミナは苦笑する。
蒼真はそのやり取りを聞いて、改めてエルミナを見た。
「エルミナ先輩、そんなすごい方だったんですね」
「だから、すごくないってば」
「でも、ルミエールが言うなら本当なんでしょう」
「蒼真くんまで……」
エルミナは恥ずかしそうに視線を逸らす。
普段、植物のことになると饒舌になる彼女も、自分の立場について話されるのは苦手らしい。
「黙っていたのは悪かったけど……里に行く時に話すつもりだったんだ」
「里?」
ルミエールが反応した。
「エルフの里ですか?」
「ああ」
蒼真は何気なく答える。
「今度、エルミナ先輩が案内してくれるそうだ」
「えっ!?」
ルミエールの声が会場に響きかけた。
彼女は慌てて口元を押さえ、周囲を見回す。
何人かがちらりと振り向いたが、すぐに発表後のざわめきへ戻った。
ルミエールは声を落とし、蒼真へ詰め寄る。
「蒼真、エルフの里に行く意味、分かってる?」
「観光じゃないのか?」
その瞬間、ルミエールが固まった。
エルミナは反対に、口元を押さえて笑い始める。
「いいね、蒼真くん。ますます気に入ったよ」
「笑うところでしたか?」
「うん。とても蒼真くんらしい」
ルミエールは少し慌てて蒼真の袖を引いた。
「蒼真、エルミナ先輩に失礼よ」
「失礼なのか?」
「エルフの里へ招かれるのは、ものすごく名誉あることなの。外部の人間が簡単に行ける場所じゃないのよ」
「そうなのか……」
「そうよ。エルフの里は閉鎖的で、血筋や信頼関係をとても大切にする場所だと聞くわ。特に、若いエルフが異性を招く場合は……」
そこまで言いかけて、ルミエールはちらりとエルミナを見る。
エルミナはにこにこしている。
その笑顔が、かえって意味深だった。
「……かなり重い意味を持つ場合もあるの」
「リリアにも似たようなことを言われたな」
「リリアさんにも?」
「ああ。家族への紹介とか、将来を見据えた関係とか」
ルミエールの表情がさらに固まった。
「蒼真さん……それを聞いても観光だと思っていたの?」
「いや、さすがに観光だけではなさそうだとは思っていた」
「本当に?」
「……少しは」
「怪しいわ」
エルミナが楽しそうに笑う。
「大丈夫だよ、ルミエールさん。蒼真くんは、こういうところがいいんだ」
「いいんですか?」
「うん。肩書きとか、里の意味とか、そういうものを一度横に置いて、人として見てくれるから」
エルミナの声は優しかった。
「それは、私にとっては嬉しいことなんだ」
ルミエールは少しだけ黙った。
そして、静かに頷く。
「……そういうことなら」
エルミナはふと、ルミエールへ視線を向けた。
「ルミエールさんも一緒に来るかい?」
「えっ、いいんですか?」
ルミエールの表情が一瞬明るくなる。
だが、すぐに何かを思い出したように固まった。
「あ……でも、まだ死にたくないので、今回は遠慮します」
「死ぬって何だ?」
蒼真が真顔で聞く。
ルミエールは少し青ざめたまま言った。
「エルフの里は、外部者にとって入るだけでも大変な場所なのよ。道も特殊だし、精霊の結界もあるし、礼儀を間違えたら……」
「死ぬのか?」
「死ぬかもしれない、と聞いたことがあるわ」
蒼真はエルミナを見る。
「本当ですか?」
エルミナはにっこり笑った。
「それは行った時のお楽しみだよ」
「楽しみで済む話ですか?」
「ふふ」
「否定してください」
「大丈夫。私が一緒なら、たぶん」
「たぶん?」
「たぶん」
蒼真は少し不安になった。
ルミエールはそんな蒼真を見て、真剣な顔で言う。
「蒼真、帰ってきたら絶対に話を聞かせてね」
「帰ってこられる前提で話してくれ」
「だから心配しているのよ」
エルミナは二人のやり取りを楽しそうに見ていた。
そして、少しだけ姿勢を正す。
「ルミエールさん」
「はい」
「このあと、ちょっと蒼真くんを借りてもいいかい?」




